文芸船

紅い香り

 気ままに自転車を走らせていると、一風変わった店を見つけることがある。今回もそうだった。

 「紅茶専門店・くれない」

 丸文字風のレタリングを施した看板。窓際には金色の缶が並び、ドアにはワッフルのイラストが描いてある。窓はレース付きのカーテンがかかり、中の様子は窺えなかった。でも建物全体から滲む雰囲気はずいぶん女性的にまとめられている。

 紅茶専門店という珍しさに惹かれた。でも少女趣味な外装と「専門店」という肩書きには気後れしてしまう。そんなわけで僕はそのまま店の前を自転車で行ったり来たりしていた。

「あの、どうかしました?」

 いきなり声をかけられる。驚いて目を向けると窓から女の子が顔を出していた。ベージュ色のエプロンが不思議と似合っている。うなじにかかるふうわりした後れ毛が可愛い娘だ。落とし物ですか、と清冽な声が通る。僕は慌てて自転車から降りて答えた。

「あの、店に入ろうか迷ってまして」

 くすっ、と笑って窓から首を引っ込めると、すぐに店の扉が小さな鈴の音とともに開く。

「いらっしゃいませ、お客様」

 少女は微笑みを浮かべてドアを開け放している。僕は自転車を玄関に止めるとおずおずと店に入った。中は普通の喫茶店だ。でもさすが紅茶専門店らしく、カウンターには様々な茶葉の見本が並べられている。また、奥には小さな陶器のポットが何個も置いてあった。

 少女はさっきの笑顔でメニューを広げてみせる。他に客はおらず、僕の貸し切りのような雰囲気だ。

「あの、あんまり紅茶詳しくないんだけど」

 思わず正直に言ってしまう。すると少女は自慢げな表情で訊いてきた。

「変わった香りでもよろしいですか。良いものがあるんです。安いわりに面白い紅茶が」

 彼女は勝手に頷いてポットに茶葉を入れてしまった。お湯を沸かしポットに注ぐ。蓋を閉めると綿の入った帽子みたいなものをポットに被せる。

「かわいいでしょ。これ、お湯を冷まさないためなんですよ」

 彼女はまた自慢げに説明しながらワッフルを皿に載せた。ナイフとフォークを使う、大きなワッフル。メープルシロップが小さな金属の器で添えられている。そして彼女はティーカップを目の前に置いた。

「当店オリジナルブレンドです」

 ポットから紅茶を注ぐ。途端、香りが鼻の奥まで広がった。普通の紅茶と違って甘酸っぱいような、そんな香り。何かハーブでも混じっているのだろうか。

「良い香りでしょ? どうぞ」

 言われるまま、とりあえず紅茶に口をつけてみた。すると口の中にも甘酸っぱさが広がる。確かに紅茶の味だけど、どこかフルーツのような、そんな爽やかさが舌の上を流れていく。続いてワッフルに取りかかった。メープルシロップをたっぷりとかけ、ナイフとフォークで一切れ切り取る。口に運ぶとその柔らかさが良くわかる。唇だけでも噛みきれそうなほど柔らかで儚い。でも、それでいてしっかりと味わえる、そんなワッフル。

「良いでしょ。このワッフルも当店自家製なんですから」

 中身はずいぶんと良い店だった。こうやって紅茶を飲みながら座っていると、少女趣味のインテリアがむしろ良いように思えてくるから不思議なものだ。それにしてもなぜ、この店は少女独りなのか。奇妙な話だった。ハンバーガーショップならともかくちゃんとした喫茶店に大人がいないのはどう考えても奇異でしかない。

「他に店員さんいないんですか?」

 思い切って訊くと、彼女は舌を出して言った。

「いやー、ほんとはお店休みなんです。内緒で開いちゃたの。両親が旅行に行ってるんで、悪戯しちゃおうって」

 なるほど。僕はままごとに付き合わされたわけだ。でも中身はその辺の喫茶店よりしっかりしてるけど。少しの間沈黙があった。少女はなぜか僕の顔を見つめる。目を背けると、カウンターの隅に転がっているギターが目に入った。彼女はすぐにそのギターを抱えて尋ねてきた。

「あの、北高生の方ですよね」

 私服なのにいきなり言い当てられてびっくりする。彼女は笑顔ですぐに種明かしをした。

「私、北高の一年なんです。で、学園祭で弾き語りやってみようかな、なんて思ってるんですよ」

「聴きたいね。せっかくだからオリジナルの曲が良いな」

「うーん、曲はあるんだけど歌詞がないの。それでも良い?」

 僕は黙ってうなずく。彼女は弦に手を添える。目を軽く閉じて息を大きく吸い、すぐにかき鳴らし始める。やはり最高の声だった。話し声は耳に刺さるのに、歌声は体を預けたくなる声だ。ただのハミングだけで歌詞もないのに、素敵なバラードを聴いた錯覚に陥っていた。

 歌い終わると、彼女は悪戯っぽく目を輝かせて僕を見つめた。僕はちょっと考え込んで、そして答える。

「声も演奏もすごく良かったよ。曲も綺麗だし」

「ほんと?」

 僕は小さくうなずきながら、悪戯を思いついた。

「僕、詩を書けるんだ」

「へえ、詩人さん?」

彼女は物珍しそうな目で僕を眺める。僕は続けて言った。

「僕の詩に曲をつけて歌って欲しいんだ。面白そうだろ?」

「良いですよ。でも曲を書き直すのに時間かかりますから、学園祭で聞きに来てくれます?」

 僕はうなずき、その場で即興の歌詞を書いて渡した。彼女は詩を書いたメモを胸に抱いて見せる。僕は残りの紅茶を飲み干すと再会を約束して店を出た。学園祭が待ち遠しく思えた。


 遂に学園祭の日になった。校内を気ままにぶらつくと、例の彼女の出店は一目でわかった。

「紅茶カラオケ」

 こんなこと考えつくなんて彼女ぐらいだろう。案の定、中ではギターが響いていた。僕はそっと後ろのドアから入る。

「いらっしゃいませ! 紅茶百円でーす!」

 入った途端、生徒がわらわらと寄ってきた。見ると他にも生徒や親戚らしい人の姿がある。僕は財布から小銭を取り出して紙コップ入りの紅茶と交換した。奥を見ると、彼女はちょうどギターの調律をしていた。肩を揺らすと顔を上げる。僕の姿を認めたのか、こっちに向かって笑顔を見せた。楽器を抱えた他のメンバーが舞台を降りる。でも彼女だけは独り、アコースティックギターを抱えたままだ。

 彼女は教室全体を見回すとよく通る声で告げた。

「オリジナル曲『紅い媚薬』を歌います。よろしく!」

 言ってまた僕にウインクを送り、弦に手をかける。喫茶店で聴いた曲に僕の詩を乗せた歌声が響いた。ちょっとだけアレンジしてはいるけれど、ほとんどそのままで。詩も全く手を入れぬまま。でも、イメージ通りだった。いや、それ以上の出来で。歌声が通っていく。耳の中に染み込んでいく。

 ふと、曲が中断した。彼女は弦に手をかけたまま。そして顔を上げ、今度はゆっくりと詩の一節を朗読する。

I want you
I want you

届いてよこの気持ち
I need you
I need you

呟きをわかって欲しい

 だが、彼女は最後の「届かないこの気持ち」を言い淀んで唇を噛む。全員の視線が集まる中、彼女は真っすぐ僕を見つめるとはっきり僕を指差して叫んだ。

「あなたのことです。ほんとに、歌と同じ気持ちなの。私、初めからあなたのこと知ってたの!」

 いきなり舞台を降り、まっすぐ僕の前にたどり着く。周りの客も、他の生徒たちもあっけにとられたまま。でも彼女は僕のそばにたどり着く。

「歌わなきゃだめ? 『届かないこの気持ち』って。私の歌、ハッピーエンドにしてくれない?」

 彼女は僕の手の中で冷めた紅茶を取り上げ、一気に喉へ流し込むとPlease kiss me、と歌詞の一部を囁く。いつの間にか、僕の手は彼女の頰を撫でていた。彼女は静かに目を閉じる。僕は額に軽く口づけた。

「これだけ?」

「自己紹介、まだだろ」

 照れ隠しの言葉に、彼女は声を上げて笑った。

「私は美紀! ほら、今度はあなたの名前と唇を教えてよ!」

 僕はうなずいて、彼女の肩をしっかりと抱きしめる。頭の中ではハッピーエンドの詩が洪水のように流れていた。

文芸船profile & mail