文芸船

君への声

 好き? といつものように訊かれて、当然のように、好き、と答えようとした。でもなぜか声が出なかった。彼は怪訝な表情を浮かべる。私は言い訳に、なんだか声が出なかった、と笑った。そして改めて好き、と言おうとした。

 やはり声が出ない。自分の顔が歪むのがわかる。彼はますます怪訝な表情を浮かべる。でも、好き、って言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。ほんとに好きなのに、と叫ぼうとして思い直した。彼の顔を見つめる。見慣れた平凡だけど安心できるいつもの顔。声が出ないことに焦りながら、なぜか冷静に彼を見つめる私がそこにいた。

 好きなのかな。思った言葉がいきなり口からこぼれた。彼の目が大きく見開かれる。私は違うの、と叫ぼうとした。でも、それより早く彼は呟くように言った。

 お前もかよ。

 ぼんやりと彼を見つめる。彼は妙に冷めた視線で私を見つめ返した。私が手を延ばそうとすると、彼は顔を避けて言う。

 お前、重いんだよ。

 体重? なんてぼけたこと考えて、すぐに彼の視線を思い直した。そうか。そういう意味か。メールの回数、時折ある生返事。幾つかの最近の彼に、意味が一つに連なっていく。そして、それを軽視していた私自身がここにいた。

 君もなんだね。

 さらりと声が出る。恭一、って名前で呼ぶよりも、出会ったばかりの頃の、君、という呼び方が不思議なほど唇に馴染んだ。彼自身、私の呼びかけに全く違和感がないようだ。

 恭一はあっさりしたものだった。泣くどころか怒りもしなければはしゃぎもせず、ただ門限が迫ったみたいな調子で、じゃあな、と言って珈琲を一息に飲み干すと席を立った。

 バイバイ。

 彼の背中を見送る。変なの。むかつくわけじゃないけど、でもなんか、なんか足りない。何か忘れてる。私はどうしようもなく駆けていって扉を大きく開け、彼の背中を目で追った。

 好きだったんだぞ、口の中で呟く。好きだよ、感情を込めないで言う。言えた言葉に私は小さく溜息をついた。

 好きだったんだよ、君を。

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