文芸船

魔戯画師

第二章 戸惑う心

第一節

 幽霊事件から一週間後。あいかわらず河合、椿、法歳の三人は一緒に歩いていた。あのあと、さすが河合はただ者ではないらしく、法歳にまつわる様々な話を現実のものとして受け入れてしまっている。中原も霊感のようなもので納得してしまい、結局あの現場にいて何もわかっていないのは織田だけだ。

 とはいえ、簡単に理解されてしまうとそれはそれで面倒なこともあるわけで。

「スクープが逃げてったあ。最高の記事が消えてったよう」

 諦めの悪い台詞を繰り返す河合に、椿は呆れた溜息をついた。

「いい加減あきらめなさいよ。次のターゲット探した方が良いんじゃないの?」

「だってだって、本物の幽霊と明治維新時代の魔物、それに二枚目少年魔術士だよ?」

「僕は魔術士などではない。魔戯画師だ」

 法歳の生真面目な指摘に、だが河合は舌をだして軽い調子で言い募る。

「魔術士か魔戯画師かなんて、んなことこっちはどうでも良いの。二枚目少年と科学で解明出来ない力、ってとこが読者を惹きつけるんじゃない」

 本人を目の前に平然と言い切る河合に、椿は眉を顰めて冷たく言い捨てた。

「あんた、本気で三流雑誌よね」

「あ、ひっどーい! 今の時代はエンターテインメントが華開くのよ? 私は最先端の女だもん」

「とんがりすぎてだーれもついていかないとか」

「ふっ、今に時代が私に追いついてくるのよ」

「きっとそんときの河合はお婆ちゃん」

 茶化しをやめない椿に、やっと河合も降参する。

「わかったわよ。前回の話は、はい、忘れます!」

 法歳と椿はやっと安心した表情になる。すると、河合は急に大きな声を上げた。

「忘れてたっ! 中原に伝言頼まれてたんだった!」

「んもう、だらしないんだから。で、何よ」

「あのね、法歳くんに神社の方へ来て欲しいんだって」

 椿がきゅっと目を細めると、河合はにやっと笑って指さした。

「あららら。椿ったら対抗意識燃やしちゃってえ。でも中原はか弱い美少女系だし、椿は不利かなー?」

「そんなんじゃないわよ! 私は剣に生きる女なんだから!」

「でもさあ、今まで『陵南の巴』と言えば剣道大会優勝、って記事ばっかだけど、ここで一発『恋に生きる巴』なんてのどう?」

「あんた、親友までネタにする気?」

「報道の世界は厳しいのよ?」

 けろりと答える河合に椿も呆れ返って声も出ない。すると河合は舌をぺろっと出して話を続けた。

「中原の家に古い掛け軸があるんだって。箱館戦争のどさくさに紛れて中原のご先祖様が京都から持ってきたものらしいんだけど。で、中原に言わせると『気持ち悪くなってる』らしいんだ」

「また法歳くんに魔物と戦ってもらう気?」

「そんなこと私にわかるわけないじゃん。ま、オカルト系だとは思うけどさ。残念ながら私、今日は生徒会の部長会議に出席しなきゃなんないから一緒には行けないけど、もし面白い話があったら代わりに取材しておいて」

「私たち、『陵南通信』に入部したおぼえないんだけど」

「大丈夫。編集長の私があんたら二人とも名誉部員にたった今登録してあげたから」

「んな名誉は不名誉だ」

 こんな椿のじと目にも河合はかけらも動じる様子もなく、平然と笑って話を締めた。

「とにかくさ、中原のやつ、その気持ち悪い掛け軸が気になって絵筆が全然進まないらしいんだ。かわいそうだからなんとかしてやってよ」

 この言葉に、二人とも河合の意外な気配りに感心する。法歳は絵筆を一本構えてみせて言った。

「心配なく。この狩野法歳が解決を約束するよ」


 中原の神社は湯の川地域にある。湯の川温泉は江戸時代に開湯された道内有数の古い温泉街であり、数多くの温泉ホテルが立ち並ぶ。だが、温泉街として発展してしまった代償か、デパートのような普段の生活で欲しいような業態の店はほとんどない。そのため、友だちの家に遊びに行くのでもなければ高校生が行くことは多くないだろう。

 椿と法歳は市電で中原の家に向かった。函館の市電は大儲けとは到底言えないが、それなりに利用客はいる。中でもレトロ型の市電は観光客の足と言った方が現状を良く言い表せるだろう。

「この電車という乗り物も面白いな。ああいう大きい乗り物を自由に動かせたら楽しいかもな」

 電車を降り、法歳はしみじみと言った。椿は走っていく電車を眺めながら首を傾げる。

「あんなもの決まった線路の上を往復してるだけじゃない。車やバイクなら好き勝手に出来るけど」

「まあ、車はますますもって便利なものだ。なんと言っても飼い葉もいらぬし疲れを知らない」

 あまりにずれた感想を言って独りうなずく法歳に、椿はおそるおそる確認する。

「まさかあんた、馬と比較してたわけ?」

「馬なら乗れるがね」

 何かを懐かしむような法歳の横顔を眺めて、椿はこの近所に競馬場があることを思い出す。だが、法歳が馬をただ乗り物としてしか考えていないことに気づき、自分のずれに苦笑する。今日は曇り空で、空気の湿りがどことなく気分をも重苦しくさせていた。法歳と椿はさきほどの話のあと、何となく話題を見いだせず黙ったまましばらく歩いた。

 法歳にとって自分は何なのだろう。黙っているうちに余計な不安が椿の頭をよぎった。恋人ではないことはたしかにしても。ただの知り合いとも思われたくはなかった。彼にとっての、何か特別なものでありたいと思う。頭に浮かんだ「相棒」という言葉で無理に納得させる。

 法歳が怪訝な表情で椿を覗き込んでいた。無意識にに法歳のことを見つめていたらしい。椿は慌てて首を振ると、今度は早足で中原の家を探し始めた。と、目の前に小さな鳥居が見える。これが河合の言っていた中原の神社だろう。神社、と言ってもかなり小さなもので、市内でもお祭りがあることさえ忘れられる程度のものだ。実際、神主をしているのは中原の祖父で、父親は普通の会社に勤めて収入を得ている。二人は家の方に回って呼び鈴を鳴らすと、すぐに中原が出てきた。

「狩野くん、あ、それから阿川先輩。わざわざ遠いところ、ありがとうございます」

 しっかりした挨拶に椿は何となく良い気分になる。と同時に、かすかな引け目を感じた。頭を掠めた思いに、最近ひがみっぽい自分に気がついて慌てて頭を振る。椿はわざと大きい声で言った。

「ね、とにかくさ。その問題の品、見たいな」

 法歳も一緒にうなずく。こうして早速、三人は例の掛け軸を置いてあるという社の方に向かった。歩きながら中原が説明した話によると、既に御祓いは中原の祖父が済ましているのだという。だが、中原には全くその効果が感じられないのだというのだ。その上、中原家で霊感体質なのは中原独りであり、祖父自身は全くそういった気配がわからないのだという。

 社は古い建物だが、掃除はよくされているらしく埃のたつことはない。中原は奥から長い木箱を持ち出し、二人の前に置いた。箱を開けないうちに、法歳は何事かうなずく。椿は首をひねって尋ねた。

「箱だけで何かわかるの?」

「魔の気、とでも言うかな。何となく予感みたいなものが、ね」

 椿は伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。法歳はそんな椿の仕草に小さく吹き出す。

「何よ。法歳が『魔の気』なんて言うから逃げただけじゃない?」

「すまない。ただね、椿も用心深いところがあるんだなあ、と」

「法歳くん、いくら先輩だって用心ぐらいは」

「な・か・は・ら?」

 椿が背中の木刀に手をかけると、本気で青くなって首を振る。

「ちょっとそんな顔しないでよ。織田辺りだったらがっつり殴るかもしれないけど、あんたやったら病院送りになっちゃうもん」

「そういう台詞を言うから巴なんて言われるんじゃないかな」

 法歳のツッコミに椿はうっ、とつまる。息を殺して笑う中原を横目で見ながら、法歳は箱に手をかけた。蓋を開けると、黴と埃の入り交じった臭いが部屋に広がる。法歳は慎重に少しずつ掛け軸を広げた。三人が揃って覗き込むと、描かれているのは何ということもない山水画だった。

「この掛け軸、ずいぶん汚れてるよ。管理が悪いんじゃない?」

 椿が絵の全体に散った染みを指さしながら嫌みを言うと、法歳は首を振って椿の言葉を否定した。

「この滲みが問題なんだよ。これは血痕だ」

 椿が小さく呻くと、中原はおずおずと手を挙げて説明する。

「何でも、うちの先祖って新撰組と関係してたらしいんです。まあ、隊員とかそんな立派な人じゃないんですけど。で、池田屋にあったものを持ってきたらしくって」

「あの、まさか池田屋騒動の?」

 中原は黙ってうなずいた。池田屋騒動と言えば、倒幕派が集結していた京都の池田屋を新撰組が急襲して全滅させたという、幕末の大事件だ。

「新撰組の隊員じゃないのに持ってるあたりから考えると、うちの先祖ってこそ泥かもしれないわけじゃないですか。だからこの掛け軸、うちにあること内緒にしてるんです」

 法歳は掛け軸を光に透かしてみる。そして何事か印を結んで祈るような姿勢をとった。

「何してるわけ?」

「魔の気を読んでみたんだが」

 法歳は首を傾げて言い淀む。次の言葉を待つ二人の視線が法歳に集まった。

「異常なほど、静かなんだ」

「静かって、何?」

 中原がまた不安そうな顔で聞き直した。法歳は大きくうなずき、苦しそうに答える。

「普通はね、絵には描いた人の心が残るんだ。その上この掛け軸には血痕まであるのに、白紙のようなんだ」

「で、何か困るわけ?」

「いや。ただ、異常としか言いようがないし」

 歯切れの悪い答えに、二人も一緒に溜息をつく。それでも法歳はどこか責任感に押されたのか、言葉を続けた。

「とにかく、調べられるだけ調べてみるよ。少なくとも中原くんに危害は加えさせない」

 正面から見据えられた中原はすっかり頰を赤らめてしまった。椿は微かに刺の混じった声で話に割り込む。

「とにかくさ、どうするつもり? まさか法歳、うちから中原の家に移る気じゃないでしょうね」

 法歳はしまった、という表情になり、即座に頭を振った。

「一応、今夜は見張るけどさ。まさか都合で家を気軽に変えるわけにもいかないだろう。もし、僕がいることが椿に迷惑でなければ、の話だがね」

 この返事に椿も返事に詰まる。まさか、と言いたいところを曖昧に濁しつつ話題の切り替え点を探る。と、中原がおずおずと言葉を挟んだ。

「あの、離れでしたら空いてますから皆さん泊まって行ってくれませんか?」

 中原の言葉に椿は首を傾げた。すると中原はすがるような視線で椿を見上げた。

「あの、巴先輩ならお化けが出ても法歳くんと一緒に戦えるじゃありませんか。だから、その」

 おどおどと見上げてくる中原の目を受け止めながら、椿は心の中で溜息をつく。

(せっかくのチャンスなのにね)

 こんな風に思ってしまう椿の溜息は、果たして中原の甘さに呆れたものなのか、それとも安堵のせいなのか。気づかないうちに、いつのまにか窓が濡れていた。掛け軸に夢中になっているうちに雨が降っていたらしい。

「これじゃ帰るの大変だし、じゃ、私も厄介になろうかな」

「はいっ! 先輩」

 素直な返事が返ってくる。椿は、そんな中原に嫉妬した自分を恥じていた。


「本当のとこ、どうなのよ」

 二人きりになった途端、椿は法歳にきつい言葉を浴びせた。あまりに漠然とした話は、短気な椿にはどうしても受け入れられないのだ。それに実際、どうも法歳が何かを隠しているような気もする。だが法歳はまた曖昧に僕にもわからないことはある、と素気なく答えた。椿は法歳の顔を掴まえ、視線を外せないようにしながら再び尋問する。

「法歳、今は二人っきりなんだしさ、正直に話してくれても良いんじゃないかな?」

 それでもまだ法歳は言葉を濁そうとした。だが椿の視線に気圧されたせいか、法歳の返事に嘘をついているとしか思えない震えが混じってしまう。

「法歳、私のこと、信用できないの?」

 今度は泣き落としだ。法歳も次第に椿のことが不憫に思えてくる。真剣に問いかける椿に対して、自分の仕打ちが酷いもののように感じる。

「ねえ、法歳。お願い」

 椿のしおらしい態度に、法歳は椿の意外な表情を見たように思った。と同時に、法歳の気持ちにも先ほどまでと違う、少し甘えたような感情が芽生えてくる。それでもなお、逡巡が止むことはない。椿も法歳の表情からただならぬものを読み取っていた。いつのまにか、心を占める感情は好奇心の激情から法歳への慈愛へと変貌していた。

「大変なものなんでしょ? で、逃げる気もないんでしょ? 止めたいけど、でも我慢して止めない。だからお願い。せめて法歳が『誰』と闘うのかぐらいは教えて」

 法歳はあくまで否定しようとして、椿の決意が今までの遊び半分とは全く違うことに気づいた。それに、ここまで踏み込んでしまった椿を除外することはもはや不可能だという事実がやっと法歳の目にも明確に映った。法歳は椿の手をそっと包み込む。いつも竹刀や木刀を振り回している割にはほっそりとしたしなやかな指だと意外に思う。

「椿、すまなかった」

「何で謝るの?」

「僕と出会いさえしなければ平穏に過ごせたはずなんだ。それを、すまない」

 椿はかすかな怯えの混じった表情のまま、黙って首を振る。

「今さら言ったってしょうがないよ。そんなことより、本当に教えて」

 法歳は視線をさまよわせ、そして遂にうなずくと囁くような声音で言った。

「都の怨念が敵だ」

 椿の戸惑った表情に法歳は言い替えの言葉を探した。そして独りうなずくと、考えながら説明を始める。

「京の都は千年の都だった。それはわかるよね? そして、あの都の中では長い長い間、公家も武家も入り交じって様々な権謀術策が蠢いていたんだ」

「日本史で習ったような気もするけど」

「まあ、とにかくかなり汚い話が多いんだよ、実際にはね。で、そういった土地には怨念が溜まってしまう」

「だったらそんな怨念、北海道にあるわけないじゃん」

 椿の当然な疑問に法歳は悔しそうに首を振り、歴史の裏話に入っていった。

 幕末当時、裏社会に名の通った怪僧がいたのだという。破戒僧の癖に法力だけは人一倍強いという全く性質の悪い男で、本名を誰も知らない上に金への異常な執着から『銭溜和尚』という身も蓋もない渾名が付けられたのだが、それを平気で名乗っていたという。当時、開国にあたって異国と戦える対等の戦力が欲しいと薩長閥の一部が言い出し、この怪僧が妙な助言を倒幕側に吹き込んで歩いたのだそうだ。そのその助言で都に滞留していた怨念を法力で一振りの刀に集め、最悪の妖刀を作ったのだという。

 あまりのオカルトな話に椿は頭がくらくらしてきそうになった。それでも椿はそこに北海道が出てこないことを指摘する。法歳は心底嫌そうな表情になり、話を続けた。

「薩長がさ、その妖刀の威力を密かに蝦夷とロシアの制圧に使おうとしてね。銭溜が蝦夷地に運んだのさ。ところが流石は妖刀だ、片っ端から幕軍はもちろん朝廷の人間を殺したんだ」

「じゃ、法歳も土方歳三もその妖刀を抑えるためにここまで来たわけ? なら薩長と協力出来そうだけど」

 椿の質問に法歳は急に黙り込んだ。椿は眉をひそめ、それでも法歳の次の言葉を待った。しばらく沈黙が続き、それでも法歳は再び話し始めた。

「僕は妖刀退治だけで来たよ。だけど歳さんにしろ榎本殿にしろ『新しい国を造る』とか言ってたね」

 さらに法歳はますます俯いて、薩長は武器に目が眩んでたし、と言い淀んだ。そして再び顔を上げると再び和尚の話に戻した。その話によれば、銭溜和尚と呼ばれるほどの破戒僧だったせいか、和尚は妖刀と意気投合してしまったのだという。以来、法歳の敵は銭溜和尚と妖刀、そして妖刀で魔物にされた連中なのだという。ここまで話し、法歳は大きく溜息をついて例の掛け軸を広げた。

「この掛け軸が静かすぎるって言うのは本当なんだ。でね、妖刀は凶々しい絵から魔物を造る能力があってさ。絵から妖刀が魔物を創り出すと絵は抜け殻になり、こんな静かすぎる絵になってしまう」

 驚いた椿に法歳は黙ってうなずき、話を続けた。

「普通は生まれたところから遠くには離れない。つまり、この近所に魔物が棲んでるってことだよ。その上、最近『気持ち悪くなった』んだから、銭溜和尚と妖刀自身がこの辺をうろついている可能性さえある」

 椿は法歳をじっと見つめたまま、小さく体をふるわせた。

「銭溜はまだお金が欲しいの?」

 椿の発した疑問に法歳は投げ出すような調子で答えた。

「どうだろうね。案外この国が欲しいとか、ね。最後に戦ったときも将軍になるとかほざいてたしな。もう幕府の時代が終わりだってことはわかりきっていたのに」

 法歳の最後の台詞に、椿は奇妙な違和感を憶えた。法歳は旧幕軍にいた土方歳三とは戦友のはずなのだ。椿の表情を読みとった法歳は苦々しげに話を続けた。

「僕と歳さんは魔物退治で相棒だっただけだ。維新や佐幕の戦については関係ない」

 そのまま法歳は強引にを打ち切ってコートを羽織る。椿は木刀を握ると慌てて法歳の後を追った。

 雨は上がっているものの、外はもう真っ暗だった。神社は街から外れにあるため、街灯の明かりも届かず足元を見るにもおぼつかない。まだ雪は降らないとはいえ、空気は肌を引っ張るような冷たさだ。法歳は横に並んで歩く椿に目を向けず、あちこち目を配りながら境内を歩き回る。椿もそんな法歳の横で黙ったまま歩き続けた。

 しばらく歩いているうちに、椿は法歳が実際にはあてもなくただ無意味に歩き回っていることに気づいた。椿はいきなり法歳の腕を掴んで歩みを止めた。

「法歳、戦いからは逃げない、って言ってたけど、あんた他の何かから逃げてんじゃないの?」

 法歳は眉を顰めて椿を見つめる。椿は言葉を続けた。

「法歳ってどんな友達がいたとかさ、江戸や京都で面白かったこととかさ、全然話さないじゃない。まして嫌だったことなんかこれっぽっちも言わないし。そりゃ苦しいかもしれないけど話したくならない?」

 問い詰められ、法歳は黙り込んだ。夜の闇に隠れて表情は窺えないが、かなり悩んでいることは確かだ。法歳は椿と正面から向き合った。黙ったまま、法歳はなお逡巡する。そして遂に言葉を発しようとしたとき。

「法歳くーん! 椿先輩! 助けて!」

 法歳は途端に駆け出す。椿も先ほどまでの気分を振り払って法歳の後を追った。声の方向を探りながら走り続け、やっと母屋に到着すると中原がパジャマ姿のまま外でふるえていた。椿が肩を抱いてやってもまだふるえは止まらない。法歳は筆を懐から取り出して周囲に用心深く目を配る。椿はしっかりと中原を抱き寄せ、何度も「大丈夫」と囁いた。そのうち、やっと中原も会話を交わせるまで落ち着いてきた。椿は中原を刺激しすぎないよう注意を払いながらも、結局は直接的な物言いで状況を尋ねた。

「中原、お爺ちゃんが襲われたわけ?」

「いきなり真っ赤な人間が来て、お爺ちゃんを無理矢理連れてって、それで」

中原の答えに、法歳は何かの確信をえた様子でうなずく。だが椿は一つの疑問が沸き上がった。

「ね、法歳。魔物って境内に入れないんじゃないの?」

「本来はね。でもあの邪剣と銭溜が組んだらこのぐらいの位階の神社には侵入できるな。その上、この神社に元々あった掛け軸から生まれた魔物は例外的に入り込めるんだよ」

「ったく、余計な例外があるんだから」

 睨みつける椿に、法歳は弱った表情をしてみせた。そんなやりとりをしながら中原に目を向けると、今度は恐怖より心配が彼女の心をいっぱいにしているようだ。椿は法歳に向き直って強い調子で尋ねた。

「で、法歳。助けられるよね」

 いきなりの断言に法歳は返事を言い淀んだ。だが椿は構わず繰り返す。

「助けるんだよね」

 かなり強引な台詞に、法歳は慌ててうなずく。だが、その表情は救出がかなり困難であることを語っていた。それでも椿は法歳から視線を外さずに言葉を続ける。

「さ、指示して。魔物退治なんてあんたしか知らないんだから。私のことは自由に使って良いから」

「いや、君を危険に」

「黙って!」

 大声で言葉を遮られ、法歳は不機嫌に椿を睨みつける。だが、椿は戸惑うことなく自分の考えを告げた。

「あんたがすごい魔戯画師だってことは私もわかってる。んで、私やまして中原があんたと対等に戦えるなんて思っちゃいない。でもね、あんた私たちを守りながら中原のお爺ちゃん救うなんて出来ると思ってるわけ?」

「だが、僕は魔戯画師だ。たとえ無理だと思っても」

「無理じゃ、困るのよ。あんたはお爺さん救い出さなきゃなんないのよ。私はお荷物なんてやだ!」

 自分でも無茶言ってるよな、と思う。だが、ここは押し通さなければならなかった。一刻を争うのだ、中原と椿を守ろうなどと考えられるような余裕はない。

「私、しばらく辛いもの断ってるから魔戯画はびしっとかかると思う。だから、さ」

 法歳は眉をひそめ、それでも渋々筆を手にして深紅の絵の具をたっぷりと含ませた。椿の手足を法歳の筆が辿っていく。複雑な紋様が乾いていくにつれ、椿は自分の体に今までにない力が漲るのを感じる。中原は怯えた表情で二人を見つめるばかりだ。そして遂に法歳は筆を置いた。椿の四肢は見慣れない紋様が彩り、刺青を施したようにも見える。

「この紋様は君の運動能力を限界まで引き出す。それから、意志の力を木刀に上乗せして闘えるようになる。だけど、あくまで君が本来持っているものを引っ張り出すだけだからね。無茶をした場合については保証できないぞ」

 椿は緊張した面持ちでうなずく。法歳はそれを確認すると今度は中原に優しい調子で話しかけた。

「中原のお爺さんはまだ生きているはずだ。もし喰らうつもりならこの場で死体になっているはずだからね」

「でもさ、何のためなの?」

「魔物がより強くなるための儀式をやるのにはね、神職を生け贄にするのが効果的なんだ」

 彼の明快すぎる答えに、明るくなっていた中原の表情が憂鬱に凍りついた。椿は法歳の足をつねり上げながら、慌てて中原に無理な明るい声で話しかける。

「ま、まあさ。儀式なら時間もかかるだろうし。大丈夫、無事だって。だから、さ。法歳に頼も、ね?」

「私は法歳くんのこと、信じてますから」

 暗い威圧感のこもった声で中原は呟く。そして法歳を正面から見据えると、深々と頭を下げた。

「椿先輩がいれば私、大丈夫ですから。ですからお爺ちゃんのこと!」

 最後は嗚咽に混じって言葉にはならなかった。だが、法歳はうなずくと境内から駆け出していった。

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