文芸船

四月のリップメイク

「僕、光一のことが好きだ。高校に入って、二年生から同じクラスになって友達になって、君に恋したんだ」

 僕の真正面からの言葉に、光一は怪訝な表情を浮かべる。僕は構わず、爪はきちんと整えられているのに骨太な光一の右手を人差し指でなぞりながら太腿に手を添えた。ブレザーのスラックスの下にある彼の太腿は意外に柔らかい。光一はびくっと体を震わせて椅子から転げそうになる。

「なんだ樹、熱でもあるのか。男同士で気味悪いな」

 光一の表情がかなり不機嫌になる。苛立った彼の右手が、太腿に当てた僕の左手を乱暴に振り払った。僕は慌てて後ずさってから光一の顔をじっと見つめる。光一はお前な、とまた苛立った声で言いかけて、ふと僕の背後にある店のショウウィンドウに目を向けた。

 急に彼は間抜けな表情を浮かべ、次いで笑いだした。

「樹、ひっでえなお前。本気で信じかけちゃったじゃないかよ」

 彼は僕に近づいてきて、乱暴に僕の肩にがっちりと腕をかける。そしてさらにいたずらっぽい表情で言い足した。

「俺が本気にしてキスでもしたらどうするんだよ」

 からから笑って顔を近づけてくる。僕は顔が猛烈に火照ってくる。だがすぐに僕から離れると僕の背後を指さした。

「だましきるなら場所を考えることだな。いっつも詰めが甘いんだよ樹って」

 振り向くと、ビルに設置された電子看板が動画を流していた。透明なポテトチップス新発売という広告。でも右端にしっかりと「今日は四月一日」と表示されている。

「エイプリルフールには面白いけどな。樹ってちょっと女顔だしさ。でも本当、詰めが甘い」

「甘かったかな、やっぱり」

 僕は笑って光一に近づき、彼の厚い胸板に手を添える。彼のネクタイを弄ぶ。だがもう光一は普段の調子で笑い飛ばした。

「さすがに同じネタを重ねられてもだまされないぞ」

 だまされないか、と僕は呟いて彼のネクタイから手を離した。


 彼と帰路を別れ、僕は無印良品に立ち寄った。装飾がなく、下手をしたら無骨にすらなりそうななのに、女性にも人気のある商品を提供している、不思議なブランドだ。僕は目線を適当な方向に泳がさせながら目的の場所に移動する。

 ついに目的の場所に移動すると、僕は引っつかむように商品を握ってレジに並ぶ。千円もしない安い商品だけれど、僕の胸は心臓が高鳴る。それなのに、やっと順番が来たら店員さんは何事もないように僕に金額を告げる。僕は慌てて財布を開け、少し震える手で代金を渡した。商品を受け取ると急いでポケットにねじ込む。周りを見回し、同級生がいないことを確認する。やっと胸が落ち着いてくる。

 電車に乗っている間も、周りの視線が僕のポケットの中を何かの方法で覗くんじゃないかという妄想に囚われてしまう。頼まれただけです、なんて変な言い訳を考えながらやっと自宅の駅に到着した。小走りに自宅へ駆け込んで部屋に飛び込む。ポケットの中から、買ってきた銀色の筒を取りだした。

 一本のリップスティック。手が震えてなかなか開けられない。でもやっと開けて回してやる。ローズ色が目に眩しい。唇の荒れを抑える薬用のそれじゃなく、本物のリップスティック、ルージュ。

 そっと唇に当て、軽く塗ってみる。油性のぬるっとした感触が唇に残った。光一がキスでもしたら、と言ったことを思い出して頰が熱くなる。でも今日は四月一日。エイプリルフール。

 ねえ光一。エイプリルフールだって笑ったよね。確かに、僕は一つだけ嘘をついた。同じクラスになって、友達になって君に恋したんだって。確かに、それは嘘だよ。

 だって僕は。

 僕は君を初めて見たとき、君に恋してしまったんだから。

 でも僕は、エイプリルフールに告白したんだ。失敗しても良いようにって。今の関係までも失いたくないって、卑怯な保険をかけていたんだ。詰めが甘くてすぐに保険が働いちゃったけど。

 僕は別に男だけが好きとかそんなのじゃない。そんなのじゃないと思う。だって僕が今、好きなのは光一だけなんだから。

 でも結果は。

 僕はルージュを再び唇に当てる。横に引いて鏡に顔を映した。華やかなローズカラーが鏡に苦笑をみせる。見慣れた僕の顔が、ほんの少しだけ他人の顔になっていた。

 小さな失恋をルージュと一緒に机に閉じ込めよう。

 僕は机の引き出しを開け、また彼の腕の温かみを思い出した。引き出しのルージュに一粒の涙が落ちた。

文芸船profile & mail