文芸船

穏やかな時間

 俺は棚から両手でバインダーを下ろすと書類を並べ直し始めた。さすがに半年も苦労しただけあって、指先まで大きく広げてやっとつかめるほど幅広のバインダーが書類で満杯になっている。だがそれも今週で片付くのだ。俺は丁寧に中身を確認しながらこの半年を思い返した。これまでに例のない仕事だった上、過去の失敗を同時に片付けなければならないという事情もあったため、法律から技術までとにかく広い範囲で勉強をする羽目になった。だがそれも今週で終わりだ。そう思うと安心感と一緒に妙な寂しさも感じてしまう。そんなに寂しいならもっとこの仕事をやらせてやろうなんて言われたら逃げ出したいほどなのだが、それでも不思議な寂しさがあった。

 金曜日だし片付きそうだし飲みに行くか、と上司が声をあげた。だが奥に座っている後輩は微妙な笑顔を浮かべてポケットに手を入れる。昼休みに必ずメールの着信音が鳴る側のポケットだ。彼は最近、週末になるとやたらと昼間は頑張って仕事をするぶん残業するか聞く暇もなく先に帰ってしまう。彼女と会うというところだろう。俺はファイルの表紙を叩き、来週の終了日に打ち上げにしましょうと答えた。上司は少し残念そうに、だが普段の落ち着いた調子に戻ってうなずいた。

 俺は席に戻るとパソコンのフォルダを眺める。書棚も乱れているが電子ファイルの配置は輪をかけた乱雑な状態だった。ファイル名もその場その場で付けているせいでまとまりがない。後輩は日付と部署名をファイル名に付けて管理するのが良いと勧めていたが、俺はどうも長いファイル名が好きになれない。

 ちょうど俺はWindows95が発売になった年に大学に入学した。当時は旧世代のパソコンとの互換性の問題で、ファイル名は長さを短く制限しておくと安全だと言われていた。そんな時期に初めてパソコンを触ったせいか、どうしてもファイル名は短くしておかないと座りが悪いのだ。この辺の感覚は不思議と俺たちの世代だけで、もっと上の世代になるとパソコンが苦手な人ほど逆に下の世代と同じぐらい無頓着になる。そういう点で俺たち初代氷河期世代は、IT関係については意外に特異な世代なのかもしれない。

 パソコン関係は俺も個人的に好きでかなり偏った知識もあるのだが、実はまともなIT教育は受けたことがない。中学三年のとき、技術科の先生には来年からITの授業が始まると言われ、高校三年には来年から我が校にもパソコンが入ると言われ、大学に入学して最初の情報処理の授業ではWindows以外での情報処理を習う最後の学年と言われた。最終処分セールの店をいくつも頑張って回ったのに結局全店売り切れだったような、どこまでも中途半端な世代だと思う。だが、今回ばかりは厄介な仕事の顛末のファイルがごっそり溜まっているわけで、仕方なく長いファイル名を付けて整理をしてしまうことにした。

 いくつかファイルを整理していくうち、単純な手の動きを急いで行っているせいかマウスを握る手が次第に重くなってきた。以前に仕事が異様に厳しかった時期があって、その後遺症なのか、時折指先が痛んでキーを叩けなくなる。完全に痛くなると結局は効率が落ちるので、俺は諦めて作業の速さを緩めた。速さを緩めたせいか、少し余裕を持って各ファイルを眺められるようになる。今回の仕事で苦労したことが断片的に思い返される。それも今日で終わりだ。このファイルさえ整理してしまえばついに終わるのだ。

 俺は伸びをして部屋の中を見回した。部屋の奥では仕事で揉めているのか、苛立った声を上げている係長がいるが、全体としては落ち着いて仕事をしている空気だ。世間的にはそれなりに環境の良い職場になのだろう。

 良い職場。ふと俺は学生時代のことを思い出した。仲の良かった友人でもその後がどうなったか行方もわからない奴は何人かいる。今でも携帯に電話番号は残っているが、あまり電話が苦手なせいで掛けずに放置した形になり、今になって急に電話を掛けるのはどうも気が引ける。そんなことを迷っているうちで疎遠になってしまった友人が何人もいる。なぜ今、こんなことを思い出してしまったのだろう。せっかく仕事が片付いた日だというのに。家に帰ればネットで遊んだり漫画を読んだりと、安心して好きに過ごせるというのに。仕事の準備のために続けた自主勉強さえも気兼ねなく休めるはずだというのに。

 自分で問いかけてから驚いてしまう。俺は今、本当に不安だったのだろうか。自分の問いで自分の気持ちに気付いてしまうなんて随分と間抜けな話だ。俺はパソコンの電源を落とすと久しぶりに一番で会社を後にした。


 せっかく一段落したせいか、逆に夕飯を作るのが億劫だったので帰路の途中にあるコンビニに入った。弁当コーナーでカツ丼を手に取りかけたが、カロリー表示に気付いて元の棚に戻す。もう少し迷い、結局は安い焼うどんを手にする。次いでいつも買っているペットボトルのお茶をほとんど自動的に選び、ふとアルコールコーナーに目を向けた。コンビニの酒と言えばだいたいビールと酎ハイという思い込みがあったが、よく見るとワインやウイスキー、日本酒が意外に揃っている。ここしばらく自宅で酒は飲まないと決めていたのだが、今日ぐらいは良いかと思い直す。あらためて棚の上を見回すと、千円以下のスパークリングワインが見つかった。俺はあらためて買い物籠を取ってくると、先ほどの焼きうどんとスパークリングワインを籠の中に落とす。最後にもう一度店の中を何となく一回りしてみた。

 雑誌コーナーで足を止める。俺は一人旅の雑誌を手に取った。サブタイトルは「独身の幸せな一人旅を」となっている。定期発行誌ではなくムック本のようだ。そういえばここ最近、ずいぶんと旅行をしていない。たまにどこか旅立つのも良いかもしれない。俺はその雑誌も籠に放り込むとレジへと向かった。

 コンビニを出ると外はもう暗く、空には星座が浮かんでいた。俺の家は街外れにあるため、街灯が傍になければ歩くのもままならなくなるほど暗くなってしまう。おまけにきつい坂道のせいか、この暗さだと道が昼間の倍に引き延ばされたように感じる。気持ちが抜けてだらだらし過ぎたようだ。無駄な時間を過ごした。思いかけ、無駄な時間でも良いじゃないかと考え直す。買う一方で積んでいる漫画を読んだりするだけだろう。旅行の計画だってだらだらと考えれば良いではないか。でも漫画なら一冊で三十分は読むのにかかるから、今部屋に積んでいる冊数を考えれば。

 計算しかけて頭を振り、手元のビニール袋からお茶をつかみ、百メートル走でもしたかのように一息に五百ミリリットルボトルの半分を空ける。なぜ俺は暇つぶしのはずの時間にノルマを課しているのだ。そんなに一気に読んだらもったいない。どうせ部屋は狭いのだし、読み終わったら古本屋に売り飛ばすだけなのに。仕事から解放されたはずだというのに、疲れは体の奥まで染み込んでいるらしい。そのくせ、その疲労感に至る切迫感がなければ禁断症状が起きてくるようだ。

 俺は脂肪の溜まった自分の体を撫でた。俺は今、何を求めているのだろう。何を目標にここまで頑張っているのだろう。俺の中の何かが、そんな問いかけはやめておけと警鐘を鳴らす。だが俺はあえてこの問いを繰り返した。俺は何のために頑張っているのだろう。

 ふと、家族サービスと言いながら適当な仕事でお茶を濁していて左遷された先輩の顔が浮かんだ。よく家族のために働くとか言っていた。というよりあの人がもっと働いてくれれば俺たち全体が少し楽になったのだが。だが、妻子がいるから小遣いが少なくて、と愚痴を零していた先輩の方がどこか俺よりも良い生き方のような気もした。俺の仕事がどのぐらい世間に必要だろう。もちろん、必要だとは思う。でもこのコンビニのビニール袋程度の必要かもしれない。そう考えれば、仕事を倍やったとしても、家族の人間ATMを自称する先輩の方が家族にATMとして役に立っているぶん、世の中では必要な人間だ。

 まあ、わかっている話なのだけれど。酷い結論に落ち込んだのに、俺の気持ちは何だか妙に納得していた。情けない結論に俺は逆に安堵していた。むしろ、今の小さく萎みきった魂の胃袋に自分の重要性なんて脂っこいものを押し込まれたら吐き出してしまう。俺は残っていたペットボトルのお茶を一口飲み、足元に気をつけながら夜道を登り続けた。


 部屋に着いて荷物を投げ出すと即座に焼きうどんを先に平らげる。がつがつと食べてしまってから、急いで食べ過ぎだったと後悔してしまう。いつからかがつがつと片付ける感覚で食べる癖が付いてしまった。とりあえず空になった焼きうどんのトレーを買ってきたときのビニール袋に戻し、次いでスパークリングワインの封を開ける。千円以下の安物のわりに、口にはプラスチックの蓋ではなく本物のコルクが付いていた。俺は棚から百円ショップで買ってあったシャンパングラスを用意して栓を慎重に抜いた。

 あまり慎重過ぎたせいか、せっかくのスパークリングワインだというのに勢いのない音しか鳴らなくて少し残念な気持ちになる。だがグラスに注いでやると、うっすらと桜色の液体が満たされた。銘柄も確認せず適当に買ってきたら、意外にもロゼだったようだ。何だかいつもより少しだけ贅沢な気分になる。

 座椅子を部屋の中心に移動させてアンプに電源を入れる。好きな歌手の曲を掛け、注いだスパークリングワインを飲みながら旅行雑誌を手に取る。どれも大した高級品ではないが、ちょっとした金持ち気分を妄想する。

 ページを捲ると、中は予想通り定番の観光地について一人旅プランに組み直し、上手く写真を配置してお一人様とかいう煽り文句を張り付けて一丁上がりという造りの雑誌だった。とはいえ元から大して凄い記事などは期待していない。俺は写真集を眺めるような調子でページをばらばらと捲っていった。

 とにかく一人旅をしやすい場所を選ぶことに腐心したのだろう。寺院もあればグルメもあるしアウトドアもあるという、旅行のコンセプトよりも一人で行きやすい場所を搔き集めた感じがあからさまな雑誌だった。次第に何かに苛立ってくる。そんなおかしな記事ではないし、一人旅の場所の寄せ集め記事になっていることぐらい初めから予想済みなのに、明らかに苛立ってくる。俺は雑誌を放り出して思い切り背もたれに体重を預けた。当然、座椅子はそのまま直角に倒れる。だが俺は足を頭上に掲げたまま天井を見つめた。

 曲が切り替わった。先ほどまで軽快なポップだったのが、王道のバラードに代わっていた。この歌手の曲の中でも俺のとくに好きな曲だ。俺はこの妙な姿勢のままスパークリングワインを口に含み目をつぶる。口の中で弾ける勢いが小さくなったところで、少しずつ喉にワインを流し込んでいく。アルコールのおかげか、少しずつ脳髄が緩んでいく。

 体を起こして普通の姿勢に戻り、投げ出した雑誌を再び手に取った。俺を苛立たせた楽しさは何なのだろう。再びページをめくっていくうちに、俺は何かが引っ掛かった。あらためてページを最初からめくり直していく。寺院を巡って歴史を学ぶ姿、和牛を使った寿司を楽しむ話、カヌーによる川下りに挑戦できるイベント。どれも楽しそうなのに。

 楽しそうだけど。楽しさがそこで終わってしまう。この雑誌は一人旅を煽る本だから、稀に独りになって旅情を味わうような内容にはなっていない。とにかく一人旅を賛美し続けているのだ。そこには当然、旅情の語らいはなかった。ただ独りで能天気に遊び呆ける独りの大人の姿が映っているばかりだ。

 帰り道で思い出した家族好きの先輩のことが頭をよぎった。家族のために働く。家族のためだけだから、場合によっては家族のためと称して手を抜き、家族のせいでいつも大変だと愚痴をこぼす人だ。そして手抜きは全くなしで孤軍奮闘上等の俺。独りで音楽とスパークリングワインを堪能する俺。

 独り、部屋で好きな音楽に聴き惚れている時間。それは俺の穏やかな絶望の時間だ。だがそれはきっと幸せな時間に違いない。幸せな時間と孤独とは、背中合わせの仲なのだ。

 掛けていたバラードがちょうど恋人たちの幸せを称える最高潮に差し掛かった。俺は独りで笑うとグラスを底まで空ける。残ったワインをグラスに注いで空中に向かって掲げると、幸せな俺の穏やかな時間に乾杯した。

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