飲み会でも旅行でもみんなで写真を撮るのはよくある話だと思う。でも、どんな仲間と行った写真でも僕の写っているものは少ない。それは当然の話で、僕がカメラを持っていくからだ。それも、撮ってあげるよと普通の人なら気軽には言えない一眼レフのごついカメラだ。
ごめんね、写真少なくて。そんな風に言ってくれる友達もずいぶんいる。そんなとき、僕は写真撮るの好きだから、と言って笑う。そのときもこの、ごついカメラがその証拠になる。記念写真だけを撮る人ならもっと簡単なカメラか、今ならデジカメを使うというのが相場だ。こんなカメラを持つ人となるとほとんどはかなりの写真好きか、そうでなければ鉄道か天文のマニアぐらいなものだろう。実際、僕も最近は写真専門誌を覗くことすらある。
でも、本当に写真は好きか、と問い詰められたら嫌いと答えるだろう。僕が写真を撮る本当の理由は、写真を撮られるのが苦手だからだ。写真を撮るために並んでポーズを作ってシャッターを押すのを待つ、その短い固化した時間が嫌いなのだ。それまで笑っていたり感動していたり、色々思っていた時間がテレビのコマーシャルが入ったかのように急に切断される。そして停止していたビデオを再生し始めるように、また元の話を何事もなかったように話し始める。僕はその時間が怖いのだ。その上、でき上がった写真はみんな上手くポーズを取ろうとしていて、写真を撮るだけの時間しか映っていない。彼らの笑顔はカメラのレンズにしか向けられていない。そこには本当の、みんなで過ごした時間なんてない。それがまた僕を苦しくさせる。
最近付き合い始めた絵美は、写真を僕に任せっきりにしてくれるからかなり気が楽だ。僕とは逆に、撮られることが大好きな娘なのでわざわざカメラに手を伸ばすこともない。これは僕にとって幸運だ。そして、そんなことが気になるほど僕は写真を撮られることが苦手なのだ。
僕は写真が怖い。
オホーツク内陸部に位置する滝上町は市街地から遠く離れた静かな農業の町だが、春には芝桜公園を見るために多くの観光客が訪れる。僕と絵美も冬場はこの町があることすら忘れていたのだが、偶然に見かけた町のポスターに魅かれてドライブに出てみたのだ。
芝桜公園は町のポスターで見たものよりもはるかに圧倒的だった。せっかくの休日に車を回した甲斐はあったと思う。初めは面倒そうにしていた絵美もいつにもましてはしゃいでいる。今日初めて知ったのだが、芝桜にも香りがあるようだ。薔薇のような香水にしたくなる香りではなく、少し青臭いような、でもすっきりとした香り。丘一面が芝桜に包まれてようやく漂うような弱々しい香りだ。でもそれが逆に心地よいように思う。
散策を一巡りしてからやっと、入り口にひっそりと立っていた看板に気づいた。それはこの芝桜公園の成り立ちを説明したものだった。
北海道は年に一回台風が来るかどうかというほど台風に縁のない土地だ。そのせいか、もし台風が来ると本州よりはるかに甚大な被害を受けてしまう。かつて北海道に大被害を及ぼした洞爺丸台風はこの道東の町でも木々をなぎ倒していったそうだ。そのとき、ある男が倒された桜の木を想って一箱の芝桜を植えたのだという。そしてその男の親友が町長になったとき、町長は芝桜の植えられた丘を芝桜で埋め尽くしたそうだ。それがこの芝桜公園の始まりなのだという。
「芝桜の親友」
絵美は解説の看板を読んでぽつりと呟き、僕の手をとって静かに告げる。
「付き合う、って脆い気がしない?」
僕は慌てて絵美の顔を覗き込んだ。だが彼女は普段の表情で続けた。
「この芝桜って、友情の遺跡なんだと思うんだ」
絵美は僕の手をしっかりと握ると芝桜に背を向ける。僕も芝桜から少しだけ離れたくなった。むしろ惹かれすぎている自分が怖くなったのだ。
僕たちは売店コーナーに足を向けた。定番の焼き鳥やジュースが並び、桜色のソフトクリームも盛んに売っている。雰囲気はお祭りの屋台だ。とりあえず僕たちはソフトクリームだけを買い、二人で食べながらまた店を眺めて歩くことにした。
「記念にどうだいロケットは。二人の写真が入るんだよ」
売店のおじさんが声を掛けてきた。僕は聞こえないふりをして丘の芝桜にレンズを向ける。でも、絵美はレンズの前を手で塞いだ。
「ソフトクリーム食べながら撮れるわけ?」
言われて僕は慌てて、少し垂れ気味のソフトクリームを舌ですくった。そんな僕たちを売店のおじさんが笑う。僕はソフトクリームを黙々と平らげ、またカメラを構えようとした。でも再び絵美は僕のカメラを手で押さえる。
「君の写真、欲しいな」
それは、と言いかけて僕は口ごもる。絵美はロケットを指差すと、ねえ、と言った。僕はいらない、とだけ答えカメラに手を戻そうとする。だが絵美は上目遣いで僕をじっと見詰めて言った。
「写真、嫌いでしょ」
言ったことはないはずなのに。見詰め返すと、絵美は少し意地悪に笑ってそっとカメラから手を外した。
「撮られるの、苦手なんでしょ」
確信した声に何でわざわざはっきり言うのかと苛立つ。だが絵美は、君のことはわかるよ、と余裕の表情で笑みを浮かべ、いきなり僕のカメラを手で引っ張った。僕が慌てて振り払おうとすると、彼女は当然の声で言った。
「カメラ貸してよ」
僕はいつも言い慣れているとおり、僕のカメラは難しいから、と答える。でも、そんな言い訳をしても全く絵美は気にかける様子もなくストラップに手をかけながら言った。
「私の兄ってカメラ好きだったの。そのせいでね、私も中学生のときは絞りやシャッタースピードも自分で調整して撮ってたぐらいだし」
僕よりカメラ暦は長いじゃないか。普段は使い捨てカメラすら持ってこないくせに。そんな僕の疑問に彼女はあっさりと答えた。
「私、撮ってもらう方が好きだから」
じゃあ、何で今。少し僕の語気は強くなる。だが彼女は僕からカメラを完全に奪うとレンズを楽しそうにいじりながら、君を欲しいんだよ、と呟いた。僕を欲しい。彼女の言葉を反復する。絵美は目を細めてカメラをしっかりと両手で持つと言った。
「私にも君の跡が欲しいの。君といた証拠、みたいな。君といたってことを忘れない、そんなものが欲しいの」
ふと僕の中でわだかまりが緩んだ。絵美はカメラを構えると前触れもなくいきなりシャッターを切る。驚きの声を上げると、じゃあちゃんとポーズとりなよ、と言って慣れた手つきで再びカメラを構えた。
やっときちんと一枚撮ると、絵美は僕の腕を取って当然のように言った。
「二枚目は、一緒に撮ろうか」
ロケット売りのおじさんが再び僕たちを手招きしていた。
文芸船 — profile & mail