文芸船

憧れは胸の奥

歴史の陰影

 一週間後。デバイは馬車乗り場でフェレリアを待っていた。本当はもっと早く出発するつもりだったのだが、フェレリアの謹慎が一週間かかったので仕方がない。とは言え意外にすんなり許可は下りたようだ。ディアス院長の口添えもあった上に、ちょうどフェレリアの公務が空いていたのが良かったらしい。

 約束の時刻に少し遅れ、息を切らせて走ってくる人影があった。軽装の鎧と長剣、荷物の詰まった背負い袋。長い髪は太い三つ編みにまとめられ姫君の片鱗もない。とはいえ女だてらの戦士など沢山いるわけもなく。

「ごっめーん! 大臣の小言がしつこくて遅れちゃった!」

 フェレリアは荷物を地面に置くとすぐに謝る。とは言え、上げた顔はもう旅立ちのことしか考えていない、という表情だ。

「準備は大丈夫?」

「もっちろん! 危険なことがあったら任せてよね! 野営用の道具から何からきちんと揃えて来たんだから」

 デバイはその中の、おそらく武器らしきものがただのお荷物で済むよう思わず祈ってしまう。だがフェレリアと一緒ではそういった用件の方が向こうからやって来るに決まっている。

「で、陛下はどうでした?」

「文句は言っていたけれど、最後は色々と助言してくれたよ。で、これから『姫様』って呼び方と敬語は人前で禁止。『フェーレ』って呼んで」

「フェーレ、か。だったら無礼者、って口癖も直してね」

 言われてフェレリアは不機嫌に口をつぐんだ。だがすぐに明るい表情に戻って街道を見渡す。

「デバイ、乗合馬車が来るよ!」

 考えて見ればフェレリアが乗合馬車に乗った経験はあるはずがない。庶民ならほんの小さなことでも、実はフェレリアにとっては大冒険なのかもしれない。デバイははしゃぐフェレリアの背中を見つめながら不安を思った。

「おうら、乗りな」

 老人のわりにはやけに威勢のいい馭者だ。客は彼らしかいない。田舎行きの馬車がそんなに混雑することもないだろう。二人が乗り込むと、馬車はすぐに走りだした。フェレリアはいつも乗っている王家の馬車と違う揺れが面白いらしく、席を移ってはわざと体を揺すって遊んでいる。デバイは適当な窓際の席について文献を読み始めた。

「なあ、あんたら村のもんじゃないよな」

 馭者の問いに、デバイはちょっと考えて答える。

「魔法の学生でして、調べものに行こうと思いまして」

 馭者は小さく呻き、悪戯っぽい声で意外な返答をした。

「もしかしてミナ大帝とテルア導師のことかい?」

 フェレリアの動きが止まり、剣に手を伸ばす。デバイは慌ててフェレリアを目で制すと注意深く訊いた。

「あの、どうしてそんな風に思うんですか?」

「だってな、この馬車の終点はあの二人の出身の村だぜ。ま、とくにミナの嬢ちゃんは旦那様に勘当されちまってるからなあ。嬢ちゃんも出身は公にゃしてないしな」

「そうですよ。ですから普通、この話は知らないはずですけど……って、今、大帝陛下のこと」

「『嬢ちゃん』って言った!」

 フェレリアの叫びに馭者は大声で笑って種明かしをする。

「俺は村と王都の間をあんたらが生まれるよりもっと前からずうっと走ってるのさ。あの二人を王都に送ったのも俺だよ。話がありゃ話してやるよ。しっかし学生さんも大変だな」

 今度はフェレリアも剣から手を離して一緒になって笑った。すると馭者はふと思いついたように質問を放った。

「ところでそっちの剣士の嬢ちゃんは何なんだい?」

「私は、彼の護衛兼助手って感じです。ね?」

 言ってデバイの背中を乱暴に叩く。デバイは前のめりになりながら何とかうなずいてみせる。

「あんたらがテルアとミナ嬢ちゃんのことを調べてる、ってのも何となくわかる気がするよ」

「なぜですか?」

「あんたらが乗ってきたとき、ふっとミナ嬢ちゃんとテルアが乗ってきたような気がしたんだよ」

「似てたってこと?」

 フェレリアのはしゃいだ声に、馭者は振り向いてうなずくと多少苦い表情で告げる。

「だがな、ああいう人生は送っちゃいけねえ。いいな」

「お二人ともこの国の大英雄よ。そんなの無礼でしょう!」

「はん! 無礼なもんかい。ま、英雄ってことしか見えねえんならまだまだお子様ってことだな」

「この無礼……いえ、失礼な言い方!」

 フェレリアの言い替えに馭者は気づかなかったのか、だがそれ以上に憮然とした態度で手綱を握り直した。さらに言い募ろうとすると、デバイはそっとフェレリアの袖を引っ張った。

(もうやめなって。かなり気分悪そうだから)

 こそこそと囁きあい、それでもフェレリアはやっとデバイの言うとおり口を閉じた。

 実のところ、なぜこの調査が立案されたのかデバイには疑問が大きい。ミナ大帝の治世はデバイたちが生まれた年まで続いているのだから、王都に資料は幾らでもあるはずなのだ。それにディアス自身がミナの直接指揮下にあったのだから、裏話はほとんど知っているはずだ。だがデバイもそこで思考が止まってしまう。

 すぐに思ったのはフェレリアとミナ大帝のことだ。人間離れした剣技に秀で、この国の悪弊を強引な手法で排し、そして早逝してフェレリアの父王に座を譲ったのだという。

(あとでミナ大帝たちの最期、しっかり復習しておこうかな)

 深い理由はないが、この旅が本格的に始まる前にきちんと踏まえていなければならない、そんなことをデバイは直感として感じた。フェレリアにもそれが重要になる、そんな気がした。

 フェレリアを守りたい、そんなことをなぜか思っていた。


 王都から村へその日のうちには到着しない。夕闇が迫って来た頃、ようやく宿場町に到着した。降りた大路では数え切れないほどに並んだ宿が口々に客の呼び込みをしている。他にある建物も土産屋のようなものばかりだ。

「面白いね。こういうの、初めて」

 フェレリアは既に土産屋で怪しげなお菓子を買ってぱくついている。この辺り、どうも王女としては品位が足りないように思うのはデバイだけであろうか。あまり長くぶらぶらしているとまたフェレリアが勝手なことを始めかねない。デバイは飾り物屋につかまっているフェレリアを引っ張ると予定していた宿に向かった。

「お疲れさまでした。どうぞゆっくりとお休み下さい」

 宿に到着するとすぐに宿屋の女中さんが出てきた。フェレリアは宿の中を興味津々できょろきょろ眺めている。

「宿帳に記帳、お願いします」

 デバイは本名を記してフェレリアに回す。フェレリアはすぐにサインして宿帳を受付に戻した。

「はい。デバイ=エリクソン様と、同じくフェーレ様ですね。ではお一つのお部屋でよろしいですね」

「え? あの……」

「ご夫婦でしょう? 羨ましい」

 女中は含み笑いをする。慌ててフェレリアに目を向けると、舌を出して上を見つめている。

(私って姓ないじゃない。だから、ほら)

 囁かれてデバイは気づいた。先代のミナ大帝は家を捨てていたため、本来の姓である『ベルデル』の代わりに国名を代用していた。それを継承したため現王家も名字を持たない。それでフェレリアは名字を書かずに出したらしい。

 気がつくと女中が怪訝な表情で二人をじっと見つめていた。デバイは慌てて取り繕う。

「あ、いえ、まあそうです。どうも」

 すると女中は妙なことを小さな声で囁いた。

「大丈夫ですよ。せっかく逃げてきたんでしょ? 何かあったらちゃんとごまかしてあげる。駆け落ち、ねえ。連れて行ってくれる人、いないかしら」

 どうもとんでもない話になっているようだ。とは言え下手な言い訳をしてこれ以上話がややこやしくなってはたまらない。そんなわけで二人は黙って女中の案内する部屋に入った。

 それでも部屋はツインベッドで、ある程度広い部屋だ。実はデバイとしては安い部屋にしたかったのだが、フェレリアのことも考えて少し高めにしたのだ。しかしフェレリア自身はその辺りがよくわかっていないらしい。

「ふうん。硬いベッドね」

 やはりお城暮らしだと思う。だが特に不満というわけでもないらしく、逆にピクニック気分で面白がっている。

「しっかし大変なことになりましたね」

「まあ、今回はしょうがないんじゃない。でも、離ればなれより安全だし面白くていいと思うけど」

フェレリアは軽く笑って、そしてふと言う。

「ところでね、ここの宿屋さん、城下の宿屋さんよりみんな建物が新しい感じしたんだけど、どうして?」

「この宿場自体が新しいんです。町が出来たのは僕たちが生まれるちょっと前ぐらいですよ」

「へー。そんなに若い町なんだ。じゃ、ミナ大帝とテルア導師が王都に来たときって、どうしたわけ?」

「野宿ですよ。たぶんあの馭者さんもこの宿場が出来るまではずっと野宿していたんじゃないですか?」

「そっか。野宿かあ」

 フェレリアは少し考え込み、そしてにやにやと笑い始めた。

「あ、何かまた悪いこと考えてる」

「悪いことじゃないよ。夜に外を散歩したいなあ、って」

「こういう所の外って夜盗とか危険がいっぱいなんですよ」

「でも二人の調査が目的なんでしょ? だったら二人が野宿したその外の空気を知ったりするのも勉強じゃない?」

「でも、姫様を連れてなんて」

「違うでしょ。私はお雇い剣士のフェーレだもん!」

 フェレリアの悪い癖だ。すぐになりきってしまう。どこまでが本気でどこまでが遊びなのかも怪しいものだが、こうなるととてもじゃないがデバイに止められるものではない。

「さあさ、決断しなさい。ね? 学者さん」

 デバイは大きく溜息をつき、がっくりとうなずいた。


 食事を済まして町の中をぶらついていると、だいぶ夜が更けてきた。空は雲影もなく、星空が大きく広がってきた。

「そろそろ行こっか」

 デバイの言葉にうなずく。この宿場町は夜に到着する歩きの旅人のことも考えて町の門は夜中でも閉じないことになっている。二人は門番に挨拶をするとぶらりと外に出た。フェレリアも警戒してはいるのか、帯剣している上に鎧もがちゃがちゃとうるさい。だが、その音を聞いているうちにデバイはテルア導師の気分を想像してしまい、ちょっと無礼かな、と思う。

「やっぱ、外って気持ちいい」

 夜風が草原の匂いを運んでいた。町を離れた途端に旅人たちの喧噪は消え、ただ大地の眠りだけが二人を覆ってくる。闇に溶け込んだ草原の光景は太古の記憶を揺さぶるように思えた。

「大きいなあ」

 フェレリアの唐突な呟きにデバイは怪訝な目を向けた。フェレリアは軽く笑い言葉を続ける。

「人間なんてほんの一瞬でいなくなっちゃうのに、大地はずうっとこうやってるんだもん。きっとミナ大帝もテルア導師も私たちみたいにこうやって空を眺めたんだよ。凄いじゃない」

デバイもようやくうなずいて言葉を継いだ。

「でもね、一瞬でその人がいなくなっても次の誰かがそれを継いでいくんだ。それも凄いよ」

「そうだぜ。継ぐ奴はどこにでもいるもんさ」

 いきなり野太い男の声が聞こえた。途端、デバイが誰かに羽交い締めにされる。フェレリアが剣を抜いた!

「剣を捨てやがれ。この色男がくたばってもいいのかよ」

 誰もいないと思っていた草原から五人もの男が唐突に姿を現す。今までずっと草むらに忍んでいたらしい。

「あなたたち、何者!」

「この辺は昔っから盗賊が出るんだよ。ほら、この坊やが言ってたじゃねえか。『誰かが継いでいく』ってな」

 男たちが一斉に下品な笑い声をあげた。中には「かしら、最高だぜ!」と声をかける奴までいる。

「だがな、あの宿場町があるおかげで上がりが少なくっていけねえや。昔はもっとこっちにお客さんがいたらしいからな。今じゃあんたらみたいな都育ちの間抜けな連中だけよ」

「間抜けって、無礼な!」

「無礼な、かい。貴族の娘だな? おおかたミナ大帝とテルア導師気取りで出てきたんだろ。貴族はあんなもんにすぐ憧れる」

「あんなものって……」

「テルア導師が敵の魔道院長ぶっ殺すために魔物に変身してさ、倒したはいいが戻れなくなったからミナ大帝がその魔物になったテルアをぶった斬ったんだぜ? 恋人殺しだよ」

 フェレリアは声も出なくなる。それを面白いとでも思ったのだろうか、頭領はさらに言い募る。

「ミナ大帝の最期だって情けねえ。やっと国がうまく行きはじめたとこでテルア導師の後追いで自害しちまったんだろ? あの世に行っちまやあもうおしまいだろ。まるっきりの莫迦じゃねえか」

「……ひどい」

「あんたは強そうだからこの囲みぐらい破れるだろ。ただしこの男にゃ道連れになってもらうけどな。へへ、ミナ大帝みたいに自分のせいで恋人死んじまうのも悪かねえだろ?」

 初めからこの台詞のためにミナとテルアの悲劇を言い立てたにきまっている。しかしフェレリアの心は揺れきっていた。自分が死ぬよりも大きい恐怖が胸を襲う。

 夜盗の囲みが縮まる。夜盗は物さえ置けば命は助けると聞いている。しかし、それでは王家の人間として情けなすぎる。

「フェーレ、僕に構うな!」

(構わないで、なんて。出来るわけない!)

 耳を塞いだフェレリアを見て夜盗たちが嗤う。だがその嘲笑はむしろフェレリアの体に唐突な力を呼び覚ました。

「デバイ、ごめん!」

 叫んでフェレリアはダートを放つ。肩に刺さったデバイが悲鳴をあげた。瞬間、驚愕した夜盗たちの動きが止まる。フェレリアの剣がデバイを押さえる男の腕を斬り飛ばした!

 血飛沫の中、デバイをフェレリアが抱き寄せる。

 残りの夜盗が二人に殺到する。しかしデバイは大きく叫んだ。

「大地の精霊よ、御力を!」

 刹那、草々が大きく生い茂り二人の盾となる。フェレリアはデバイを置いて飛び出し、残り四人と対峙した。

 鯉、というフェレリアの叫びに男たちは再び殺到する。しかし守るもののなくなったフェレリアに勝てるはずもない。数合剣を交えたのち、男たちは全員その場に転がっていた。

 野盗が誰も動けなくなったことを確認したフェレリアはデバイのもとに駆け寄った。急いでダートを引き抜き、止血の処置を施す。

「ごめん、ほんとにごめん」

 謝るフェレリアにデバイは笑顔をつくってみせる。だがフェレリアにはその見せかけの笑顔が痛々しく思えてたまらない。

「フェーレ、仕方ないんだから。正しい判断だったと思うよ」

 冷静な台詞にようやくフェレリアは落ち着きを取り戻した。デバイは傷口に痛み止めの魔法を施してゆっくり立ち上がる。

「こいつらどうする? こっちも取り調べされると厄介だし」

 フェレリアは少し考え、うなずいて言った。

「警備に投げ文しておこうよ。どうせ逃げられないだろうし」

「何だかいい加減な気もするけど……」

「だって他に方法ある?」

 確かにそうあるわけもない。仕方なくデバイはうなずいた。町に戻るとすぐにフェレリアが投げ文を放った。こういう悪いようなことはなぜかフェレリアは大の得意だ。城内でもどれほど悪戯をやっているものか見当もつかない。

「これで大丈夫よね」

「でもさ、出来るだけ早くここを発たないと」

「大丈夫じゃない? 明日はどうせ早いんだし。宿場町だから客を叩き起こして歩くようなことはしないと思う」

「まあ、ね」

 言ってデバイはうとうとし始めた。フェレリアはそっとデバイの布団をかけ直してその場に立ち尽くした。薬草に長けているデバイ自身が診ているのだから傷口に心配はない。それでも今はデバイの傍らにいたい、そんなことを思っていた。

 伝えられない、もどかしい思いだった。


「おい兄ちゃん、その怪我どうしたんだ?」

 馭者がデバイの肩を見て声をかけた。二人は目を合わせて黙り込む。馭者は鼻で笑うとそれっきり平静な表情に戻った。今日はフェレリアたちに加えもう一人、初老の女性が乗り込んできた。年齢のわりには姿勢のいい女性で、服装からは騎士の家の婦人のようにもみえる。

 三人が席を決めると馬車はゆっくりと動き出した。老婦人が乗っているからか、昨日より運転が大人しくなっている。しばらく黙ったままの道程が続いた。しかし日がだいぶ高く昇った頃、馭者が口を開いた。

「奥様、この二人、ミナお嬢様のことを調べてるそうですよ」

 婦人は表情をこわばらせ、値踏みするような視線を向けた。

「あなた方、わざわざ村にまで出向かなくても魔道院の大図書館に行けば幾らでも調べられるのではなくて?」

 言われてデバイは渋々答える。

「それは公文書類に残らない部分を収集するためです。学問研究においては客観的な事実を求める必要がありますので」

 事実ね、と老婦人は呟くと皮肉混じりに笑う。そしてフェレリアの顔をしげしげと見つめ、また笑う。

(何だか感じ悪いよ)

 袖を引っ張るフェレリアに、デバイも曖昧にうなずく。すると再び馭者が口を挟んだ。

「奥様とは話しといた方がいいと思うぜ。だってさ……」

 お黙り、と老婦人は強い口調で馭者の言葉を阻んだ。馭者は肩をすくめて黙り込む。それを確認した老婦人は少し柔らかい態度に変わり、二人に意外な言葉を投げかけた。

「少しあなた方と話をしてみたいわ。あなた方にも有益でしょうし。村に着いたら私の家においでなさい」

 答えを言い淀んだデバイに、さらに老婦人は言葉を重ねた。

「いいわね。おいでなさい」

 その口調には嫌とは言えない何かを二人は感じさせる。二人は顔を見合わせ、そしてゆっくりとうなずいた。


 村に到着したのはもう昼もかなり過ぎたあとだった。老婦人は当然のような顔で二人を引き連れて村の奥に歩いていく。行き交う人々は彼女に対して敬意をもった礼をしていく。

「この村の名家かな」

「でも侯爵領の一部だから、治めているのは役人だけど」

 フェレリアの答えに謎が深まる。しかし老婦人は二人のひそひそ話が聞こえたらしく、短く答える。

「私の家はここを治めているわけではないわよ」

「じゃあ、いったい?」

 後で、と素気ない返事を残し、再び老婦人は真っ直ぐに歩き始めた。二人は不満ながらも渋々ついていく。

 そのうち、ようやく屋敷が目の前に現れた。老婦人は自分で鍵を開けて中に入っていく。門にはなぜか普通あるはずの紋章が取り外され、どこの家柄なのかもわからない。

「この小ささだと、騎士長ぐらいね」

 デバイは苦笑した。屋敷を見て「小ささ」などという言葉が出るなど、やはり普通の町娘とは違う。こういった言葉の端々に彼女が王女であることを再確認してしまう。

 屋敷の中はこぎれいだが、フェレリアの言うとおり騎士の屋敷らしく無骨な印象が強い。ただ、懸かっているフレスコ画がミナ大帝に滅ぼされた旧王家の勲を謳ったもので、今流行りの「大帝の勲」を描いたものが一つもないことにデバイは一抹の疑問を憶えた。

 応接間に通されると、老婦人は紅茶を淹れてくれた。上物らしくフェレリアも満足そうな顔をしている。正面に槍がかけてあるところをみると、ここの当主は槍の手だれなのだろうか。

 老婦人は二人の顔を見比べ、ゆったりと口を開いた。

「お名前、まだ伺ってなかったわね」

「僕は魔道院に在籍しておりますデバイ=エリクソンです」

「警護役のフェーレです」

 二人の言葉に老婦人はうなずき、そして意外な返事を返した。

「それにしても面白いわね。じゃじゃ馬姫ことフェレリア姫、御自らが警護にあたるだなんて」

 デバイが体を硬くする。フェレリアが剣に手を伸ばした。しかしそれよりも素早く老婦人の構えた槍がフェレリアの手元を狙った。フェレリアはその点から動けなくなる。

「まだまだ修行が足りないわよ、お姫様」

「貴女、一体何者?」

 言いながらもフェレリアは動けない。もし動いたら自分はただではすまない。それどころか傷の癒えていないデバイを狙われたらお終いだ。二人はその場に凍りついた。

 しかし老婦人は槍をひいて、とてつもないことを口にした。

「ようこそ、一人娘のミナに潰された家柄、ベルデル家へ」

 デバイは目をむいてどもりながら問いかける。

「ベルデル家って……あの、まさか」

「普通の言い方ならミナ大帝? あれは私の生んだ娘です」

 夫人は槍を元の位置に戻しながら冷静に答えた。

「大帝陛下の母上?」

 フェレリアは叫び、次いでさっきの負けは仕方ないかな、と思う。夫人は席に腰を下ろし、また意外な言葉を口にした。

「でも、あの娘は私にとっては誇りでもなんでもありません」

「何故です。大帝陛下の勲は素晴らしいではありませんか!」

 デバイの反駁に夫人は素気ない返事を返した。

「それは他人だからよ。私にとっては最悪の親不孝。あの娘のことは許さない。今の王家も認めはしない」

「父上は格別優れた王ではないかもしれないけど、でも間違った政治はしてないわ!」

 夫人は溜息をつき、紅茶で喉を湿らすと話し始めた。

「あの娘は私の夫……実の父親を斬って、最後にはテルアくんまで斬った。悪魔の子よ。夫はあの戦いの最中に先代の魔道院長の手で魔物にされたそうだし、もし魔獣に変化したテルア君を殺さなければこの国は完全に滅びたかもしれない」

「だから!」

 フェレリアの反駁に、夫人は冷たく聞き返す。

「だから仕方ないわけ? あなたもそうなったらガートン王を倒し、このデバイ君を殺すわけね?」

 デバイを殺す。そんなこと出来ない。

 でも。本当にその場になったら。

 王女として、そのときは。

 そして、そしてそのあとは。

 何事もなかったような顔で生きていくのだろうか。

 デバイが心配そうに顔を寄せた。思わずフェレリアはデバイの手を握る。その姿をみた夫人は小さくうなずき、さっきとは打って変わった明るい声音で言った。

「さあ、長旅だったんだからひと休みしたら?」


「何だかわかんなくなってきちゃった」

 フェレリアに充てられた部屋で二人になると、フェレリアはベッドに体を投げ出して呟いた。この部屋はかつてミナが使っていたそうだが、彼女の使っていたものは全て処分してしまって、残っているのはこのベッドだけだそうだ。

「尊敬、していていいのかなあ」

 迷いは当然だろう。デバイもフェレリアのことが気の毒に思える。だが、デバイ自身も今までミナ大帝とテルア導師の二人に漠然と抱いていた憧憬に疑いを持たざるをえない。

「父上も私も、何なんだろ」

「そんなこと言われたって……」

 再び二人の間に沈黙が広がった。次第にフェレリアの胸に夫人の言葉が再び沸き上がってくる。

『デバイ君を殺すわけ?』

 あのとき、「いいえ」という言葉と「はい」という言葉が胃の辺りで格闘していた。今も両方の言葉が争っている。でも。

「姫様、大丈夫ですか?」

 デバイが心配そうな表情で覗き込んできた。フェレリアは飛び起きて思わずデバイの首にしがみつく。デバイは黙ったままフェレリアの背中をさする。フェレリアは少し落ち着くとデバイの首から手を離し、真剣な眼差しでいきなり言った。

「ねえ、二人で約束しようよ」

 デバイが首を傾げると、フェレリアは一呼吸置いて再び話す。

「お互いに自分を犠牲にしないこと。ミナ大帝があんなことになっちゃったのってそれが原因でしょう。私、嫌だから」

「でも、約束って言ったって……」

 反駁しかけ、フェレリアの視線に気圧されデバイは慌ててうなずいた。するとフェレリアはやっと安心の吐息をつく。そのまま二人は見詰めあう。しかしデバイは急に目を逸らした。

「お邪魔でした?」

 夫人がドアを開けていたのだ。フェレリアは慌てて態度を変えると夫人に向き直った。

「姫様、目が変わりましたね」

 フェレリアは戸惑う。だが夫人は答えずに用件だけ告げた。

「食事の準備は整っているから来てちょうだい」

 二人は身支度を整えると食堂に向かった。食堂のテーブルには家庭的な料理が並んでいる。席につき、挨拶をして食べ始める。どことなく暖かい食事に思えた。

(ほんとは優しい人なのかな)

 ちらっと夫人の様子を伺う。夫人は首を傾げてフェレリアの方をじっと見つめた。フェレリアは慌てて視線をそらして食事に熱中するふりをする。何となく気恥ずかしく思う。

 そうやって静かな食事も終わり、食後の紅茶が出された。

「で、お二人にちょっとしたお使いを頼みたいんだけど。日数はそうね、一週間ぐらいかしら」

「どんなお使いですか。僕らも予定があるので」

「調べ物よ。ちょっとした魔道具についての」

「魔道具、ですか」

「ええ。有名な魔道具よ。『背徳の杯』」

 途端、二人の表情が凍った。背徳の杯で汲んだ水を飲み干せば強大な魔力を手に入れられるという。しかし問題は杯を造った人間の命令に逆らえなくなる、ということだ。それどころか魔物に変えられてしまうことさえ可能だという。

「どうも、この近辺で古代に作られた『背徳の杯』を集めている闇業者がいるらしいの。それをちょっと調べて欲しいわけ」

「それならすぐに王宮に知らせなきゃ!」

 フェレリアの言葉に、夫人は皮肉っぽい表情を浮かべた。

「王宮の中に、その闇業者とつながっている奴がいたら?」

「まさか! みんないい人ばかりよ?」

「あの大悪党だった先代の魔道院長だって、当時は国中の信頼を集めていた人だったのよ」

「でも……そうよ! 父上に私が言えば」

「幼くて何の経験もない娘と、長い間部下としてついてきた者と、どちらを信じると思う?」

 フェレリアは自分と言い切れないもどかしさに強い苛立ちを思う。夫人はデバイの方に向き直り、真摯な態度で告げた。

「ミナとテルア君があんなことになったのも『背徳の杯』のせいなの。ミナが全てを喪ってまで立ち直らせたこの国が、またあの魔道具にめちゃくちゃにされるのは我慢できない!」

 テルアは偶然に背徳の杯による特殊能力者になったのだが、当時は恐れるあまり、能力者は発見次第に死刑と決まっていた。その追手からの逃避行がミナとテルアの悲劇の発端だ。この老婦人にとって背徳の杯は仇のようなものだろう。

「若いお二人に託してみたいのだけど」

 二人は顔を見合わせた。フェレリアとしても冒険はしたいところだが、この話はあまりに話が大きくて手に余る気がする。夫人は二人の表情を読んで席を立つと静かに言った。

「無理はしなくていいわ。でも、今夜は一晩考えてみて。私はどうにかして解決するつもり。それだけはわかって」

 夫人と別れると、二人はフェレリアの部屋でどうするか話し続けた。デバイは逃げようとしている。だがフェレリアとしては知らぬふりで逃げることが許されないように思えた。

「ベルデルさんの言ってた『どうにかして解決する』ってどういう意味だと思う?」

 デバイは首を傾げる。フェレリアは深呼吸して再び続けた。

「たぶん、一人ででも戦うつもりよ。あのミナ大帝のお母様なのよ? それに槍術の腕、見たでしょ。言っとくけど、技なら私より格段の上」

 言い淀むデバイの横に座り、フェレリアはゆっくりと言った。

「逃げちゃいけないって思う」

「でも、君に万が一のことがあったら国がどうなると思う?」

「デバイも私のことより国のことなの?」

 いきなり切り替えた台詞にデバイは面食らった。だがフェレリアは構わずに言い続ける。

「私のことより、国がおかしくなる方が心配なんでしょ」

「そんなことない。それに論点がずれてるよ」

「ずれてないよ! 今までだって王女が心配だったんだ! きっと私が王女じゃなきゃ私なんてどうでもいいんだ!」

 デバイは拳を握りしめる。だが、すぐにその手をほどいた。

「僕と違って君には責任がある、それだけのことじゃないか。それに……」

「それに?」

 期待を込めた視線にデバイは本当の答えを口にするのを躊躇ってしまう。そして背を向けると早口で別の答えを返した。

「いいよ。依頼、受けよう。やっぱり放っておけないや」

「それはいいけど、ねえ、私のことは?」

「明日は早いから寝るよ」

 デバイは問いを無視してそのまま自分の部屋に戻った。フェレリアもいい加減諦めてミナのベッドに潜り込んだ。

(ここに私と同い年の大帝陛下が寝ていたんだ)

 枕の辺りの木を撫でると何か傷をつけた跡が指先に感じた。そっとランプをかざして見ると、文字を刻んだ跡のようだ。

「えっと……『大好きな人、テルア』……」

 フェレリアはデバイにこの一途ないたずらを教えてあげようと思った。しかしすぐに考えを改める。

(これは秘密にしておかなきゃ)

 ベッドにまで書き込んでいたなんて、あまりに恥ずかしすぎる。こんなことは他人に知られたくないに決まっている。それも男にはなおさらだ。でも、何となくミナが今までよりずっと近しい人のようにフェレリアは思えた。秘密にしなければならないことはフェレリアには痛いほどわかる。なぜなら。

 王宮のベッドにはデバイの名前が刻んであるのだから。

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