文芸船

魔戯画師

第三章 新しい道

第三節

 突如家に現れた瘦せ型の男に法歳が胡乱な視線を向けたのは無理のない話だ。汗まみれの見知らぬ男が息を切らせて大人しい中原を連れて押しかけてくる。街中を走っているところを見かけたら不審者として影から攻撃してしまうかもしれない。だが法歳は男と中原の額にうっすらと残ったタバスコの痕跡に目を留めた。

 雄二も法歳の視線に気づくと、必死で息を整えて生真面目な声で言った。

「私は個人的に法術を学んでいるんだ。この雅妃の紹介で阿川さんの相談を訊いていたところ、魔物に襲われた。私は雅妃を守るのが精一杯で阿川さんは攫われたんだ」

 法歳は息を飲み、いきなり雄二の胸倉を掴んだ。だが咄嗟に中原が間に割って入る。その中原の真摯な視線に法歳は正気を取り戻して手を緩めた。

「あんた、何の相談に乗っていたんだ」

「オタク風の俺より気の回らない血気盛んな彼氏をどうやって守ってあげれば良いかという相談さ」

 法歳は雄二の言葉に言葉を失う。中原は慌てて再び割って入ろうとしたが雄二に抑えられた。マアちゃん、と先ほどとは全く異なる優しい声に、中原は首をかしげながらもその場を引く。雄二は二人を見比べながら話を続けた。

「彼女は君の戦いにけりをつけたいと思ったんだ。祓いの刀の在処を私は知っている」

 法歳は息を飲んで雄二の口元を見つめた。雄二は勝手に腰を下ろすと説明を始めた。元々は古美術関係に興味があったこと、古美術には呪術的な内容を秘めた骨董が数多くあり、また中原家が呪術や特殊な儀式と関わってきた家柄であるせいか、独学でもそれなりの知識を得られたこと。そのような中で偶然、駄作と看做されていた刀が、祓う力を付与する犠牲として見栄えの良くない造りであることに気付いて入手していたこと。雄二の論理的な説明にようやく法歳も冷静さを取り戻した。

「で、君が今したいことは救出なんだろうが、焦るより先にすることがあるだろうね」

 法歳は黙ってうなずく。雄二は携帯をジーンズのポケットから取り出すと、見せつけるようなわざとらしい仕草で電源を切って中原に目を向けた。

「一応、これでも大人なんでわりと余計な連絡来るしさ、変な奴に辿られても厄介だし。片付くまで行方不明になっておくから。携帯はマアちゃん一人に絞ろう」

「私も魔物と会っているから辿られるかも」

「だってあんまり友達とやり取りしないって言ってたでしょ。携帯あんまり使わない人が多いからって」

 言われて中原は天井を仰ぐ。ここにいる法歳はもちろん、椿もあまり携帯は面倒臭がって使わない方で、先輩の河合はパソコンに手書きのイラスト付きメールをしばしば送ってくるせいか、それとも持ち前のずぼらさか、とにかく細かい連絡はほとんどしてこないせいで部の会計に叱られているぐらいだ。

「ユウちゃんの方が携帯に友達から連絡来るって、何だか納得いかない」

「そりゃほら、類は友を呼ぶって言うだろ? 僕みたいなのが色々と集まってくるんだよね」

 法歳と中原は雄二が大行列している姿を思い浮かべて顔を見合わせた。雄二は二人の思いに気付かないのか、へらへらと笑って背中に背負っていたバッグに携帯を放り込む。次いでバッグから半紙の束を取り出して法歳に渡した。

「とにかくさ、マアちゃんと椿さんを守れる札の関係、頼む」

 法歳ははっとした表情になり、再び中原に視線を向けた。そしてあらためて雄二をじっと見つめる。いい加減なような、単なる変人のような。それでも中原が信頼している理由が今、やっとわかった気がした。単に焦るよりはまず準備、そして。

「今、一番大切なことは何? 戦い?」

 冷めた視線で雄二が問いかける。法歳は一呼吸置いて、きっぱりと言い切った。

「椿を助けることだ」

 中原は大きくうなづきながらも、ふと視線を逸らして寂しげに溜息をついた。


 法歳はつま先で地面を蹴ってスニーカーの調子を確かめる。前に立った中原の珍しく動きやすそうな服装を見て、椿と離れるきっかけとなった遠足をふと思い出してしまう。余計な後悔を頭から振り払って上を見上げた。

 法歳たちは函館から檜山地方を結ぶ道道に立っていた。この道道は箱館戦争の戦闘が多く行われた場所であり、法歳もこの時代まで眠っていた場所でもある。今、祓いの刀はこの峠に眠らせているのだという。常識的に考えればどこかきちんとした金庫にでも置いておくようなものだが、魔の絡むものは保管のためであっても下手に持ち出す方が危険なのだ。もちろん、その場所に向かうこと自体にも危うさはあるものの、そこは法歳も色々と対策を取っている。

「何かちょっと、邪魔っぽいですよね」

 中原は両腕に巻かれた半紙製のミサンガを指で引っ張って呟く。それも五本も巻かれているのだから邪魔なのは当たり前の話だ。だが法歳は当然のように表情も変えずに答える。

「魔物から姿を隠すには五行の力を全て巻くしかないんだ。一本でも欠けると意味が小さくなる」

 そうですか、と中原は大して抵抗もせずにうなずいて雄二の背中を心配そうに仰いだ。瘦せた彼の背中には似つかわしくないスコップが背負われているのだ。祓いの刀は土中にあるからと言って持って来ているのだが、どうもその歩みは椿よりも危なっかしい。

「ユウちゃん、間違って刀をスコップで折ったりしないでね」

「大丈夫。祓いの刀は丈夫だからね。俺の平均以下の腕力じゃ折れないよ!」

 一応、元気づけのつもりで河合の真似をして茶々を入れてみたりしたが、返って来た答えは言わなきゃ良かったと思わせるようなものだ。それでも背中で吹き出す法歳の声に何となく良かったかもしれないと思い直す。

 三人は車道を外れて森の中に入っていた。山道の端には役場が立てた「熊出没」のまだ真新しい看板が立っている。お土産店で置いてあるようなリアルな絵やコミカルなものではなく、いかにもお役所が立てたという文字だけの看板は逆に本当に危ないという実感を抱かせる。だが中原が看板を指差しても法歳はもちろん、雄二も気にせずどんどん進んでいく。それが強さなのか、それとも無謀なのか中原は答えが出せずに内心落ち込んでしまう。

「まあ、怖くないはずはないから熊スプレーとか持ってるんだけどさ」

 言って雄二はバッグから熊除けに携帯スピーカーを取り出すと、スマートフォンに繋いで音楽を大音量でかけ始めた。かかる曲はアイドルやら演歌やら、オタクというより何でもぶち込みました感満載の選曲だ。中原が呆れると、飽きなくて良いでしょ、と雄二は見当違いのことを言って笑う。中原はますます雄二のことがわからなくなりそうになった。

 中原は再び法歳を振り返る。と、法歳が慌てて何かをポケットに仕舞うのが周囲を目に入った。だが全部は入りきらずポケットからはみ出しているが見える。それは一枚の写真だった。端に見える袴の裾でたぶん、それが椿の写真だと見当が付く。椿の写真などどこで手に入れたのだろう。ふと、中原は自分の心に何か陰が射したような気がした。

 一時間ほど歩いただろうか。雄二は立ち止まるとぐるりと見回した。中原にはもう、どこを歩いているのか全くわからなくなっており、雄二の仕草に不安が募る。だが雄二は微笑むと、最も高い木に手を当て、そこから歩数を数えながら再びゆっくりと歩き始めた。そしてきっかり五十を数えたところで再び立ち止まる。

「この辺だ。あとは掘った跡を確認すれば」

「いや、ここだ」

 雄二が土の状態を確認しようとするのを止めさせ、法歳は地面の一点を指差した。次いで雄二のスコップの先に筆でモグラの絵を描くとそのまま地面に突き立てる。スコップはそのまま水の中に放り込んだようにずぶずぶと地面の中に潜り込んでいった。雄二も目を見張ってスコップが潜り込んだ個所を黙ったまま見つめる。

 五分ほど経っただろうか、地面が泡立って盛り上がり、大量の土砂が三人のいる場所の反対側へと吐き出された。その跡には大穴と先ほどのスコップ、そして古ぼけた一振りの刀があった。雄二は刀にすぐに手を出しかけ、だがすぐに引っ込めるとスコップの方を手に取った。

「これは君の持つべき物だろう」

 雄二の言葉に、法歳は刀を手に取ってから首を振った。

「今は僕が持つが、刀は大して使えない。刀を振るうのは剣士と決まっている。昔なら歳さんだし、今は」

 雄二と中原は息を飲む。法歳は二人に目を配りながら言った。

「僕は、僕がこの刀を持って欲しい人を助けに行かなきゃならない」

 法歳は刀をじっと見つめながら呟くように言い、元来た道を戻り始めた。だが、その背中に雄二は声をかけた。

「気持はわかるんだ。でも、独りで行く必要はあるのかな」

 法歳は眉をひそめて二人を振り返る。雄二は法歳の立つ場所に一歩踏み出す。法歳は思わず後ずさってしまう。雄二はその足元に目を落とした。

「今、君は後ずさったよね。逃げようとしたね。なぜだろう。君が僕たちに負けるはずがないのに」

「そんな下らない議論をしている暇はないんだ」

 法歳は刀の柄で空を指した。空の縁は既に真っ赤に染まり、太陽が山陰を美しく照らしていた。だが雄二は鼻で笑い、ちょっと答えてごらんよ、と言って正面から法歳を見据えた。法歳は言葉を返せずに雄二の口元を見つめながら刀の鞘を固く握り締める。中原は法歳の視線に雄二の袖口を引いた。だが雄二は全く動じることなく言葉を続けた。

「俺はマアちゃんに呼ばれただけなんだけど。マアちゃんは阿川さんの友達だよね。一緒に行くべきじゃないの」

「お前は自分の大切な従妹を危険にさらすのか」

「それは嫌だよね。でも、危険から守りたくて置いていくのかな。置いていけば、そこは安全なのかな」

 雄二の言葉に法歳は違和感を憶えた。雄二は中原の肩を抱きよせる。中原は肩を震わせて雄二の顔を見上げた。雄二は二人の顔を見比べながら先ほどまでとは異なる低い声で話を続けた。

「例えばだよ、俺が君らの敵で刀を狙っている、なんてことだって想像するべきだよね」

 法歳は咄嗟に身を引いて刀の柄に手を置いた。すると雄二は笑って言う。

「だから考えが浅いんだよ。刀を狙っていたならさっき、刀を渡す馬鹿はいないだろ」

 雄二の意図が掴めず、法歳は柄を握ったまま首をかしげて雄二の口元を見つめた。中原も不安げな表情で再び雄二の顔を仰ぎ見る。雄二は足元の土を蹴りながら言った。

「今、君と離れて俺がマアちゃんを守りきれるか、正直自信はないんだ。まして万が一、俺からマアちゃんがはぐれた場合の危険はあまりに高い。だからさ」

 雄二は真剣な表情になり、中原の手を握って頭を下げた。

「情けないお願いで、おまけに我儘かもしれない。でも、この子も一緒に守ってあげて欲しいんだ。俺にとってはこの従妹が大切なんだよ」

 勢いよく頭を下げたせいで、雄二の足元の軽い枯葉が煽られて数枚飛んだ。

 中原は雄二に握られた手をほどいて雄二と法歳を見比べ、だがそれでも雄二の傍から離れる気にはなれなかった。遠く響く鳥の声を聞きながら中原は再びこの場を見回した。なぜ自分はここにいるのだろう。私は、この二人の何なのだろう。椿を誘いだした夜のことを思い出す。もう高校生とはいえ、自分にとってはかなり大胆なことをしたものだと思う。できるようになった。それは河合の無茶な姿をよく見ていたせいもあるが、やはり法歳のことが好きだから。でもそれ以上に。

 それ以上に、好敵手であるはずの椿は本当に、自分にとって大切な先輩なのだと思う。それと同時に、先ほどの法歳の言葉でやはり自分は負けたのだと思う。負けても仕方ないと思う。でもその分、自分は少し強くなったとも思えた。だがその強さは魔物に対抗できるようなものではない。かと言って、このまま流れに身を任せない程度の強さは身につけたはずだ。

「私も、守ってもらうだけで行くのは嫌です。でも私には戦う力はないけれど、見えない魔物を見つける力はあります。それに私も椿先輩を一緒に助けたいんです」

 中原は正面から雄二を見つめて不敵に笑って見せる。雄二は中原の視線から目を逸らして頰を赤くした。法歳は小さく嘆息し、だが何か吹っ切れた表情でうなずいた。

「椿を救いに行こう、一緒に」

 三人は円陣を組んで手を重ね合わせると、掛声をかけてから再び山を降り始めた。


 三人が向かった場所は函館山だった。かつて函館山は陸軍の管轄下に置かれた軍事施設があり、戦前は一般人の立入が制限されていた山だ。今でもその名残として防空壕などが残っているという。そして、そのような場所こそ銭溜が邪法を使うには最適の土地だ。実際、過去の炊事遠足で銭溜和尚が潜んでいたという実績もある上、法歳の話によると特有の淀みがあるのだという。

 ぞろぞろと三人揃って函館山を登るというのはあまりにも警戒心のない話だ。だがそれでも法歳は構わないという。

「奴は誘っているんだ。どこにいるかあまりにも簡単に想像がつく。少なくとも僕が想像できることは奴なら十分にわかっているんだから」

 罠か、という雄二の言葉に法歳は大して急がない足取りのままうなずいた。

「罠だろうけどね、その罠に突っ込まないと絶対に後悔するしかないと思う。あと、どうせ罠だから急いで走って体力を消耗する必要もない」

「ずいぶんと落ち着いたじゃないか」

 雄二の言葉に法歳は少し不満そうな表情を浮かべ、だが素直にうなずいた。

「一応は礼を言っておくよ。あのとき言われなければ、僕も目は覚めなかったかもしれない」

 どういたしまして、と雄二は相変わらずふざけた調子で答える。二人に挟まれた格好の中原は不安そうに二人の表情を見比べた。

「どう考えてもおかしいですよね。ここにいるのが私なんて」

 二人は意図を掴めず首をかしげる。中原は自分の顔と体を指差して言った。

「どう見ても私、戦いの人じゃありません。で、戦い向きの人が囚われの御姫様状態って、完全に理不尽です」

「俺はマアちゃんには捕まって欲しくないけど。王子様役って大変そうだし」

 雄二の緊張感のない言葉に、二人は思わず吹き出してしまいそうになる。ただ、この緊張感の足りないやり取りも実は三人の作戦ではある。罠だからと緊張感いっぱいで突っ込むのではなく、敢えてふざけた調子で行く。罠を張っている方の慢心を誘おうという雄二の発案だ。

 法歳は手の中に描いた鳥の文字をこっそりとさすった。山に放った大量の折り紙の鶴が、今は山の中を捜索している。とにかく馬鹿話をしつつ三人が闇雲に突っ込んでいると思わせ、本当の捜索部隊を隠してしまおうということだ。だいたい、術を操る者自身が囮になるなど想像できるはずがない、というのは雄二の意見だ。とにかく安易な奴らだと思われるほど、直情的に突っ込む奴らだと思われるほどこの作戦は上手くいくはずだ。

 山の中腹に差し掛かったところで、急に法歳が立ち止った。

「中原、疲れたんじゃないのか。休憩だ」

「敵に遭う前に食べようよ何か。腹減ったよ」

 法歳の言葉に多少棒読みの気配がある。「休憩」は椿を発見したときの合図だ。雄二はばれにくいように適当なアドリブで上から言葉を被せて誤魔化した。三人はその場に腰を下ろし、雄二がバッグからペットボトルのお茶を取り出して全員に配布する。ここで椿救出と銭溜攻撃、罠避けのどれかを採らなければならない。

 法歳は雄二から受け取ったお茶を口に含むと周囲に目を配った。雄二はへらへらしたまま、弁当に入っているような小さなスポイト状の容器を手の中に隠す。中には雄二が使う法術で必要なタバスコが仕込んである。中原は鞄から敷物を三人分取り出して土の上に広げた。

 法歳はだらだらと背伸びをすると、いきなり自分の敷物を掴んで頭から被った。残った二人も敷物を空に向かって投げ上げる。二人の放った敷物は強烈な光を放った。光が止んだ後、そこに法歳の姿はなく二人だけが取り残されていた。

「お前ら、何をやりやがった!」

 木々の奥から三人、チンピラ風の男たちが出てきた。雄二は不敵に笑って言った。

「何だろうね。トイレにでも行ったんじゃないか?」

 三人は雄二と中原を睨みつけると、真っ赤な刃のナイフを抜き放った。

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