久々の休暇のせいか、朝起きたときから奇妙な高揚感があった。当てがあるわけでもないし、走り屋などからははるかに遠い世界にいる僕が、気がつくと独りで車を走らせていた。この辺りは田舎町で、どこまで行っても賑やかな街には届いていない。どこに行こうか僕は迷うばかりだった。見える風景は欝蒼と茂った森とじゃが芋畑ばかりだ。僕は少しずつ焦り始めていた。そもそも、自分がなぜこの道路を走っているのか全くわからなかった。
道路の端に停車して車の中に置いてあるはずの地図を探す。だが見つかったのは広域地図だけで主要幹線以外には何も書かれていなかった。今走っている道路もその幹線道路なのだが、建物も何も書かれていない。ただ点同士を結んだだけのような地図に僕は独りで苛立った。だが、地図がないという事実が変わるはずもない。僕は再び同じ方向に走り出した。
深呼吸して僕は道路の周りに目を配り始めた。山の緑もきれいじゃないか、そんなことを自分に言い聞かせてみる。真っすぐな、対向車の少ない道路を堪能してみようと思う。あまり出歩かない性質の僕にとって、周りの風景は新鮮なはずだ。そうに違いない。
再び畑ばかりの沿線を眺めた。緑色のじゃが芋は小さく白い花を咲かせている。ふと、自分がじゃが芋の花が咲く季節を全く覚えていなかったことに気づいた。知らなくても別に困ることではないが、周りのじゃが芋たちを前になぜか気恥ずかしいような気分になった。それどころか、花の名前などろくに知らない自分のことが急につまらなく思えた。
走っているうちに、遠くに全面、黄色の大地が見え始めた。じゃが芋畑から違う畑に変わるのだろうか。何の当てもない僕は、急にそこが目的地だったように思えてきた。だがしばらく走っても金色の海がうねっているばかりだ。僕は初めての風景に溜息をつきながら加速した。
ついに波の粒が見え始めた。それはなだらかな丘陵に植えられた麦畑だった。僕の生まれ故郷にはない光景に、僕は全く判断ができなくなっていたのだ。僕はそのまま麦畑を両脇に眺めながら進み続けた。ちらほらと見える、麦が風に押し倒された丸い跡は何か巨大な生物が天から足を下ろした跡のように見えた。いや、事実それが正しいように思えた。それが風に押し倒された跡だなどと、初めて麦畑を見る僕がなぜ断言できるのだろうか。僕は神妙な気持ちで車をそっと停車させた。
車を降り、周囲を見回して深呼吸した。純粋な柔らかい風の匂いがした。それは海に吹く潮風とはあまりに対照的な風だった。だがその純粋さは、街のそれよりもむしろ潮風に似ていた。
道路はまだ先に延びている。僕は車に乗って窓を開けると、再び麦色の海を進み始めた。
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