「私、お嫁になんて行かないから」
フェレリア姫はさも当然のように言い、部屋を出ようとした。年老いた大臣はそんな彼女の手を押さえて説得にかかる。
「御自覚なさいませ。陛下の御子は姫様のみですぞ。姫様がお世継ぎを残さねば王統は絶えてしまいます」
フェレリア姫は眉をひそめ、吐き捨てるように答えた。
「父上の子孫ってだけで王になれること自体がおかしいのよ。ま、私なら父上や騎士隊長なんて倒せるけど」
自慢げに剣を叩いてみせるフェレリアの態度に、大臣は深々と嘆息した。それでもまたあらためて口を開く。
「仰います通り、姫様ほどの剣士はそう他におりますまい。しかし王は剣のみにて立つものではございませぬ」
「じゃ、剣以外って何? 頭の良さ? 私は父上って抜けてると思うな」
聖なる血筋を、という大臣の言葉をフェレリアは即座に遮った。
「この国があるのは救国の英雄である大帝陛下とその婚約者のおかげよ。父上なんてただ生き残っただけじゃない!」
「いくら姫様とは言え、陛下に対し御無礼ですぞ」
大臣の諌めにフェレリアは唇を尖らせてみせ、次いで窓に足をかけると庭に飛び降りてしまう。そのまま駆けていくフェレリアの後ろ姿を見送りながら大臣は恨みがましく呟いた。
「血もつながらぬのに、なぜここまで大帝陛下の御気性とそっくりなのか」
フェレリアの父、ガートン王の即位は創始者たるミナ大帝の自害から二週間の後に執り行われた。フェレリアはそれより三年の後に生まれたのだからミナのことを直接には知るわけがない。
とはいえ、ミナ大帝といえば婚約者のテルアとともに邪悪な魔道士を倒し、戦いで婚約者が倒れた後には腐敗した王室を廃して国を再興した大英雄だ。フェレリアはそんな希代の英雄にまつわる逸話を機会がある毎に城内の者たちから聞いてきた。また、国の平定を見届けたミナ大帝が、もう何年も経っているにも関わらず婚約者の後を追って死を選んだという、狂おしい情熱に畏怖とともに憧れを抱いてしまうのは当然だ。
それに前身がミナの戦友だった父王は、この一人娘に剣術を徹底的に仕込んでいた。そんなフェレリアが天才的な剣士でもあるミナ大帝に惹かれるのは無理もない。そして話を聞けば聞くほどミナ大帝への憧憬は強まり、逆に父王には幻滅してしまうのだ。
フェレリアが目標としている剣士は当然ミナ大帝だ。剣術の指南役に太刀筋が似ている、と言われたときは心から感激したほどだ。国の統治も父王のように城に留まるのではなく、ミナのように国内を自ら駆け回る政治に憧れている。父王には当然内緒だが、自分の代こそはというささやかな野望も抱いている。しかしそんな彼女でも、たった一つミナに近づけないものがあった。それは未だこれと思う男性に出逢えずにいることだ。
だがフェレリアが惹かれるのは、自らを捨てて悪魔道士を倒した英雄という史実よりも、大英雄のミナでさえ後追いしてしまうほど忘れられない人だったという人間性の方がむしろ重要だ。フェレリア自身、それほどの男性と巡り会いたいと思う。
彼女がここまで頑なになるのは、十七歳という年齢に特別な感情を抱いていたからだ。ミナがテルアとともに国を出奔したのも十七歳のパーティの日。自分にも胸の躍るような大事件が起きる、そんなことを幼い頃から漠然と思っていたのだ。だが、外国の王子にも貴族の子弟たちにもテルアほどの男には心当たりはない。普通の騎士たちとも交流はあるが、そんな気持ちにさせる男など耳にしたことさえない。
自身が理想としている二人は奇跡ではないのかと思え、かなり暗澹とした気持ちになる。それでもやはり気持ちは挫けない。いつかきっと素敵な恋をする、そんな根拠のない自信を持っている辺りがまたフェレリアらしいところだ。
城を飛び出したフェレリアはぶらぶらと魔道院に向かった。魔道院は今では学校のようになっている。フェレリア自身も少しはここで学んだことはあるのだが、魔道の難解な理論に馴染めなかったせいか、ただ堅苦しい学問を習った印象しかない。
そんな魔道院の門をくぐると向こうの薬草園に期待通りフェレリアのお目当てがいる。フェレリアはそっと近づいてミントの葉をむしると手の中で揉みほぐした。標的は無心にスケッチをしていてまだ気づかない。フェレリアはミントの鋭い香りを嗅いでほくそ笑むと、いきなりその手で彼の目を塞いだ。
男は慌ててフェレリアの手を振りほどく。しかしもうミントの汁がしみて目をあけられない。フェレリアはそんな彼の仕草を見て声を殺して笑う。男は慌てて呪文を唱えると指を回し、光の点った指先で目の周りをなぞった。
「やっぱり姫様ですか!」
まばたきして嘆息する彼を、フェレリアは声を上げて笑った。
「姫様、今回の悪戯は度が過ぎていますよ」
「だってデバイったら痛み消しの魔法教えてくれないでしょ。だから見てみたかったの」
フェレリアはまるっきり何も考えのない軽さで答える。そんな彼女をデバイは教師のような口振りで諭した。
「姫様、痛み消しの呪文は非常に難しい、危険な魔法なのですよ。痛みは人間に必要なものなのですから」
「でも筋肉痛でつらいときなんかに使えたら便利じゃない」
「そういうことを言っているうちは絶対に教えられませんね。もう一度基礎から魔道学を勉強し直して下さい」
「デバイのケチ」
「ケチで結構。じゃじゃ馬姫に教える魔法はございません」
フェレリアは口をとがらして唸った。しかしデバイはわがままを無視し続ける。そんなデバイの様子に抗議を諦めたフェレリアは土の上に座り込んで勝手に愚痴りだした。
「ねえデバイ、父上がお見合いお見合いってうるさいの」
「それは仕方がないでしょう。陛下のお世継ぎなのですから」
月並みな言葉にフェレリアは冷たい視線で答える。デバイは小さく肩をすくめると、今度は幼馴染みの口調に変え、小さく呟くように言った。
「たしかに深窓の姫君っていうよりは、じゃじゃ馬姫って言い方があんまりにも似合いすぎるな」
頰を膨らませてみせたフェレリアに対し、デバイは冷静な声で続けた。
「お姫様で手に剣だこのあるのはあなただけです」
「そ。父上の教育大失敗の結果」
フェレリアが自分の顔の前で指を回してみせるのを見て、デバイが大らかに笑う。フェレリアもつられて吹きだした。
「でもね、私って王女なのにその辺の子どもと一緒の学校へ行かせられたのよ。型通りの姫君になんて育つわけないでしょ」
「だから僕でも姫様と知り合いになっちゃった」
わざと顔をしかめるデバイに、フェレリアは殴る仕草をしてまた笑う。そして急に立ち上がるとデバイの肩に手をかけた。
「ね、今日ちょっとつきあって欲しいんだけど」
「何ですか? お城の中で悪戯っていうのはお断りですよ」
「そんなのじゃないよ。大墳墓」
デバイは安堵の表情になり、すぐに疑問を顔に浮かべた。フェレリアは恥ずかしそうに言い足す。
「お見合いの話で気持ちが乱れちゃって。でも大墳墓にお参りすれば少し気持ちが晴れるかな、って思ったの」
デバイは優しくうなずく。その様子を見てフェレリアはデバイの手を引っ張ると、少年のように行くぞ、と叫んだ。
ミナ大帝とその婚約者のテルアが葬られている大墳墓は、その信教を問わず参拝する人の列が絶える日はない。だが、この墳墓の最奥部での参拝が認められているのは王家の人間とその関係者だけだ。当然デバイも入ったことはない。しかし今回は王女のフェレリアが一緒だ。フェレリアは大墳墓の裏に立つと、鍵を隠し扉の鍵穴に差し込んだ。重い鍵の開く音が聞こえ、ついでフェレリアは扉に手をかける。ゆっくりと軋む扉を開けると、奥には何も見えない闇が詰まっていた。
「本当に良いのですか?」
「良いの。王女の私が言ってるんだよ。当たり前じゃない」
フェレリアは髪を整えると足を踏み出した。デバイはフェレリアに引っ張られて中へ引き込まれる。中に入るとデバイは魔法の小さな光を灯した。照らされた回廊の壁には剣を振るうミナ大帝の姿と、巨大なドラゴンの姿が交互に浮き彫りにされている。薄暗い中で沈黙を続ける彫刻たちは二人を監視しているように思え、デバイは慌てて顔を伏せた。
さすがのフェレリアも口数が少なくなり、歩き方も儀礼通りの硬い歩き方で先導していく。デバイはそんなフェレリアの後ろ姿に、普段は見せない王女の風格を目にしたように思った。
前へ進んでいくうちに闇が濃くなるように感じる。そのうちフェレリアは異変を嗅いだ。自分たち以外には人がいるはずのないのに、最奥部から何者かの話し声が聞こえるのだ。フェレリアはデバイを制すると、戦士の足どりに一転して歩を進めた。と、突然脇から剣先が飛び出す。フェレリアは咄嗟に避けると剣を青眼に構えた。デバイも杖を握り直す。刹那、デバイの背後に影が揺れフェレリアの悲鳴があがった。
「デバイ、後ろ!」
頭に棍棒が振り下ろされ、デバイが昏倒する。フェレリアが即座に駆け寄ろうとした途端、棍棒を持った男は声を荒げた。
「おい嬢ちゃん、剣を捨てな」
「無礼者! なぜお前らがここにいる!」
「わかってねえな。剣を捨てねえとこの男、消すぜ」
男は残忍な表情を浮かべると、ナイフを気絶したデバイの頚動脈に当てた。背後にはかなりの数の男たちが見える。フェレリアは唇を噛んで考え、ついで溜息とともに剣を放り出した。男どもは群がると縄で二人をまとめて縛り上げる。次いで頭領らしき男がフェレリアの顔をじっと見つめた。フェレリアは顔をそむけもせずに睨み返す。二人はしばらく無言のまま睨み合ったあと、頭領は突然笑って他の男たちに怒鳴った。
「こいつぁすげえや。この小娘、じゃじゃ馬姫だぜ」
「無礼者!」
「へいへい、素敵なお姫様。御不運でしたねえ、わざわざ俺たちがいるときに墓参りなんてねえ」
フェレリアは黙り込んで再び睨む。男はフェレリアの顎をつかむとひときわ下品な声で囁いた。
「それとも逢い引きですかね? お年頃ですからねえ」
「無礼な! そんなことは断じてない。この男は親友だ」
頰を真っ赤にしたフェレリアの反駁に男たちは一斉に笑った。頭領はフェレリアの額を指先で押して言い放つ。
「そうですかい。ミナ大帝陛下のごっこ遊びかい。なら都合が良いや。もっと本物らしくしてやるよ」
フェレリアは男の取り出したものを目にして青ざめた。静脈血の禍々しい赤い光を放つ杯だった。
「ほう、わかったみてえだな」
「何で持ってるんだ? 魔道院は全て廃棄したはずだぞ!」
やっと目を覚ましたデバイが叫び声を上げる。すると男はまた不気味な笑みを浮かべて答える。
「俺たちゃこの大墳墓を隠れ家にしてる墓泥棒なんだ。で、これを遠くのある遺跡で見つけたってわけだ」
フェレリアは緊張した喉の乾きを気にしながら、それでも王女としてならず者たちを説得しようと試みる。
「そなたら、二十年前の惨劇を繰り返すつもりか?」
「そんなわけねえだろ。ただよ、あの英雄テルアの大魔力は杯の魔力のおかげだって言うじゃねえか。そんなところにお前ら実験台が来たってなりゃあやることは決まってらあ」
フェレリアは悲鳴を上げた。デバイは口を一文字に結び、目をただ大きく見開く。頭領は加虐の悦びに浸りながら言う。
「姫様、あんたのご学友だか恋人だか知らねえが、ありがたくこいつを実験台に使わせて頂きますぜ」
フェレリアは必死で頭領に向かって罵詈雑言を浴びせかけた。だが頭領はそんなフェレリアに面白い生き物を眺めるような視線を向けるだけで怒ることすらない。次いで頭領は脇の男に目で合図すると、必死でもがくフェレリアの体を押さえ込ませた。フェレリアの目に悔し涙が滲む。頭領はその様子を満足そうに確認してからゆっくりとデバイに寄っていく。デバイの顎に手をかけた。
途端、デバイは人間の言葉とは思えない何事かを叫んだ。頭領は悲鳴を上げて地面に転がる。男たちは一瞬戸惑い、すぐにデバイに切っ先を向けた。デバイは再び叫ぶ。
「動かざる生命よ、汝のあるべき姿に戻れ!」
縄が草になって地面に散った。その一瞬を逃さずフェレリアは跳ね上がり、手近な男から剣を奪いざま二人を斬り倒す。フェレリアはもう一人を倒すと杖を奪ってデバイに投げ渡す。受け取ったデバイは呪文を唱え、棍棒で殴った男を指さした。いきなり男の体が発火し、そのまま燃え尽きる。
遂に頭領はフェレリアに剣を向けた。と同時に残りの男たちがデバイに押し寄せる。慌てたデバイが男たちを抑える一方、フェレリアと頭領は数合、数十合と剣を交わした。しかし頭領は倒れない。フェレリアに焦りの色が濃くなる。
(こいつ、型も何も滅茶苦茶のくせして強い!)
気の迷いからかフェレリアが滑った。頭領が剣を振りかぶる。
とっさにデバイが破壊の魔法を放った。頭領を狙った魔法は大きく逸れ、ミナ大帝の像を撃つ。頭領の剣が振り下ろされる。だが寸前で頭領の剣が止まった。頭領の背にはミナ大帝の銅像が握っていた剣が突き立っていた。頭領はドラゴンの彫像にもたれて背徳の杯を取り出すと、震える手で水筒の水を注いだ。
「呪いなんざ構やしねえ。こいつを飲んでお前らを殺す」
デバイが呪文を唱える。フェレリアが疾駆した。しかし地面が突然揺れだす。二人は動きを止め頭領が轟音の膨らみに天井を仰いだ刹那、崩落したドラゴンの彫刻が頭領を襲った。胸にドラゴンの牙を刺したまま呟くと、頭領は呼吸をやめた。
賊たちの死を確実に確かめ、杯を砕いてやっと落ち着きを取り戻すとフェレリアはデバイを揺すって訊いた。
「ねえ、どうして頭領は急に痛がったの?」
「痛み消しの魔法を逆にかけたんだよ。そうすれば埃が肌に触るだけでも痛くて我慢できなくなるってわけ」
「だから痛み消しは危ないって言ってたの?」
「ご名答です、姫様」
フェレリアは満足そうに笑い、ついで溜息をついた。
「でも、随分運が良かったね。いきなり地震になるなんて」
「それに僕の魔法が像の剣を飛ばしたのだって偶然だし」
「あれ偶然だったわけ?」
真顔でうなずくデバイをみて、今さらながらフェレリアは青ざめる。そのまま少し考え込んだ後、神妙に言った。
「おかしいよね。偶然なんて何回も起きると思う? きっと大帝陛下とテルア様が助けてくれたんだよ」
「もう亡くなっているのに?」
デバイの言葉にフェレリアは抗議の声を上げる。
「じゃ、これがただの偶然って思ってるの? 本気で奇跡なんかじゃないって言い切れるわけ?」
デバイは頰を指で引っかきながら、少しはにかんで呟く。
「まあ、魔道学でも死後の世界はまだ揉めてますしね」
デバイの言葉にフェレリアは自信たっぷりに答えた。
「私はあるって思う。デバイは」
デバイはちょっとだけ考え込み、そして笑みで応える。それを確認したフェレリアはデバイの肩を叩いて自慢げに囁いた。
「言っとくけど、ここにお参りできるのって特別なんだよ」
デバイはうなずくと黙禱を始めた。しかし少し経つと、フェレリアはそっと薄目を開けて物静かな幼なじみの横顔を窺う。ふと、ミナ大帝とテルアが幼なじみだったという話に思いが向かい、なぜか頰が熱くなってくる。剣の腕は笑っちゃうほど下手なくせに、いつも不思議なことを教えてくれるデバイ。困ったときは本気で相談にのってくれるデバイ。気づいたら一番の友だちになっていたデバイ。今までは何でもなかった記憶が、急に貴重な思い出へと変化していた。怖いような嬉しいような、そんなもどかしい感情を整理したくてフェレリアは慌てて目をつぶった。
デバイが長い祈りから抜けるとフェレリアもほぼ一緒に目を開けた。するとデバイは思い出したように訊く。
「ところで姫様、お見合いのことどうなさるんですか?」
フェレリアは鼻で笑って迷わず答えた。
「自分の手で好きな人を捕まえるつもり。やっぱり大帝陛下に憧れてるもん。見合いなんて逃げちゃうんだから!」
フェレリアの目には、ミナとテルアの像が自分たち二人を優しく見守ってくれているように映っていた。
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