文芸船

無味無臭

 ネットの上をうろついていたらひろゆきが僕と全くの同い年だって話を見つけた。それなりに知られた人が同い年だと知ったら驚くものだと思うのだけれど、このときはやっぱりな、としか思わなかった。

 ひろゆき、と言ったってどこのひろゆきだよ、って思う人もいるかも知れない。印象だけで書いちゃうと、電車男だとか犯罪予告だとかモナーだとか、何となく一本ねじの抜けた反社会みたいな掲示板の2ちゃんねるを興して管理人をやってる人だ。ネットの上で公開してるひろゆきの日記を読むと、世間体とか常識とかを無視して世の中のこれは変だ、とか指摘しつつ、でも僕は知らないよ、って結局ぼーっと眺めてる。そんなところはやっぱり僕たちの世代は一緒なんだなと思う。

 世代、って言葉が最近身にしみるのは、たぶん学生時代が遠くなってきたせいだ。結婚とか出産だとかいう話も周りに出てきて、集まれば酒が弱くなっただの風邪が治りにくいだの、中には健康診断の成人病でひっかかる奴までいたりしてそのくせ四十代後半の話を聞けば何だこのおっさん、なんて気分もあったりする。そんな色んな気分がごちゃごちゃに混じったもやもやに突貫工事で世代って言葉を看板に仕立ててみた、ってとこだろう。

 じゃあお前の世代って何があるんだよ、なんて問い詰められると空を見上げてあー、なんて曖昧な声だけ出して逃げ出したくなる。とくに世代の話で暑苦しく燃え上がる団塊の世代とか全共闘とかいう上の人たちに迫られると、とりあえず愛想笑いでもして済ましておこうかなんて逃げ腰になるわけだ。だいたいネットの掲示板を見れば「無味無臭世代。いたの?」なんて書かれてフリーターだらけでニートだらけでついでに引きこもりも足して特大盛り一丁な僕たちだから、そっとしておいてくれないと練炭買って車に目張りしちゃうぞみたいな気分になる。とりあえず就職だけは勝ったのかなって奴もほんとに自分に実力があるだなんて思ってるのはよっぽどの奴だけで、結構みんな弱気だったりする。

 上の人たちがやたらと団結して強気なのはきっと団結していれば上手くいった人たちなんだろう。僕らの周りでやたらと団結してたのは、大学に入った頃に地下鉄でサリン撒いた人たちとかWindows時代なのに手書きの印刷物を配りながらスナックのママを地域ブルジョワジーとか言って拡声器で批判してた人たちだとか、あとは真面目なくせに何も考えてなくて中学の風紀委員長を何回も喜んでやってた同級生ぐらいしか思いつかない。

 そんな世代の僕も転職してやっと落ち着いてきたような錯覚だか本当だかわかんない状態なんだけど、とりあえず落ち着いてきたことにしてついでにもっと落ちついてやろうかと、つまり結婚とかも考えてみると、彼女と別れて三年もへろへろしていたことに気づいて愕然としたのがこの一ヶ月前なんだ。

 それで、同い年で結構話の合う子をご飯に誘おうと計画したのが二週間前で告白したのが三日前で、メールであっさり駄目だ論外って返ってきたのが今から十六分前の話だ。

 とは言え、もう三十代も半ばに差し掛かる僕としてはわんわん泣いたり逆に次だ次だと走る元気もないわけで、しょうがないから温泉にでも入って気分を変えようとネットで温泉ガイドを検索しているうちにどこまでも横道に逸れて関係のないサイトを見てるってのが僕の現時点今の状況。

 で、そろそろやっぱり目的の温泉を見つけるぐらいはしようと検索すると、近所の温泉を色々まとめてるサイトがあったから中身も大して確認しないで印刷すると、タオルとボディソープを一緒にバッグに放り込んで車のキーをジーンズのポケットにねじ込んだ。

 部屋を出るとき、そういえば手紙が来てたんだよな、と気づいたんだけど便箋が切れてることも思い出したから、途中で思い出したら便箋買って帰って夜に返事書けば良いやなんて自分に言い訳だけしてドアを閉めた。


 向かった温泉は全くの初めてで、それも秘境っぽいところだ。秘境じゃなくて秘境っぽいって言うのは、無料、露天、湖の畔という条件と、国道沿いというあんまりに現実的なロケーションのおかげだ。だいたい今どき秘境ガイドなんて人もいる時代なんだから、秘境なんて言葉はブランド程度のものだ。

 窓からの景色は何だか良い気がした。良い気がした、って言う辺りからして感動してるんだかしてないんだかよくわかんないんだけど、それって言うのもなるべく振られたことを考えないようにしよう、と鈍感気分を作ってるからだ。そんなわけで、今の僕ってもしかして失恋旅行中なのか、と思ったらタイミングを見計らったみたいに日高吾郎が恋愛映画の紹介なんかしてくれるもんだからラジオを切ってCDに切り替えたらまたバラードが流れてくる辺り、いつもの僕の間の悪さを真正面から突きつけられている気がした。

 CDで間が悪いと言えば大学のサークルで一緒だった市川がかけるCDは最悪だと思う。ドライブだろうがなんだろうが、常にかけてるのはとにかく日本語以外でおまけに音楽ですらないとくる。市川は言語学専攻でイルカの言葉まで研究してて今年は遂に博士も取ったんだけど、かなり特殊な分野だから結局はまだ家庭教師その他で生活してるらしい。

 そういえば市川が言うには、今朝見ていた2ちゃんねるみたいな匿名掲示板ってものは全然インターネットらしくないんだそうだ。インターネット上の情報には必ずURIって名前が付いていて、インターネットは「URIに始まり信頼に至る」ものだそうで、市川に言わせれば匿名掲示板には肝心の名前も信頼もないから変だ、ってことになるらしい。

 でも、変だ変だって言っても現実にあるわけだし、世の中信頼なんて毎年ぽとぽと減ってるんだから的外れな気もする。でも、インターネットの情報にはみんな一つ一つ別な名前が付いてるのに、僕たちはどこかに同姓同名の人がいるかもしれなくて、その人が僕と勘違いされたりしてるかもしれないわけで、そんなことを思うと、誰かを知ってるって言うときの僕たちなんてずいぶんいい加減で信用できないな、なんて思ってしまう。

 一時間ぐらいだれた運転を続けていたら、ぽつんとソフトクリーム屋が建っていた。丸太小屋風の造りで、いかにもドライブ客目当てな幟を立てている。いつもならコーヒーも紅茶も無糖ミルク抜きの僕なんだけど、今日ばかりは何だか甘いものが欲しい気がした。本当に欲しいのか知らないけれど、そういう気がしたんだからとりあえず食べてみれば良い。僕は車を停めると店に足を向けた。

 車を下りてみると店というより本当に小さな小屋で、店員の暇そうなおばさんが一人だけぽつねんといるという店だ。周りに家がないところを見ると、このおばさんは一人でこの小屋に通勤してるのだろうか。キタキツネが化かしてる小屋みたいだなとか思いながら店のおばさんの顔を見ると、むしろタヌキに似ているから北海道にタヌキは生息圏じゃないし大丈夫だろうとか思って一個二百五十円の自家製ソフトクリームミルク味を買った。

 ソフトクリームのくせにミルク味なんて変だなとか思ってたんだけど、食べてみるとやたらに牛乳っぽい味がして意味がわかった。僕もウニアイスとか昆布アイスとか結構変なアイスクリームは食べてきたけれど、牛乳臭いソフトクリームは地味に凶暴な味だと思った。もう本気で正面突破の味。そこまで直球勝負してくるなよみたいな。で、その直球にやられ気味な僕は慌ててコーンを噛み砕いて味覚対決一本勝負を終わらせることにした。

 タヌキ顔のおばさんに見送られながら車を発進させた。ネットで印刷した地図によると温泉はもうかなり近いらしい。どのぐらい近いかって言うと、道探してるんだから後ろのドライバーどんどこ追い越してね、って気分になるぐらいの距離にいるはずなわけで、つまり必死になって探してるんだけどなかなか見つからない辺りはちょっと秘境風味だなんて思っておくと気楽に探せちゃったりするんじゃないかとか思ってしまうぐらい少し焦り気味になるような、そんな感じの場所だ。

 で、ひょっと見ると縁だけ赤く塗って錆の浮いた看板が沿道の木に括りつけてあるのを見つけた。僕はハンドルを切ると今どきめったにない砂利道をごがずごぐごごと進入していった。車を停めるとなるほど、車の窓からすら浴槽が見えてしまうほど囲いの無防備な風呂だ。僕は貴重品をダッシュボードやトランクに隠すとタオルだけを持って下りた。

 丸見え脱衣場には管理人の名前で簡単な注意書きが貼られていた。大した内容じゃないというかわざわざ違反するまでの話でもないのですぱっと忘れて服を脱ぐと適当にお湯をかぶってそのまま風呂に入ってしまった。

 風呂は湖とほんの三メートルしか離れていなくて、その上水際を何羽も白鳥が泳いでいるから顔半分をお湯に沈めて遠くを見ると湖を泳いでいる錯覚を起こしそうになる。白鳥がこっちに入ってきたらどうしようとか、でもあのにょろんとした首を掴んだら面白そうだなとかそんなことを思ってたんだけど、白鳥は僕のことなんか犬猫どころかその辺の木立程度にしか思ってないみたいに仲間内だけでくくくぅう、って騒いでるばかりだった。

 市川ならこの白鳥たちの騒ぎも会話の理論とかで説明したりするんだろうけど、僕にはただの騒ぎにしか聞こえない。そういえば僕がロックのCDを掛けると父が騒々しい、って言うのも同じようなものかもしれない。

 騒々しいとは言っても白鳥が目の前で泳いでるのはかなり贅沢だ。贅沢なはずだけど一品豪華主義は飽きるのも早いみたいで、三十分ほど入っていたらさすがに退屈してきた。そうしたら退屈検知器でもついてるみたいに携帯が鳴った。見てみると宮内さんだ。宮内さんは高校時代の女の先輩で、半年前にも転職したぞとか言ってた人だ。電話を取ると甲高い声が鼓膜を思いっきりぶっ叩いた。

「やっほー、なにやってんの今。元気?」

 男にはもてるが落ち着きという言葉にはふられっぱなしな宮内さんらしい口火の切り方で、でも相変わらずの喋り方に何だか僕は安心してしまう。周りの白鳥は着メロにすら驚かなかったぐらいだから、僕が喋っていても無関係に身内の小競り合いを続けていた。

 僕が白鳥を見ながら風呂に入っていることを話すと、先輩は呆れた声を出した。というか僕が先輩と話すと必ず一回は呆れた声を聞く破目になる。それは僕が呆れたことばかりやってるせいでもあるし、僕としては先輩がきっと呆れてやろうと待ち構えてるせいもあるんだと思い込むことにしている。

 先輩は、やっぱあんたは、と溜息をつくと再び詰め寄るような声で言った。

「あんた手紙の返事、どうなってんの。あんただけ返って来てないよ。人数決めるのに困るんだけど、どうすんの?」

 そういえばゴールデンウィークの飲み会がどうしたとか書いてあったような気もする。僕が曖昧な記憶を辿りながら答えると、先輩はあーあ、と言って改めて説明した。

「だーかーらー、みんなで三日、飲み会。集合場所はいつものゲーセン。って言うか、あのゲーセンつぶれちゃったからその跡地」

 そういえばあの店つぶれたんだっけ、と思い出す。高校時代からいつも待ち合わせはその店だったから、他の待ち合わせ場所なんて思いつくはずがない。年を一つとるごとに街が寂れていくっていうのは、もしかしたら大人になる感覚なのかもしれない。

 先輩は雑談に話を移し始めた。新しい職場の女の子からおばさん扱いされただの、パソコンが使いにくいだのと喋りまくる。そんなだだ漏れで流れる雑談に相槌を打ちつつ、何で今回はメールを使わなかったのか尋ねた。

「いや、たまにメールじゃなく手紙も格好良いかな、とかちょっと気分転換みたいな」

 そんなもんかい、と言いたくなったけれどたしかに手紙なんてめったに書かないし僕なんて便箋すら置いてなかったわけだしこれはこれで遊びなのかもなんてことも思う。でも先輩は珍しく小声になって言った。

「ちょっと可愛い便箋見つけたからね、使ってみようかなー、とか思ったんだけど、わざわざ改めて手紙出す相手もいないしさー」

 言い訳なのか本当なのか何だかよくわからないけど、僕も少し手紙を書いてみたいような気分になってくる。机の奥底にしまってある万年筆、今でも使えるだろうかと余計なことが気になって、だからそろそろ帰ろうかなんてことも思ったりしてやっぱり先輩はタイミングが悪いようで良い人だと思う。

 僕はとりあえず参加でと答えてから、手紙は書きますよ、と付け加える。もう用は終わったでしょ、と先輩は少し怒った声を出しながらも、絶対返事ちょうだい、と言った。

 ふと、僕はドライブに出る前に眺めていたネットのことを思い出したせいか、無味無臭、と何となく呟いてしまった。

「何それ、薬?」

 僕はネットの書き込みをまとまりもなく話した。すると先輩はうーん、と唸って言う。

「舌と鼻が麻痺」

 今度は僕の方が何それ、と訊く。すると先輩は、味も臭いもわからないのは単に麻痺だよ麻痺、と言って笑う。さすが高校時代から自分を中心に世界を回してる人だと思う。

 先輩はいつもの悪ふざけな声に変わった。

「無味無臭とか言ってさ、集まると毒ガス発生してるよね、何となく」

「そりゃ宮内さんが一番ですよ」

「よーくその風呂でゴールデンウィークまでに首洗っておきな、ね!」

 でもすぐに機嫌を直すと、待ってるよ、と言って電話が切れた。見ると電池がもう一目盛分も少なくなっていた。

 再び風呂から湖を眺めると、白鳥たちは相変わらず騒ぎ続けていた。どれも真っ白で年齢も雌雄もわからないけれど、みんなでずっと、ずっと騒いでいるばかりだった。

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