文芸船

きらめきカフスボタン

 ボクが彼のことを好きになったのは、襲いかかってきたエルフから守ってもらったことがきっかけだ。

 ボクみたいな、なんてことのないツノウサギ、スライムと同格扱いのボクを守ってくれた彼。それは素敵な、というのは語弊があるかもしれないけれど、とにかくボクには素敵なサラリーマンだった。

 このVRゲーム世界、フリーフォルムはとにかく自由が売りになっている。そうは言っても普通はエルフになったり魔道士になったり剣士になったり。悪趣味なところで魔王や死霊術士、ゴブリン。実利の職人だとかもいる。

 頭からすっぽり被って手足や胴体にもセンサーつき手袋をつけるこのゲーム、完全に自分がキャラクターになった感覚を味わえる未来型VRなのだ。

 でボクは、見た目だけで一目惚れしたツノウサギを選んだ。真っ白な体に額に翡翠色の小さな角が生えている。初心者の経験値稼ぎ用モンスターで、武術士じゃなくても殴られたら倒されかねない。

 でも好きになったんだ、このかわいい体が。

 ボクはかわいくないから。ぷよっと太って少し色黒だし髪を伸ばしても似合わないし仕事も現場寄りで職場ではOL制服どころか作業服を着せられているし。

 だからかわいいこの体に憧れた。

 まあリアルとは別に、この体だとまあ狙われる狙われる。もちろん初心者に何も知らずに狙われることは日常茶飯事なのだけれど、ボクがプレーヤーだと知ってわざわざ狙う人もいる。

 それも上級なのに、だ。Player Killerが趣味らしい。

 悪趣味。まあ、自由が売りだから仕方ないのだけど。

 その自由すぎるゲーム世界に、スリーピースのスーツを着て昔のお医者さんが持つような黒革のダレスバッグを持ち、就職活動みたいにストレートチップ内羽根の黒革靴。ワイシャツには控えめな青いネクタイと銀のネクタイピン、それに合わせたカフスボタン。

 そんな英国紳士なのかビジネス街のビジネスパーソンというやつかという出で立ちの彼が、ボクを狙うエルフの前に立ちはだかったのだ。

 そして彼は、本当に笑っちゃうんだけれど、システム手帳と電卓を構え、パーカーの高級ボールペンで敵を打ち倒しちゃったのだ。

 憧れの彼。変な彼。彼のプレーヤー名は春木誠一。本名は良くないよと助言したら、ちゃんとプレーヤー名だという。いやゲームの匂いしないから君。そう言っても彼は平然と、今から出社しますなんて言っていて。

 彼はゲームの中で小さな商会を運営していて、いわゆる普通の商会の仕事は当然だけど、内政をやりたい人の具体的な経済計算やらギルドの経理を請け負っているそうだ。本当にもろに仕事。楽しいのかそれ。

 でもそんな彼は、退勤前にボクの住んでいる森に遊びに来るようになった。動物と触れ合うのが楽しいらしい。

 動物でよかったと思う。

 でも、動物じゃなく人間だったら。女性の姿だったら。

 ボクは自分の気持ちに気づきたくないと思っていた。だいたいゲームの中のことだし。

 ゲームの中のことだし。

 ゲームの中なんだから。

 ゲームの中ぐらい。

 自分に正直になってもいいだろうか。

 大好きなゲームの中だからこそ。

 彼に。

 彼に嫌われたくない。


 私は会社では地味な中小企業勤めで、品質管理部に勤めている。ただ古臭い職場なので、なぜか品質管理部の部内経理は女性の私に何となく押し付けられている流れ。あまりに忙しいと、やたらと頭の切れる後輩の青山くんが手伝ってくれる。

 彼も品質管理で当然普段は作業服だけど、何のこだわりなのか、出張でスーツを着るとカフスボタンをしている。小柄で品が良いからお坊ちゃん育ちなのかもしれない。まあ、私が珍しく心を許せる後輩だと思う。

 そう、珍しく心を許せる、というほどなかなか人間関係も面倒臭い職場なのだ。だからこそ私はゲームに逃げてしまいたくなるんだ。

 ただ青山くんがいつまでも品質管理部にいるかはわからない。彼は頭が切れすぎるし営業とも話も合わせているし、いつか企画部辺りに取られてしまう人材だと思う。

 私の前から、大切な人はいつもいなくなる。


「本日はみなさまお待ちかね、バレンタインデーイベント! チョコレートハンター最終日です!」

 今日はバレンタインデーのイベント最終日で、チョコレートでできたモンスターを狩るイベントだ。ただ、普通のイベントと違うのは、このモンスターを意中の男性に贈ることができるという点。

 だから今日まで、想いのある女性プレーヤーはいつも以上に狩りにはまっていた。あと男性諸氏の中には、狩りよりもおべっかやらお洒落に力を注ぐ輩もいた。まあ人それぞれ。ちなみに昨年のイベントでは、魔王様が一番チョコレートをもらったそうな。なんかリアルがイケメンらしい。何それ。

 で、春木くんはというと狩りで忙しいそうだ。それで今日まで逢えていない。

 おまけに今日も夜まで来るのかどうか。

 だって彼、チョコレートを女性プレーヤーに販売する商流ができたと喜んで電卓を叩いていたから。

 なんだろね、彼は。もう少しゲームの楽しみ方を変えれば良いのに。

 でもそんな彼だからこそ。

 私は寄り添いたいと思ってしまっている。

 そしてもう、このゲーム世界も明け方となってきた。つまりリアルの方も明け方だ。彼はリアルも真面目らしく、明け方までゲームをやっていることはない。

 無駄だとわかっていても待ってしまう。

 ほんと、ボクは見た目だけじゃなく頭までウサギかもしれない。

 ウサギは寂しいと死んじゃうんだぞ。

 溜息をつき、狩ったチョコレートモンスターを眺める。この最弱キャラクターが、ようやく積み上げたレベルと知恵とアイテムを振り絞って捕まえたチョコレートモンスター。

 倒すよりもっと価値の高い生け捕り。ホワイトチョコレート色でマカロンの形でぽんぽん跳ねる。ちょっとかわいいモンスター。

 やっぱり、ただのアイテム交換になって終わりかな。

 ボクは溜息をつきながらチョコレートモンスターを眺める。


「ツノさんは、まだ眠らなくても大丈夫なんですか?」

 居眠りしかけ、声に慌てて目を覚ました。私に伸ばすいつものスーツ姿。今日は珍しくカフスボタンに青い石がはめられている。あと、片手には包装されたチョコレートモンスター。あの包装は、彼が販売すると言っていた包装ではない。あんな豪華じゃなかったはず。

 そうだよね、彼は。

 変な商会をやっていても、ボク以外にだって見る人は見ているわけだ。つか店員とかいるんだろうし。

「いや、とても売れましてね。もう今日は有給休暇を取ってゲームにいることにしました」

 彼は苦笑し、そしてチョコレートモンスターの箱を地面に置いた。中からきゅきゅぅ、とチョコレートモンスターの鳴き声が聞こえる。

 そして言った。

「これはツノさんへの贈り物です」

 ボクは目をみはって箱を見つめる。

「さすがに贈るものは、別にしたくて包装を奮発してしまいました」

 ボクは箱を受け取る。中を覗くと、鳥の形をしたチョコレートモンスターが羽ばたいていた。これ、使い魔にできるレアモンスター。

「なんでこんなの! ボク」

「だって貴女、可愛らしいでしょう」

「ツノウサギは私じゃなくても飼うことだってできるでしょう」

「飼えませんよ、貴女みたいになんというか」

 彼は珍しく言いよどんでそっぽを向き、ちょっと乱暴に言った。

「私も期待、していたん、ですが」

 ボクは慌てて用意していたチョコレートモンスターを彼に贈る。彼は目を見張って言った。

「ツノウサギで、生け捕り、できたんですか」

「できるよ! ボク、普通のツノウサギじゃないもの! 強く、は、ないけど頑張れるもの」

 彼は笑って。

 そして意を決したように言った。

「その頑張る貴女が魅力的、ですよ」

 もう困る。こんなことを言われたらゲームから脱出できなくなりそうだ。

 だってボクは。

 ボクはリアルじゃかわいくないから。

 でも今は。

 今はこの変わり者の膝の上で、チョコレートモンスターの歌を聴きながらまどろむことにしよう。彼の膝に飛び乗り、ボクは体を伸ばした。

 彼はまた小さく笑って言った。

「頑張る人のことは、誰かが見ているものです」

 ほんと、リアルの職場でもそうあってほしいものだけれど。

 彼のカフスボタンが青山くんと同じ型だと気づいたけれど、今は彼の膝に甘える時間を大切にしたいと思った。

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