文芸船

浴衣男子

 ユニクロで買った赤い無地のTシャツにサンダル、ウォッシャブルジーンズというラフな服装をしているのに、札幌はアスファルトで固めているせいか本州並みに蒸し暑いものだから歩いているだけでも汗が止まらない。

 とりあえずユニクロに行って下着には見えない程度の涼しいものを探したら青いショートパンツが目に入った。ほぼ本能並みの即決で買ってその場で着替えて歩いてみるとなかなか快適だ。布質はざらりとしたナイロン系で汗を吸わないものの、ゆったりとしたつくりなので太腿から風が入ってくる。スカートならもっと涼しかろうと一瞬魔が差したが、まさか一部のオタクで流行った女装、男の娘でもあるまいしスカートを履くのは諦めた。

 とりあえずは満足してフラフラ歩いているうちに喉も渇いたのでチェーン型喫茶店のスターバックスに寄った。普段アイスコーヒーかアイスティーをメニューも見ずに頼んでいるのだが、前に並んでいる女性たちが次々と何やら呪文を唱えてはパフェみたいにクリームを盛ったものを受け取っている。

 俺もたまには小洒落たものを頼んでみるかと改めてメニューに目を通すと、何だかよくわからない名前が並んでいた。しばらくの間迷っていると、店員さんが素敵な笑顔で首を斜め四十五度に傾けて呪文を唱え始めた。

「お客様はお持ち帰りですか店内お召し上がりですかこちら期間限定のピーチインピーチフラペチーノが人気となっております他にスターバックスリフレッシャーズビバレッジクールライムやチャンキークッキーフラペチーノウイズチョコレートチップも季節のおすすめ商品となっておりますがいかがでしょうかご注文お決まりですか」

 何か店員さんが俺に魔法をかけようとしているらしい。どっかのアニメで女の子はみんな魔法少女ですと言っていたのをぼんやりと思い出した。後ろに並んだサンダル履きのお姉さんが踵をカツカツ鳴らして宙を睨みながらスマホの広告入り団扇で顔を扇いでいる。暑いからみんな、気が立っているのかもしれない。俺は中身もわからないままチャンキークッキーフラペチーノウイズチョコレートチップを頼んだ。すぐに茶色のクリームを盛り、斜めに太い緑色のストローを挿した飲み物らしきものがカウンターに出てくる。

 席についてスマートフォンで検索してみたところ、フラペチーノはフラッペとカプチーノを元にした造語で商標登録済みだと明確な説明があった。なるほど、よくわからん。とりあえず飲んでみると、滑らかなクリームの合間でクッキーを砕いたらしきものが舌の上で遊び、チョコレートチップの甘みが広がって名前の意味がわかった気がしたが、結局のところチャンキーはよくわからない。結局よくわからないが美味いからまあいいか。

 飲み物は良い感じに冷えていて店内は冷房もされているので、飲み物を飲んでいるうちに汗がひいてきた。これは良かったと思っていると次第に膝がきしきし鳴り始めた。大学以来、海水浴以外に膝を出して歩くことなんてなかったから冷房にやられたようだ。

 店内を見回すと、向こうの席に薄桃色の布地に花火をあしらった浴衣を着た、お人形みたいな幼稚園児程度の女の子が母親と座っていた。彼女は素敵なかわいい笑顔でこっちを指差すと、信号が座っているよと母親に語りかけやがった。

 信号。そうだ、何も考えず赤いTシャツに青いショートパンツを揃えてしまった。一応スマートフォンで検索すると、ご丁寧にも縦型の信号機は上が赤、下が青だ。しかも俺は赤青の両方点灯している間抜けな信号機だ。買ってたった一時間しか経っていないのに、いきなり幼稚園児にファッションセンスで完全敗北を喫したようだ。

 一気にぐったりとしてスマートフォンを取り出して夏服、涼しい服、などと検索し始めたが、どうにも方向が定まらない。さっきの幼稚園児は無邪気に浴衣の袖を振りながら楽しそうに母親とじゃれあっていた。

 浴衣。そうだ、浴衣だ。浴衣なら長いから膝は痛くならないし、そもそも夏に着るものだから涼しいだろう。改めて男の浴衣について検索を始めると、幾らか情報が出てきた。女性物と違ってユニクロや大型スーパーでは男性浴衣は買えないそうで、和装の店に行く他ないようだ。そのぶん激安品は無いと。

 財布の中を覗く。ボーナスも出たばかりだなと思い返した。もう少し検索すると、社会人なら激安は買うなと書いている人もいる。何よりスマートフォンに表示された浴衣姿の男たちは全員が涼しげで楽そうだ。おまけに今日は花火大会もあるようだ。

 もう少し調べると、花火大会以外にも着て良いという記事が多く出てくる。夕方以外に着るのはマナー違反だと言っているサイトもあれば、そんなマナーはこの十年で滅びていると言っている人、さらには戦前の銀座の写真を引っ張り出して、昼間に着ている証拠があると主張している人もいる。

 浴衣男子という浴衣愛用者の交流サイトでは、他人の家や店に行く際に浴衣は失礼だと書いてある一方、穴空きジーンズにTシャツより浴衣の方が格下なのかと訊いている人もいて、ジーンズより格下はありえないという大量の投稿がされていた。何やら煩雑だが、ジーンズにTシャツと同等です、という記事に納得した。というか納得したことにする。

 俺は和装店を検索すると席を立った。


 地下商店街にある店なので、一軒家の店のような敷居の高さは無いものの、入口でうろうろと迷ってしまう。店先には色鮮やかな女性用の浴衣が並べられており、奥にはいかにも高そうな振袖が展示されていた。

 とりあえず店内を見回すと、少し色のくすんだ一角が見えた。近寄ってみると男性用の売場で、浴衣と帯と下駄の三点セットなどが展示されている。脇には藍色の巾着袋が置いてあり、信玄袋と書いてある。武田信玄と関係があるのだろうか、手には取らずに眺めてみたが、あまりよくわからない。

 浴衣はSサイズから3Lサイズまで並んでいるが、身長ではなく身丈など、これまたよくわからないサイズ単位が表示されている。色は藍か紺らしき色と白っぽいものがあり、女性物のような派手な柄物は無いようだ。あと、何故かアニメキャラクターをあしらった鼻緒の下駄をおすすめ商品に掲げている。

 とにかく手掛かりが少なすぎるので、とりあえず意味なく信玄袋を手に取って開けたり閉めたりしてみる。偶然なのか大きめのタブレットがちょうどぴったり収まるサイズだ。あまり関係無いのだが、何だか少し自分の身近な世界に寄ってきたように感じた。

「何かお探しで」

 着物を着た細身の男性がほとんど気配もなく現れた。着物のせいか、それとも業界の違いなのか何となくビジネススーツ店の店員さんとは違う雰囲気がある。どことなく物腰が女性的な感じはあるが、いわゆるオカマと言われるような珍妙な気配はない。過去に会った羽織を着ている人たちはどうも偉ぶった人が多くてあまり良い印象はなかったのだが、羽織と性格の間に関係はないようだ。

 俺は店内を見回し、何となく印象の良かった黒みがかった服を指差した。畳んであるので和服の仲間だということしかわからない。

「こちら、甚平ですね。甚平をお探しで」

 甚平と言われて俺は首を傾げる。店員さんは吊るしてある服を一着取って見せた。袖に袂がなく法被のような形で、ショートパンツのようなものがセットになっている。

 店員さんはショートパンツを取り出して、今の季節は涼しいですよ、と俺の太腿に目を走らせてから言った。

 たまに老人が履いているアレか。あとお祭りのときに、コンビニ前にたむろしている金髪頭がよく着ているやつだ。買いたいものとは違う。だが俺もショートパンツを履いて店に来ているので、店員さんはこの手を探していると勘違いしているのかもしれない。

 俺はショートパンツが冷える話をして、浴衣とか何か、ともそもそ呟いた。すると彼はすぐに甚平を元に戻し、平台にざざっと浴衣を五着ほど並べて言った。

「これに帯と小物を合わせて如何でしょう。お色や柄を選んでいただければどれでも一万円でよろしいですよ」

 うん教科書的な猫なで声。完璧な営業スマイル。でもまあ、組立パソコン店のマニアな早口トークに慣れている俺の場合、舞い上がりもせず不快感もなく。

 相場はよくわからないが、さっきネットで見たのも一万円近かった気がする。結局はとりあえず無難そうな紺色で、ツバメの刺繍がついたものを選んだ。店員さんは即座におすすめの帯を持ってくる。これもよくわからないのでそのまま価格だけ確認して決める。

 さて、問題は着付けだ。以前に地元イベントの参加で仲間と踊った際には着付けの先生が全員分を着付けてくれたが、買うとなるとそんなわけにいかない。俺はおずおずと、帯の締め方が、と呟くように言うと、ではお教えしましょう、男性はすぐ覚えられます、とまた猫撫で声で俺を手招きした。奥には畳敷きの小上がりのようなものがあり、そこに上がるように言われる。

 着て行きますか、というので頷くと、シャツとショートパンツも脱ぐように言われた。服を脱ぐと、店員さんは先ほど買った浴衣を俺に着せて、柔らかいコルセットのようなものを腰に巻いた。そういや以前に着付けしてもらった際は、何でも良いから紐を持参しろと言われた。先輩はどこから調達したのか工事現場で使う黄黒のトラロープを持参して着付けの先生に溜息をつかれていたものだ。

「マジックベルトだと、簡単に着付けできますよ。消費税込みで千五百円です」

 またチャシャ猫がかった素敵スマイルでこちらを見上げる。仕方ない、これも買うか。トラロープは俺も勘弁だ。くるりくるりと帯を巻かれ、最後に腹の前で帯を締める。貝の口というらしい。確かに締めた一方から伸びた先がバカ貝の足に似ているような気がする。

 俺は着ていた服を袋に入れてもらい履物も下駄に換えると、衣服をコインロッカーに放り込んでからりと音を立てながら街へと繰りだすことにした。


 いつもスマホと財布はポケットに入れているのだが、浴衣にはポケットがない。スマホで検索すると袂に入れろと書いてある。そういえば落語で袂から財布を出す仕草をしていたような気がする。試しに入れてみたが、薄い生地に財布とスマホの両方は重すぎる。まあ、鞄に放り込んで歩くとするか。

 ポケットが無いという不満を除けば、胸元が大きく開いているので涼しい。元来、この湿気が高い日本では喉元を締めるワイシャツネクタイより着物ぐらい開いている方が合理的なのかもしれない。下半身もスラックスが股に食い込んでこないので格段に涼しい。スカートはこういう涼しさなのか。やっぱり良さそうだスカート。さすがに履かないけど。

 ぶらぶら歩いていると、お茶屋さんと目が合う。店員さんが手招きするので行ってみると冷茶の試飲をすすめてきた。旨いがちょっと手間がかかりそうなので断ってまた歩き始める。普段は声をかけられないので、浴衣で顧客になりそうだと思われたのだろうか。

 俺は良い気分のまま地下鉄に乗った。席に着くと俺の目の前に髭面の男が立った。彼は黒の中折れ帽、モスグリーンのワイシャツに粗い織りの黒いクールビズネクタイ、グレーのジャケットにセット品らしきショートパンツ、足元はスポーツサンダルと、クールビズの究極詰めて見ましたといった出で立ちだ。

 何となく嫌な感じがして俺はスマホを鞄から出して適当にウェブサイトを見始めた。すると男の視線がさらに強く感じる。

「ねえあんた」

 話しかけてきやがった。俺は渋々顔を上げる。もしかしてスマホはマナー違反とか喚きだすのか。スマホ夢中作戦は失敗か。だが男は穏やかな声で妙なことを口走った。

「君ね、アイヌの集落を米国のスパイが言語調査していたことについて、暗号論的な見地でどう思うかね」

 なんか言い出したぞこのおっさん。だが彼の目は俺の答えを期待している。仕方無いので俺はまともに答える。

「戦前の米国で、英語じゃなくネイティブアメリカンの言葉を暗号化することで、暗号を解く際のハードルを上げたという話を聞いたことがありますね」

「なるほど。わからない言葉なら暗号のようなものか。二重暗号、暗号の冗長化ね」

 彼は満足げに頷き、そして怪しい笑みを浮かべて再び口を開いた。

「じゃあ、時代から外れた服装、見慣れない服装、それは歩く暗号ではないかね」

 逃げることばかり考えていた俺は、改めてこの男を見つめた。服装が暗号だと。

「ある一定の服装することで仲間を見分け、仲間であるという情報を交換する。服装に詳しくなければ見てもわからない」

「僕の、浴衣は暗号じゃないですよ」

「今日は花火大会で、その花火を共有する者同士の暗号じゃないか。ネットコミュニティのアカウントやニックネームみたいに」

 次第に地下鉄の速度が遅くなってきた。駅に到着する。花火会場に向かう客が乗り、車内が浴衣だらけになる。男が浴衣を着た女子に押し流されて離れていった。だが男の怪しい笑みが記憶に焼きついたままになる。

 俺は再び周囲を見回した。俺以外にも浴衣を着た男がいる。ほとんどは女連れのカップルのようだ。さっきの話は奴のおかしな妄想だと思う。思うことにする。

 女子たちが狭い中、スマホを取り出していじり始める。ほとんどがLINEで何かのメッセージを交換しているようだ。ほぼ全員が画面の内側の世界に繋がっている。列車の扉を閉じる警告ベルがけたたましく鳴った。遠くで中折れ帽の男が甲高い笑い声を上げる。

 浴衣の集団を乗せた地下鉄が花火大会へと発車した。

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