文芸船

キャットフード

「おっでかっけだーいっ!」

 私は久々の散歩にはしゃぐ美羽を思いっきりどつき倒す。

「いったあーいっ! 何よ、もうっ」

「あんたが気ゆるめすぎるからでしょ」

 私は美羽に怒鳴り返した。周りの雄猫どもは私たちをにゃんにゃと囃し立てる。ふう。猫だ。猫だ猫じゃ猫ちゃんだ。周り中、猫。私は毛を立てて追い立てた。かわいいヨモギっ毛、とか馬鹿なこと言う奴は思いっきり引っかいてやる。

「わーい、似亜ちゃん上手、上手」

「アホ」

 私はがっくりとへたりこんだ。そう。私も美羽も猫。一ケ月前から。その前は女子大生だったのにいっ。でも美羽は純白の毛並みを水溜りに映しながら、呑気な声で言った。

「ねー、怒ってばっかじゃ『男』にもてないよ」

「猫にもてて嬉しいか、お前は?」

 私はばりぎりがりごりっ、と美羽の顔を引っかいてやる。美羽は脳天気なことに、雄猫にですら、もてていれば嬉しいらしい。けど。あ・た・しはっ、人間のプライドは捨てたくなーい!

 私の叫び声は虚しく「ニャアー」と響いていた。


 私たちが猫になったのは、あの変てこなバイトのせいだ。いやに話が上手すぎるとは思ったんだけど。「時給三千円、晩ご飯付き」とゆー、食品会社の事務バイト。もち、私と美羽は速攻で申し込んだ。そしたら仕事は楽だし新製品の試食はさせてもらえるし最高のバイトだと思ってたんだけど。

 そう、キャットフードの開発さんが缶詰を持ってきた、あの日までは。

「ねえ、これ味見してくれない?」

 開発の人は目の前に缶詰をとこごとっ、と二つ並べた。

「キャットフードなんてやーだ」

 私も美羽も、ちらっと見ただけでもちろん拒否する。すると担当さんは慌ててこっちに回ってきた。

「そう言うけどさ、材料は大学食堂よりもずっと高級だぜ。それに、これはただのキャットフードじゃない」

「は?」

「これは、人間用のキャットフード」

「はあ?」

「猫には猫用、人間には人間用のキャットフードがある」

「はああ?」

 猫用の食事がキャットフードだったと思うんだけど。私と美羽は顔を見合わせた。

「要はこの缶詰は人間用だってことさ。さ、食べた食べた」

 彼は缶詰の剝がれかかったラベルを指さした。なるほど、確かに「人間用」と書いてある。

「じゃ、いっただっきまーす」

 あんな説明でも美羽は安心したのか、フォークを持って缶詰を食べ始めた。

「美羽、大丈夫?」

 おそるおそる聞くと、美羽はにっこり笑って答える。

「これ、すっごい美味しい牛肉缶。似亜ちゃんも食べなよ」

 美羽は缶まで食べちゃいそうな勢いで貪る。私も見ているうちに我慢できなくなった。そんなわけで一口食べてみると、なんと意外。食べてみるとかなり旨い。こりゃ最高に美味しい。気がつくと私と美羽は缶の汁まで飲み干してしまった。

「いやー、思った通り。さ、このあとがお楽しみ」

「みゅ?」「にゃ?」

 担当者の言葉に、私と美羽は顔を見合わせた。

「美羽?」

 元々丸い美羽の顔がますます丸くなった。毛深くなって耳がぴーんと尖る。美羽も私を見つめて叫んだ。

「似亜ちゃん、猫っぽくにゃってきたよ? みゃ? 美羽も? 似亜ちゃんどうしよ、似亜、にあ、ニャア」

「美羽、みゅう、ミュウッ!」

 こうして二匹のかわいい雌猫が誕生したのだ。ニャーン!


 そう。私たちは体の良い実験動物だったわけ。え? 猫にしてどうするかって? 私理科苦手だもん、そんなこと知るわけない。けど。運が良いのか悪いのか、私たちは実験されるわけでも解剖されるわけでもなく、そのまんま外に放り出されたのだ。

 で、今は。軒下に巣を構え二匹暮らし。餌はゴミ漁り。けど危ないから絶対安全そうな日以外は外出禁止にしてる。だって何も考えないで外出したら犬は恐いし近くの小学生には追っかけられるし、どんな目に遭うかわかったもんじゃない。一度猫をやってみればよくわかる。これほんと。

「似亜ちゃん、もうミスドが見えてきたよ」

 顔を上げると目の前にはミスドのゴミステーション。

「にゃははっ、今日は大収穫!」

 美羽はごみ箱を鼻先で指す。ほんと残飯があふれてる。私も思わずよだれが垂れてくる。野良猫生活になじんちゃった。あーあ。

「あがいたってしょうがないか」

「お外でバイキング、って思えば学校帰りと変わんないよ」

 美羽はちゃはははっ、と笑ってごみ箱から私の好きな、というか人間だったとき大好きだったドーナツをくわえてきた。

「はい、これ」

美羽はまた何個か取り出すと、私の目の前に座った。

「じゃ、いっただっきまーす」

 私たちは頭を下げるとすぐドーナツにかぶりついた。猫になって以来、お腹が減ってるからか何でも美味しい。二人、というか二匹とも夢中で平らげてしまった。

 お腹がいっぱいになってひと休みしていると、美羽が突然真面目な顔で呟いた。

「どうなるんだろ、これから」

「これからって?」

「もう一ケ月だよ。ずっと猫でいくの? やだよ、そんなの」

私はいらついて乱暴に答える。

「うるさいな」

 美羽は下を向いて泣きだした。

「元に戻れないの? もうおしゃれもだめ? 最近の似亜ちゃん怒ってばっかいるし。独りになったら、あたし」

 あ。私ったら。美羽ってほんとは気弱だってこと知ってるのに。私だって、美羽に助けてもらったことあるのに。美羽がそばにいるから我慢できてるだけ。なのに。八つ当たりなんかしちゃって。

「泣いちゃ困っちゃうよ。私の方が美羽のこと、大事」

私が美羽に頭を下げると、美羽は泣き止みはじめる。

「美羽のこと、邪魔じゃない?」

「冗談じゃない、一緒じゃないと嫌だよ」

「ならもうちょっと猫でも、二匹一緒ならだいじょぶかな」

「一緒でも、猫はいや」

「似亜ちゃん、なるようにしかならないって」

 美羽はやっと笑い声を上げて言う。ご機嫌は良いけど、脳天気まで復活しちゃったか。ま、元気のない美羽よりはこっちの方が良いよね。

「ねえ美羽、学校覗いてみない?」

「がっこう?」

「なんとなく、行ってみたい」

「うん、行こ、行こ」

 私たちはぷらぷらした足どりで大学へと向かった。


「獣医学部こっちだって」

「つかまんない?」

「まっさかー」

 私たちは入学以来足を踏み入れたことのない、獣医学部の門をくぐった。私たちの文学部に行ったって、いいとこ「吾輩は猫である」が関の山。だったら獣医さんの孵卵器、獣医学部に潜った方が何か良いことあるかもしれないってわけ。

「似亜ちゃん、『猫学概論』ってやってる」

 覗いてみるとなるほど。一年生相手に猫の話をしている。

「ドア開いてる。入っちゃお」

 美羽は止める暇もなく入っていく。私は慌てて追いかける。

 中に入ると、学生はわりと真面目に講義を受けていた。

「索餌行動については以上です。ではPower Pointを見て下さい」

「なるほど」

美羽は思わず呟く。すると声が「ニャン」と講堂に響いた。

「あ、猫だ」「えー、猫?」「猫が猫学受けてる」

学生が騒ぎだす。私と美羽は顔を見合わせて逃げ出そうとした。すると先生が声をかける。

「逃げなくて良い。どこの学部か答えなさい」

 私と美羽が思わず「文学部」と答えると、先生はなぜか真面目な顔で頷いて言った。

「そうか、『にゃん学部』か。よし、聴講を認めるからそこに着席しなさい。いや、気にすることはない。僕は熱心な学生にはできるだけのことをする主義だ、うん」

 そして、私たちも学生もぽかーんとしているのも構わず先生は講義を平然と再開した。


 講義が終わると、先生は優しく私たちを抱き上げた。猫になってから危ない人にもあった。けど。この人なら大丈夫。猫になってからというもの、こういう勘は妙に鋭くなってるから。

「さて、君らには特別に僕の研究室を見学させてあげよう」

 室内は何だかわかんない道具がいっぱい並んでいた。けど何よりも凄いのは。壁一面、猫のポスター。猫、猫、猫。ニャアン。

「この先生、猫マニア?」

 美羽は面白いものを見つけたように囁いてきた。私もめくばせして笑う。そうしているうちに、先生が呼びに来た。

「お茶の時間だ」

 ついていくと、ミルクとキャットフードが置いてある。

「さ、遠慮せずに食べなさい」

私たちはすすめられるままそこに座り込む。

「ミルクだ。ちゃんとしたご飯だっ!」

美羽は嬉しそうな声を出した。

「ねえ、ミルクは良いけどキャットフードってのは、さあ」

「今は猫なんだから猫のご飯で良いじゃん」

 美羽は私の文句にすかさず返す。先生は私たちがこんなやりとりしてるなんて丸っきりわかっちゃいないくせして満足そうにうなずいた。

「せっかくのお招きだもん、食べないと失礼でしょ」

 美羽は言うなりミルクをすすり、キャットフードを食べ始めた。私もその後を追うように食べ始める。

 食事が残り少なくなった頃、背中が痛くなってきた。

「ちょっと背中伸ばそっかな」

 私はぐいっと体を伸ばすと、二本足で立ち上がる。慌てて美羽に目をやると、彼女もしっかり二本足。そのうち今度は耳が短くなってきた。

 そして。私たちは念願の女子大生に戻った。先生は少し驚いて、そのあと嬉しそうに言った。

「君らの所属は?」

「文学部です、けど?」

 不審な私たちの態度も気にせず、先生は成績表の「にゃん学部」の文字に線を引いて「文学部」と書き直すと、再び口を開いた。

「どうしてこんなことになったのかな?」

 私と美羽はうなずきあって、バイトのことを全て話した。先生は鋭い目で私たちのパニック気味の話を辛抱強く聞いてくれたんだ。

 全て話し終わると、先生はおもむろに言った。

「実はね、さっきの缶詰は『人間のキャットフード』だったんだ。つまり君らは騙されたんだね」

「は?」

「人間用を食べて人間になるなら猫用を食べて猫になる」

「はあ」

「こんなものを野放しにするとは猫に失礼だ。なあ?」

 私たちが話の展開に呆然としているのも構わず、先生は独り勝手に深くうなずいて言った。

「協力してくれるね。缶詰退治」

 まだ猫なみの頭の私たちは、なんとなく手を握りあって叫んだ。

「猫と人類のために、頑張るぞーっ!」


 一ヶ月後、あの缶詰は「愛猫家」のボイコットで製造中止になった。先頭は私と美羽、そして「猫先生」。

 もちろん、ボイコットのきっかけは先生の発表。曰く「特定不能の化学物質検出」だと。こんないーかげんな分析結果でも、マスコミさんと愛猫家はとってもご親切。そのうち会社は缶詰を回収し、あっとゆーまに破産した。

 あれ以来私たち三人は仲間。最近じゃね、「猫の気持ち」なーんて小説、三人で書いてるの。猫の科学的なとこは先生が、ストーリーは文学だっ、て私たち。なんてったって猫の気持ちは猫にしかわからんのじゃ。

 そんなわけで今日も先生の部屋で勝手に紅茶を淹れてくつろいでいると、授業の終わった猫先生がやっと教授室に戻ってきた。

「さて、今日は面白いものが手に入った」

 私と美羽が目を輝かして先生をせかすと、現れたのは。

「缶詰?」

 先生は嬉しそうにうなずいて答える。

「うむ、試作品で『人間用のドッグフード』だそうだ」

 私たちはすっくと立ち上がって二人で叫んだ。

「もうぜっったい餌の缶詰なんて食べないんだからっ!」

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