「魔獣が来るぞ!」
突然の凶報に村は恐怖に染まった。魔力を持ち、猿程度の知能も備えているくせに人間に馴れることは絶対にない魔獣。ときに人家を襲い、人肉を食する危険で忌むべき生物だ。その姿は伝説のドラゴンに似ているが、三つ並んだ邪悪な瞳は人間の心に恐怖を植え付ける。
そんな魔獣が突如、村のすぐそばで目撃されたというのだ。奴らはいきなり村を襲撃することはない。一旦様子を窺い、大した危険がないとみると暴虐の限りを尽くす。村は国の外れにあり、そのくせ国境に侵攻する敵もないため本当に小規模な駐留軍があるだけだ。先代の王家が滅んで以後はその軍隊さえも縮小に縮小を重ねられ、今では魔獣に対抗する力など残ってはいない。
ミーアは魔道士図書館で司書を勤めている。魔道士図書館はその名の通り魔道専門の図書館で、利用者は魔道士ばかりだ。今日も幼なじみで初級魔道士のピアティが本を返却に来た。
「ねえミーア、聞いた? 助かるかもしれないわよ」
ピアティは借りていた本を返却台に置きながら囁いた。ミーアが首をかしげると、身を乗り出して言葉を続ける。
「あのね、ガートン様がこっちに向かってるそうなの」
「それってまさか、あのガートン様?」
彼女はすごいだろ、と言わんばかりにうなずいてみせた。ガートンは先代の腐りきった王家を滅ぼして最強の魔獣を倒した現女王とともに戦った英雄だ。ガートンはまだ独身で、一部の若い娘たちの間では二枚目役者並みの人気を誇っている。まあ、ミーアもその「若い娘」の一人なのだが。
その辺の事情を知っているピアティは悪戯っぽい目でさらに声を低めて囁いてきた。
「ミーア、ガートン様は魔道士と連携を組むはずなの。でね、もうすぐ魔道士事務所で事務職員の特別募集があるのよ」
「じゃ!」
叫びかけたミーアに、ピアティは小さく笑って話をまとめた。
「申し込みなよ。あなたのことなら私、後押ししてあげるから。それにあなたの司書能力なら事務局もきっと欲しがるはずだし」
「ピアティ、ありがと」
ピアティは手を振って閲覧室の中へと入っていった。魔道士事務所なら給料も変わりはない。身寄りのないミーアには避難する先もない。どうせ魔獣が来る瀬戸際までは村にいるしかないのだ。ガートンを見られるというのなら、避難できない魔道士事務所でも構いはしない。このときのミーアはまだ、ガートンを見たいというほんの小さな憧れだけだった。
ピアティの言う通り魔道士事務所の採用試験を受けたミーアは見事合格を果たした。一般に魔道士事務所の事務職はかなりの難関で、魔道図書館の職員たちも彼女の合格を祝ってくれた。
そうして無事登録も終わり、ミーアは正規の魔道士事務官に着任した。そんな中、魔獣は村の周りの畑を荒らしながら次第に人家へと近づいていた。頼る場所のある人は既に村を離れ、残る者は村を守る兵士と魔道士、そして一部の頑固者だけになったある日、ミーアたち職員は事務長に呼び出された。
「ガートン将軍閣下が事務所に来られる。心しておくように」
事務長の言葉にミーアは思わず叫びそうになった。横を窺うと他の事務の人は硬い表情をしている。
ミーアの職務は中級魔道士の事務的補助が主な仕事だ。ミーアは魔道士といえばどれも大した差がないように思っていたが、上級魔道士とピアティのような初級魔道士では知識に大きな差があるらしい。そのぶん、上級魔道士のほとんどは高齢者で、ミーアの担当する中級魔道士は体もよく動き能力も高いこともあって魔獣掃討に参戦する。おかげでミーアもガートンに会える可能性がまた高い。
昼休み。外の芝生でお弁当を食べていると、ピアティが現れてミーアの横に腰を下ろした。
「ミーア、あんたほんっと運が良いわよね」
「でもピアティだってそうじゃない? この間中級魔道士試験落ちたおかげで魔獣と戦わないで済むんでしょ?」
「まあそうだけどさあ、試験落ちたってのは情けないよ」
「また受け直せば良いだけでしょ。死んじゃおしまいじゃない」
ミーアが軽く笑い飛ばすとピアティは苦笑を浮かべた。
「ミーアは私と違って頭良いからなあ」
「何言ってんの。ピアティは魔道士様でしょ」
ピアティは口ごもって、それっきりうつむいた。ミーアは全く身寄りがないのだ。だから早くお金を稼がないと生きていけなかった。実際、ミーアの学歴で魔道士図書館の採用試験を突破できたこと自体奇跡に近い。だからもしミーアが魔道士学校に通えたなら、ピアティより先に上へ行けた可能性は十分にある。それは、親友のピアティが一番わかっている。
ミーアは暗いムードを吹き飛ばすように話題を変えた。
「ねえ、魔獣が迫ってるわりには平和だよねえ」
「そりゃ魔獣は天気を変えるわけじゃないし」
「でも何となく」
ピアティは嵐の前の静けさ、と呟くと周りを見回した。美しい芝生、清々しい風、雲一つない青空。静まった空間。ピアティは膝を硬く抱えこんだ。ミーアはそっとピアティの背中に手をかける。ピアティは肩をふるわせるとミーアの肩に顔を押しつけた。
「怖いよ。魔力なんてろくすっぽない私だってまだ留守番は続けなきゃなんないんだもん。怖いよ」
ミーアはそっとピアティの髪を弄ぶ。ミーアなんて魔法を一つも使えない、ただの事務屋に過ぎないのに。でも気の弱いピアティには耐えられないのだろう。
「ねえミーア、ミーアは怖くないの?」
怖いわよ、と答えつつも、ミーアは期待に膨らんだ笑顔を向けた。
「じゃあ何でそんな平気な顔してられるの。楽天家過ぎるよ」
「だって、きっとガートン様がお守り下さるはずだもの」
言ってミーアは曖昧に笑ってピアティの頭を撫でてやる。楽天家、たしかにそうかもしれない。しかしミーアにとってはガートンへの憧れは生きる支えなのだ。ピアティのようにのほほんとした魔道士さんにはわからないだろうが、ミーアにとってガートンを信じることは自分の生を感じることに等しい。
本当はピアティのように学問をしたかったのに、現実は書類の整理に忙殺される毎日。そんな日常から逃れられる唯一の場所。それがガートンへの憧憬なのだ。ミーアにとってガートンは現実を忘れさせてくれるつかの間の憩いなのだ。だからこそミーアはガートンを信じている。いや、信じなければならない。
ガートンは自分自身を見失わないための大切な六分儀。それほどまでにミーアにとってガートンへの憧れは特別なものなのだ。
衝撃が村を揺るがす。魔道士たちの放った魔力の塊は魔獣の頰肉を削ぎ落とした。だがそのぐらいで死ぬ魔獣ではない。魔獣が魔道士事務所に向かって突撃をかける。もはやミーア以外誰も残っていない事務所に魔獣が一直線に突撃をかけてくる。
ミーアは独りで事務所に残ることを選んだ。なぜなら、その残る一人はガートンたちのお世話が仕事だったから。もし事務官で希望者がいなければ初級魔道士がくじ引きで残る予定だったらしい。だからミーアは随分と初級魔道士たちに感謝された。避難する初級魔道士たちの中には不安そうなピアティの姿もあった。
ミーアはガートンの傍らにいた。彼は最低限の兵しか連れておらず、他の兵士たちは既に魔獣と対峙していた。ガートンは今はただ、自分の出番を測っているのみだった。
「ミーア君、戦斧をとってくれ給え」
遂にガートンが動く。ミーアは即座に両手で戦斧を持ち上げてガートンの傍らに置いた。ガートンは優しい視線を向けて呟く。
「よくここに残ったね」
「仕事ですから」
「いや、君のような勇気のある女性は国の宝だよ」
(国の宝よりはあなただけの宝になりたいんだけど)
思わず口走りそうになって慌てて飲み込む。ガートンはただ黙ってうなずくと窓から魔獣を睨みつけた。
ガートンが立ち上がった。魔獣は何かを感じたのか、魔道士事務所の前で足を止める。ガートンは階段を降りていく。事務所の扉を大きく開く。魔獣の視線がガートンを捉えた。
「我はガートンなり!」
大音声の名乗りとともに、ガートンは魔獣へ突撃する。怒りに染まった魔獣は強大な炎を吐く。だが炎の過ぎた後にはガートンの姿はない。
背後に回ったガートンは魔獣の尾を一息に切断した。魔獣は苦悶の叫びをあげると必死でガートンの姿を探す。それは魔獣があらゆる防御を忘れた瞬間だった。刹那、ガートンは喉に潜り込むと、全体重をかけて一気に戦斧を横に凪いだ。
それまでの魔獣の苦悶が血を吐く音に変化した。途端、再び魔道士の魔法が魔獣を襲う。また魔獣が体をよじらせて敵を探る。その目に再びガートンの姿が入った。
魔獣は最期の力でガートンの上に覆い被さる。だがガートンはとびずさり、魔力を帯びた第三の眼に剣を突き立てた。魔獣は体を痙攣させ、そしてようやくその動きを止めた。
「勝ったぞ!」
魔道士の誰かが叫んだ。次いで他の魔道士が手を挙げる。そして叫び声が上がった。
「ガートン閣下、万歳!」
他の兵士が声を合わせて叫ぶ。ミーアも窓から顔を出して思いっきり一緒になって叫ぶ。
「ガートン閣下、万歳!」
「ガートン閣下、万歳!」
「ガートン閣下、万歳」
暫く続いた合唱が唐突に止まった。次いでガートンの体が揺れる。慌ててそばにいた魔道士が叫んだ。
「いかん! 閣下が魔獣の毒気にあてられた!」
歓喜の声が一転、悲痛な叫びに変わる。ガートンはそのまま担架に載せられ魔道士事務所の中に運び込まれていく。ミーアは眼を見開き、すぐに緊急時の行動に移る。
魔道医がガートンに応急措置を施しながら叫んだ。
「誰か! 湯はないか?」
「あります!」
ミーアは湧かしておいた熱湯と水、そして包帯を手渡した。
「すまぬ。毒素を浴びた閣下を浄める手伝を頼む」
ミーアはうなずいてガートンの腕を洗い始めた。なるほど、濃緑色の体液がガートンの体を覆っている。そのすさまじい臭気に辟易しながらもミーアは夢中でガートンの体を洗った。
「ようし、薬ができたぞ!」
医師は叫んでミーアを向こうに追いやるとガートンの体にその薬を一面塗りたくる。するとそれまで上げていたガートンのうめき声が次第に静かな寝息へと変わっていった。
医師はやっと安堵の息を吐き、次いで周りの兵と魔道士に冷たい視線を浴びせて言う。
「お前らは戦う以外に能はないのか。主の危機を助けようとしたのが事務の娘だけとは情けない者どもだ」
言われた連中は黙ってうなだれる。すると医師はミーアの方に顔を向け、額に皺を寄せて言った。
「閣下の看病を頼みたい。他の兵士や魔道士の治療で看護婦が足りないのだ。申し訳ないが、良いかな」
「はいっ!」
返事を返しながらミーアは微笑みを止めるのがやっとだった。
それからというもの、ミーアは毎日ガートンの世話を続けた。ガートンが意識を回復した後も、ガートンの希望もあったおかげで事務の仕事も軽減されてミーアはガートンの世話をみ続けた。その甲斐もあり、ガートンの傷は見事な勢いで回復していった。
そうして一カ月。遂に医師の回復の診断が下された。
「済まなかったね」
「いえ、閣下のお役に立てて嬉しく思います」
ミーアの声がふるえる。彼は王都に帰るのだ。ガートンは思っていたより遥かに優しい男だった。そのためか、ますますミーアの胸を占めるガートンの割合は異常な高まりを示していたのだ。
(離れたくない)
だが、そんなミーアの願いが届くはずはない。相手は英雄の将軍。未だ女王が独身であることを考えれば、場合によっては王位を継ぐことさえもありえる。それほどの大人物と只の村娘でしかないミーアではあまりに不釣り合いな話だ。
「ミーアよ。君には本当に世話になった。何か願いはないか」
ガートンの言葉に、ミーアは唇を噛んだ。この際、思い切って思いを打ち明けてしまいたかった。だが口をついた言葉はささやかな願いだった。
「どうか、もう一度お会いしたく存じます」
ガートンは目を細め、ふと街路に立っている梅の木に目を向けて言った。
「梅が咲く頃にこの村に来よう。どうせ一度復興の様子を検分せねばならぬからな」
「ありがとうございます!」
ミーアは深々と頭を下げる。兵士たちはそんなミーアとガートンの姿を羨ましげに眺めていた。
ミーアは待った。梅の蕾が色づくとともにミーアの想いも膨らんでいった。遂に花が咲き、梅の香りが村を包んだ。
(ふられたって構わない。せめて私の想いを知って欲しい)
ミーアは今度こそ自分の切ない想いをガートンに伝えるつもりだった。しかし満開になってもガートンがやってくるという話はどこにもなかった。そのうち初春の雨が降り、梅の花は散った。
梅が散り始めると、ミーアは夜更けの村を独りで歩き回っていた。まだ散る前の梅の花を捜すために村中を歩き回った。しかしそんな努力の甲斐もなく、村の梅の花は全て散ってしまった。
(ガートン様は来ない)
想いはますます募っていく。だがそれでも相変わらずガートンがやってくるという話はなかった。そのうち桜のつぼみも膨らみ始め、ミーアの心は次第に混迷を深めていった。
「ミーア、最近おかしいよ」
ピアティは梅の木にもたれ掛かるミーアに声をかけた。ミーアは疲れた目でピアティを眺め、また梅の木に頰を預けた。
「ねえミーア、どうしたっていうの?」
「ガートン様がね、『梅が咲く頃にこの村に来よう』って言っていたの。約束してくれたの。なのに」
ピアティは嘆息し、言葉を選びながら答える。
「きっとお忙しいんだよ。だって魔獣はまだ他にも国の中にいるんだよ。他のところを救ってらっしゃるのよ」
「他のところを?」
「そ。魔獣を追っかけてるのよ、きっと」
ピアティの言葉にミーアは漸く納得した表情を浮かべた。ピアティはミーアの背中を叩き、財布の中身を数えながら言う。
「ね、今日はぱあっと騒ごうよ。私、おごったげるからさ」
ミーアは横に首を振り、妙なことを言った。
「それよりね、『変化の術』の本貸してくれない?」
「変化の術? そんなのどうすんの」
「ちょっと興味があるから」
ピアティは首をかしげたが、大して気にはせずにうなずいた。だがピアティの想像の外、ミーアは既に正常な判断力を喪っていた。本を借りたミーアは、その日の夜から難解な魔道書を何物かに憑かれたように丁寧に読み込んでいった。
(魔獣がいればガートン様が来てくれる)
変化の法。意外に魔力のいらない術式だ。だが複雑でかなりの頭脳が必要とされる。だが幸か不幸か、ミーアは類希な頭脳の持ち主だ。だからピアティが半年以上も理解できず苦しんだ術の理論もミーアにはほんの一週間もあれば充分だった。事務所での仕事が終わった夜、毎日ミーアは秘密の特訓に励んだ。ガートンに逢いたい、そのあまりにも純粋すぎる想いは魔力の増大にも何らかの影響を与えたらしく、本を借りてからほんの一ケ月だけでミーアは変化の術をものにしてしまった。
満月の夜。ミーアはピアティにも内緒で村の外に立っていた。
(私が魔獣になればガートン様が来てくれる)
ミーアは喉に魔力石を貼りつけて呪文を唱えた。刹那、肉体を切り刻むような激痛がミーアを襲う。だがミーアの呪文は途切れない。もはやミーアにとって苦痛は何の障害にもならなかった。
つっ、と激痛が静まり、ミーアは体を見回した。忌むべき漆黒の龍だ。視力も増したのか、村の細部まで見渡せる。口を開くと声を発してみる。完全な魔獣の声だ。ミーアは満足だった。
(これで魔獣の到来が村に伝わる。ガートン様がやってくる)
翌朝、村は大騒動になっていた。ミーアは村の周りを散策しながらガートンが来るのを待った。
数週間が過ぎたある日、豪華な軍隊がやってきた。旗頭はガートンの紋章だ。軍隊はミーアの前で止まり、兵は剣を抜いた。背後には魔道士が並んで魔術をぶつける準備をしている。そして最後に中央から一人の男が進み出た。ミーアは思わず叫んだ。
ミーアは驚愕した。人間の声が封じられている。魔獣の声しか出せない。声帯を人間のままにしておくのを忘れていた。だが喉に貼りつけた魔力の石を剝がそうにも、魔獣の短い手では届くはずもない。ミーアはまた悲痛な叫びをあげた。
ガートンは闘争心をむき出しにしてミーアを睨みつけた。慌てて魔道士たちを見回すとピアティの姿が見えた。ミーアはピアティに手を伸ばす。途端、ガートンが腕に斬りつけて叫んだ。
「この魔物め! 最もか弱い者を狙うとは何という奴だ!」
(違います! 私はミーアです。お世話したではありませんか)
想いは届かない。兵士たちがミーアに殺到した。ミーアは必死で兵士を振り払う。次いで魔道士が魔力の集中砲火を浴びせた。その隙間からピアティの怯えた顔が視界の隅に入る。
(ピアティ、私よ。ねえピアティ、いじめないでよ)
ミーアの叫びは戦士たちをさらに高ぶらせた。そして遂にガートンが戦斧を握り飛び込んできた。ミーアは必死でその刃を逃れる。ガートンは執拗に喉元を狙い続ける。だが、遂にミーアの体力が尽きた。刹那、ガートンの刃がミーアの喉に食い込む。
血流が喉から溢れる。ガートンは喉に馬乗りになった。とともに魔力の石が半分に割れる。途端、ミーアの喉に声が戻った。
「ガートン様」
思いもよらぬ声にガートンは信じられないという面持ちでミーアを凝視する。するとミーアは流れる血も構わず言葉を続けた。
「お会いしたかった。私はミーアです」
「ミーア? なぜこんな姿に?」
「会いたかったんです。もう一度会いたかった、それだけなの」
ガートンは魔獣の姿なのも構わずにミーアの頭を抱きしめた。だが、もはやミーアに血は残っていない。ガートンの願いも虚しく、もう一度ミーアは小さく痙攣すると息絶えた。
ガートンは呆然としたままミーアの首を探った。そのはずみで最後まで残っていた魔力石が外れ、魔獣の肉体はみるみる縮んでいく。そして最後には元のミーアの遺体だけが残った。狼狽える戦士たちの中、背後で誰かが動いた。
「ミーア!」
一人の女が走り寄る。ピアティだ。戦士たちを押しのけるとマントでミーアの遺体をくるみ、ガートンを険しく睨みつける。
「どういうことだ」
ガートンの問いに、ミーアは唸るように答えた。
「あなたがミーアとの約束を破ったからよ。この嘘つき!」
「予が?」
「そうよ。『梅が咲く頃に』っていうあんたの言葉を信じて待って待って待って、なのに来なくって、だから魔獣が現れればあなたが来るって莫迦なこと考えたんじゃない!」
「まさか、この村は既に咲いているのか?」
ピアティは怪訝な表情を浮かべる。ガートンは呆然とした声で続けた。
「王都ではまだ梅は咲いていない」
ピアティは愕然とした。そして王都が遥か北方に位置することも思い出した。当然、王都とこの村では気候が全く違うはずだ。
「じゃあ、じゃあ!」
「王都の梅を思っていた。もう散っているとは思わなかった」
ガートンはゆっくりとミーアの遺体に近づき、懐からプラチナのネックレスをミーアの胸に置いた。
「この戦いが終われば都に連れていこうと思っていた」
ピアティはその場にくずおれる。ガートンは戦斧を地面に叩きつけると、暫くの間そのまま立ち尽くしていた。
早咲きの桜が一片、風に舞った。
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