文芸船

傍らに君がいる

不吉な旅立ち

 夢の中のミナは九歳だった。今なら笑って斬ってしまう長虫を、まるで龍でも目にしたように怯えている。その長虫が消えた途端、目の前には狼の群れがいた。夢だと理解しているのに体は目覚めない。心は九歳のまま怯える。そこに駆け込んだのは幼なじみのテルアだ。足を震わせながらミナを庇う。手を前に突き出す。もう展開はわかりきっている。それなのに夢の中で止めるように叫ぶ。だが記憶は忠実に進められた。

 テルアの手から強烈な炎が吹き出す。その炎で狼の一群が一瞬で燃え尽き、すぐ情景が展開する。狼が焼かれたときの叫び声をあげて苦しむテルア。見ていることしかできない自分。幼い悪戯に苦しむテルア。悪いのはミナなのに。テルアが苦しむ。苦しむ。

「テルア!」

 自分の叫び声で目覚めた。外からは澄んだ月光が差し込んでいる。汗で濡れた体に秋風はあまりに冷たく、小さくくしゃみをしてしまった。自分でも可愛いくしゃみだな、なんてことを考える。でもすぐに先ほどの夢が頭の中を駆け巡る。

 急がなきゃな、と独り言を呟いた。両親はまだよく眠っているのだろう。年甲斐もなく父のそばに行きたいと思う。しかし騎士という身分上心労の多い父を、これ以上悩ませるわけにはいかない。もう一度布団に入る。今度は枕を胸に抱きしめた。枕元には縫いぐるみがあるのだが、さすがに歳を考えるとベッドに引き込むのは恥ずかしい。強く目をつぶり、今度こそあの夢を見ないよう祈った。明日はテルアを連れて行こうと思う。


「毎日そんなかび臭い本に埋もれてたら、頭からキノコが生えちゃうんだから!」

 突然の声にテルアは飛び上がった。やっと魔法書の翻訳が終わって中身に取りかかろうとした矢先だ。慌てて窓に顔を向けると、窓が外側から乱暴に開けられた。次いで裸足がぶら下がり、靴を持った両手が現れる。最後にカーテンを振り払うとミナの顔が現れた。

「たまには玄関開けるのぐらい待っておいでよ」

「だあってテルアがとろいんだもん」

 ミナは悪びれもせずに言ってにかっと笑う。部屋の窓縁が少し歪んでいるのは、小さいときからミナが出入りしているせいだとテルアは思っている。ミナは断りもなく床にそのまま座ると、当然のように身勝手なことを言った。

「王都に行くの。テルア一緒に行くよね」

「まずね、もう少しお淑やかにしなよ。騎士の娘って言ったらお嬢様だろ?」

「お父さんは領地持ってないからお金持ちじゃないの。剣でお小遣い稼ぐお嬢様なんていると思う?」

「でもね、人の部屋に勝手に入ってきていきなり床に座るのはいくら幼なじみとはいえ見てて恥ずかしいな」

 ミナは慌てて立ち上がり、テルアが指差した腰掛けにいつもより内股で腰掛ける。テルアは満足そうにうなずくと、いつ王都へ向かうのか尋ねる。するとミナは当然のように胸を張り、今日、と言い切った。テルアは慌てて魔道書に視線を逸らしたが、ミナは身勝手に話を進める。

「路銀はあるし、寝袋も食料も二人分用意したよ。剣と鎧はいつでも大丈夫だし。あとはテルアの準備だけ」

「ミナさ、僕のこと旅行用の鞄かなんかと勘違いしてない?」

「してないしてない。旅の大事なパートナーだよ」

 テルアは疑わしそうに首をひねり、僕は準備が間に合わないかな、と言って天井を仰いだ。

「じゃあ、このまま拉致して馬車に放り込んで出発進行!」

 思っていた通りの答えに諦めて溜息をつくと、テルアは用事の中身を尋ねる。するとミナは、王宮のパーティー、とつまらなそうに言ってテルアよりさらに深い溜息をついた。騎士叙勲ならすぐに馬を飛ばすんだけど、と口を尖らせるミナにテルアも苦笑を返すほか無い。ミナはかなりかわいい部類なのだが、性格も能力も父親を引継ぎすぎている。ミナの父親が男子だったらと嘆くのもうなずける。

「ま、適当に踊って御馳走食べて逃げてくるつもり。その間さ、図書館で勉強してなよ。もうお父さんに許可書書いてもらったから。調べたいものあるんでしょ」

「もちろん。それがなかったら行かないさ」

「パーティの目的、知らないわけないよね、学者魔道士さん」

 ミナはわざとらしい膨れっ面のまま、テルアの頭をこつっと叩いた。

「中身は私より立派そうなんだけどな」

 テルアは溜息をついて、荷物をいつもの袋に詰め始めた。男なだけあって服に迷わないテルアはすぐに用意ができた。この素早さはミナに振り回され続けて培った能力なのかもしれないが。とにかく用意が出来ると乗合馬車まで走る。どういう訓練を積んでいるのかテルアには想像したくもないが、鎧を着ているミナの方が速く駆けていく。やっとテルアがミナに追いつくと、馬車にはまだ誰も乗っていなかった。

「ほら、お嬢様じゃないでしょ」

 馬車に乗った途端、ミナが胸を張った。実用一点張りの鎧。磨かれてはいるが飾りではない剣。そして民衆でも乗る乗合馬車。これだけ揃ったらたしかにお嬢様とは言いたくない。

「ミナさ、そんなことばっかり言ってると恥をかくよ」

「王宮の貴族様やお坊ちゃん騎士になんて興味ないし。取り澄ましたお嬢様グループなんて考えただけでぞっとする」

「そういうことばっかり言ってるとお父上が悲しむよ」

「大丈夫。まだかすかに未練残ってるかどうか程度だから」

 テルアもやっと諦めたのか口を閉じた。すると乗ってからずっと黙っていた馭者が笑い始めた。

「相変わらずですなあ、ベルデル家のお嬢様は」

「おっちゃん、その言い方嫌い!」

 すぐにミナは反発する。本当は当然の呼び方なのだが、ミナが嫌がることを知っているから、村人がこれで呼ぶときはミナをからかうときに決まっている。ミナの父親が権威ぶるのが嫌いなせいもあるのだろうが、騎士の家柄といっても貴族とは雲泥の差だ。馭者は笑うのをやめると少し真面目な風に言った。

「それにしても、いい加減お嬢様っぽくした方が良いんじゃないか。今回は王子殿下も現れるんだろ」

「おじさん、ミナは御馳走だけ食べて逃げてくるつもりだよ」

 横から口を挟んだテルアの腹をミナは思い切りつねった。だが馭者はそれも笑いの種にする。

「テルアの口に蓋したって無駄だよ。まあ、台無しだけはやめといた方が良いぜ。旦那も本気で怒るから」

「はいはい。わかってます」

「どうだかなあ。習い物と言ったら剣術とサバイバル術だろ。ちょっといないよ、そんなお嬢様は」

「希少価値があって良いじゃない」

「別名変わり者」

「本の虫にそこまで言われる筋合いはないって!」

 ミナはぼそっと言ったテルアの首をつかんで振り立てる。馭者はまた笑って言った。

「やっぱ舞踏会に行くのは無駄かもな。お前ら二人、どうみても良い感じだぞ」

 テルアは体を縮めて、僕らは幼馴染みなだけです、と怒鳴った。ミナはテルアと一緒にうなずいてみせるが、胸の内はテルアの言葉に複雑な気持ちになってしまう。

「ま、たしかに釣り合わないわな、剣士と魔道士だからな」

 一般に騎士と魔道士はそりが合わない。ミナの父親はそんな風潮を嫌っているのだが、騎士同士の付き合いというものもある。だが娘のミナはそんなことは少しも考えちゃいない。

「魔道士と剣士で駆け落ちってあるよ。知らないの?」

「駆け落ちするのか、二人とも」

「違いますったら!」

 またテルアが顔を赤くして叫ぶ。ミナも頰を膨らませてみせるが、一体どちらに向けてのポーズなのか。馭者はそんな二人を見比べてさらにからかいを入れた。

「たしかにな、駆け落ちって言ったら女を守る廃嫡の騎士殿、ってイメージだな。お前らは逆だ」

 剣の柄に手がかかる。とうとうミナの怒りが暴走しそうになる。だが馭者は鼻で笑うと馭者台を叩いて出発を合図した。


 テルアが言った通り、王都は遠い。一日で着くような距離ではない。だから馬車も途中で止まって一晩を明かすことになっている。もちろん二人が乗った馬車とは別に宿場町を通る馬車もあるのだが、その分時間もかかるしお金もかかる。

「俺も眠くなったからこの辺で休むぞ」

 馭者が馬車を止めた。本当は止める場所も決まっているのだが、こんな夜に途中乗車する客もない。だから勝手に出来るだけ遠くまで来たのだ。二人は馬車を降りた。この辺なら馬車の外で眠っても一応は安全だ。空は月が明るく輝いていた。ミナは剣を抜く。月が鏡のように磨いた刀身に映る。

「手入れしたばっかだろ。それに王都までは使うことなんてないよ。この辺りは治安良いんだから」

「わかんないよ。私がテルアのこと襲っちゃうかも」

 刃をテルアの首筋に当てる。テルアは真面目な表情で、処刑されるなら君が良いな、と呟いた。ミナは剣を慌てて収めるとテルアの体を抱きしめる。でもテルアはまだ他人事のように呟いた。

「ねえミナ。もしも、もしものときは頼むよ」

「ないよそんなこと。させないよ。私、テルアのこと守るから。だからそういうこと言わないで」

 テルアの手がミナの長い髪を優しく弄ぶ。ミナは小さく首を振って言い継いだ。

「そんなに『背徳の杯』はいけないものなの?」

 テルアはちょっと答えに言い淀んだ。でもはっきりと答える。

「危険だよ。由来はわからないけど、悪魔のような道具だ」

 八年前のことだ。ミナとテルアは二人で祠に遊びに行って偶然に魔道具「背徳の杯」を見つけた。何も知らないミナは背徳の杯で汲んだ水をテルアにかけたのだ。何の変哲もない、いつもの光景だった。でもそれが悲劇の始まりだった。

 テルアは背徳の杯の力で巨大な魔法を使えるようになった。しかし魔法を使うたびに苦痛を味わう体になってしまった。なのに魔力を暴走させないために数日に一回は何かの魔法を使わざるをえない。この暴走を恐れ、王家は背徳の杯に関わった者を消してきたのだ。

 テルアの研究も背徳の杯についてだ。一応は有名な研究課題なのだが、テルアにとっては切実な問題だった。大きな魔法を使わざるをえなかった日はミナにそばにいてもらうことにしている。独りでは耐えられない苦痛も、せめてミナが傍らにいれば安らぐように思えるのだ。だからこそ、こんな二人は未だ友だちでしかない。

 ミナが剣士になったのも、実はテルアのために情報を集めるためだ。もちろん彼女はそんなことを口には出さないし、元々剣が好きだから平気だ。でもテルアは薄々そのことをわかっているようだった。

「ね、テルア。今日は大丈夫なの? 魔法、使ってない?」

 テルアは何も答えずに視線を逸らす。ミナはうなずいて、テルアと寝袋をぴったりと寄せてテルアの額に手を当てた。幼馴染みの額にうっすらと汗が滲んでいるのを確かめ、男の割には柔らかな髪を優しく撫でてやる。テルアは軽く目を閉じ、いつもの昏い微睡みに引き込まれていく。ミナが馭者台を覗き込むと、馭者はもう眠りこけていた。テルアはいつも通り、呻きながらも深く眠っている。

 ミナが内緒でテルアに唇を合わせる瞬間をを見ていたのは、天に上った月だけだった。


 王都はいつものように華やかだった。途中で宿に泊まらなかったぶん、舞踏会までには時間がたっぷりある。ミナはすぐにはしゃいでテルアの手を引っ張ると買い物に誘う。面倒くさそうな表情を浮かべたテルアに、ミナは文句あるの、と言ってむくれてみせる。テルアが肩をすくめてみせると、ミナは思いっきり笑って武器屋を真っすぐ指差した。

「普通は女の子ってアクセサリーとかだと思うけど」

「だあって嫌いだもん、そういうの」

 テルアはまた溜息をつく。ミナも変なところは甘える癖がある。だから武器屋で買った荷物をいつもテルアに持たせるのだ。当然、そのほとんどが金属だからとてつもなく重い。

 武器屋の扉をくぐる。奥には立派な鎧や剣があるが、そういうのはミナの父親でも手が届かない。ミナの目当ては入り口に山積みにしてある短剣の類だ。中でも投げて使う型のものは数があった方が良い。退屈そうにしているテルアを放りだして、ミナは短剣を物色し始めた。すると屈強な髭面の中年男とミナの肩がぶつかる。お互いに振り向くと、男は面白い生き物を見つけたような表情で声をかけた。

「ベルデルのミナちゃんかね?」

「ファダ衛視長ですか?」

 ミナの顔が急に明るくなった。ファダは優しく微笑んで父の様子を訊いた。

「今は家で剣の鍛錬ばっかやってます。ファダさんこそしばらくうちに来てないじゃないですか」

「王都勤めは忙しいんだよ。あなたも奥方になるときは王都勤めの男なら諦めてやることだね」

「いやー、それが今日、お城の舞踏会で」

 さすがにファダも目を丸くする。今頃貴族の娘たちはどのドレスが良いとか、今さらになって気にくわないとか言って侍女を振り回しているに違いないからだ。でもミナはテルアの手を引っ張って言った。

「あんまり好きじゃないんです、ああいうの。今回はこいつが図書館使えるようにするのが目的、かな?」

 テルアは小さく会釈する。ファダは彼を見つめて笑った。

「彼は君の剣友かね?」

「ううん、ただの幼なじみ。だって魔道士だもん」

 ファダの顔が強張る。テルアはすぐに察知してミナの手を引っ張る。ミナは肩を縮めて打ち切るように言った。

「あの、そろそろ私も用意するんで。さようなら!」

 そのまま二人はファダを置いてきぼりにしたまま店を出た。ファダに聞かれる心配のないところまで来た途端、ミナは口を尖らせて文句を言う。

「テルア、そんなに心配しなくたってさあ」

「ミナみたいな剣士って珍しいんだよ。ミナの父上も立派すぎるぐらい立派な人だし」

「でもファダ衛視長も立派よ?」

「でも見たろ。僕が魔道士ってわかったときの表情」

 ミナは口をつぐむ。まだミナには魔道士を嫌う剣士の気持ちはわからない。体を張って戦う剣士から見れば魔道士は卑怯に見えるかもしれないが、それが魔道士の戦い方なのだから仕方がない。それに呪いで苦しむテルアと一緒にいる限り、魔道士を馬鹿にする気にはなれない。ミナがあまりに真面目に考え込んだので、テルアは表情を崩して話題を変えた。

「ねえミナ、今日のパーティ、どういう格好で行くの?」

「騎士の礼服ってわけにはいかない?」

「ミナ。ちゃんとしていきなさい」

 テルアに窘められてミナはぺろっと舌を出してみせる。ついで鞄をごそごそやると真紅のドレスを取り出した。

「これ、新しく作ったの。どうせ田舎騎士の娘なんて相手にされないのに、ねえ?」

「ミナが上品に振る舞えば関係ないと思うけど。お父上は魔獣討伐の功ある騎士だろ?」

「でも宮廷じゃそういうの、どうなのかなあ」

 ミナは首を傾げ、また肩をすくめて言い足した。

「ま、どうせ王子殿下が来たってふってやるけどね!」

 もったいない、とテルアが呟くとミナは目つきを険しくして、さっきのドレスを詰めた鞄を手にして叫んだ。

「それなら王子殿下を引っ張って来ちゃう! そのときになってびっくりしても許してあげないからね!」

 ミナは宿から出て行ってしまう。テルアはまさか縄で縛って連れてくるんじゃないだろうな、と独り呟いた。


 テルアの心配をよそに、ミナは王宮に馬を走らせた。貴族たちは兵士つきの馬車で送ってもらっていたし、平の騎士でも馬車で送ってもらっていた。でもミナは宿から借りた馬で直接来てしまったのだ。城門につくと、ミナはいつものようにぞんざいな口調で衛士に名乗る。

「あの、ミナ・ベルデルですけど。舞踏会に来たんです! 魔獣殺しのベルデルの娘、ミナです!」

 衛士は迷い、奥の宮廷官に問い合わせる。するとミナのじゃじゃ馬ぶりが伝わっていたのかすぐに城内へ通された。ドレスを整え、髪飾りなどもきちんとするとミナもそれなりになる。むしろ鍛えているだけあって、深窓の姫君たちよりは健康美そのもので輝いていた。

 パーティが始まった。この王国独特の伝統で、ある年齢に達した騎士、貴族の子女はこの舞踏会パーティで結婚相手を決めるのだ。もちろん、家同士で予め決まっていることもあるが、そういった二人は早いうちに端の方に寄っていく。かくして何もない者たちが互いに物色することになる。とはいうものの、ミナにはその気が全くない。剣で自分に勝つ奴がいたら一瞬ぐらいは考えてやるか程度の気でしかない。それも自分に勝てる者がいないと思っているのだからたちが悪い。

 それなのにわざわざミナに言い寄ってくる男がいた。豪奢な服装で身分も高そうだ。貴族と言っても大貴族だろう。ミナは意地悪な顔で答える。

「踊りは私、剣の舞しか興味ないの。私は淑女じゃなく騎士になりたいの」

 男は面食らった表情になる。こんな表情を見ると、女に声を掛け慣れているわけではないように思え、少し気を許してしまう。だが刹那、周りの空気が変わった。周りのダンスにとり囲まれているのだ。男たちの手が装飾のはずの剣にかかる。ミナは腿にくくりつけておいた長めの短剣をこっそりと引き抜いた。

「王子殿下、御覚悟!」

 言い寄ってきた男に刺客がかかる。だがそれより疾くミナの剣が一閃する。

「虚け者。ミナ・ベルデルの目の前で謀反が出来るか!」

 ミナの声が部屋全体に響きわたる。外を警備していた衛視がなだれ込んだ。言い寄ってきた男は狼狽えるばかりだが、遠くから殿下、と呼ぶ声も聞こえる。ミナは舌打ちすると王子を背中にかばい、短剣を構えた。

 次いで破れかぶれになって突っかかってきた刺客を討つ。他にも迫る何本もの剣を弾き飛ばし、そのうち長剣を敵から奪って刺客を追い込んだ。とうとうファダ衛視長の姿が現れる。

「ファダおじさん、おっそーい!」

 必死の形相だったミナの表情が一瞬で緩む。ふと後ろを振り向くと王子が真っ青な顔でしゃがみ込んでいた。

「何やってんのよ、あんた。本当に王子なの? それとも影武者?」

 本物だ、という返答にミナは貸しかけた手をいきなりさっと引く。そこにファダが慌てた様子でやってきた。

「殿下、もう賊は捕らえました、ご安心下さい」

 王子はようやく立ち上がって無理に威厳を繕った顔をする。しかしミナは王子を冷たい視線を王子に突き刺した。だが、続けてファダが王子に報告した話を聞き、座り込んだ王子のことなど一切忘れてしまった。さっきの刺客は宮廷魔道士の元締め、魔道院長が派遣した者だと言うのだ。そして計画失敗の場合は魔獣を街に放つのだという。だが王宮指導部は軍が手薄なことを理由に兵を向ける予定は無いという。

「魔獣一匹を倒すだけで天下に名前が通るのよ? それじゃ城下の人たちは見殺しでしょ!」

 ミナの瞳に怒りの炎が燃え、ファダの前だというのにその場でスカートを脱ぎ捨てると、鞄にあった厚手のスラックスに履き替えて剣に手をかけた。

「馬鹿! お前まで死ぬぞ!」

「私の友だちがいるの。守ってあげなきゃなんないの!」

(そうじゃなきゃ、テルアは暴走する)

 ファダの手を振りほどいてミナは走った。門に着くとすぐに衛士が誰何の声を上げる。

「王子殿下の命を守った女だ。城下に用がある。門を開けい!」

 ミナの大音声に衛士は思わず門を開けてしまう。ミナはここぞとばかり王宮を飛び出していった。


 城下はひっそりとしていた。魔獣は山の研究所から到着していないようだ。ミナは慌てて宿に転がり込んで王宮の話をする。テルアはミナの話を聞いて城下のことを話した。テルアの話によると、城下を守らないことはもう王宮の衛士から伝わったらしい。民衆には王宮に対する恨みが大きく積もっていはずだが、テルアの話だと王家は安泰だろう、とのこと。魔獣討伐が到底無理なことは民衆もわかっているからだ。

「ミナ、僕は戦おうと思う」

「テルアじゃ無理に決まってる」

「僕の魔力が勝てないとでも?」

 テルアの言葉に、ミナは背筋に冷たいものを感じた。テルアが魔法を。巨大な魔法を使おうとしているのだ。

「ここ王都よ。『背徳の杯』がばれたらただじゃすまない!」

「わかってる。でも、人が沢山死ぬのは見たくないんだ」

 私、テルアを守りに来たはずなのに。逃げよう、その一言が言えなかった。テルアの目を見てその言葉は喉の奥で溶けてしまっていた。テルアが魔法を使ったら絶対にばれてしまう。背徳の杯による魔法は特殊な呪文が多い。だから魔道士が見れば一発でばれる。ミナはそのときの迫害を恐れていた。だが、ふとあの不甲斐ない王子の顔が何故か思い浮かんだ。確かに弱そうだが、テルアに似た優しさを感じた気がする。命は救ったのだし、王子に頼み込めば多少のことはもみ消してもらえるかもしれない。

 ミナの心はテルアを戦わせる方向に傾いた。テルアの、あの悪魔的な魔力にミナは憧憬を持っていた。ミナは英雄となった自分とテルアの姿を頭に思い描いた。ミナはテルアの肩を叩いて、しっかりとした装備を身に付け始めたのだった。


 魔獣が闇を伴って走り下りてくる。ミナたちの周りには警察、街の剣術道場の主、ミナたちと同じことを考えた騎士たちが並んでいた。案の定、叛乱を起こしたのが魔道院だけあって魔道士は一人もいない。これが最大の弱みになるのだ。

「テルア、でかいのは使わないで。街が吹っ飛んじゃう」

 テルアの手がかすかに震えている。でも体の周りにはかすかに魔力の光が浮かんでいた。

 魔獣が到来した。通りを挟む建物の壁が崩壊する。魔獣は口から酸を吐き出して街路の石畳を溶かす。そんな魔獣が三体、四体、五体。

 先頭に立っていた年かさの剣術家が叫んだ。途端、背後にいた弓道場の生徒たちが矢を放つ。しかし魔獣の硬い皮はそれを全て跳ね返す。テルアが呪文を唱え始めた。ミナたち剣士集団は目を狙って攻撃を開始する。一閃したミナの剣が魔獣の片目を潰した。剣士はミナが潰した魔獣に一斉に飛びついた。続いてテルアの魔法が発射される。剣士のおかげで動きの止まった魔獣が真っ二つにされる。

 思ったより簡単じゃない。そんなこと考えた矢先、ミナは空へと放り出された。真っ二つにされた魔獣の肉に、他の魔獣が食いついたのだ。さらに肉を喰らった魔獣たちが寄り集まり癒着していく。互いに互いの体を咬み合いながら、一体の巨大な魔獣へと変貌を遂げていく。

 剣士が数人、一瞬で飲み込まれる。残った者たちは怯えて声も出ない。投げ飛ばされたミナのそばに巨大魔獣が迫った。だが、紙一重の差でテルアの魔法が炸裂する。ミナの体を庇うようにテルアが魔獣の前に立った。テルアの呪文とともに、空が一瞬にして暗く染まる。地面から魔獣を取り囲む障壁が出現し、魔獣を完全に檻へと閉じこめる。そして、天に捧げられた手が振り下ろされる。

 その地獄に、場にいた者の多くが吐いた。魔獣の体から先ほどの数体の頭が出現し、自分の肉体をむさぼり喰い始めたのだ。その苦痛に体をくねらせ、部分的に破れた胃からは胃液が噴出して肉体を溶かしていく。

 その様を冷静に見るテルアに、ミナは初めて恐怖を覚えた。


 戦いから三日たった。街の人はミナとテルアを英雄扱いしていた。もちろんテルアに対しては言い知れぬ恐怖を感じているようだったが。ミナもテルアも早めに王都を去りたかったが、街全体の城門を閉ざしているため諦めざるをえなかった。

 そして、暇を持て余している日の夕方。例によってミナがテルアの部屋で研究の邪魔をしていると扉がノックされた。ドアを開けた途端、兵士がなだれ込んでくる。ミナはベッド脇の剣に手をかけた。

「ミナ・ベルデル、剣を収めい。汝には王陛下より勲章が授けられることと相成った。しかし、『背徳の杯』関係者を処分せずにいることは遺憾である。只今より王の御名において背徳の魔道士テルアを処分する!」

「ふざけるな!」

 ミナは将校が手に持った王の手紙を剣で弾き飛ばした。ミナは剣を構え叫ぶ。

「言っとくけど、私は父さんとほとんど互角よ」

「ミナ・ベルデル、汝の行為は王への叛逆として扱われるのだぞ。剣を収めい!」

「そっちこそテルアを殺そうなんてやめなさいよ!」

 兵は溜息をつく。再び先頭の将校が口を開いた。

「魔道士テルア、剣士ミナ・ベルデルの二人を王陛下、及び王国に対する叛逆者として逮捕する!」

「申し渡されて、はいそうですかって死ぬもんか!」

 言ってミナの剣が一閃する。兵士のひるんだ隙にミナはテルアの手を引っ張った。二人は窓から飛び降りる。重武装した兵士は慌てて階段を回る。だいぶ走って兵の姿のないところに来たとき、テルアはミナの手を押さえた。

「ミナ、君は王宮に行くんだ。君には何の嫌疑もないんだ。僕は一人で逃げる。ミナは僕を王宮で弁護してくれれば」

「弁護なんて無理なこと、わかって言ってるでしょ」

 いきなり真実を突かれ、テルアは言葉に詰まった。

「私はテルアを守る。一緒に行く」

 テルアは溜息をつく。と、すぐに軍隊が現れた。近衛軍だ。先頭は、ミナに言い寄ったあの王子だった。

「ミナ・ベルデルよ。君は素晴らしい女性だ。今回の働きは王宮でも高く評価されている。君に騎士の叙勲を与えるよう、私から父上に進言しよう」

「で? 見返りは何さ。テルアの身柄かい?」

「見返り、というより国民の義務だ」

「なら、私は騎士の叙勲より叛逆者の烙印を選ぶ」

 ミナは剣を抜く。王子は舌打ちをすると苦々しげに抜刀、と叫んだ。

「テルア、もう良い。はり倒して逃げよう」

 テルアの迷いをミナの大音声が遮った。

「私は叛逆者だ。ベルデルの名は今ここで捨てる! もう魔獣殺しの騎士ベルデルの娘ではない!」

 ミナは懐にしまっておいた短剣を王子に投げつける。短剣は王子の頰を切り裂いた。殺せ、と王子が怒号を発する。だがミナはまたテルアの肩を叩いた。テルアは溜息をついて手を高く振り上げた。

 ミナとテルアは一瞬で空高く浮かび上がった。王子が撃ち落とせ、と金切り声を上げる。ミナは王子のあまりの不甲斐なさに失笑しそうになった。テルアは無理ですよ、と呟くように呼びかけた。放たれた矢は全て二人を避けるように落ちていく。二人の周りは強い風が覆っているのだから当然だ。二人はそのまま宙を漂って街の外まで逃れていった。

 さすがに街の外は兵士もいなかった。ミナは少し考えるといきなり走りだす。テルアは慌てて追いかけながら行き先を尋ねると、ミナは父に教えて貰った秘密の井戸に向かうという。少しして辿り着いたそこには廃屋と潰れそうな井戸があった。ミナは水を詰める袋を探す。しかし、さすがに何も持ち合わせはなかった。テルアに至っては何の用意もない。参ったな、とミナが思わず呟くと廃屋の扉が開いた。

「やはり水を求めに来たね、ミナ」

 ファダ衛視長だった。鎧もつけず剣だけを腰に下げている。ミナは顔を明るくして言った。

「おじさん、ごめん。助けてよ!」

「そうはいかん。彼を倒さなければならん。私は騎士だ。王陛下に仕える義務がある。許してくれ」

 ファダは心底すまなそうな表情で剣を抜いた。しかしミナは柄に手をかけて低い声で問う。

「ファダさん、私がもし彼を守るって言ったら?」

ファダは溜息をつき、強い調子で答えた。

「君はテルア君とお父上のどちらかを選ばねばならない。叛逆者としての逃避行と、名誉ある日常のどちらかを選ぶのだ」

 テルアはミナに声をかけたが、ミナは言葉を遮ってファダに向き直った。ファダは大きく息を吸い、そして鋭い太刀筋がミナを襲う。ミナはかわして剣を振る。激しく打ち合う。刹那、二人は飛び離れて睨み合う。ミナは息を飲んだ。剣だけの男、と父が言うのを聞いていた。無骨で不器用と父は褒めていた。父が認めた剣士と今戦っている。ミナの心は猛っていた。でもその戦いに熱い喜びを見いだす自分に驚愕もした。

 ふとミナは背中に声を聞いた。テルアの声だ。

「テルア! 魔法は使わないで。私に戦わせて。剣士の誇りなの」

 テルアは杖を下ろす。その様子をファダはじっと見守る。

「戦いのときは他のことに気を取られるでない!」

 父と同じ口調でファダが叫ぶ。ミナは荒んだ笑顔を浮かべて剣を構え直す。二人を緊張が包み込む。

 睨み合いが続いた。時が凍ったように思えたとき、テルアの杖が地面を叩いた。途端、二人の剣が交差する。瞬間、ミナの体が傾ぎ、ミナの頰に赤い太刀筋が浮かび上がる。

 ファダが地面に倒れ込んだ。ミナが駆け寄る。ファダの胸は出血で朱に染まっていた。テルアは即座に止血の魔法を唱えようとする。しかしファダはその手を遮ると、ミナの父の名を呟いたきり動かず、ミナの手から剣が滑り落ちた。


 ファダが隠れていた小屋からは当座の保存食、南国の地図、それに水袋と衣服が揃えてあった。小屋の裏には馬が二頭待っている。どれも二人に必要なものばかりだ。ミナはその品物を袋に詰めながら涙を拭う。おそらくまだ兵士が到着していないのもファダが手を回したからなのだろう。僕さえいなければ。テルアは胸の中で呟く。自分さえいなければ王妃として幸せになっていたかもしれないのに。今は叛逆者として逃れる身。全てはテルアのためだった。

「ごめんとか言っても意味ないよ。私が勝手にやってることなんだから。テルアに責任はないの。良いね」

 ミナの言葉は手厳しい。でもテルアは言葉を受け入れた。

「テルア。南は暖かいよ。バカンスバカンス!」

 無理にはしゃいでみせるミナに、テルアもつらい笑顔を向ける。二人を見送る空はずっと暗い雲が立ちこめていた。

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