文芸船

プラスチック・プリンセス(下)

 午前三時。俺は首筋の小さな痛みに目が覚めた。寝ぼけながらも、何か硬いものが俺の首筋を這い回っていることだけはわかる。蚊や虻ではないようだ。いや、ずっと大きい。ミセッツと同じほどの大きさの動物?

 俺は慌てて飛び起きる。と、かしゃりと何かが床に落ちる軽い音が聞こえた。何かがぼんやりとした光をまとって立ち上がる。

 寝る前に組み上げたばかりのミセッツが、妖しい笑みを浮かべて俺を見上げていた。夢か、夢のはずだ。寝ぼけているはずだ。

 俺は慌てて照明を点灯する。ミセッツは唇に血をつけた顔のままにやりと笑う。こくりと何かを飲み下し、そして小さなかわいらしい舌でまた唇を舐めて血を飲み込んだ。

「マスター、痛くしてごめんなさいね?」

 高く透き通っているようで少し棘の混じった、でも甘い声が俺の耳に響いた。

 ぺたり、ぺたりと小さな足音をさせてこちらに寄ってくる。俺の体を四つん這いで登ってくるけれど、なぜか跳ね除ける気分にはならない。ついに彼女は俺の首筋に辿りつくと首筋をちろちろと舐め、何かを貼り付けた。

「マスターは私に血をくれた後、このシールを貼っていたでしょう? 覚えているの」

 おそるおそる首筋を触ると、指先に貼ったものと同じ絆創膏が貼られているようだ。あらためて床を見ると、さっきミセッツが立っていた位置に絆創膏の箱が転がっていた。

「マスター、夜中に申し訳ないけれど挨拶させていただくわ。私は月の姫、ミセッツ」

 もう一度夢だろうと思う。だが首筋に感じたさきほどの痛み、舐められたざらりとした触覚、そして実感のある絆創膏。いずれも今の事態が夢などではないと語っている。

 ミセッツはくすりと笑って話を続けた。

「当たり前よね、人間には簡単に現実を受け入れる程の知性なんて備わっていないもの」

 ミセッツは肩から降りると腹の上に座り、腰のパレオの乱れを直す。いつの間に棚から引きずり出したのか、お守りを足元に引っ張ると袋からお守りの紙を取り出し、ショールのように肩にかけた。本来は不気味なはずなのに、そのしぐさは相変わらずかわいらしい。

「土地の神の力で心臓を覆い、自らの血液を啜らせ、そして満月の月光を浴びせる。そんなに、マスターは吸血鬼がお好きなの?」

 ミセッツの青い瞳が紅くなり、再び妖しい笑みを浮かべて俺の指先をちろりと舐めた。

「君は、吸血鬼なの?」

「マスターったら、偶然に儀式を執り行ったのかしら? 私で良かったわね。一緒にあの店にいた図体ばっかりでかいロボットなんかが私みたいに動き出したら悲惨なものよ」

 店舗にあった巨大なガンダムを思い出す。ミセッツに血を吸われるのも気味が悪いが、ガンダムがこうやって乗っかってきたら怪談というよりチェンソーが出てくるホラーだ。

 ミセッツは悪戯っぽく笑うと俺の手の甲を引く。手のひらを返してやるとちょこんと手のひらに正座した。ちょうど手のひらにぎりぎり収まる大きさで、動くようになったせいだろうか、寝る前より少し重いように感じる。

 いきなり親指を噛まれた。

「レディーの体重を無断で確認しないの」

 先ほどより尖った声を発し、また瞳が紅くなる。興奮すると紅く変わるようだ。

「俺は、どうすればいいんだ」

「まだ朝の三時半ですもの。寝直せば良いのよ。私もまた血を吸ったりする気はないわ」

 言って彼女はぽんぽんと自身のお腹を撫でる。お腹いっぱいだと言いたいらしい。だがこんなことがあって眠れと言われても。

「大丈夫。月の光はマスターを護るから」

 再び這い上がってきたミセッツが甘い声で囁く。眠気が急に強くなってくる。抵抗しようとするが、ミセッツが俺の視界を覆い、俺は再び眠りについてしまった。


 翌朝に目が覚めると、金曜の夜に置いた窓際にミセッツが正座で身じろぎもせず座っていた。やはりあれは夢だったのか。

 いや、違う。俺は金曜日、しっかりと立たせたはずだ。というかそもそも、ミセッツを正座させたことは一度もない。

「『夢じゃありませんでしたイベント』はもう十分でしょう、マスター」

 印刷のはずの顔がウィンクして、指を立ててけらけらと笑う。夜中に聞いたそのままの甘い声だ。やはり夢ではなかった。

「ということでマスター、同居生活開始の第一日として、お出かけしましょうお出かけ」

 俺は溜息をついてミセッツをじっと見つめた。ミセッツは何の疑問も抱かない笑顔で両手を俺に向かって伸ばしてくる。うふ、と彼女は笑って俺の人差し指を握りかけ、いきなりむっとした表情に変わった。

「マスター、デザインナイフでバリ取って」

 バリ、という聞き慣れない言葉に首をかしげると、彼女はさらに不機嫌な顔になって自分の手の甲を指差した。そこには面倒臭くなって適当に処理した切り残しがあった。

「こういう切り残しを『バリ』っていうの。プラモデルの基本用語でしょう?」

「俺は大人になってから初めて作ったんだ」

「あら、初めてのうぶな坊やなの?」

 ほんの少し意地悪な表情を浮かべてころころと笑う。それもバリの部分をわざと俺の手の甲に擦りつけながらだ。刺さって痛い。

「ほら痛いでしょう? 早くなさい」

 俺は自分で作ったはずのプラモデルに叱られながら、お出かけ前のバリ取りを丁寧に行う羽目になったのだった。


「んもう、マスターがヤスリがけ下手だからお昼になってしまうでしょう?」

 ミセッツは俺の鞄の中で寝転がってくつろぎながら好き勝手なことを言う。気楽なもんだと嫌みを言おうとしたが、ミセッツの上目遣いの視線に言葉を飲み込んでしまう。

 俺たちが向かったのは、昨日の秋葉原を超え上野の向こう、浅草の街だった。

 ミセッツは鞄の中で自分の首までの高さもあるスマホを自在に操り、勝手に動画再生アプリをインストールして浅草の街巡り動画を次々とチェックしていた。

「和服が良いわ。やっぱり雷おこしかしら。それとも寄席にでも行く?」

「和服は君には着られないだろ」

 俺の言葉にミセッツは無言で画面を指す。そこにはよりもよってドールショウなるものの広告が表示されていた。ドールショウ。中身は何となく想像できるが知らない言葉だ。

「知らないから嫌だなんて考え、お爺ちゃんの発想だと思うんだわ」

 ミセッツの言葉に、俺は鼻を鳴らしてそっぽを向く。だがミセッツはお爺ちゃん、とわざとらしく言葉を繰り返して笑った。

 馬鹿な会話をしているうちに、俺たちは既に浅草の観光地、浅草寺まで来ていた。浅草寺の周りは普段なら見かけない和服姿の観光客も多く、和服や扇子、草履、下駄を販売する店が数多く軒を連ねていた。

 和服と言えば、浴衣でもない限りだいたいが車を買うほど高いという印象を抱いていたのだが、いくつかの店は古着で千円もしない。そういった店では合成繊維や木綿の安価な和服も置いてあり、それだと背広よりも安い。少し考えてみれば、江戸や明治の庶民が皆、手のかかる絹織物を日常的に身につけられたわけがないのは当たり前だ。スマホで確認すると、江戸時代の庶民は木綿と麻が中心だったとある。普通の洋服より雑に店頭に吊るしてある木綿の和服を触ってみると日本手拭いのような触感で、何だか新鮮な感覚だった。

「日本の文化だね」

「あら、貴方はこういうもの知っているの」

 ふと呟いた、少し格好つけただけの台詞に何でもないことのように返され、俺は言葉を飲み込む。実際、俺は和服なんてまともに着た記憶が全くない。せいぜい職場のお祭り動員で着た浴衣が関の山だろう。

「私も知らないわ。だって生まれたばかりですもの。何も知らないわ」

 またミセッツは何のてらいもなく言う。俺はミセッツの素直過ぎる言葉が眩しくて、浅草寺の巨大な提灯の下を逃げるように駆け足で通り抜けたのだった。


 ドールショウ。自宅を出るときには入場するどころか開催していることすら知らなかったマニア向けのイベントだ。さっきのやり取りを避けたい気分とミセッツの何気ない誘導の結果、気づいたら会場に辿り着いていた。

 会場は市民イベントを行うような愛想の足りない公共型の建物で、だが建物に入った途端に不思議の国のアリスを模したような看板が目に入った。会場は四階と五階だそうだ。入場料がない代わり、会場内の案内パンフを千円で強制購入する仕組みになっている。

 ドールイベントだからなのか浅草が近いからなのかここも和服姿がおり、中には山高帽に和服を着た若い男までいる。なかなか奇抜ではまっていると思いかけ、彼が手に提げた袋からなぜかうさぎのぬいぐるみが顔を出していることに気づいた。この人物も俺と同じドールショウの会場に向かうらしい。

 俺と和服男はエレベーターに乗る。鞄から顔を出そうとするミセッツを手のひらで押さえ込みながら五階への到着を待った。

 普段より長く感じたエレベーターがついに止まった。扉が開くと、案外と女性以外に男性客もずいぶんとたむろしていた。

 ミセッツが鞄から顔を出して会場を見回した。俺は一瞬慌てたが、入口から見えるだけでも会場が人形だらけなのは見て取れる。その上、買った人形なのかそれとも持ってきた人形なのか、何か様々な人形を抱えた人がずいぶんといるのでやっと俺は安心した。

「ほんと、マスターは気が小さいのだから」

 くすりと笑うミセッツに、俺は返事をせずにそのまま会場の入口へ向かった。入口では一階の予告どおりパンフレットを千円で販売しており、その場で料金を支払ってパンフをぱらりとめくる。企業出展もあるが、大半は人形関係の文化教室を開いている人や趣味のサークルが大半のようだ。

 まず最初の一歩を踏み出した途端、俺は思わず叫びかけた。だが何とか声を飲み込んでテーブルの上に転がったものを見る。

 眼球。色とりどりの大小の眼球を、黒い天鵞絨の布を張った箱に並べて販売している。売り子さんは柔和な笑みを浮かべた初老のご婦人だ。普段ご婦人なんて言葉は使わないのだが、いかにも民話に出てくるおばあさんのような白いショールを肩にかけ、少しふくよかで色白の女性だった。

「ドールに似合うのよ。素敵な瞳でしょ」

 女性は暗緑色をした虹彩の眼球を摘み上げると、テーブルにあるフランス人形らしき人形の顔に当てる。顔を外して眼球を取り替えることができるらしい。「ドール用」とあるので、こういう人形はドールと言うのか。

「私の目は交換できないわよ」

 うっすらと紅い瞳に変わったミセッツが警戒した顔で俺を睨みつける。俺だってミセッツの瞳を取り替える気はないのだが、なぜかミセッツは異様に俺を睨み続ける。

「あの陶器製のドールの方がかわいいのでしょう。私のスチロールの髪やアクリロニトリルやスチレンの肌は、硬い色の樹脂だから」

 音を立てて落ちそうなほど深い溜息に、俺はミセッツを掬い上げると上着のポケットに入れてやった。ミセッツは焦った表情で俺をじっと見上げてくる。俺は何だか気恥ずかしくなって、指先でミセッツの頰をつつくと、そのまま次のへと移動した。いくつか先ほどの眼球屋のような店が並び、他にも顔だけ販売していたり髪を販売しているブースもあったが、とりあえず似たものを流し見していく。

 ミセッツが頭を胸にぶつけてきたので立ち止まったのは、ミセッツのプラモデルの製造企業ブースだった。ミセッツを描いたイラストは箱絵と同じくかわいらしく、俺のミセッツのような憎まれ口をきくようには見えない。

 胸元を覗くとミセッツはうっすらと柔らかな笑みを浮かべて口元の小さな牙をわざとらしく見せる。並んでいる中にはミセッツの完成品や改造品もあるが、一つも鋭い牙を持ったフィギュアは見当たらなかった。今朝、血を吸われたときのことを思い浮かべる。こくりと動いた、血を奥に流し込む喉の動き。月の光を浴びたミセッツは、ここに並んでいる製品のミセッツとは全くの別物だった。

「私の知らない子がいるわ。新発売なのね」

 ミセッツがポケットの中で足を動かして指したのは武装したフィギュアだった。全身が白色のぴったりしたレオタードのようなものを着込み、両手に死神のような漆黒の鎌を、背中には白色の巨大な砲台を背負っている。

「これ、動いたりするのか?」

「まさか。私は契約の血を啜っているのよ」

 ミセッツは少しむくれた声で答える。俺の胸を踵で蹴り、そしてまた言葉を続けた。

「もちろん私は動くから特別なのだけれど、でもそれ以上に、私は貴方の」

 ミセッツは言葉を切り、後頭部をこつりと胸にぶつけるとくるりと回ってポケットの中に潜り込み、服の上から噛みついた。いっ、と声をあげかけて必死に飲み込む。

 再びミセッツはポケットから顔を出した。さっきより上気した顔色をしていてその上おどおどしており、何だかかわいらしく思える。

「お客様? そのミセッツ、改造ですか?」

 売り子が興味深そうに寄ってきた。俺は慌てて適当なことを答えるとブースを離れた。

 次に足を止めたのは小物と服のブースだ。ちょうどミセッツに合わせた服のサイズがあり、やはり面白いのはゴシック風味のドレスだ。こんなのはそれこそいかにもお人形向けで、とくにうちのミセッツのように吸血鬼となるといかにも似合いそうな気がする。

 だがミセッツが興味を示したのは、もう一つ人だかりができている浴衣のコーナーだった。人形用に作り帯となっていて、自分で帯を結ぶ必要がないようになっている。また浴衣だけではなく下駄まで付いており、人の裸足の形でできているミセッツには本当にぴったりのつくりとなっている。

「これ、かわいいね。気に入ったわ」

 ミセッツは蜘蛛の巣と蝶をあしらった、最も高額で美しく、そして不穏な柄の浴衣をポケットの中で指す。さすが吸血鬼だと思う。俺を見上げる視線がまた紅く染まっており、よほどこの柄が気に入ったのだとわかる。

 俺は浴衣セットを売り子さんに手渡した。


 奥の一角に投票所のように衝立を立てたスペースがあり、色々な人がここで人形の着替えをさせていた。俺も一つスペースを取ると先ほどの浴衣とミセッツを降ろす。ミセッツが俺を睨んでくるので、買い物袋をミセッツにかけてやると中で着替え始めた。

 着替え終わると袋を自分で退け、自信満々にくるりと回ってみせる。おまけでもらったドクロ入りの団扇を背中に刺しているのがまた不穏で、だが良い感じに似合っていた。

 ミセッツは俺が買ったというのに、むしろ俺を見下すような視線で俺を見上げて言う。

「どお? 私にかしずきたくなったでしょ」

「なんでそこまでお前は生意気なんだ」

「だって私、吸血鬼ですもの。人間なんかよりもずっと高い存在なのだわ」

「俺に組み立ててもらったくせに」

「じゃあ、貴方を製造した人や契約した人はいつまでも貴方よりも上の存在なのかしら。でも人間の場合は製造と言わないのよね」

 ミセッツは言葉を切り、再び言い直した。

「貴方を会社に雇った人たちは貴方よりいつまでもずっと偉いのかしら。違うでしょう」

 少し考えるとよくわからないミセッツの言葉は常識的に言って不遜で不穏当だ。でも、俺ぐらいの年齢になると、就職したての頃の上司だった人たちは次々と退職しており、俺が追いつきつつある人たちもいる。それにしてもミセッツは昨日でき上がったばかりだ。

「私は吸血鬼だけれど、でも貴方のお人形。お人形は、マスターの」

 また言葉を切ると急に顔を赤くして膨れっ面になり、俺の指先をいきなり踏みつけた。何だよ、と俺が文句を言うとミセッツは背中を向けて上を向く。プラモデルの癖に、浴衣を押し上げるお尻の丸みで胸がざわついた。ミセッツは俺の人差し指に腰掛け、手の甲を軽く噛んでから諦めたように言った。

「私はお人形。お人形は愛されるのに、人間やペットとは違って飽きられると棚の奥にしまい込まれて、そのうち捨てられるのだわ」

 腰を捻り、紅い瞳で俺を見つめてくる。俺は返す言葉に悩んでしまい、結局は何も返さずにそのままそっとミセッツを両手で掬い上げると、ゆったりと包み込んだ。

 ミセッツは手の中で柔らかく笑い、次いで照れ隠しのような怒った顔を作ってみせた。


 ドールショウの会場を出て、俺たちはまた浅草の観光地へ戻った。

 和服の他にねだられて買った、フェンシング用に金の装飾をつけたようなレイピアをミセッツが得意げに構えようとする。人通りの多い浅草観光地では危なくてたまらないので手で制すると、ミセッツは真面目な表情で東京スカイツリーをレイピアで指した。

「スカイツリーの向こうには、常陸国一宮の鹿島神宮が、反対側には富士山、そして伊勢神宮があるの。霊的に結ばれているのだわ」

 急にオカルトめいた話になってきた。と思いかけて、ミセッツがプラモデル製の吸血鬼というオカルトだったことに気づく。だがミセッツは俺の思いも構わず話を続けた。

「そんなわけだから、霊的に護る必要があると思うの。もう今日は満月ではないし」

「でもそんなオカルト話に東京スカイツリーとか、新しすぎて都市伝説くさいよ」

「あら、神話も民話も生まれたてのときはそんなものでしょう。だいたい、伝承なんて調べれば別の時代ではないの?」

「そんなことは」

「だって私の源の一つだって、銭形平次まで一緒になっているでしょう? まるで伝説のように思っている人も今はいるでしょう」

「歴史、って何だろう」

「そんなもの、貴方が見つめたときに生まれるの。元からあるんじゃないの」

 ミセッツは現に建っている浅草寺をレイピアで指して当然のことのように言う。

「それは変だ。現に浅草寺はここにある」

「初めて浅草寺を見るまで、貴方にとって浅草寺の歴史は本当に現実だったのかしら。貴方の好きな小説や漫画の出来事よりも、本当に血肉としての歴史だったのかしら」

 ミセッツは俺のスマホを蹴ってレイピアを振るう。刃なんてないのに指の皮膚が薄く切れ、ミセッツは滲んだ血に舌を這わせた。

「痛いでしょう? 私も美味しいわ。これが現実。切れたのが現実。画面の向こうが現実かどうかなんてわかるはずがないわ」

 再びミセッツは堂々と言い切り、名残惜しそうに俺の指の血をちゅちゅっと吸った。そして今度はまた揺らぐことを呟く。

「だから今、私が話したオカルトの話だって言葉だけなんだから、本当かどうかなんて貴方にわかるはずがないわ」

 俺は考え込む。じゃあ個々の場所を見て歩くのか。ミセッツと一緒に。それは楽しそうではあるけれど、時間と金のかかる話だ。それよりは、今はこのミセッツを。

「私を信じてくれる?」「君を信じる?」

 同時に言葉が重なり、俺もミセッツもお互い視線をずらしてしまった。

 こほん、と小さい咳払いが聞こえ、ミセッツの小さな手が俺の頰を撫でる。

「秋葉原だけじゃない。みんな今は混濁の中にいるの。混濁の中で、私たちがどうするかだけ。そこに胸を張っていけばいいでしょ」

 秋葉原で見かけた撮影男のことを思い出した。どこまでも怪しい印象しかないけれど、彼が妙に生き生きしていたのは確かだ。

 俺は堂々とミセッツを肩に載せると、また歴史長い浅草の街を歩き始めた。ミセッツの唇からは、甘い声で異国の歌が流れていた。

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