文芸船

ナルキッソスの婚礼

 意識を取り戻したとき、俺の顔を覗きこんでいたのは見知らぬ女性だった。俺より四歳ほど下、二十三、四歳ほどだろうか。体を起こそうすると肘から駆動音が聞こえる。目を向けると視点がカメラの焦点を合わせるようにぼやけてから焦点が合った。

 そこには以前と同じ色の皮膚があった。だが、火傷はもちろん俺が小学校の頃につけた大きな傷痕すら見当たらない。それどころか毛深いはずの腕には毛根すら見あたらない。俺は溜息をついて女の顔を見上げた。彼女は困ったような顔をして俺を見つめ返す。俺は改めて自分の顔を撫で回す。普段と大して変わらない肌だが脂っ気が全くないし、理容室を出たばかりのように髭がない。

 俺は記憶を辿る。まず自分の名前だ。俺の名前は、山本賢治。木星付近の小惑星帯で星間輸送船のワンマン運送屋をしている。最後の記憶は木星軍の流れ弾が飛んできたという、輸送船に備えた人工頭脳からの報告だ。人工頭脳は肉体への重力負荷を無視したような無茶な回避をしつつ、俺を見捨てるように自身のデータバックアップを無線で行っていた。そして衝撃の後は全く記憶がない。

 俺は自分の体を抱き締めて震えた。彼女は背中に手を伸ばしたが、俺は手を避けると何とか自分を落ち着かせて深呼吸する。彼女はさらに不安げな顔で俺を覗き込む。なかなか美形だ。とは言え今どき天使かと訊くほど俺も無知でも野暮でも餓鬼でもない。

 体毛のない完全な皮膚と、刺激の少ない病室、体を動かすたびに耳を叩く駆動音。そして何より、モニタとスピーカーを通して見聞きするバーチャルリアリティのような感覚。

 俺は機械体への移植手術を受けたらしい。


「大破だったそうです。元の体は、誠に説明しにくいのですが」

 俺が落ち着きを取り戻すと、彼女はサイボーグ技師で姫宮夏樹と名乗った。自己紹介もそこそこに説明を始めようとしたが、俺はすぐに手を振って遮った。元の肉体がどうなったかなんて正直聞きたい話ではない。医者だのサイボーグ技師だのという連中は患者の心に労わりをとか言いつつ、自分達が慣れきっているせいか鈍感に乱暴な話をするのだ。

 それでも一応俺は自分の肉体で残った箇所を確認したところ、さすがに俺も驚くほかなかった。消化器の一部は木星の大斑点に由来する重力変動に耐久できるように改造手術を受けているので当然なのだが、それどころか両手も心肺機能も、要は残されていたのが脳神経系のみだと言うのだ。ここまでくると、改造手術をしたと言うよりアンドロイドに脳神経系を接続したという方が適切だろう。

 だが、俺の指摘を姫宮技師は否定する。

「人間の本質は、古語で表現すれば心や魂に属する部分です。それを司る機能は脳神経系が主体ですから、脳神経系に対して機械体の移植を施術したという考え方が適切です」

 まあね。彼女の言葉は本当に倫理の教科書から出てきたように正しい。むしろ正しすぎるぐらいだ。ある意味、宗教とかいうものを無知蒙昧に信じていた千年前のご先祖様たちが羨ましいような気分にすらなってしまう。

 俺の投げ遣りな言葉に彼女は眉を顰めて口を尖らせる。もしかして泣くかと思ったがそのまま黙り込んだ。俺は改めて問いかける。

「姫宮技師、あんたもしかして、新人?」

 彼女は頰を赤らめ、少しいじけたような声で、実地は初めて、と呟くように答えた。

「初めてって、俺の状態はほぼ最悪だろ。それで何で新人が扱ってんだよ」

 俺は声を荒げる。まだ振動板の安定していない人工咽頭が合成音声の尖りをことさらに強調する。俺は自分の声に苛立ちを感じた。だが彼女はむしろ安堵の声を発した。

「だから元の肉体について説明しようとしたんです。確保した肉体からDNA断片を抽出して合成幹細胞に移植、最新の増殖促進技術により肉体再生工程を実施できたのです」

 希望の湧きそうな話だ。俺は先を促した。

「肉体再生及び移植手術が完了するまでの、臨時的な機械体の看護と精神衛生保護プログラムの実施が私のお仕事です!」

 俺はほう、と溜息をついた。最近になって肉体再生がかなり軌道に乗りつつあるとは聞いていたが、何でも肉体再生が成功しやすい適合型DNAとそれ以外があるとかで、ほとんどはその型に当て嵌まらないという話だ。

「山本さんは、その適合型だったということだと思います」

 へへ、と俺は笑ってもう一度自分の機械体を見回した。これから一生駆動音のする機械体で拒絶反応との戦いかと思っていたが、どうも俺には悪運がついていたらしい。

 ところで俺のいる場所は病院や療養施設と言うよりは保護施設のような場所だった。俺のように機械体になった人間は、それまでの生身の体や一部のみが機械体であった頃の勘で食べ物を食べようとしたり、加減せず物を振り回したりして事故を起こす危険性が高い上、人工視聴覚に慣れられずに事故に遭ったりする危険性が非常に高いそうだ。

 そんなわけで普通、機械体に馴れるまでの期間を少数のスタッフに保護された状態で生活するのは常識だ。おまけに俺は軍の誤射で吹っ飛んだのだ。医療費も輸送機も全て軍持ちという話になっている。しばらくのんびり生活することも悪くはないだろう。


 機械体になって恐怖を感じない人間はいないと思う。俺も未だこれが夢であってくれれば、などと月並みなことを考えてしまう。だが機械体移植手術は既に確立された医療だ。脳神経系のみ残した機械体はさすがに初耳だが、可能だというニュースを観た憶えはある。むしろ周囲よりやたらと直情的で論理的に考えられない俺には機械体になるぐらいの方が良いのかもしれない。

 俺は初めての彼女だった河原のことを思い出した。見た目はかなり違うが、どこか姫宮技師にも似た雰囲気があるからだろうか。俺は見た目に似合わず絵画が好きだ。だからデートに出掛ける中で、俺たちは何度か美術館にも足を運んだ。中でも俺が好きだったのは、千年以上昔の人工頭脳発明以前に地球で描かれた絵画だ。だが、最後まで俺の好みは河原に理解してもらえなかった。

 彼女の好きな絵は何と言えば良いのか、とにかく技巧的で正確な絵だった。そんなものなら写真で十分だろうと言うと、写真はもっと好きだよ、と河原は答えていたものだ。彼女は幾何模様の抽象画も好きだったが、その感情みたいな部分よりも整列した美しさを鑑賞する子だった。もちろん、俺みたいに感情的な見方をする方が変人ではあるけれど、少しは彼女にも共感して欲しかった。

「すぐ感情的になる点は君の個性。君の、これからも一番大切にして欲しい個性なの」

 別れ際に河原が言ってくれたこの言葉は、今でも俺にとって大切な言葉だ。

 そして、俺の引け目なのだ。


 俺の図々しさもあるだろうが、一週間ほどで俺達は名前で呼び合う仲になっていた。

「暖かい? 冷たい?」

 夏樹が俺の手を握って質問を発する。俺は暖かい、と答えて指を撫でるように動かす。

「だーかーら、余計なことをしないの!」

 夏樹の叱りに俺は舌を出してみせる。実は夏樹自身は別に変なことをしているわけではない。人間同士の触覚、会話。そういった刺激をしばらく強めに受けていないと、機械体の感覚に慣れきってバーチャルリアリティと現実の区分が曖昧になってしまうのだ。

 と言いつつ、俺も二十代の男なわけでこれを機会にと色々と余計な事を考えてしまう。

「余計なことはせめて考えるだけにして下さいって。実行には移さない!」

 怒った夏樹の表情は案外可愛らしい。技師という職業柄か、普段かっちりと割り切った言い方なぶん、こうやって感情を露にしたときは非常に可愛らしい気がする。まあ普段の仕事っぷりについては、幾ら技師にしても人工頭脳みたいな反応だと思うときもあるが、それは俺が機械体に納まっているせいで肉体を持っている夏樹に妬みもあるのだろう。

 夏樹は部屋を出ると、花瓶に薔薇の花を生けてきた。療養施設の外にある花壇から切ってきたのだという。夏樹は一輪を花瓶から抜くと、俺の鼻に花を近づけた。薔薇の香りを感じる。ただし鼻全体で感じるのではなく、奥の一点で匂いを感じ取るような感覚だ。おそらく臭気センサーの位置なのだろう。匂いは気化した化学物質なので三次元で感じるはずだが、そこまで高等な機能はこの機械体にはないようだ。これから俺は培養体の再移植手術を受けるわけで、そのつなぎの機械体の細かい性能にまで文句を言ったら罰が当たるかもしれない。

 それでも薔薇の甘い香りは気持ちを安らがせてくれる。安らぎとは何ともありきたりな言葉だが、実は人工頭脳には最も苦手な分野だと言う。それはそうだろう、こんな曖昧な概念が機械向きであるはずがない。正直な感想を言うと、夏樹は一瞬表情を凍らせ、そして急にそうですね、私もそう思います、と取ってつけたように答えた。夏樹が時折見せる凍りつくような瞬間は不思議だが笑顔は本当に最高だ。

「夏樹さん、彼氏いる?」

 いきなりの俺の問いに、夏樹はまた凍った。次いで首を傾げて俺を見つめながら答えた。

「仕事が恋人でしょうか」

 うまくかわされたな、と俺は苦笑する。彼女は何も気にしない様子で俺に笑顔を返しつつ薔薇の茎を持ち直した。

 急に彼女は小さな悲鳴を上げた。手元を見ると人差し指の先に小さく赤い水玉が浮かんでいる。薔薇の棘を刺したらしい。俺は薔薇を受け取って枕もとの花瓶に刺し、どさくさ紛れに彼女の指を舐めた。途端、俺は異様な気分に襲われた。彼女が途方もなく愛おしく、そして懐かしく感じたのだ。親も別れた彼女も木星の我が家も、あらゆる全てを追い越して懐かしい。

 夏樹は空っぽの視線を俺に向けた。俺も彼女を見つめ返す。だがすぐに夏樹は正気に返ると俺の頭をこづいて笑った。俺もさっきの奇妙な気分が緩んでいることに気づく。

 夏樹は、そろそろ休んだ方が、と言った。俺はそうだね、と答えてベッドに横たわった。


 夏樹が部屋を出た後、改めて事故から今日までのことを思い返した。夏樹の指を舐めたときの懐かしさは何だったのだろう。幼い頃に夏樹と会ったことがあっただろうか。

 改めて彼女が生けた薔薇の花を眺める。見事な薔薇だ。こんな立派な薔薇を生けてくれるだなんて。考えてみればこれまで花とは縁のない生活だった。木星のようなガスの厚い星で、観賞用の植物を育てることは非常に困難で、俺のような薄給で切花など到底手の出る価格ではない。

 ここまで思って俺は不自然さに気づいた。いくら軍の事故に巻き込まれたとはいえ、療養施設の薔薇を勝手に摘むなど介護担当の技師に許されるのだろうか。心理療養を含んでいるからなのか。そのわりに俺に対する検査が少ない気がする。夏樹と遊んでいろとでも言うような、都合の良すぎる不自然さ。

 俺は立ち上がって窓の外を見た。花畑が広がり向こうに緑の丘が見える。自然が多い。ここはどこの惑星なのだ。少なくとも木星ではこんな花畑なんて不可能な話だ。今どき植物を育てられるのは環境を自由に調整できる人工衛星の上ぐらいだ。まさかここは人工衛星なのか。だが、わざわざ人工衛星を療養施設に充てるだなんて何の冗談だろう。

 窓に手をかける。鍵を三箇所もかけているが、嵌め殺しにはなっていない。俺は慣れない人工四肢を駆使して鍵を外して窓を開けると外に飛び出した。

 周囲を見回して困り果てた。畑を見ようが丘を見ようが何がわかるというのだ。だいたい、こんな自然だらけの場所で生活したことは生まれて初めての体験だ。だが不安のせいか、これほどの自然にも感動すら感じない。

 改めて自分のいた純白の療養棟を見上げる。足音で覚えている、夏樹の来る方向を見定める。そちらの方向には何かファンの音を響かせる立方体の建物が見えた。

 俺はゆっくりと慎重に歩を進める。建物には隠すように小さな扉が一枚ついている。俺はその扉に手をかけた。ノブを回す。かちりと音がして静かに開いた。廊下の壁は発光塗料でほんのりと光を発しているが、きちんとした照明は見当たらない。俺は慎重に建物内への一歩を踏み出した。


 自分の足音が騒々しく感じる。なるべく足音を響かせないようにするが、足の裏が肉体と違って上手く反らないため、かかとがどうしても音を高く鳴らしてしまう。その足音は他人のリズムのように聞こえて不安が増す。だが、これだけ不安なのにも関わらず心臓のないこの体には動悸も起きない。

 本当に俺は生きているのか。実は死体だというのに死んだことに気づかず、死んだ事実を騙されて動き回っているのではないのか。気味の悪い思考を振り払って前へ前へと進む。

 一本道を歩き、再び扉が目の前に現れた。扉には何も書かれておらず、奥からは相変わらずファンの音が聞こえるばかりだ。ドアノブに手を掛け、やはり手を下ろす。こんなことをしていたら夏樹に迷惑がかかるのではないだろうか。不安がりながらも必死で看護してくれる新米技師。ある意味、そのおぼつかない調子が逆に俺の気持ちを安らがせてくれた。もし淡々とこなされたら、俺は自分が実は脳まで機械化されたのではないかという不安に囚われたかもしれない。

 もちろん、莫迦なことを考えさせないのが玄人なのだろう。だが今の俺は、看護してくれる技師に対する以上の、ありていに言えば恋愛的な気持ちを夏樹に抱いているのだ。動悸も汗も無く、生殖機能も仮の機械体だから備わっているはずがない。肉体が何の反応も示さないぶん、俺はこの一週間で自分の感情を見つめられたのだ。俺の好奇心は止められなかった。

 俺はそっと、静かに扉を開いた。扉の向こうには吹き抜けの天井になっており、壁面には何か複雑な操作コンソールと三次元映像通信システムがあった。そして手前には半透明の長い筒が横倒しになっている。もしかしたら、これこそ俺の再生中の肉体なのだろうか。俺はゆっくりと筒に近づいた。

 もうすぐ覗き込める位置に来たとき、俺は恐ろしいことに気づいた。その中にあるのは絶対に俺の肉体ではない。遠目でもわかる胸の曲線。それは俺ではなく、だがこの療養施設に来てよく見知った人の肉体。それでも俺は筒の中を覗き込んだ。

「夏樹!」

 裸体の夏樹が筒の中で眠っていた。いや、眠っているという表現は適切ではない。筒の中は薄く白みがかった液体で満たされており、その中を光が走っている。そっと筒を揺すってみると、粘度の高い液体らしく筒の中を小さな気泡とともに粘り流れる。

 俺は奥の操作コンソールを覗き込んだ。大半は全く理解できない操作盤で書いてある言葉も読むことすら出来ない。それでも通信システムの起動方法と起動ボタン、検索システムだけは発見できた。

 俺はそっと起動ボタンを押す。黒い画面に「Narkissos System」という白い文字が浮かび上がり、起動中であることを示すバーが表示される。そしてバーが端まで到達したとき、意味不明のデータが表示された。

Narkissos System Version 1.0.1/Progress rate
General NameClassificationIdentifierValueUnit
Yamamoto KenjiNatureurn:human:yamamoto_kenji90.2Damage
Himemiya NathukiCultivationurn:slave:narkissos323868.7Spirit
Transplant day

 俺は震えながら検索窓に表のわけのわからない単語を入力していく。水色のヘルプウィンドウが開いて単語の説明が次々と展開されていく。Cultivation? 培養? 患者の俺じゃなく、夏樹の何を培養する? Identifier? 識別子? 俺は名前なのに夏樹は何で変な記号みたいになっているんだ? 最後の行は移植予定日のようだ。改めて出てきた意味不明の単語についてさらに入力を繰り返す。

 それでも結局ほとんど意味はわからなかったが、遂に俺は恐ろしい記述を発見した。

Narkissos System
人工培養した培養体に人工頭脳を移植し、機械体で保守した天然脳を人工頭脳と交換移植するまでの期間に精神馴化を図る移植総合管理システム。

「何だこれは!」

 俺は叫んで画面を叩く。俺は人工頭脳と話していたのか。それどころか、俺は夏樹に移植されるというのか。

「俺はモルモットじゃねえっ!」

 叫んで画面を叩き、足でコンソールを蹴る。夏樹の入った筒を滅茶苦茶に叩く。夏樹がいきなり目を開いた。筒から液体が排出され、夏樹がまばたきもせず筒を開けると立ち上がった。

「ケンジサン、ナゼ」

 夏樹は平板な声で喋りかけ、頭を振ると今度はいつもの声で話しかけてきた。

「何でこんなところにいるんですか!」

 夏樹の抗議に、俺は冷ややかな声を返した。

「お前は、俺の脳を奪うつもりかよ」

 俺の言葉に夏樹は目を見張る。そしてコンソール画面に目をやると愕然とした表情を浮かべた。だが、その目はやはり人工頭脳のそれには見えない。一糸まとわぬ肌を高粘度の液体が流れるのを見て、俺は機械体にも関わらず喉元が熱く燃えた。起き上がったときは不気味に感じたはずなのに、今は再び夏樹をいとおしく感じ始めていた。

 夏樹はゆっくりと俺に歩み寄ると、そっと俺の頰に手を当てて囁くように言った。

「最初に言いましたよ。機械に移植するのではなく、脳神経系に移植を施すって」

 俺は入院当日のことを思い出す。そう。あの日と同じ台詞だ。だが、そうしたら夏樹は。

「私は人工頭脳です。この肉体をあなたに馴染ませるために作られた人工頭脳。役割を終えたら廃棄されますので、ご安心を」

 平然と答える夏樹に俺は怒りを憶えた。

「なぜ夏樹は笑うんだ。廃棄だぞ。今の笑ってるお前の心は消えるんだぞ!」

 夏樹はかすかに笑顔を歪めたが、すぐに元の表情に戻って答える。

「私はそのために製造されたのです。私の存在意義なのですから、当然です」

 何だこれは。俺は無言で再びコンソールに向かった。夏樹が俺を追ってくる。機械体の冷静な視覚レンズのおかげだろうか、夏樹の視線が不自然に一つのボタンに向いていることに気づく。俺は迷わずそのボタンを押して通信回線を開放した。

 夏樹が息を飲む。三次元通信システムに映像投射用の霧が発生し、次第に形を形成する。

『何の用だ、narkissos3238

 三次元通信システムに現れた人物はかなり奇異な姿をしていた。彼も機械体なのだろうが、頭に直接何本ものネットワークケーブルを接続しており、両目の部分は眼球の形を模すことすら放棄して望遠レンズのような形をしている。両手も何かの機器操作端末らしきキーボードと一体化している。

 夏樹は青ざめた顔で機械人間に答えた。

「私の検査中に、患者様が中央システムに侵入してマニュアルを閲覧してしまいました」

 男は鼻で笑うと俺にレンズの焦点を当てた。

『無駄な興味は人を殺すぞ』

「お前は誰だ」

 俺は無視して問いかける。男は俺を蔑むようにレンズの焦点を動かしつつ答えた。

『この太陽系全体の筆頭技師だ』

 技師。夏樹と同じ存在なのか。いや、こいつの脳は人工物ではない。俺の直感がそう告げている。悪趣味なほど機械そのものの体をしている癖に、俺と同じ動物の空気がある。

『いかにも、私の脳は天然物だ。君と同じ、この広大な宇宙で稀少となった肉体の脳だ』

 俺は笑った。人間の命は地球より重いとか言う格言はあるが、稀少と言うのはいささか語弊がある。だいたい木星だけでも五十億人はいるはずなのだ。

『その十億分の一だ。無知な若者』

 男は頭のケーブルを掻き揚げながら俺に嫌な笑い声をぶつけた。俺はくそ爺、と言い返そうとしてふと気づいた。

「十億分の一って何の数字だ?」

『木星で本当に人類の脳を有しているのはお前を除けば5名のみだ。残りは培養体に人工頭脳を植えつけただけの存在だ。お前の実家にいる親も勿論、人工頭脳だ』

 俺は胸に手を当てた。衝撃で頭の中が白くなっているのに心臓が動悸しない。汗をかかない。いったい俺は、俺は何者だ。

 叫びかかったとき、夏樹の手が俺の背中に回された。柔らかな夏樹の頰に気持ちが次第に落ち着く。でも、その夏樹は人工頭脳で。

 俺の戸惑いを嘲るように筆頭技師は自慢げに説明を続けた。

『人類は既に絶滅目前にある。だが人類は社会がなければ生きていけない。とはいえ、急に文明レベルも人口も減った状態に耐えられるはずがない。だから水増ししているのだ』

 じゃあ、佐藤も山口も、俺の初恋だった河原も、その全ては。俺だけがやたらと感情的になりやすかったのは。大した男ではないのに、何となく俺がリーダーになれたのは。

『お前の交友関係に人類は一人もいない。私がお前にとって初めて会った人類だ』

 機械体ではありえないのに、急に激しく咳込む。緊張したときに起きやすかった喘息発作を機械体が模倣しているのか。夏樹が俺の背をさする。俺ははねのけようとして、だが手を下ろした。俺の友達は一人残らず人工頭脳だったのなら、今さら夏樹だけを退けるのは大して意味のない話だ。

 筆頭技師は俺の喘息を興味深そうに眺めながら話を続けた。

『肉体の脳を培養体に移植する際、新たな肉体となる培養体に対して本能的な愛着が必須なのだ。人間は全て主観的でナルシストなのだよ。だから人工頭脳を載せた培養体と事前に交流させ、馴化を経た上で施術するのだ』

 自慢げに説明する筆頭技師に、俺は必死で怒りを抑えながら問いかける。

「それで、夏樹を廃棄するのか」

 俺の問いに筆頭技師は当然のように笑う。

『培養体を異性としているのも、その愛着を速やかに発生させるために過ぎない。だいたい注射針を使ったら捨てる。ガーゼも使ったら捨てる。人工頭脳も廃棄するのは当然だ』

 あまりの言い草に俺は激昂して叫んだ。

「夏樹はただの機械じゃねえ! 俺とこうやって話したり笑ったりしてる!」

 俺は三次元画像に殴りかかったが、拳は空を切って映像をすり抜けただけだった。筆頭技師はそれを莫迦にすらせずに話し続けた。

『それは機械だ。お前の発する表情、声、言語等の入力されたデータをもとに、お前が培養体を好むような出力を行うプログラムだ』

 俺がお前と同じ歳の頃に書いたプログラムだぞ、と筆頭技師は自慢げに俺を嘲笑う。だが俺は夏樹の手を握って言い返した。

「じゃあ、俺とお前はどうなんだ。気に入るかどうかを判断しないだけで、入力情報に対して出力してるだけだろうが!」

 やっと男は少し感心したような唸り声を発する。だがそれはあくまで学校の教師が優等生の質問を受けた際の態度だった。男はわざとらしくゆっくりとうなずき、キーボードと一体化した腕を上下に振りながら答える。

『我々人類ははるかに複雑だ。その複雑な反応が次々と人工頭脳たちを渡っていく。人工頭脳だけでは社会は構成できない』

 夏樹が不安げな表情で俺の顔を覗きこむ。これは、俺が不安だからなのか。夏樹自身は不安などないと言うのか。

 違う。夏樹は夏樹だ。俺がここで目覚めたときの笑顔は本物だ。

 俺は夏樹が寝ていた筒に手を掛けた。夏樹を検査し、最後に夏樹の人工頭脳を破壊する機械。機械体でなら簡単に破壊できる。

 ふと、俺は河原のことを思い出した。付き合っているときは最高の女だと思っていた。今でも完全に嫌ってなどいない。たとえ彼女が夏樹と同じ人工頭脳だったとしてもだ。俺は改めて河原の言葉を反芻した。感情的になるのは、俺の一番大切な個性。

『お前、何を考えている?』

 俺は何も言い返さず、培養筒に腕を振り下ろした。半透明の筒が粉々に砕け散って破片が部屋中に散乱する。

「何を、何をするんですか!」

 夏樹が俺の腕を振り解いて機械にすがりつこうとした。だが俺は夏樹をがっちりと抱き締めて筆頭技師に叫んだ。

「俺は機械体のままでかまわない! ただ夏樹はお前なんかに殺させない!」

 男は焦点を必死で合わせるようにレンズを何度も上下させながら震える声で言った。

『せっかく、せっかく馴化が移植目前まで進んでいたというのに! 稀少な天然の脳を!』

「俺はお前のために生きちゃいない。夏樹を犠牲にした人間の肉体よりは、俺はな」

 夏樹を正面から見つめると、夏樹は頰を染めて顔を背けた。

「俺は夏樹と一緒に生きる!」

 俺の宣言に筆頭技師は大きく舌打ちをして俺を指差して叫んだ。

『お前のような莫迦な肉体の脳を有した者が木星に戻り、周囲に余計な刺激を与えれば私の護っている社会システムすら瓦解しかねんわ! 脳細胞が老化して唯のタンパク質の塊になり果てるまで、この人工衛星で人工頭脳を抱えた肉塊と孤独に過ごすが良い!』

 彼の必死な非難を俺は余裕の声で笑った。

「孤独じゃない。俺は夏樹を愛している」

『人工頭脳は出力に応答するだけだ。お前が愛しているのは、鏡写しのお前自身だ』

 言って筆頭技師は両手を動かした。三次元ホログラムにアルファベットが並ぶ。

『お前のいる、その人工衛星との通信回路は永久に切断する。閉じた自給自足の人工衛星の中で、一生鏡と話し続けるが良い』

 ぶつっ、と音がしてホログラムが真っ暗になる。物理的にまで破壊したのか、通信機器が小さな煙を上げた。操作コンソールの画面に浮かんでいたNarkissos Systemの情報画面も暗転して沈黙した。

 俺は夏樹と改めて向かい合う。機械の脳と肉体を持った娘。俺は肉体の脳と機械の体を持った男。何と不完全な組み合わせだろう。だが不完全な俺達だからこそ、きっと人間なのだ。

「さっきの言葉だけど」

 夏樹がおずおずと俺の顔を見上げて言った。さっきの言葉。何だろう。

「『愛している』って、言ってくれたこと」

 少し不機嫌な声で夏樹が言う。俺は焦っていやその、などと自分でもわけのわからない言葉を口走った。夏樹は俺のこめかみにある視覚センサのスイッチを切って耳元で囁く。

「これが、私からの返事です」

 もう濡れることのない俺の唇に、夏樹の柔らかな唇がそっと触れた。

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