文芸船

憧れは胸の奥

大帝の奇跡

「どういうこと!」

 ベルデル家の屋敷に到達するなり、フェレリアは叫んだ。村中に林立する王国の旗。村の外れには櫓が新設され、見張りの兵士がデバイのいるゼファド山を監視している。その上村長の屋敷には王家を示す剣と杖を交差した紋章が掲げられていた。

「父上まで来てるわけ? どうしてなの?」

再びフェレリアは叫ぶ。夫人は小さく肩をすくめて答えた。

「村の誰かが通報したらしいわ。それにしてもガートン王まで来るなんて尋常じゃないわね」

 夫人の言葉に、ピアティは爪を噛みながら呟いた。

「まず先に王宮内の大掃除が先みたいね。『背徳の杯』をいじってた首謀者を捜すのよ。そうじゃないとこっちの作戦も邪魔されるわ」

 夫人の調べたところだと、ガートン王と騎士団長の他に、大僧正とディアス院長という、国の中枢人物全員がそろっているという。しかしディアス院長はガートン王の要請により現れたのだから嫌疑は外れる。残るは大僧正と騎士団長だ。

「フェレリア姫、何かあなたの将来と関わる人がいます?」

 ピアティはよく考えろ、というように指をたててみせた。

「結婚はそろそろじゃないの?」

 ベルデル夫人の言葉にフェレリアはもう一度これまでの記憶を反芻する。と、一つ思い当たることがあった。

「父上が大僧正の息子を婿に、なんてこと言ってました」

「じゃ、洞穴で会ったヒュッケルと大僧正は?」

「ヒュッケルの家は典礼を司る家柄だから」

 ベルデル夫人とピアティは納得した表情でうなずいた。フェレリアは目を見開いて言う。

「大僧正が? まさか!」

「可能性は高いわね。それに大僧正は旧王家以来のずっと古い家柄よ。現王家に心から服しているのかしら」

 フェレリアは黙り込む。古い貴族の風習に必死で従う傭兵あがりの父王を何度歯がゆい思いで眺めたことか。それをいつも大僧正一派が陰で嗤っていることはよく知っている。

「思い当たることがあるのね」

「証拠が必要だわ。でもそんな暇なんてないよ! デバイが倒されちゃったら何の意味もなくなるよ!」

叫ぶフェレリアを横目にピアティは冷静な声音で話を続けた。

「大僧正って当たり前だけど僧侶よね。神様とか信じてるわよね」

フェレリアがうなずくと、今度はベルデル夫人に向き直る。

「ミナ大帝の口調をあとで教えてくださる?」

 ピアティは小ずるそうな表情で指折り何か計算を始めた。

「あの、何をするんですか?」

「そこはお楽しみ。姫様は今からガートン王に会いに行って。そこで大僧正……それに魔道院長も陪席を願い出て」

ピアティはフェレリアの肩を叩いて自信ありげに言い切った。

「心配しないで。大僧正に一泡ふかせてやるんだから」

 フェレリアはただ何度もうなずくしかなかった。


「フェレリア、お前は本当に不憫な娘だ」

 ガートン王は言って頰を歪めた。フェレリアは頭を下げたまま、座に並ぶ者たちの顔を確認する。

 大僧正の指揮下にある僧兵の姿が見える。巨大な天変地異の救助や、よほどの大戦争以外に僧兵が僧院を離れることはないはずなのだ。それがなぜか魔獣討伐に参戦している。

 それでも父王の脇には騎士団長とディアス院長がいる。この二人がいる限り、大僧正が手を出すことは不可能だろう。

「しかしな、我々は国民のことを第一に考えなければならぬ。このことはディアスもつらいながらも承知してくれた」

 ディアス院長に目を向けると、よほど悩んだのだろう。深く頰がこけ、疲れの色が明らかに痛々しい。

(ご心配なく。私がお助け申します)

 かけてあげたい言葉を口の中で転がす。そして顔をあげると、一気に予定の台詞を吐き出した。

「覚悟はもとより出来ております。ただ、私の行いがミナ大帝の繰り返しを導いたことは哀しみ以外の何物でもありませぬ」

 言い終わった途端、空が真っ暗に曇った。雷電が何本も天空を走り、雷鳴が建物を揺るがした。

「何とも不吉な空ですな」

 大僧正が呟くと、建物の前にあった立木に落雷した。

 何事ぞ、と王が呟くと、それに応えるように突然天から声が響いた。

『久しぶりね、ガートン』

「何者だ」

『剣を交えないと思い出せない? あなたの娘が不幸すぎるからせっかく様子を見に来たっていうのに』

 ガートン王が椅子からずり落ちる。ディアス院長は慌てて解呪の呪文を唱えるが、天は一向に昏いままだ。

『ディアス、無駄なことはよしなさい』

「大帝陛下!」

 遂にディアスの叫びが響いた。大僧正は目を剝いて窓から離れる。途端、窓に稲妻が走った。

『フェレリアに昔の私と同じ思いをさせようとしている悪党がこの中に潜んでいる』

「そんな莫迦な。我々は王陛下の忠実な僕ですぞ!」

 大僧正の焦った叫びに声が笑った。

『そう思うなら黙っているがいい。但し、裏切り者とその子孫には深く魔王の牙が刺さるだろう』

 再び雷撃が周囲に次々と落ちる。立木が次々と倒れていく。

「ミナの、ミナの太刀筋だ!」

 ガートン王が叫んだ。途端、大僧正が腕を振り上げた。

「ええい、過去の亡霊などに負けるものか。この現王家ごと過去を滅ぼしてしまえ!」

 叫ぶとともに周囲の僧兵が一斉に棍棒を振り上げた。大僧正の号令とともに僧兵が動く。騎士団長も手勢を動かした。するとさらに大僧正の私兵が乱入してこようとした。

「忘れてもらっては困るわよね」

 私兵が押し戻される。ベルデル夫人が槍を構えて兵を分断していた。ガートン王も剣を抜くと仮設の玉座を飛び降りる。

「謀反だ。この者たちを討ち取れ!」

ガートン王の声に騎士が士気を高めかけたとき、再び雷撃が建物の周囲に落ちた。そしてドアが開くとピアティが現れる。

「その声を待っていたわ。これで終わり!」

 ピアティが叫んだ途端、僧兵全員に雷撃が落ちてその場に倒れる。そしてただ一人残ったのは。

「大僧正、お前の罪は後ほどよく調べておこう」

 大僧正はフェレリアの手で気絶させられ、騎士たちに連行されていった。ガートン王は剣を収めるとピアティを見つめた。すると横からディアスが言葉を発した。

「先ほどの奇跡の正体はピアティ殿でしたか」

 ピアティは都合悪そうにうなずく。ガートンは大きく目を見開き、信じられないように問うた。

「そなた、まことにピアティか?」

 ピアティは目をつぶり、静かに答える。

「年老いましたね。でも、梅の花は憶えてらっしゃるとか」

「すまぬ」

「その気持ち、彼女も喜んでいると思う」

 ピアティの浮かべた微笑みに、フェレリアは彼女の若い日を見た気がする。しかしピアティは表情をすぐに戻して言った。

「今回の茶番、申し訳なく思っています。しかしこれは私の独断。責めは私一人にあります」

「私が頼んだのです! 父上、ピアティさんを責めないで!」

ガートンはうなずき、手を差し出した。

「ピアティ、予の跳ねっ返りが世話になった」

しかしピアティは首を振ってその手を握らず、本題に入った。

「私がやってきたのは王家の内紛のためではありません。デバイ君を救いたいという姫の希望を叶えるため」

「いかなピアティ殿とはいえ、それは不可能では?」

ディアスの問いにピアティは目を閉じ、そして強く言い切る。

「姫の剣技と解呪の呪文、そして『無限の法』ならば可能」

「莫迦な。姫の体がどうなる!」

「わかってます! それは私だってわかって言ってるの。でも剣を一生喪ってもいい、この体がどうなったっていいの!」

 フェレリアは間髪入れず叫んだ。ガートンが怪訝な表情を浮かべると、ディアスは『無限の法』について軽く説明をした。

 やっと二人の密談が終わると、王はピアティに告げた。

「まだ娘は若い。少し考え直させぬか? 何なら予が代わろう」

「あなたは残念ながら老いすぎているし、彼女の決心は本当だわ。それに他の道はミナ大帝の道しかないと思うけど」

 さらに反駁しようとすると、ピアティは梅の花の幻影を造って部屋中に散らした。

「梅が散るみたいに散らせたあの娘のこと、忘れたわけ?」

 遂にガートン王は黙り、次いでフェレリアに向き直る。

「生きて帰ってこい。予はそれだけで十分だ」

 フェレリアは剣を高く掲げて応えた。ディアスは嘆息しながら気まずそうに呼びかける。

「姫、私の言った『課題』、完全に解いてしまわれましたな」

眉をひそめるフェレリアにディアスは少し詳しく説明する。

「姫はミナ大帝の華々しさにしか目がいっていなかった。デバイは堅苦しすぎだった。だからあの課題を与えたのです」

「それで、今はどうなのだ」

 王の問いに一礼して、ディアスは話を結んだ。

「姫君は我々のような古い世代さえをも大帝陛下の呪縛から解き放ってくれる気が致します」

 ガートンはうなずき、一人娘をそっと抱き寄せた。


 騎士団長を交えた緊急会議を経て、決行は翌日と決まった。ガートン王はフェレリアと夜を過ごすのを望んだが、フェレリアは頑として受け入れずベルデル家に宿泊することにした。

 ベルデル夫人の素敵な夕食も終わり、あとは寝るだけになった。フェレリアを坑道まで運ぶ役に決まったシェールは既に深い寝息をたてている。

 しかしフェレリアは昼のやりとりが気になって仕方がない。ピアティと父王、そして梅の花。昔のいさかい。

(「彼女」って誰なんだろう。梅の花に、一体何が)

 ベッドに潜ったが、やはり気になって目が冴えてしまう。明日が不安なせいなのかもしれないが、今はとにかく二人の過去が気になって仕方がなかった。

 そっと起き出すと、静かにピアティの寝室に向かった。忍び寄って扉の前に立つ。拳を握り、二回ノックした。

「お入りなさい」

 落ち着いた声が聞こえる。扉を開けて体を滑り込ませる。

 ピアティは部屋着姿でベッドに腰掛けていた。フェレリアに目を向け、横に座るよう手振りで合図する。素直に従うと、ピアティはそっと彼女の頭を撫でてから口を開いた。

「私とガートン王のこと?」

 こくりとフェレリアは神妙にうなずく。ピアティは溜息をつき、ゆっくりと話し始めた。

「ガートン王、当時の言い方だとガートン将軍ね。その大ファンの娘がいたの。あるとき私の村に魔獣がやってきて、ガートン王が討伐したんだけど、酷い怪我を負ってしまったの」

 フェレリアは黙ってうなずく。ピアティは目をつぶり、その頃を思い出しながら話を続けた。

「そこでガートン王のお世話をしたのが、魔道師会の事務だった彼女。で、ガートン王が回復して旅立つときに約束したの。『梅の咲く頃、もう一度会いに来よう』って」

「それで?」

「でもガートンは梅が散っても戻って来なかった。だからあの娘、『魔獣が現れたら来てくれる』なんて莫迦なこと考えて。そして私の変化の術の本を内緒で勉強して」

「じゃあ、まさか!」

「そう。ガートンが来て魔獣の姿の彼女を知らずに倒したの。でも、死の寸前に元の姿に戻ったわ」

「何で父上は行かなかったわけ?」

フェレリアの叫びにピアティはゆっくりと首を振った。

「勘違いだったの。私の村はずっと南で王都は北。だからガートンの言った『梅の咲く頃』はもう少し後の季節だったわけ。彼女のこと、王都に連れて来ようって思ってたそうよ」

 父王が母上に対して過保護なのはそんな事情のせいなのだろうか。思いを巡らせていると、再びピアティが口を開いた。

「でも、今日わかった。もう昔の話なの。なのに私も彼もみんな過去に縛られたままなだけ」

 フェレリアはよくわからない、という表情を浮かべる。ピアティは優しく笑って話を締めた。

「これで昔話は終わりよ。明日は早いわ」

フェレリアは一礼だけするとピアティの部屋をあとにした。

 少しだけ、父王のことを理解できたように思えた。


「勝機は一度きりよ」

 洞穴の前でピアティが最後の指示を終えた。フェレリアはうなずきシェールに頭を下げる。シェールは平然としたままだ。

「今まで色々とありがとうございました」

 正式に礼をする。ピアティは瞬間だけ表情を曇らせたが、すぐに元の表情に返ってフェレリアの背中をそっと押した。

「御武運を」

 ピアティの言葉に黙ってうなずくと、今度は振り返らずにシェールとともに洞穴に入っていった。

 フェレリアの両手足には魔法の輪が何個も取り付けられている。合図をすれば、その輪を通してピアティの魔力が流れ込む手筈になっていた。そうすればフェレリアは奇跡の力を発揮できる。一生に一度しかない、儚い夢の力を。

 ふと恐怖が胸を掠めた。シェールが心配そうな表情で覗き込む。フェレリアは慌てて気持ちを切り替えた。

(もう、ここまで来てしまったんだ)

 ほんの小さな冒険のつもりだった。ちょっとした危険。弱っちい魔獣との戦い。そして味つけ程度のロマンス。今にして思えば幼稚な、過去の英雄たちへの軽い憧れ。しかし、今のフェレリアが身を置いているのは。

(一生で一度っきりの、最悪の冒険)

 冒険はこれっきりになるのだろう。普段の生活さえ困難な体になってしまうことさえも容易に予想は出来た。だが、それもしょせんは因果応報でしかない。それに。

(もう一度デバイに逢いたい。デバイと別れたくない)

 全てが終わったあと、自分がどんな体になるのかは予想出来ない。だがそんなことよりも、一番怖いのは普通の生活を出来なくなった自分をデバイが見捨ててしまう可能性だった。

 それでもデバイを信じたい。もしたとえそんなことになっても。デバイのことだけは助けたい、そう心を決めていた。

 進むにしたがって坑道の中は暑くなっていく。フェレリアの額には汗の粒が浮かび、頰に流れる汗を何回も拭っている。

「炎の魔獣だな。最初の一吹きに気をつけろ」

シェールの言葉にフェレリアはかすかに顔をしかめた。

(ただ、魔獣って言ってる。デバイのこと、魔獣って)

こんなことを思っても事実なのだから仕方がない。だが、フェレリアにはそれがあまりに哀しいことに思えた。

 シェールが立ち止まった。純白の鱗を逆立てて唸る。

「最初の一撃は儂が的になる。その間に魔法を受けるんだ」

 いきなりシェールは炎を吐いた。金色の炎が前面を覆う。だが紅蓮の火焔がその壁を突き破った!

 フェレリアはピアティからの魔力を受け止めながらシェールを凝視する。と、炎の壁が二枚とも消滅した。向こうには三本の角を生やした巨大な牡牛が立ちはだかっていた。

「デバイ! 行くよ!」

魔獣の前に躍りでた。炎の槍が魔獣の口から飛び出す。

 だが今のフェレリアには幼児の放つダーツの矢と同じだ。避けながら心臓の位置を確認する。かすかに鼓動が見える。狙いは定まった。少しずつ間合いを詰めて隙を狙う。

 まず腕に斬りつける。ほんの浅手だったが、魔獣は半狂乱に陥った。しかしフェレリアも自分の足がかすかに血の滲んでいるのに気づいた。これ以上の激しい動きは限界を越す。

(硬さはわかった。次で勝負をかける)

 両足を踏みしめ、剣を青眼に構えた。魔獣が前足を振り上げて大きく息を吸った。ふっ、と体が持ち上がる。

(好機!)

 斬りつけた勢いで転倒させる! 髪の焼ける臭いが漂った。構わず飛び上がると勢いを乗せて心臓の位置に飛び込む!

 魔獣の叫びとフェレリアの苦悶が同時に放たれた。フェレリアの体を強大な魔力が突き抜けていく。同時に「無限の法」に耐えきれなくなったのか、手足の先から流血していく。筋肉が悲鳴を上げ、体の組織が裂けていくのが自分でもわかる。

(まだまだ……もう少し。もう少し!)

 それでもまだ自分の肉体に懇願する。これさえ終われば只の肉塊に変わり果ててもいい。この場だけは保って欲しい。

 魔獣の動きが次第に縛られたように鈍くなっていく。周囲に光が満ち、逆に魔獣の体から闇が迸り出る。

(あと、もうちょっとだから!)

 咳こんだ途端に吐血する。それでも剣を握る手だけは緩めない。もう視覚はなく、四肢の感覚も消滅していく。フェレリアは限界を悟って思いっきり叫んだ。

「デバイ!」

 刹那、空間が暴発する。残っていた聴覚も遂に閉ざされた。

(デバイ、もう一度逢いたかった……)

 これっきり、フェレリアの意識は閉ざされた。


「以上で『重度損傷時における筋繊維組織の再生に対する魔道の応用』に関する研究発表を終了いたします」

 暖かい拍手が魔道院大講堂に広がる。初めての発表を終えたデバイは脇に立つ治験者に礼をした。だがこの治験者はまだ完全に回復していないくせにいきなり壇を飛び降りる。

「まだ治りきっていないって言ったばかりじゃないですか!」

 会場に失笑が漏れるのを聞いた治験者は再び壇上に戻って叫んだ。

「これ、無礼者! この研究が重要だと言うから仕方なく来たというのに、そなたらは第一王女を嗤うのか?」

「そういうじゃじゃ馬を笑ってるの。いつものことでしょ?」

 この声は魔道院理事に着任したばかりのピアティだ。ディアス院長がかなりの高齢であること、そして今回の功労を考え併せれば、次期院長の最有力候補がピアティであろうことは衆目の一致するところだ。

「ピアティ殿も、私の戦いのデータを研究発表にしたりして。私は実験動物じゃありません!」

「姫様、言えば言うほど恥をかいてると思うんですが」

 彼女はさらにふくれっ面になると、壇を飛び降りて会場の外に走り去る。デバイは慌ててすっ転びながらその後を追った。

 作戦は成功し、傷だらけの二人はシェールの手で運びだされたのだ。デバイはすぐに回復したのだが、フェレリアは介助なしの生存は一生不可能に思えた。フェレリア自身、これからの人生を諦めかけたのだが、それを覆したのがデバイだった。

 デバイが今まで行っていた研究は障害を受けた筋肉を回復する魔術で、その上シェールがドラゴンに伝わる秘術を明かしてくれたおかげでフェレリアは奇跡的な回復を遂げたのだ。

 とはいえ、本格的に剣を揮えるまでにはまだ当分かかるはずだ。そんなわけで、フェレリアが無茶をするたびにデバイは心配で仕方ないのだが、どうもフェレリア自身はデバイに心配されるのを楽しみにしている節もある。

 やっとデバイが追いつくと、フェレリアは肩で息をしながら芝生の上で横になった。

「ほら、無理をするからですよ」

「その怪我人を追いかけるだけで息のあがってるお医者さんはよっぽどの重病なわけ?」

「元の姫様の体だったら軽いことだったでしょう!」

 途端、さっきまで明るかったフェレリアの顔が曇った。デバイもいけない言葉だったことに気づいて黙り込んでしまう。だが、すぐにフェレリアは機嫌を直して別の質問を放った。

「ねえ、なんでデバイってあんな研究やってたわけ?」

「それは……世のためになるでしょう」

「それだけ? ほんとにほんとに、それだけが理由なの?」

デバイはそっぽを向く。いつも怪我の絶えないフェレリアのことを思ってやっていたなんて気恥ずかしいように思えたのだ。

 フェレリアは意味ありげに鼻で笑って立ち上がった。

「ねえ、これから先、私のことは『フェレリア』って呼んでくれて結構だから。これ、王宮内でもよ。父上も了解済み」

「何をおっしゃるんですか!」

 フェレリアは答えず、デバイの頰に唇を押し当てる。

「これが全部の答えよ!」

 叫んでまたフェレリアは走りだす。少しの間呆然としていたデバイは慌ててフェレリアの後を追った。

「フェレリア!」

 初めて名を呼ばれたフェレリアはかすかに頰を染めていた。

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