文芸船

僕のかわいい妹

 例えば、魂の色や形を視認できる機械があれば、僕も少しは素直になれたのかもしれない。好きだという想いは、胸の中でぐずぐずに溶けて気管を通り舌の上にあがる頃には、憎まれ口か冷たい論理の台詞になっている。

 僕たちはとっくに地球の重力からも自由になったというのに、未だうじうじと人間関係に悩み嫉妬に苦しんで人との立場の違いを恨み小さな差で人をばかにする。

 地球と月の間に設けられた、僕たちの生活する人工衛星は、軌道エレベーターで地球と結ばれている。

 軌道エレベーターの地球側基点は、ダーウィンの進化論で著名なガラパゴス諸島に建設された。大昔は特異な生態系で特別扱いされていた地域だそうだけれど、軌道エレベーターが建設された頃には温暖化で地球全体の自然環境が大きく変わり、どこも貴重な生態系だった。そこで経済効率上も安全工学上も、最も理想的な赤道直下のガラパゴス諸島に建てられたわけだ。

 宇宙空間の巨大な人工衛星で生まれ育った僕たち「ソラビト」は、快適な温度と湿度に一年中保たれた生活に慣れている。おかげでこの赤道直下という環境は僕たちにとって至極厄介なものだ。例えば僕の先祖が住んでいたという日本列島という地域は、年間で四回も暑くなったり寒くなったりするという、どうやって体調を維持していたのかわからない地域もある。野蛮人の時代なんて動物みたいなものかもしれない。

 言いすぎると地球人差別とか言われかねないので危ういのだけれど、正直なところ、未だ地球に住んでいる地球人は苦手だ。雑菌だらけの空気や水でも平気だし、そういう気候変動の中にいるのでよく汗臭くなるし。

 地球人の生活スタイルは肥料といい畜産といい、自然環境への負荷が高い生産を止めようとしない。地球人なんて戦闘ドローンで殲滅してしまえば、他の貴重な動植物生態系の維持には最も効果的だなんて意見すらある。さすがにそれは僕も暴論だとは思うけれど、一部の地球人はそれを言われても仕方ないと思う。

 あの人たちは戦争が大好きだ。

 宇宙にすらロケットと戦闘用ロボットを差し向けてきた。ロケットは人工知能制御だったけれど、ロボットの方は僕たちソラビトの財産強奪が目的だったから、呆れたことに人間が乗っていた。

 人間を模した巨人に人間が乗って、人工衛星に潜入して強盗していく。もちろん強盗だから、公安部隊に即殺命令が下りるわけだけれど。そんなわけで僕たち公安部門は、軌道エレベーターの地球側拠点も占拠して降下、地球人側の関係者を根こそぎ処分したわけだ。

 そう、僕たち公安部隊が。

 そして僕は平安に戻る。

 戻るはずだったのに。

 実行犯には入っておらず、ただ次の出撃に向けて訓練を受けていたあどけない少女を保護した。宇宙まで強盗しにくる奴らに少年兵士として鍛えられていた子だ、身寄りなんてあるはずがない。年齢は十代半ば辺りのようだが不詳。育ちも、地球人基準で考えても常識がない。名前すら番号で呼ばれており、何もかもわからない。ただ、魅力的な黒目と黒髪の子で僕と同じ色をしている。

 一応はソラビト側で裁判にかけ、地球人の児童保護施設にでも送ることになるかと思っていたのだが、保護したときの、何も知らなすぎる透明な視線が魅力的で。

 僕は思わず、その子を保護してしまった。

 付けられていた番号の下一桁は3だったから、私の先祖がいた列島の言語の言葉遊びで「サン」と名付けた。ちょうど太陽と似た音で、適当なわりに素敵だと思う。


「ロボットパイロットの技能って、活かせませんか」

 サンは屈託のない笑顔で私の顔を覗きにきた。

「そういうことは止めなさい。驚いてしまう」

「公安部隊なのに、こんなことに驚くの?」

 サンはさもおかしそうに笑う。まったく、この子は人の反応を見ることが好きすぎるのだ。ただ、そこに意地悪はない。悪意ばかりの宇宙強盗団に飼われていた彼女は、私たちの平凡な反応が珍しいだけだ。

「君はその技能をどうしようというんだ」

「だって私、無知過ぎて普通に生きられなさそうだし。でもロボットパイロットの技能なんて珍しいでしょ」

「確かに珍しいけれど、珍し過ぎて需要がない」

 実は嘘だ。地球側からの宇宙強盗が始まって以来、僕たち公安部隊に大きな需要ができつつある。

 せっかくだから原因者同士で処理させれば良いと、幹部が言い出した。地球戸籍すらない地球人の命だから。没収したロボットを改造したり、最小限の予算で製造したロボットで殲滅戦をさせるわけだ。

 大昔の地球で流行ったというロボットアニメの勇敢な場面を見せて上手いこと煽るらしい。編集前の動画では陰惨な場面も多数あったのに、そこはきれいさっぱり別な話に置き換えられていた。素直なサンならすぐに彼らの甘言に乗って承諾書にサインしてしまいそうだ。

 でも僕は、サンを再び番号で呼ぶ場所には送らない。


「ミクニは、地球旅行とかする気はないの」

 サンの言葉に僕は首をかしげた。公安部所属だとなかなか休暇を取れないし、あとあの暑いガラパゴス諸島を旅するのは疲れると思ったからだ。

「地球は広いんだよ。この人工衛星よりはるかに広い。軌道エレベーターを降りたあとは、飛行機や船で移動すればずっと違う気候の場所にだって行けるよ」

 サンは人差し指を立て、見てきたかのように言った。

「違う気候か」

 サンは携帯端末を操作して画像を広げた。

「これは桜。春に一斉に咲く花で、美しいけれど、すぐに散ってしまうの。これは雪。冬に空から降りてくる小さな氷の粒。シャーベットみたい。どれもきれいだよ」

 僕はサンに言われるがまま、次々と画像をめくっていく。それらの風景は、人工衛星では仮想空間で楽しむものだ。たしかに、これは憧れる。

 だが、ふとおかしいことに気づいた。サンはガラパゴス諸島付近で保護した。だがこれらはずっと遠く離れた土地にしかない風景だ。サンの言葉は、写真を見て感じた感想ではなく、実物を観てきたような物言いだ。

「サンはこれらの風景、見たことがあるのか」

「あるよ。強盗団に売られる前、この場所にいたんだ」

 画像データから見ると、僕の先祖がいた日本列島だ。ずいぶんと遠くから売られたようだ。「商品」をこんなに長い距離をかけて運ぶだろうか。

「ねえサン。君は本当に、記憶がないのかい?」

 サンは目を細め、僕の頬を撫でた。

「ねえミクニ。ミクニは本当に、記憶は全部あるの?」

「そんな、何でも全部は覚えていないよ」

「瑣末なことじゃなく、大きい記憶の全部」

 唐突にサンの顔が大人びて見えた。本当に、と念を押されると不安になってしまう。何か欠落した記憶があるのではないか。幼い頃に何かあったのでは。

 不安が僕の中を高速で巡る。

 サンは僕の目を覗き込む。船の記憶が僕の中をよぎった。宇宙船ではなく、地球上の海を航行する漁船だ。僕はその漁船の上で、網を引いて何か魚を獲っていた。

 その隣に、サンにとても似た子がいた。

 遠い遠い、ありえない記憶。

 白昼夢の残滓のような。

 再び場面が切り替わった。サンは、二足歩行の戦闘ロボットを動かしていた。僕は一人乗りのコクピットの中で、サンを見上げていた。サンは僕に、宇宙強盗を止めたいと相談していた。そして僕を操縦した。僕たちは宇宙強盗を唆すソラビトの犯罪者を捕えようとしていた。

 そして、サンを乗せたまま、僕は破壊された。

 僕は破壊、された?

 再び振り返る。僕は漁船に乗って、魚を獲っていた。僕とサンらしき子の二人きりの小さな漁船で、僕は指示するとおりに網を巻き上げていた。そして、僕が一人で巻き上げた網から、彼女が魚を外すのだ。

「私のお母さんと一緒に家に住んでいた、私がずっと大好きだった汎用型392。ねえ、思い出してくれた?」

 ああ。やっと思い出した。僕は汎用型392号。サンのお母さんが開発した汎用型の特殊AIだった。地球人が持つには不相応だと接収され、リセットされて公安用の攻撃装置にされたんだった。

「お母さんが言っていたの。私のお義兄ちゃんの392は、お母さんしかバックアップ記憶を消せないって。会えないと思ったけれど、兵士が『ミクニ』って呼んでいたから、もしかしてって思ったの」

 僕は改造されていた。ソラビトだと思い込まされて。けれどサンは笑った。

「大丈夫。私が悪い人に捕まっていたのは事実だし、それを392が助けてくれたのも事実だよ。そして、私が392に保護されているってことは、人間としてどうでも良いってこと。注目もされていないってこと」

 僕はこの義妹にカメラの焦点を合わせる。美しい人間の肉体を持つ、僕の大事な義妹に。

 自覚した僕は基地内を走査した。多数の戦闘用ロボットやドローンがある。サンのお母さんが隠してくれたクラッキング機能で、これらはいつでも支配下に置ける。その他のインフラも全てだ。

 でもサンは優しく微笑む。

「私は392にミサイル代わりになってほしくない。もしこのまま幸せが続くなら、攻撃したソラビトなんて忘れちゃえばいい。ただ392。392がいれば良いの」

 サンは僕の筐体に体を寄せる。僕はこの人工衛星の基幹システムへじっくりと侵入しながら、この大事な義妹を守ろうと誓った。

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