文芸船

壊れたスピーカー

 物置は頼んだぞ、と向こうで怒鳴る父に、僕は手を振ってうなずくと長靴に足を入れた。冷え切った空気が喉を刺してくる。踏みしめるたびに雪の鳴き声が響く。桟に積もった雪が北風に舞って頰を叩いた。今日は年末の大掃除前に、不要なものを捨てる準備をするよう母から僕と父に厳命が下ったのだ。母は片付け魔なのだが、父も僕も使えそうな気がすると言って何でも取っておく性なので、家に溜まっている不要な物はほとんどが僕たち二人の物というわけだ。

 軋む引き戸を開けて物置に入る。思った通り、出てくる物は足の折れた椅子や穴のあいた浮輪、煙草の焦げ跡つきのビニールシート、そんなどうしようもないがらくたばかりだ。だいぶ片づいた頃、妙に大きい木製の箱が奥に見えた。潜っていって確かめると、それは身長ほどもある大きなスピーカーだった。僕の見たことの無いロゴが貼ってあり外見は型が古く見える程度だが、サランネットを外すとコーンが完全に破れていた。

「このスピーカーもごみに出して構わないだろ」

 家の奥に怒鳴ると父がやってきた。スピーカーを引っ張り出すと、父は懐かしげな表情を浮かべ、修復は無理かな、と呟く。僕が苦笑すると、父は改めて呻いた。いつ手に入れたのかは知らないがよほど高かったものだろう。でもすぐに僕は妙なことに気がついた。うちにある最高のオーディオは僕のミニコンポなのだ。父は呻くように言った。

「スピーカー捨てるの、もう少し待ってくれないか」

 どうするの、と訊いても父はまた黙りこくったまま奥に戻ってしまった。夕食の最中も父は寡黙だった。いつも二缶は空けるビールが口も開けないままテーブルに残されていた。食事の後もテレビを無関心そうに眺める父の背中に僕は妙な不安を覚えた。

 自分の部屋に戻り、ミニコンポの電源を入れた。流行りのパステルブルーに塗られたスピーカーを見ていると、なぜかあの古ぼけたスピーカーが不憫に思えて妙に考え込んでしまう。

 携帯の鳴る音で我に返った。考え込んでいるうちに居眠りしていたようだ。壁に掛かった時計を見上げるともう二十二時を指していた。慌てて電話を受け取ると、馴染みのやんちゃな声が受話器から飛び出してきた。

『今からそっちに行って良い?』

 加奈の声だ。こいつは一緒に軽音部をやっている娘で、幼馴染だからよく無茶を言う。ちょっとだけな、と答えると加奈は明るい声で一方的に電話を切ってしまう。僕はとりあえず散らかした部屋を片づけ始めた。


 僕の父と加奈の父は昔からの付き合いで、僕たちが生まれる前はかなり仲がか良かったらしいが、今は何故かよそよそしい。ただ、理由を聞ける雰囲気はなく僕も加奈も何があったのかは全くわからない。でも僕と加奈は幼馴染のせいか、高校生になっても同性の友だちのような気軽さでの友達付き合いが続いている。だからこそ親の不仲は僕ら共通の悩みなのだ。

 呼び鈴が鳴り、軽い足音が近づいてくる。僕が開ける間もなく向こうからドアが開けられた。加奈は入ってくるなり僕のコンポを止めて彼女がお気に入りのCDと交換してしまう。こういう自分勝手はちょっと困るが、いつものことなので文句を言うのはやめにした。

 部費のやりくりの話をして、雑談で笑って。ちょっと話が途切れたとき、加奈はふとコンポに目を向けた。

「やっぱミニコンポじゃこんなもんよね。先輩の高いコンポ、もっとすごい音だったもん」

 僕はすぐにまた父のスピーカーを思い出した。僕はちょっとした悪戯のつもりで話す。

「物置で父さんのでかいスピーカー見つけたんだ。でも壊れてるし、動かすアンプも何もないんだよね」

 加奈は驚いた顔で妙なことを言い出す。

「うちにも立派なアンプとレコードプレーヤーあるの。でもスピーカーだけないの。ちょっと勝手にCDプレーヤーつないでヘッドホンで聴いてただけで怒るしさ」

 二人で考え込む。じっと考える。そして加奈が顔を上げた。

「ねえ、そのスピーカーってうちのアンプにつないでたんじゃないかな。高級品、偶然って変だと思う。きっと昔に二人で買ったんだよ」

 確かに納得出来る。でも、やっぱり引っかかる。僕はコーンが破れていたことを話した。

「父さんたちがよそよそしいの、きっとそれが原因だよ」

「何があったんだろ」

 僕の呟きに加奈も黙り込んでしまう。確かにそんな風にも思える。筋は合う。僕は今日の大掃除の話を続けた。

「父さん、そのスピーカー捨てようかどうか迷ってるんだ」

 すると加奈は何か悪戯を思いついたような表情で僕に囁いた。

「ねえ、そのスピーカーで何とか仲直りさせられないかな」

 どうやって、と訊き返すと加奈は冷めとすぎだぞ、と口を尖らして天井を仰いだ。しばらくして加奈は決心した表情で言った。

「ね、この間の曲であの頑固親父二人へのライブやろうよ」

「どうなるのさ」

 ふふ、と加奈は笑うと、加奈は僕の棚からDVDを引きずりだした。NightWishEnd Of An Era。フィンランドのシンフォニック・メタルの大物バンドで、このDVDに収録されたライブは最高の出来だと言われているのだが、このライブ直後にメインボーカルがバンドから解雇されたという。最高の音楽と最悪のスキャンダルが絡んだDVDなのだ。

「この話をちょっとヒントにごにょごにょするわけ。私がプロデュースするから任せて」

 また加奈の無茶が始まった。でも僕は溜息をついて答える。

「で、プロデューサー様、僕は何をすればよろしいので?」

「ギターの練習しておいて。歌詞は私が書き直しとく。そのスピーカーはしばらく運びだすことになるから、上手く誤魔化して。あと、資金は半分こで」

 言って加奈は携帯を取り出すと何か検索を始めた。手元を覗くと「スピーカー 修理」というキーワードで検索をかけている。あかんべえをするように小さく舌を出しながら鼻歌を歌っている。こうなればもう、自分の考えだけで突っ走るのは幼稚園からずっとのことなので、僕はいつも通り加奈に引きずり回されることを心に決めた。加奈は検索の手を止めると、人差し指を立てて断言した。

「決行はクリスマス・イヴ、市立公園にて!」

 僕は改めて溜息をつくと加奈に五線譜を渡した。


 公園は完全に雪景色だった。動く遊具は全て取り外され、ブランコの支柱だけが寒空に晒されていた。朱に熟したナナカマドの実が純白の砂漠に優しく映える。ヒヨドリの甲高い叫びは、僕らのささやかな開演を告げるブザーのように響いていた。

 僕の加奈の父二人は揃ってデジカメを構えており、お互いに言葉を交わそうとはしない。今回の企みには、母がその場にいると意地になりそうなので席を外してもらっている。母が両家ともいないことに違和感を感じそうなものだが、その辺りは両家とも母はしたたかと言うか上手というか、上手く言いくるめてしまったらしい。加奈は驚きもせず、そんなもんでしょ、と言っていたのは、やはり女はちょっと怖いと思う。

 ギターの弦を軽く弾いて指の感触を確かめる。これほどの寒さだと本当に一曲こなすのが精いっぱいだ。加奈は喉の調子を確かめると、やっとマイクのスイッチを入れた。

「皆さん、私たち二人のコンサートにようこそ。これから始めるのは、私と浩治で作った曲。私たちの曲です」

 いつもと違って加奈の喋りがやたらと硬い。まあ父親だけを相手にノリを出せって言う方が無茶だけど。ふと、幼稚園のお遊戯会で加奈が代表して口火を切って喋って、途中で台詞を忘れて泣き出したことを思い出して笑ってしまいそうになる。

「じゃ、いくよ!」

 加奈の声で僕は今の時間に返った。指が弦の上を滑る。加奈のシャウトが雪原に浸み通る。凍結した空気が熱を帯びて振動する。今までで最高の出来だった。胸に秘めた思いを歌った加奈の詞も良い。蓄積してきた全てが一気に噴出したようだった。加奈が振り向ける視線は音楽だけに身を捧げているようだ。僕の指先の冷たさもいつのまにか感じなくなっていた。

 曲が終わると加奈は僕に駆け寄った。父二人を見回し、再びマイクを口元に寄せてゆっくりと話し始める。

「今日はこれで終わりです。そして、この曲はこれっきり。私はもう再びこの曲、歌う気はありません」

 途端、満足そうな表情だった加奈の父が声を荒らげた。

「この曲をもう歌わないなんてもったいないだろう」

「浩治、どういうことなんだ」

 僕の父も不機嫌に詰め寄る。でもすぐに二人は互いを睨み合って黙り込む。加奈はそんな二人を怒鳴りつけた。

「私たち、喧嘩したのでこれでさよならするんです」

 打ち合わせどおり、僕は加奈に背を向けた。父二人は初めて正面から顔を見合わせ、同時にお前が何か余計なことを、と罵り始めた。途端、加奈はマイクを放り出し、肉声で怒鳴った。

「何でいつまでも喧嘩してるの。私や浩治も本当に父さんたちみたいになっちゃうわけ? そんなの嫌だよ!」

 僕は後ろに隠しておいたオーディオセットから布を取りのけ、予め用意しておいたCD-Rをセットする。

『私たち二人のコンサートにようこそ』

 さっきの加奈の声が壊れたはずのスピーカーから録音と思えない完全な音で流れた。加奈は父たちに詰め寄る。

「ねえ、この最高のオーディオでもう一度聴いてみたくない? 私たち最高のコンサート、もう一度聴いてみたくない? この素晴らしいスピーカーとアンプ、生かしてあげようよ!」

 すると僕の父が唸るような声で答える。

「一度壊れた仲は直せないさ」

「直せないはずのスピーカー、ちゃんと鳴ってるよ。それに私たちはやっぱり友だちだし。それでも喧嘩やめないの?」

 加奈は僕を手招きする。隣に立つと僕の手を握った。打ち合わせどおりのはずなのに、ライブパフォーマンスで一緒に手を振り上げるときとは全然違う、もっと柔らかい感じのつなぎ方に僕は密かに動悸してしまう。

 呼びかけに重ねて、スピーカーは僕らの音楽を必死で吐き出し続けていた。加奈の父がついに告白した。

「壊したのは俺だ。付き合ってた女に『オーディオと私、どっちが大事?』ってからかわれたんだ。だからやった。結局別れたけど、それ以上に浩治のお父さんとも離れた」

「みみっちい。何でいつまでもうじうじしてるのよ!」

「もう良いだろ。二十年も昔のこと、もうやめろよ!」

 父は立ち上がり、ゆっくりと加奈のお父さんに寄っていく。そして肩に手を置いて呼びかけた。

「あの間抜けなセッティングを直さないか? オーディオが泣いてやがる。俺たちの力、見せてやろうぜ」

 加奈の父は唇を噛みしめて頭を下げる。

「俺もあのときは酷かったさ。謝るのはあいつらにだ」

 父の言葉でやっと加奈のお父さんが笑みをみせて言った。

「とりあえず運ぼう。奴らに最高の音を聴かせてやるか」

 父は加奈の父さんにおどけた調子で訊く。

「クリスマスプレゼント、あいつらに二人でやらんか?」

「そりゃ良いや。このオーディオ、プレゼントにするか。こいつで聴くクリスマスソングは最高だぞ」

 僕と加奈は顔を見合わせて吹き出す。父たちはそんな僕らを置きざりにして昔話にのめり込んでいく。話題はすっかりマニアになって僕たちにはついていけない話ばかりだ。

 幼い頃に通った幼稚園から響くクリスマスキャロルは、少し年老いた音楽好きを讃えているように思えた。

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