文芸船

プラスチック・プリンセス(上)

 秋葉原と言えば、昔は電気工作や電気技術のプロとマニアの街と呼ばれていたそうだけれど、現在は世界に冠たるオタクの街だ。駅に降りた途端、ホームから改札に向かう階段にはいわゆる萌え系美少女アニメのイラストが堂々と掲げられている。階段を降りて一息つくと、改札の先にある柱の電光モニター式広告はアニメ画集の販売広告になっていた。

 だがあらためて見回すと、同じ構内で沖縄郷土品を販売している臨時ブースがあり、また全国の郷土グルメの常設店舗もある。この店舗では、モッツァレラチーズに秋田のしょっつるをスプレーすると美味しいなどと、かなり冒険的な印象の広告を掲げていた。中庸とか平凡とかいう単語には全力で喧嘩を売ってやろうと言われているような錯覚すら憶える。

 とりあえず俺は駅を出て周りを見回した。複合店舗の玄関が一面、またいわゆる萌え系美少女のイラストで埋め尽くされている。これは喫茶店のアニメなのだろうか、全員喫茶店らしき制服を来て笑顔を振りまいていた。

 今日はテレビを物色に来たのだ。急にネット配信動画が映らなくなり、色々と機械を繋ぎ変えて試した限り、テレビの故障はほぼ確実だった。普段、それほどテレビを観る方ではないというか、地上波なんて一カ月全く観ないことすら普通にあるのだが、ネット動画までスマートフォンやタブレットでしか見られないとなるとさすがに不便だし目も疲れる。

 とはいえ時間と電車賃までかけて秋葉原まで足を伸ばして、真っすぐテレビだけ調べて帰るのもばからしい。そんなわけで今日は街をぶらつこうという思惑つきで来たのだ。

 駅から幹線に面した通りに出て、幾つか電気店があるのを確認だけして、さらに横断歩道を渡る。そしてすぐの小路に入った途端、やたらとメイド喫茶のメイドさんの客引きもいるかと思えば、ちょっと暗がりになった寂れた市場のような一角では抵抗やコンデンサをバラ売りしているし、倉庫の前で動くのかすら怪しげなパソコンを山積みして販売している奴もいる。それに群がって何台も買っている人も何者なのか分からないけれど、何か妙な技術持ちの人たちなのだろう。

 もっと怪しげなものは地下アイドルで、テレビでも大手動画配信でも見かけないアイドルらしき子がビラを配ってライブの案内をしている。それにもペンライトを握った小でぶが何人か寄り添っているのだからこれも商売になっているらしい。まあ、ちょっとした田舎観光地や新幹線開通イベントにまでローカルアイドルなんてものも出てくるご時世なわけで、今さら怪しげというほどでもない。

 何か食事をと思うと、インドア派が集まっているはずなのにこれまたなぜなのか激盛りとかいう肉の多そうな看板が目立つ。中にはラーメンどんぶり二つ分ぐらいのラーメンを食いまくる男の漫画を看板にしている豪快な店もある。あとはとにかくケバブだ。南米系らしき男たちが片言の日本語で「ケバブ、ケバブ美味しいよ!」と通りを歩く人たちに声を張っている。現在ではアキバ名物となっているらしいが、売っている人はほぼ全員が外国人という辺り、これまたよく分からない。

 まさに何もかもが混濁した街だ。この街から少し坂を登れば銭形平次で有名な神田明神があり、平将門の時代にはもう建立されている歴史ある神社だというのに、境内にしっかり架空のはずの銭形平次の碑が建っている。そんな神社だからか、お祭りのポスターは秋葉原の影響も受けてしっかり全部アニメ美少女になっている。またこの地区は、美術館や動物園で有名な上野、そして歴史型の一大観光地である浅草にも近い。上京して一年経つとはいえ、来るたびに不思議な街だと思う。

 俺も三十代終わりにいきなり、田舎会社の都合で親会社に栄転だか人身御供だか知らないが出向に出されたという経歴なので、一年いたところでまだ田舎者丸出しの気分が残っている。ただでさえ俺は、近所の図書館前で野生の白鳥が座っていたり自宅玄関前で仔狐が遊んでいたりする田舎から上京したというのに、この首都圏ときたら、自然がいっぱいという触れ込みの場所に行っても元いたところの市街地と大して緑が変わらないというさすがコンクリート大砂漠なわけで、ますます俺には不思議な街としか映らないわけだ。

 そして今、また一人怪しげな奴が俺の目の前にいた。三十代ぐらいの線の細い男で、白いジャケットと内側に簡素な紺色のシャツを着ている。彼は歩道の縁石にロココ調のミニチュア椅子を設置し、その椅子にちょうど親指と小指を広げたぐらいの身長でツインテールの美少女フィギュアを座らせる。フィギュアは肩に戦車の大砲のようなものを取り付けているが、しっかりとした白いフリル付きのブラウスを着込んでいる。あどけない表情の顔立ちもアニメ調だがしっかり作り込まれており、値の張りそうなフィギュアに見えた。

 彼は決まった、と呟くと一眼レフのカメラで撮影を始める。途中でまた喫茶店の玄関にあるような黒板のミニチュアを置いてまた次々とシャッターを切っていく。さらには自撮り棒を背中からするすると引き出すと手慣れた雰囲気でスマートフォンを棒にはめ込み、フィギュアを肩に載せて記念撮影を始める。

 怪しい。どう見ても変な奴なんだがそのやたらと手慣れた撮影と堂々とした態度、そして謎のフィギュアに興味を惹かれて彼から目を離せなくなった。いつの間にか俺以外にも足を止めている奴も何人かおり、客引きのメイド喫茶の子も首を傾げている。

 と、彼は彼はさくさくと先ほどのフィギュアたちをリュックに押し込み、次いで大きな箱を取り出した。箱の表面に描かれたイラストは先ほどのフィギュアに似ているが砲台を背負っておらず、代わりに戦闘機風の翼を背負っている。彼はパカリと箱を開けて覗き込み、俺たちに笑みを向けた。

 俺と後ろにいた二人、そしてメイドさんが箱の中を覗き込むと、そこにあったのは色分けされたプラモデルのランナーだった。パーツの形から考えると、組み立てれば箱イラストの美少女フィギュアに仕上がるらしい。彼はにたあ、と笑うとささっと箱をリュックに押し込み、何事もなかったように立ち上がってどこかへと行ってしまった。

 どこで売っているんだ。俺の後ろにいた大学生程度の二人が話してタブレットとスマホで検索し始める。客引きメイドもちゃらんぽらんな子なのか一緒になって検索を始めた。

 そして一方が見つけた、と言ってタブレットを見せる。俺も一緒になって覗き込むと、先ほどの箱イラストそのものが表示された。

「でも変だな。さっきの戦車系お嬢様娘なんて、製品紹介も販売履歴もないぞ?」

「別の会社じゃないか?」

「いや同じ表情だったし関節の機構が同じだから特許関係とか考えれば同じメーカーだ」

 この二人も特許とか言っている辺り、さっきの奴に近い連中のようだ。俺はプラモデルなんて小学生以来ずっと作っていないから全く分からない。その小学生のときだってガンダムしか作っていないので、現役小学生に知識も技術も負けたとしても不思議はない。

 するとメイドさんが人差し指を立てて可愛い笑みを浮かべながら発言した。

「改造ですよきっと。そういうご主人様、たくさんおられますよ? ということでご主人様、お店で一緒にお話し盛り上がりましょう今なら一時間ドリンク飲み放題で八百円メイドさん手作りクッキーもおつけできます」

 満面の笑みでお友達風に語りつつ、そのまま店に誘導しようとするメイドさん。なかなか玄人の仕事をしてくれる。

 そして玄人の魔法にかかった二人が財布を確認してうんうん頷いた時点で、俺はすうっと三人から離れてまた歩き始めた。

 だが離れてもやはりあのプラモデルは気になる。プラモデルって昔は単色で、塗装する物じゃなかったか。というかガンダムや戦車ならわかるが、どうしてプラモデルで柔らかい髪まで表現できているんだ。それに普通に関節も動いて服も着せ替えていたし。

 大人が組むプラモデルと言えば、ガンダムオタク。ちょっと検索してみると、ガンプラと呼ばれて海外輸出までされているらしい。あとは戦車や軍艦にバイク、どこでも走っているような普通車をマニアのおっさんが黙々と作っているような印象しか持っていない。

 だが、あのフィギュアかドールのようなプラモデルは製品の技術的にも位置付けも、俺の知識からはあまりにかけ離れていた。俺は肩をすくめて頭を切り替えると、とりあえず本来の目的の店を目指すことにした。

 やっと大型家電店に着くと、玄関には近未来っぽい制服を来た女子が新製品の掃除機を銃のように構えて宣伝していた。掃除機を見ているのか制服女子を見ているのか分からない集団を避けつつ玄関をくぐる。

 一階はほぼ全てスマートフォン売り場なので無視してエスカレーターを上る。次の階はパソコンで派手な色使いのランプが灯った大型のパソコンが並んでいる。ゲーム専用ハイスペック機だそうで、ゲーム専用ヘッドフォンもずらりと揃えられていた。さすが秋葉原だからか、展示に面白い偏りがあるようだ。

 ちょっとだけ興味が湧いたのだけれど、俺はネット検索と、趣味で小説を書いたりそれをウェブページに自動変換するための小さい自作プログラムを作成するぐらいにしかパソコンを使わない。こんな化物級のパソコンには用がないなと思いつつ、大学生時代ならもう少し興味を持ったよな、と何とも言いようのない漠然とした不安な気分に駆られた。

 ふとまた、あの変なプラモデルのことが脈絡なく頭に浮かぶ。だが俺は頭を振って目的のテレビを展示している三階に上がった。

 せっかくなので少し大型にしようか、画質はどうするかなど考えながら値札を確認していく。なかなかの値段なので今日はどうも決心できそうにない。それでも一台一台、性能表を見比べていく。画質については一見した感じではあまり差異がよくわからない。どれでも良いかもしれない、とにかく安いやつ、それこそ中国製にしてやろうか。案外と安物にも見えないし、横に立つ美少女も似合う。

 テレビの脇に、あのプラモデル美少女が当たり前のように立っていた。動かない表情で俺に向かって笑みを向けている。慌てて周囲を見回す。あいつがまた写真を撮っているのだろう。でもあいつの姿は見えない。

 と、若い店員さんがこちらに寄ってきた。

「忘れ物かな? 売れているしね」

 当たり前のように掴む店員さんに、俺はおそるおそる声をかけた。

「そのプラモデル、売れているんですか?」

 店員さんはいきなり営業顔になって振り向くと大げさな身振りで答えた。

「売れ筋ですよ! すぐに売り切れて入手困難になるシリーズなんですが、当店の四階でちょうど新製品をお取扱い中なんです!」

 そっすか、と俺は答えて慌てて店員さんから離れる。四階。エスカレーターの表示を観ると四階はホビーコーナーになっている。俺の頭は壊れたテレビよりも、あの謎のプラモデルにすっかり向いてしまっていた。


 四階に上がると玩具フロアというか、プラモデルフロアだった。俺が小学生の頃は、ミニ四駆は普通の玩具屋にもあったけれど、プラモデルは特殊な店にある印象だった。

 俺の知っているプラモデル屋というと、実家の街にある店ぐらいだ。神社の近所にある看板の薄汚れた店で、薄暗い店内ではモデルガンとプラモデルを扱っていた。先日帰省し際には、永年保存施設にでもなったかのように当時の佇まいのまま店を開けていたが。場所も店の雰囲気からも何だか楽しい印象が薄く、その上軍事物関係にはほとんど興味がなかったので、なおさらプラモデルには偏った先入観を持ってしまったのかもしれない。

 フロアはさすが大手電気量販店らしく清潔感と活気があり、高い天井に整然と並べられた大量のプラモデルの箱が目を惹く。

 まず最初に目に入ったのは巨大なガンダムのプラモデルの完成品だ。俺の知っている型とは全然違うが、一目見てガンダムだとわかる顔つきと装甲をつけている。大きさはおそらく、床に立たせたら俺の太ももぐらいの高さはあるだろう。値段は一万円を切るくらいで、価値はよく分からないまでも、この大きさを見ると仕方ない値段だろうと思う。そしてこのとんでもないガンダムを中国人の集団が何個か買っている。本当にお土産にするのかお土産名目で自国で売る気なのか知らないが、中国人もガンダムは好きらしい。

 この巨大ガンダムの背後には、プラモデルと言って普通に頭に浮かべるような大きさのガンダムやその仲間の完成品と箱がずらりと並んでいた。先ほどの巨大ガンダムを含め、プラモデル自体は最初から着色されており、添付のシールを貼れば仕上がるようだ。さらに詳しく見ると「スナップフィットだから接着剤なしでも簡単」と書いてある。ネットで検索すると、今どきのガンプラは全部はめ込み式になっており、部品を切り取って互いにはめ合わせるだけで接着剤がなくても一通り仕上がるそうだ。まあ、検索したサイトは当然マニアが作成しているから、それでも接着剤は買えと書いてあったけれど。

 また、接着の面倒さが緩和されたぶん、現代は部品を切り取った跡をきれいに処理することが重視されているそうで、デザインナイフという道具が紹介されていた。これはボールペン程度の長さの柄の先に、カッターナイフの先だけのような小さな刃がついており、細かく削る作業に便利な道具だそうだ。

 それにしてもガンダムはどれだけ販売されているのか。中には初代ガンダムという、もう四十年近く昔のモデルを現代の技術で製造した製品まで販売している。ガンダムオタクの友達が「ガンダムは一大産業だ」と言っていたが、この場を眺めると確かにそうだ。そういえば先ほどの駅前にもガンダムカフェという店があり男女とも入店待ちで並んでいたが、これを見ると色々と納得してしまう。

 とにかく呆れるガンダム軍団を駆け抜け、思い切って反対側に行ってみる。先ほどは親子連れと中国人と小学生がうろついていて賑やかだったのに、こちらは店内放送しか聴こえないほど静かで、俺よりはるかに高齢の白髪頭や禿げ頭の男たちが老眼らしき眼鏡を上げ下げしながら箱を手に取っている。

 なるほど。城と盆栽のプラモデルときた。さらに、懐かし昭和の駄菓子屋モデルとかいう商品まである。これはプラスチックのみではなく、本物の木造の板がセットされているようだ。奥には誰が作るのか知らないが、昭和の小学校の机と椅子、さらには便所なんてものもある。ご丁寧に和式セットと洋式セットの両方があり、電球のように頭の禿げた男が二つの便所を両手に持ってうんうん頷いている。きちんと水流しのハンドルを回して遊べるらしい。まさかリビングの夕食スペースに金隠しを飾るつもりではないだろうな。

 こちらのコーナーはさすがにマニアックすぎて俺の理解の範疇を超えつつあった。また、例の美少女プラモデルは、こちらの超マニア向けには入らないようだ。俺は再びガンダム側に少しずつ戻ることにした。

 次に出てきたのはモデルガンとプラモデルの武器、戦車、軍艦、戦闘機だ。軍事オタクの友人に言わせると、軍艦と駆逐艦と掃海艇は全く別物だそうだが、俺には全部似たようなものにしか見えない。俺にはイカ釣り漁船とサンマ漁船の方が分かりやすいと思う。とりあえず軍艦と潜水艦の区別は大丈夫だ。

 それほど興味はないが、こちらはまだ何とか分かる感じだ。飾られている完成品は塗装済みとあり、なかなかリアルにできている。戦車をリアルに見せるための模型の土や草、枝まで売っている。他にも化粧品のアイシャドウのようなセットが置いてあり、泥で汚れた色を着色するための特殊な塗料のセットなのだそうだ。こちらも随分と奥が深そうだ。

 隣にいた迷彩模様のカーゴパンツを履いた同年代の男が箱を開けて中を覗いていた。もう一人も当然のように開けて中を見ている。この手のプラモデルはそういうものなのか。

俺もよく分からないながらも適当に手に取って中を見てみた。

 全部カーキ色だった。最初のガンダムのような着色なんてなく、完全に一色。箱をもう一度見ると、塗料と接着剤が必須とある。こういう軍事物は俺が小学校の頃から進歩していないらしい。もしかしたら、迷彩模様な人はこっちの方が好きなのかもしれないが。

 あらためて眺めて見ると、箱絵も何だか小学生の頃とタッチも変わっていない。コンピューターグラフィックスはファンタジーですかとでも言わんばかりの、何だか俺が生まれる前のヤクザ映画のポスターみたいなタッチのイラストばかりだ。ここは先ほどの超マニアと比べても時間が止まっているような気がした。そういえば立っている人たちも、俺が実家近くのプラモデル屋にいた店主と似た雰囲気をまとっている気がする。

 俺は軍事を離れ、次の車やバイクに移動した。こちらも軍事コーナーと似たような空気が漂っており、車種も俺が自動車学校に行った頃どころか俺が小学生の頃に親父が運転していた車に似ている。ここも時間が止まっている。俺はまたコーナーを移動した。

 何だか急に雰囲気が変わる。高校生から大学生ぐらいが増え、駅前の複合店で掲げていた美少女イラストの紙袋を提げた奴らが何人もうろついていた。

 そしてうず高く積まれた山。先ほどテレビの脇に立っていた、ツインテールの美少女のイラストが箱で微笑んでいた。箱の傍らには同じイラストを描いた大型ポスターが展示されていて「月姫・ミセッツ」と書いてある。

 黒髪に色白の肌、少し赤み帯びた頬。ビキニに短いパレオをつけたような露出多めの服装をしており、裸足でいる。完成品も展示されており、足先は丁寧に指先まで細かく彫り込んである。展示品の説明には「色分けパーツとスナップフィット、顔は印刷済み」とある。これもガンダムのように切り外しては組み立てるだけで仕上がるらしい。

「これですよこれ。本当にありましたな。先ほどのメイドさんは親切でしたな」

 癖のある口調と聞いた記憶のある声に振り向くと、先ほどの撮影男を俺と一緒に眺めていた奴らが二人とも箱を手にしている。例の客引きメイドから販売場所を聞いたらしい。周りを見ると、俺と同年代どころか年上の奴までこの美少女を買っているが、白髪頭と迷彩柄は一人もいない。何かこの二つの分野の間には見えない広大な裂け目があるらしい。

 俺も一つ手に取ってみる。また別な人が一つ、と思ったら二つ掴んでそのままレジに向かってしまった。誰か友達の分でも頼まれたのだろうか。それともあの撮影男のように複数持つのか改造でもするのだろうか。

 値段を見る。三千円と少しだ。高いような安いような悩ましい値段だ。

 悩ましい? 今俺は何を考えていた。俺は正気を取り戻せと顔をあげる。レジにずらりと並ぶこのプラモデルを買う列。

 俺はふらふらと箱を抱えると、ニッパーとデザインナイフ、さらに接着剤とピンセットを併せて手にしてレジに並んでしまった。


 神田明神の鳥居の傍らにある店で、俺は大人になって初めてのプラモデルを抱えながら甘酒をすすっていた。先ほどの非現実的というかアニメ的な喧騒から徒歩で来られる距離にあるというのに、さすがは神社なだけあって落ち着いた雰囲気だ。

 ここの甘酒はさらりとした優しい甘みで、江戸時代から続く老舗だという。そんな店になんとも怪しげなプラモデルを抱えて入るのは気がひけたが、妙なものを買った高揚感でここまで来てしまったのだ。神社の入口で先ほどの複合店に展示されていたイラスト少女たちが、今度は巫女さん姿で堂々と神社のポスターになっているのだから、店の人も驚きはしないだろうと思い込むことにする。

 スマホで先ほどのプラモデルを検索してみる。人体を模しているせいか、接着剤がなくても組めるとはいえ部品はかなり細かいらしい。また、肌に部品を切り取った際の跡が残ると違和感が残りやすいそうで、デザインナイフや接着剤を駆使して切り取り跡を消してしまう方法が次々と検索結果に出てくる。

 本当にこれ、作れるんだろうか。俺は何だか不安になりつつも甘酒の店を出ると、何気なく神社の門をくぐって境内を見回した。

 有名な割にはこぢんまりとした神社で、だが建物は鮮やかな彩色と柱にある木彫りの狛犬などが目を惹く。また大黒様の像などもあり、明らかに特徴も強い神社だと思う。

 俺はプラモデルの箱を神社の石段に置き、深呼吸して拝んでおく。あまり宗教なんてものを信心するような性ではないが、せっかく来たところで参拝しないほど心の強い無神論者ではない。強いて言えばなんちゃって無神論モドキといったところだろうか。ついでに適当な家内安全お守りも買うと、そのままプラモデルを入れた紙袋に入れて帰宅した。


 一カ月ほど忙しい日々が続き、やっと何の束縛もない自由な日曜日がやってきた。ふと棚に放り出したままにしていた美少女プラモデルのことを思い出した。なんて名前だったか。そう、月姫のミセッツ。俺は棚をほじくり返して箱を引っ張り出した。

 何を考えていたものか、一緒に買った工具類は封も開けずにそのままだった。あと、たしか一緒にお守りを買ったはず。だがお守りはどこにも見当たらない。仕方なく箱を開けて見ると、お守りは箱の中のランナーに埋もれていた。さらにたちの悪いことにお守りの口が開いていて、中の紙が広がって心臓を模した部品を包むように広がっていた。俺は慌ててお守りを袋に戻すと、大事に書棚の奥にしまい込んでやる。

 続けて箱の中を全部並べてみた。確かに色とりどりのランナーが並んでおり、部品点数もかなりの数でどの部品がどこを構成するのかも説明書を読まずにはわからない。唯一分かるものと言えば、眉や瞳と唇や頬の赤みを印刷済みの顔パーツだ。この顔パーツは箱のイラストとほとんど同じで、若干憂いを帯びた表情や怒った顔など四つの表情部品が各々一つずつの小袋に包まれていた。

 説明書を開く。まず頭部を作成し、次に胴体、続けて素肌の両手足を組みあげたあと、さらに武装状態の別な手足をつくるそうだ。手間だが面白そうだ。俺は新品のニッパーをケースから取り出し、鋏でランナーを包んでいる袋を開けていく。

 あまりの部品点数で、どれが最初の部品かもわからない。色と番号を頼りに部品を探しあて、あらためて説明書の部品イラストと見比べる。ついに一つ部品をニッパーで切り離し、そして切った痕跡をデザインナイフで丁寧に削って目立たなくしてやる。

 ひどく手間だが、細かい作業は仕事などの余計なことを忘れられて気分転換になる。また一つ部品を切り外し、デザインナイフで削り、眺めて出っ張りを確認してまた削り。

 いつっ、と声が出た。デザインナイフで指先を切ってしまったようだ。丸く血の雫が膨れあがり、部品の上に落ちる。先ほど眺めていた顔のパーツと心臓のパーツに落ち、慌ててティッシュで拭き取る。だが再び、血の雫が表情パーツの唇に落ちていく。俺は慌てて薬箱を探して絆創膏を取り出して強めに巻いてやる。じわりと血が滲んだが、それで血はやっと止まってくれたようだ。俺はミセッツの顔をウエットティッシュで拭いてやったのだが、細い溝を刻んであるせいか唇の隙間に溜まった血液は除去できないままになった。

 顔パーツを箱に戻したとき、なぜかふと、ミセッツの視線を感じたような気がした。


 まさかとは思ったが、結局ミセッツを組み上げられたのは金曜日の夜だった。さすがに日曜日丸一日をプラモデルに捧げる気にはなれず、かと言って平日に残業してさらに通勤電車で帰宅して組める時間なんて一時間もあるわけがない。それに何より、ネット記事に掲載されていたとおり、肌の露出部分の傷などはどうにも気になってしまう。

 戦車を参考に泥で汚した塗装をしてしまえという乱暴なことを書いているウェブサイトもあったが、それは高度な技の上に俺の好みではない。秋葉原で見かけた撮影男のようにお嬢様衣装を買ったり作ったりする趣味や気力はないものの、美少女フィギュアを泥で汚すのはさらに悪趣味に感じてしまうのだ。

 そんなことを考えてしまうほど、組み上げていくにしたがってこのミセッツに愛着が出てしまった。おそらく完成品のフィギュアなんかを買うよりも、自分で作っているぶん余計に愛着がでてくるのだろう。何より俺の場合は文字通り、血と汗と涙の結晶だ。

 ようやく心臓を組み入れて胸を閉じ、胸の上のリボンを飾ってあげる。塗装をしていないにも関わらず、店舗で見た完成品とほとんど同じ仕上がりになっていた。とくにこびりついて取れない指先の血が妙にうまく広がった上、なぜかどす黒くならず茜色に変わって健康な唇となっている。俺はしばらくミセッツに色々なポーズを取らせて遊んだ後、窓際に両足を踏ん張った姿勢で飾ってやる。今日は満月で、月の光を浴びたミセッツはどこか神々しく見えた。

 俺は満足してそのまま布団に潜った。

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