今日も俺はいつものように夏美とハンバーガーショップで雑談を繰り広げていた。俺たちは「現代史遊技創造会」、略して「現遊会」という一見胡散臭くて実体はふざけたサークルのメンバーだ。今の会長が入った年に現代史研究会と落語研究会が合併し、あっという間に坂道を転げ落ちて現代史をおちょくって遊ぶ、とゆー何だかわけのわからないサークルに成り下がったという。
同じ現遊会メンバーの夏美は小柄でショートカットのかわいい部類に入る。だが性格はかなり重大な問題ありで、いつも何を企んでいるのか危ない奴だ。とは言え面白い娘だし俺とは気が合う。
で。今日の俺は久々にでかい決心を胸に抱いていた。まあぶっちゃげた話、夏美のことを彼女にしたいってことだ。しばらく普段通りに会話を続け、やっと夏美の機関銃型ぶっとび話が止まったのを確認し、俺は思いきって口を開いた。
「愛してる」
何の前触れもない俺の言葉に、夏美は飲みかけたLサイズのコカコーラを俺の顔めがけ思いっきり吹き出した。俺が濡れた服を慌てて拭くと、夏美はむっとした表情で言う。
「だあってさ、いきなりあんたとんでもないこと言うんだもん。いきなり『愛してる』はないでしょ? 抜き打ちテスト十回連続の方が数段驚かないよ、間違いなく」
「そんなもんか?」
「そう。うちのポチに言われる方がまだ納得できるってもんよ」
「俺って犬以下なわけ?」
「それ以前に有機物かどうかだって怪しいし」
夏美の毒舌が今日は一段と冴えわたる。というか、んなもん冴えてくれたところで何の良いこともないのだが。俺はかなり気後れしながらも、無理に気持ちを奮い立たせて言い足した。
「でさ。俺の言葉にもう少しちゃんとした返事はないわけ?」
「したくない。する気ない。考えたくない。そーゆー話がしたいんなら地球の外でやってくれ」
俺の恨みがましい視線にようやく夏美は真面目な表情で答えた。
「嫌じゃないけど、竜ちゃんと恋愛ってピンと来ないんだよね。良いじゃん、それで。はい、おしまい」
夏美はぺろっと舌を出すと、もはや話を忘れたように半額バーガーにかぶりつく。それでもさらに俺が話を続けようとすると、夏美は遂にとどめの一言を言い放った。
「私ってしつこい男が大っ嫌いなんで、そこんとこよろしく!」
俺は開きかけた口を無駄に動かすと、仕方なくポテトをつまんだ。夏美はきははは、と笑って俺のポテトをがっぱり口に詰め込む。まあ、これでもこいつなりのフォローなのかもしれないが。と、夏美は何かを思い出したように動きを止めると、鞄から何やら怪しげな布の包みを取り出した。
「いやー、危なくあんたの下らない馬鹿話のせいで忘れるとこだったよ。今日は絶対これの話しようと思ってたんだから」
包みをほどくと、中には深緑をした手のひら大の球があった。夏美の顔をじっと見つめると、夏美は真顔で魔法の球、と言い放った。俺は少しの間思考停止し、そしてゆっくりと低い声で言った。
「夏美、お前大丈夫か?」
「もちろん。私が今まで変なことしたことある?」
「数えきれないほど」
「どーゆー意味よ、それ」
俺は夏美の台詞をさらっと無視して球をよく観察した。天然石を丁寧に磨き上げたようにも見える。手に乗せてみるとかなり重みがあった。じっくり眺めてみるとかなり綺麗な色だ。確かに魔法の球といった風情はある。だが本当に魔法の球だと信じるかどうかは別な話だ。
「それね、駅前の古物屋さんで買ったんだ。持ち主が倒産したとかなんとかでたったの二九八〇円で売ってたわけ」
「で、その値段で買ったのか」
夏美は心底嬉しそうに首を縦に振った。やっぱよくわからない奴だ。俺は溜息をつき、次の言葉を待った。夏美は大真面目な顔で深呼吸すると、はっきりとさらにおかしなことを言った。
「今日は魔法の儀式をやるから竜ちゃん、つきあってね」
俺の目の前には期待でいっぱいの最高の笑顔が輝いている。マイ・エンジェルが死神の鎌を磨いで待ち構えているという風情。だが告白直後という最悪のパターンだ。どうしようもなく、俺はそのまま夏美に引きずられるようにして部室へと向かった。
部室に入ると夏美は俺を放り出して夢中で怪しげな作業にとりかかった。山積みになったがらくたは「魔法の球」と同様、夏美が仕入れてきた物だ。夏美には魅力的らしいが、他の人間にはどうでも良い邪魔物でしかない。最近うちのサークルがオカルト研究会と間違われるのはこいつのせいに決まっている。重い荷物を引きずったりしているが、そもそも夏美が何を考えているのか、理屈も何もわからないので黙って眺めているしかない。そうして三十分ほど経っただろうか、やっと夏美の動きが止まった。
「で、これで準備はオッケーなんだ」
がらくたの山を追いやった机の上にはこれまた怪しげな曼陀羅が敷いてあり、その上には例の球が載っている。壁にはイコンが立てかけてあり、机の脇にはルーン文字と亀甲文字とインカ文字を夏美が書き込み、天井に飾った電飾のLEDは鳥居の形をしていた。オカルトに詳しくない俺でも、とにかく非常識に不気味なほど多国籍してることぐらいはわかる。
「なあ、魔法って普通は国とか宗教とかまとめんじゃねえの?」
「いいのいいの。この球はシルクロードで発掘されたから、ちょうど多国籍なのよ。それに前の持ち主は無国籍料理の店長だし」
良いのかそんなことで納得して。突っ込みたいとこだが、これ以上わけのわからんことになったらたまらない。というわけで黙り込むと、夏美はにまあっと妖しく笑って例の球を撫で回しながら呟く。
「こうしてるとつくづく現遊会に入って良かったと思うよ。なんていうか、生きてる実感があるよね」
「これのどこがうちのサークルの活動なんだよ。つかもっと健全なことに生き甲斐感じろよ」
「現代の歴史には裏社会の力あり! 裏世界を実践しなきゃ。汗と涙と闇の青春、ぐぐっとハートに来るでしょ?」
こいつの歴史観を理解しようだなんて無謀だとわかってはいるが、汗と涙と闇の青春なんて惚れた女が付いてきてもお断りだ。俺は溜息をつくと、夏美が伸ばしてきた右手に手を添えた。
「いーい? 私がオッケーって言うまで手を離しちゃ駄目だよ。上手くいけば異世界の住人を呼び出せちゃうんだから」
俺が力なくうなずくと、夏美はやたら元気に奇妙な踊りを始める。何と言うか、インドの舞踏と盆踊りをかき混ぜてリオのカーニバルで発酵させたような奇怪な踊りだ。だが夏美の真剣な目をみると莫迦にする気にはなれない。そんなことしたら後で仕返しに何されるかわかったもんじゃない。
ただ黙って夏美の手を握ったまま球をじっとみていた。と、ふと球の色が変わった気がした。慌てて合図を夏美に送ったが、既にこいつは踊りに夢中で俺の合図なんて全然気がつきゃしない。夏美の踊りはますます激しくなっていく。そのうち、遂に変化が勘違いじゃないことがはっきりしてしまった。球の色が深紅に変わったからだ。
「夏美! 色が変わったぞ? マジックじゃねえよな! 夏美?」
夏美は相変わらず俺の言葉を聞かずに変てこな踊りを続ける。
「夏美、おいマジで変わってるぞ? 夏美!」
やっと夏美に俺の声が届いたとき、部屋は深紅の光に包まれ俺は気を失った。
「いやー、どこを間違ったんでしょうねえ」
夏美は周りを見回しながらのほほんと言う。俺は黙って膝をついたままうわごとのように呟く。
「やっぱ、これは現実なんだよな」
「その通りだ現実だ。夢なんかじゃないよ」
きはははは、と夏美は哄って燦々と輝く太陽を指さし、傍らの大木にもたれて気持ちよさそうにのびをした。そう、なんと言いますか。異世界の人を呼び出すはずがどうも俺たちの方が異世界に来てしまった、というのが夏美の言い分。そりゃたしかに耳で空を飛ぶウサギがいたさ。川の中を人魚が泳いでいったさ。だが俺はこれを夢とか幻とかで片づけたい。
「やっぱ異世界なんだよな。ディズニーランドじゃないのな」
「竜ちゃん。現実逃避は良くないよ。惚れた女に振られたばっかだからって、彼女とディズニーランドとか妄想豊か過ぎ」
そこかよ俺への突っ込み所は。つか、振った当人が傷口に塩と塗り込んでヤスリがけしてくる勢いって、本気で勘弁して欲しい。
「で、一体この状況、どうするんだよ」
「まあ責任論とゆーもんは複雑だからして」
「おめー以外に誰が責任とるってゆーんじゃ!」
俺の怒りにやっと夏美は肩をすくめた。とは言え実際にゃ責任もへったくれもない。で、まずやることは、だ。
「さあて。帰る方法もわからないし、かと言って私、森ん中のサバイバル生活なんて知らないし。これからどうしよう、ね」
「俺が聞きたい」
「そう言わないでよ、ね、素敵な竜ちゃん頼りにしてるよ」
んなこと言われたって嬉しくなんてなるもんか。いや、今つくづく思い直したぞ、こいつにふられたのは幸運だったのかも。とにかく俺たちはどうにも頭が働かずにぼーっとしていたが、突然夏美が声をあげて靴紐を結び直しながら言った。
「ね、あっちに見えるのって道路じゃない? ねえ竜ちゃん、あっち行こ」
指さした方をみると、なるほど道らしきものがあるように見えないでもない。夏美は警戒する様子もなく歩き出そうとする。
「『命あっての物種』ってことわざ知ってる?」
「うん? どこかで聞いたことはあるような」
そうだろそうだろこいつの脳みそにゃ非常識かつ余計なことしか入らないに決まってる。もうつくづく嫌になってきた。俺はいつものように溜息をつき、のろのろと立ち上がると歩き始めた。道と言ってもまともな舗装道路どころか石畳ですらない山道で、しばらく歩くと次第に草薮の中になってしまった。
緊張感のかけらもない夏美をこづきながらのたのた木を跨ぎ下草を踏み分け、やっとこ再び街道らしきものにたどり着いた。砂利を敷いた痕跡があり、明らかに人工物の石柱が所々に立っている。
「ほうら見て、道路でしょ? やっぱ夏美ちゃんはすっごいなあ」
俺は自画自賛する夏美を抑えて街道を見回した。脇に植えられた木々は涼やかに葉ずれの音を響かせ、遠くに延びた街道には人影も、と思ったら何者かの集団が向こうからやってくる。夏美も気づいたらしく、怪しい笑顔を浮かべて振り向いた。
「誰か来るよ。おーい! とかって声かけてみよっか」
「やばい集団だったらどうすんだよ。もしモンスターとか出てきたらさ」
「そんな非現実的な話あるわけないでしょ? 莫迦みたい」
「今のこの状態が日常よく起きる話だとでも言うのか」
「まあ、そういうわずかな誤差はおいといてさ、きっと大丈夫」
「少なくとも、相手が安全だという根拠は?」
「私の天才的な勘」
夏美は文句ないだろ、という表情で俺に向かってVサインをしてみせる。どうでも良いが、こいつの勘だけを頼りに命を懸ける莫迦がこの世にいるだろうか。とか悩んでいるうちに、遂に集団が間近に迫ってきた。と、よく見ると先ほどの言葉訂正。人影じゃありませんでした。あの集団は何と言いますか、その、あれですね。ファンタジー映画でも有名な害悪下っ端モンスター様御一行ですよ。
「へー、ゴブリンだゴブリンだ。珍しいよ面白いよー。おーい、こんにちはー」
俺が止める間もなく大莫迦娘は集団へ向かって手を振っていた。当然ゴブリンはこっちに気づいて駆けてくる。鎧を着たゴブリンたちが俺たちを取り囲む。俺は再びやらないよりゃましだろの勢いで神様仏様新興宗教の教祖様に祈りを捧げておく。お父さんお母さん、先立つ息子の親不孝をお許し下さい。受験勉強中と言いながら夏美と遊び惚けていた秘密もお許し下さい。ついでに苦情はきっと地獄に堕ちてるはずの夏美までよろしくよろしく。
俺はゴブリンたちを睨んだ。するとゴブリンは妙な表情を浮かべる。何と言うか、怯えるというか。でもまさかねえ。と、いきなり夏美がいかにも何も考えていない顔つきで口を開いた。
「あのー、道に迷っちゃったんです。お助け下さいませんか?」
をおっ、夏美が信じられないほどかわいい声を発している。さすがの夏美でも今の状態が危機だと悟ったのか? ところが。ゴブリンの言葉はさらに奇妙なものだった。
「そら大変だべな。この辺は物騒だで、わしらと一緒に行ぐべ。おう、村長にちょっこし挨拶してけれや」
言って先頭にいたゴブリンが手招きをする。俺と夏美は顔を見合わせて小声で相談する。ちらっと顔をあげると、たしかに形は小鬼をしているが、どことなくお人好しっぽい気もしてくる。結局、俺たちは手招きするゴブリンのあとについていった。
はぐはぐはぐ。ごぶごくごっきゅんごっくっくん。ばりぱりぱり。みにゃにちゃむちゃぴちまぐぱっくん。ぐくごくごく。
「いやー、そっちのお嬢さんは大した喰いっぷりだねえ」
「いやあ、お恥ずかしい。どうも申しわけありません」
ばりぱりぱり。はぐはぐはぐ。にちゃむちゃごくごく。
「それにしても、異世界から来なすったとか? だったらうちらを怖がっても仕方ないんでしょうなあ」
「先ほどはまことに失礼してしまいまして、その上こんなおもてなしまでして頂いて……こら夏美、ちゃんと挨拶しろよ」
「あ、どもども。ごちそうさまです」
口の周りがパイの汁だらけだってーの。俺は夏美の後ろ頭を殴ってまたゴブリン村の村長さんに頭を下げた。実は親切ゴブリンさんだったのだ。ついに俺までおかしくなったかって? いやいや、よーく考えてみましょう。はい、誰がゴブリンは悪い奴と決めたのでしょうか。そうですね、外見だけで判断しちゃいけないんですね。何でも、この世界では色々な種族が結構仲良く暮らしているらしい。
まあ国同士で戦争とかはあるらしいが、それも所詮俺たちの世界での戦争と同じようなもので、村長の話も菜食主義者のエルフが肉食用狩猟の補助金に反対してるだのドワーフの技術者離れ対策に人間の商人が就職の青田買いしているだの。世の中そんなもんだろ。
「で、帰る方法となると、妖精族に訊くしかないと思うんですがねえ。高度な学問は妖精族の独壇場ですから。ただ、なんせ気難しい種族ですからねえ。普通の国の枠からも外れる連中ですし」
「でもでもでも、会えるんですよね? 大丈夫なんですよね」
いきなり夏美が割り込んでくる。やっと長い長ーい食事が終わったようだ。この大食らいめ。俺がじと目で睨んでいるのも構わず、夏美は村長さんにどうすれば妖精族に会えるか訊いた。村長さんは深く溜息をつき、少し考え込んで答える。
「妖精族の村に行くしかないんですが、妖精族以外は入れん。冒険して入る方法を捜す他ないでしょうなあ」
俺と夏美は顔を見合わせて溜息をつく。村長も気の毒そうな表情を浮かべて言葉を継ぐ。
「一応、冒険のための道具類はうちの村にもありますから差し上げてもよろしいですし、訓練所もありますが」
夏美はがばりと体勢を直して村長の言葉にかぶりつく。村長はうなずいて、そして言った。
「ちょうどお二人は剣士と魔法使いの適性がありますからよろしいと思いますよ」
「え? 私魔法使いになれるの?」
「いえ、お嬢さんは剣士。魔法使いは用心深くないと」
「なーんーでー?」
俺は文句を言いたそうな夏美を押さえて、はっきりと言った。
「それじゃ冒険の手筈、お願いします」
あれから一ケ月。俺たちは色々冒険の心得やら術の基本やらを教えてもらい、遂になんとか即席冒険屋として何とか形をとれるところまでにはなった。夏美も初めは不満そうだったが、俺が習った魔法用の数学に嫌気を感じたらしく文句を言わなくなった。エルフの先生曰く、魔法陣を描くには解析幾何学をマスターしろとか。もし日本に戻れたら進路志望、数学科に書き換えようかな。
明日は旅立ちの日だ。お祝いをしてくれるとかで、ゴブリンさんたちが宴会の準備をしてくれている。服もプレゼントして貰えるらしく、夏美は採寸してもらったのをやたらと自慢している。
「ねえ、どんな服なんだろ」
「知らねえ。そういうの興味ないし」
「どうしてこうファッションとか考えないかなあ」
「うざってえもんね」
「だからあんたはいっつまでもダサダサなの」
俺は夏美の騒動を避けながら書き写した魔法書を丹念にチェックしている。するとようやっとお待ちかねの服ができ上がったらしく、夏美がご機嫌に部屋を飛び出していった。だが、しばらくしていきなり部屋から夏美の叫び声が上がった。俺は慌てて夏美の部屋に飛び込む。と、花嫁姿の夏美がこっちを向いて睨んでいた。
「夏美、何? その格好」
「何って、ウェディングドレスよ!」
「そりゃそうだけど、誰と結婚することになったわけ?」
「莫迦莫迦莫迦っ! お前だお前お前のせいだこのとんちき!」
「はい?」
「この世界のくそふざけた常識でねー、未婚の女は冒険できねえってんだよだから竜ちゃんと結婚しろってことなのよ!」
「夏美、言葉が乱れてる」
「うるさいうるさーい! どーして私が竜ちゃんと結婚しなきゃなんないわけ? うーわーっ、私の夢が希望が野望が壊れてく!」
お前の野望は潰れた方が世界のためだ。まあ、でもねえ。こっちに来る日の俺はこいつに告白したりして無謀かつ人生を捨てるようなことを企てたんだし俺としてはあははははのけけけけのけ。
「一応形だけで良いんですから、そんな深刻に考えなくても。なに、永遠の愛を誓うって叫んでチュッってやるだけで」
「いーやーだーっ! どーしてこうなるのよっ!」
村長にも耳を傾けようとしない。俺は溜息をついて言った。
「じゃ、やめたら? 俺独りで冒険して、独りで帰るから」
夏美は暫く考え込んでいたが、遂に肩を落として結婚式に同意した。
その日の結婚式は盛大だった。まあ、期待のチュッはほっぺどころか指先だったんでガッカリで、それを話したらゴブリン村長が笑い転げていた。それでも、結婚式の盛大さに夏美はなぜか機嫌を直したらしい。割り切るとつくづくどうとでもなる奴だ。で。ようやっと式も終わって明日の旅立ちへ向けた準備も終わり、ゴブリン村で過ごす最後の夜になった。
夏美はドレスをとっくに脱ぎ捨て、動きやすいスラックスに長袖のブラウス姿に戻り、庭で剣を磨いていた。俺がノートを閉じて大あくびをすると、夏美は剣を鞘に収めて手招きする。俺も外に出て隣に立つと、夏美はしみじみとした雰囲気で言った。
「いやー、明日で出発だなーって。色々あったなあってさ。で、旅立ち前もこのドッカンだし」
夏美はどさりと座り込む。俺はブラウスの隙間からのぞいた夏美の胸から慌てて目を逸らした。だがさすが夏美は目敏い。
「こおのスケベ」
「うるせ。嫌だったらちゃんとボタン閉じろ」
夏美はんべっ、と舌を出して二番目のボタンを掛け直すと窓から空を見上げる。しばらく二人とも話しにくくなって黙り込んでいた。そしてふと、夏美が俺の頭に優しく手を置いた。
「ちょっと黙ってて」
俺が肩をすくめると、いきなり夏美の唇が俺の頰に当てられた。声の出せない俺に、夏美がにやっと笑って言う。
「このくらいできないと、周りから疑われるでしょ!」
「それだけのことで?」
「ま、このくらいは良いかなって。言わせないでよ!」
夏美は頰を膨らませて顔を背けた。俺はぼけっとしたあと、思わず吹き出した。すると夏美も一緒になって笑いだす。笑って笑って、本当に腹が痛くなるほどずっと二人で笑い転げていた。
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