文芸船

君にSOS

「あの人って鷹野博士でしょ?」

 恭子が亜光速航行手当の書類を渡しながら耳打ちしてきた。彼女は確かに総務課だが、完全な定型業務は下っ端にどんどんやらせて鍛えるのが恭子のやり方だし、そもそも亜光速航行手当の手続きに電子システムではなく紙を使ったことなどない。鷹野博士の話を聞きだすために、無理やり口実を作ったに決まっている。

「わざわざ宇宙貨物の運転手を見送りに来るなんて、さ。どうやってあんな有名人と知り合ったわけ?」

 恵美は溜息をついて次の出発時刻を刻むデジタル時計に目を逸らした。今回は亜光速運転で小惑星帯までの便だ。地球産の魚はあの辺の人工衛星都市まで運ぶとずいぶん高く売れるそうだが、恵美の給与はちっとも上がらず亜光速航行手当がちょっと美味しいかどうかという程度。そんな恵美にとって、地球にいる間この悪友との会話は普段なら大事な安らぎなのだが今回ばかりは邪魔でしかない。

「白状しなきゃ地球の連ドラの録画予約ぜーんぶ切っちゃうぞ」

「あ、ひっどーい! 私が楽しみにしてんの知ってるくせに!」

「脅しは大切なものほど効くのじゃ、うっふっふ」

 恭子らしい、いつもの悪ふざけの調子だが何だか目の色が違う感じがする恵美は再び大きく嘆息し、なるべく短く答えた。

「彼は私が宇宙運転教習所に通ってたとき、同期だった駄目生徒」

 恭子は一瞬うなずき、やはりまた疑いの視線をぶつけけてきた。

「鷹野博士って言ったら恵美たちと同じ二十五歳なのに、世界で指折りの宇宙工学者っていう天才だよね。それが教習所の同期のお見送りに来る、と」

 反論しようにも、どうも説得力に欠ける気がして言い淀む。すると恭子は声を落として悪戯っぽく囁いた。

「でもあんたなんかに惚れるはずないよね。あの人って見た目も案外ガリ勉とか天才と変人紙一重の天才科学者ってタイプでもないしさ。幾らでも相手いそうでしょ?」

 私じゃダメか、と呟くと、恭子はそばかすちゃん、と笑った。恵美は自分の頰をさすってまた不機嫌になる。恭子はさらに駄目押しするように続けた。

「彼、世界トップ級の天才だし。ぜんぜん釣り合わない。当然恵美もだけどさ」

 恵美も鷹野君の気持ちがよくわからない。それどころか自分の気持ちが決まらないのだから始末が悪い。時折混じる専門用語はわけがわからないし、何を好き好んで寄ってきたのか未だはっきりは言わない。

「今はどうだか知らないけどさ、それなりのときはお祝いしてあげる。逆なら一緒に泣いたげるし」

 恭子は一方的に言って席を立った。恵美は膝の上に載せた宇宙航行用のヘルメットを恨みがましく見つめると、また溜息をついた。たしかに恵美の運転手仲間といえばスポーツマンとも言いたくないような体育会系の筋肉男ばかりだ。そんな中で平然としている恵美が天才科学者に惚れられるとはなかなか思いにくい。

「まあ、恋愛なんて苦手だしね」

 独り愚痴ってからヘルメットを被った。目的地にはやはり遠くますます気分が滅入ってくる。こうなると少し近道をしてやりたくなる。恵美は宇宙気象予報を確認した。今は太陽の活動が低調な時期で、太陽風や磁気嵐の影響もかなり弱いようだ。本来小惑星帯の隙間は荒れやすい宙域で衝突の危険から通り抜け禁止なのだが、多少の複雑さは退屈しのぎ程度でしかない。

「よっしゃあ、ちょっと遊んでいくかあ!」

 恵美は叫んで思いっきり小惑星帯に向けハンドルをきった。


「あの莫迦! だからいっつも行くなって言ってたのに」

 恭子は毒つきながら宇宙港のロビーを走っていた。テレビで見た事故のニュースに慌てて走ってきたのだ。

「親友なんです。心配なんです!」

 恭子の叫びに本部職員は気の毒そうな表情を浮かべた。戸惑う恭子に、奥の代表者らしき男が声をかける。

「緊急回線の方から生存は確認できました。しかしあのポイントは現在異常気象下にあるため一切の救助活動は不可能です」

「って、いつになったら救助可能になるの?」

「正直なところ、あまり期待を持たれない方がよろしいかと」

 恭子は周りを慌てて見回す。だが職員たちはいずれも彼女からすまなそうに顔を背けるばかりだ。

「ねえ、何か助ける方法はないわけ? 何とかならないの?」

 言い募っても周囲は目を逸らすか、あの場所では、と呟くだけだ。恭子は髪をかきむしって考える。しかしこんな状況をひっくり返せる人間など超人とか天才ぐらいのものだ。天才? そういえばあの子の知り合いに一人、とびっきりの天才がいた。

 恭子はネットから鷹野博士の情報を引き出した。幸い職場の電話番号が公開されている。恭子は番号を打ち込むと呼び出し音を待つ。数回のコールののち、若い男の声がでた。

「あの、鷹野博士ですか?」

『はい。失礼ですがどちらさまですか』

「恵美の友だちです! 恵美が小惑星帯で遭難して、でも危険で救出艇が行けないんです」

 電話口でうめき声が続いた。そして掠れた声が受話器に響く。

『そちらの責任者にコンピューターの使用許可をとってくれ』


 しばらく待って、遂に鷹野が到着した。しかし宇宙港の救助隊長は管理問題で鷹野と言い争う。

「申し訳ありませんが、民間の方の勝手な行動は困ります」

「だったら早く救出しろ。君らが出来ないのだから僕が試そうと言っているんだ。とにかくデータをよこせ!」

「何度も申し上げている通り、法律で公開は出来ないので」

「人命が懸かっているんだ。ふざけるのもたいがいにしろ!」

 鷹野は眼鏡を外し、いきなり救出隊長に掴みかかった。すると二人の間に、脇で眺めていた若い隊員が割って入る。

「隊長、見殺しにしたなんて知れたらどうせ懲戒処分になりますよ。ここは博士にお任せしてみませんか」

 反論しかけ、隊員たちの視線に隊長は黙り込んだ。隊員は少し頰を緩め鷹野を通信コンソールに導く。

「緊急回線ですので聞きにくいとは思いますが我慢して下さい」

うなずいた鷹野はもどかしそうにインカムを頭につけた。

「恵美さん聞こえますか。鷹野です」

『なんであんたが?』

「その辺の事情は後回しにして、まずそちらの磁気線などの主要データの観測を行って、そのデータをこちらに送信して下さい」

『それって何なの?』

「救出にデータ解析が必要なんです。とにかく送って下さい」

『わかった』

 鷹野は通信を切り、眼鏡を掛け直すとすさまじい勢いでコンピューターに何ごとかを打ち込んでいく。

「どうしたんですか?」

「データ解析の準備をしておく。一般用のプログラムじゃ使い物にならないから自分で修正してるんだ」

 恭子は信じられない面持ちで鷹野の作業をじっと見つめる。この発展した時代にキーボードを叩くなど、研究所でしか見られない原始的な作業なのだから無理はない。鷹野は周りの目も無視して時折うめいてはキーボードを叩き続ける。助かるんですか、と恭子が恐る恐る声をかけると、鷹野は画面から目を逸らさずに答えた。

「助かるか、じゃなく助けるんだ。大切な人を一人も助けられないで何が天才宇宙工学者だっていうんだ!」

 鷹野は叫ぶと、再び夢中でキーボードを叩き続けた。そんなうちにやっとデータが届き、即座に解析が行われた。計算が終了すると鷹野は恵美へ脱出方法の指示を発した。

「以上、送信したデータの通りに飛行して下さい。速度、時間、コース、いづれも絶対に変更はしないように。良いですね」

『難しいよ』

「難しくてもやるんです。そして最後はAポイントもしくはBポイント方向のどちらかに飛んで下さい」

『どっちか?』

 恵美の問いに鷹野は唾を飲み込んだ。そして告げる。

「そうです。しかしどちらでも助かる、というわけではありません。助かるのは片方のみ。残り一方は木っ端微塵になります」

『何でなの!』

「複数の解が発生していて決定できないんです。ですから、最後はあなたの運にかけるしかない」

 恵美の泣き声が聞こえる。だが鷹野は厳しく言う。

「助かる方法は他に存在しません。ですから勇気をだして」

 少しの逡巡を経て、インカムの向こうから次第に恵美の決心が伝わってくる。そして恵美が奇妙なことを言った。『鷹野君、血液型は?』

 鷹野は眉を顰めながら、A型と答える。すると恵美が明確に答えた。

「じゃ、賭ける方決めた」


「恭子、ほんっとごめんね」

 ベッドの上で恵美は心底すまなそうに頭を下げた。恵美の選んだAルートは運良く正解で、無事生還したのだ。とは言え長い間の緊張状態が続いたせいで病院に検査入院させられている。

「恵美なんかよりさ、鷹野さんにお礼を言った方が良いよ」

 恭子の言葉に恵美は顔をしかめて答える。

「わかってるけどさあ、いきなり『あんな所を通るのは大馬鹿者だ』って言ったんだよ。そんな奴にお礼なんて言いたくない」

 だが恭子は小さく笑って宇宙港の騒動を逐一恵美に話して聞かせた。そして鷹野が叫んだ場面のことを話した途端、恵美の頰が初々しく紅潮する。恭子は病室の入り口に目をやると、いきなりドアを勢いよくあけた。

「やっぱり鷹野さんでした! さ、ごゆっくりどうぞ!」

 恭子はドアの脇に立っていた鷹野を病室に無理矢理引きずり込むと、自分はとっとと病室から出ていく。しばらく二人のだんまりが続き、遂に恵美が口を開いた。

「今回は本当にありがとう。おかげで命拾いしました」

「まあ、俺の仕事が偶然役に立っただけだ」

 ぶっきらぼうな答えに恵美は悪戯っぽい顔で話題を変えた。

「あのさ、外の空気吸いたいんだけど」

 慌ててスリッパを探し始めた鷹野に、恵美はさらに意地悪な調子で声をかけた。

「入院患者を歩かせる気? 抱っこして」

 鷹野は目を円くする。だが恵美はまた繰り返した。

「ほら、早く抱っこしてよ」

 鷹野はおそるおそる恵美を抱き上げる。鷹野にはもちろん、恭子にも言っていなかった宇宙空間の真っ暗で音のない世界の孤独が、逆に腕の中で湧き上がってきた。涙がこぼれ落ちてくる。鷹野は慌てて涙を拭おうとしたが、恵美は気丈に顔を背けて表情を作り直し、また言葉を続けた。

「ねえ、何か言うことないの。この頭でっかち!」

 鷹野の嬉しそうな顔に恵美は顔を真っ赤にして、それでも鷹野の首に優しく腕をまわすと瞼を閉じた。

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