文芸船

低カロリーのラビリンス

 就職してしまえば理系も文系もないと言う人は多いけれど、大学受験や就職はもちろんその後の仕事内容でも案外とついて歩くものだと思う。

 この辺りの意識のずれは、俺たち理系を文系分野に送り込むことは多くても、文学部卒の営業職で採用されたはずなのに設計作業を命じられたなんて事例は少ないという一方通行のせいかもしれない。

 で、俺はと言えば技術職で就職したはずがいきなり営業に振られ、それなのに営業しながら畑違いの社内システム開発もどきをやり、転職した後も厄介なクレームもどきの入り組んだ交渉事ばかりをこなす羽目になって、気付いたら十五年も経っていたという感じだ。

 さらに、履歴書の隙間を埋めるためではなく本気で読書が趣味で、高校時代に文学部に進学した奴よりも読書量が多くて国語が得意教科だった上に大学では文芸系のサークルに所属していたという、何で理系なのか今にして思い返せば自分でも変態的だと感じてしまう。

 何でこんなことをぐだぐだと話しているかと言えば、要は俺の趣味と人生設計が迷路中だという話だ。メンタルヘルスと突然死をどんと輩出なブラック部署へ六年間ほど島流しに遭って、食うことぐらいが楽しみという生き方をしつつようやくこの春に脱出したところで、ぼんやりネット動画やアニメ定額見放題を見る生活を一カ月ほど過ごし、はてと今さらわれに返ったという調子だ。

 で、この六年間で積もりに積もった不養生のせいか精密検査で医者にとっ捕まり、まずはとにかく減量する羽目に追い込まれた。ストレス解消は食うことでスポーツや体育系部活なんて面倒臭いという生き方をしてきたのにダイエットときた。それでもとっとと終わらせるに限ると健康確保のぎりぎりの線で絞り込み、何とか標準体重ぎりぎりに落ちてきた。そこでまた思ったわけだ。

 そういや昔の文学趣味の奴ら、病気をネタにした小説をよく同人誌で書いているじゃないか。何ていうか、人生の深みを考える的なやつ。俺もちょっと、プチ三島由紀夫気取りで怠け者用スクワット体操とかをネット動画を見ながら少しはやって、見た目もドラえもんから教科書の写真に載っている芥川龍之介に変身できそうな勢いもあるし、なんか深刻的なやつ、俺を取材対象というか実験材料に書いてみようって思っちゃったわけだ。

 ということで書きましたよ俺の聞くも涙語るも涙の大感動減量私小説。そんでまずはと文芸仲間の麗華お姉様にメールで昨日の昼に送ってみたわけだ。

 麗華先輩と一緒にいた文芸サークルは、文芸なのに文系学部の方が少数派で、麗華先輩はその少数派の文系ながら、卒論は言語学なのに統計を使いまくって教授にもあきれられたという、明らかにこっち側の人間だ。

 ちなみに麗華というのはペンネームで、花子というおしゃれから無縁な本名の反動でつけたらしく、学生時代に花子先輩と呼んだら箱入り広辞苑が頭に飛んできたので本名呼びはいまだに絶賛封印中だ。

 メールを送って半日ほど経った今朝、日曜日のおかげもあり、麗華先輩から早速ありがたいお電話が鳴った。

「一応生きていたんだねおめでとう」

 開口一番、ひどいよ先輩。

「いやだって、去年話したときもちゃんと生還するのか危ないなという感じだったし妥当だと思うんだけど」

「なんすかその妥当とかいう言い方、珍しいっすね」

「いや最近、文章をパソコンで品詞に自動分解してこねくり回す分析作業が楽しくて、色々やっていてさ。そんで『妥当』って言葉が舌になじんだみたいな。格好いいでしょ響きがなんか。頭良さそう」

 確かあれだ、パソコンの文字変換や、話しかけると返事して音楽を流してくれるスピーカーとかの基盤技術。形態素解析ってやつか。面白そうだと思いかけ、この話題を麗華先輩に振ったら長話の揚げ句にまたプログラムコードを送りつけてくるので話をかわすことにした。

「小学生の男子が覚えたての科学用語を必殺変身技の名前にして蹴ってくるようなまた怪しげな言葉遣いを」

「いや怪文書を送りつけてくる君にはかなわない」

 俺の力作を怪文書と言いやがったぞこの先輩。だが先輩は意に介さず豪快に笑って話を続けた。

「いや楽しく読ませてもらったよ。肉屋で働く働き者の豚が、減量してキリギリスへの転生を目指す話」

「そんな話を書いた覚えはないんですが」

「いや主題まで含めて情報圧縮するとそんなとこだろ君の作品って。普段の君の勢いも加味してみてるけど。もう仕事をするほど仕事が増えて最後は自分が調理台へ」

 普段からひどい人なのだが、ここまでひどい物言いも珍しい。ちょっとひどいですよねと繰り返すと、先輩はふむ、とうなると少し丁寧な言葉遣いに変わった。

「だって君、死にかけながら仕事していたでしょう。その結果の不養生が今の結果でしょう。自覚が足りない。あと君の場合は」

 言葉を切って少し黙り込み、再び言葉を続けた。

「無駄に独学独立独歩力が高すぎなんだよ君は。いや、私の造語というか意図的な誤使用だけどね」

 何だかよく分からない言葉に俺は首をかしげる。先輩はやわらかな笑い声を漏らして告げた。

「とりあえず、もう一度今までの生き方を振り返ってみること。視点は良いけれど、君の行動はいつも突飛だから作品の定型にはまらないのさ」

 あの麗華先輩、と呼びかけたのだけれど、電話を一方的に切られてしまった。


 何とも厄介な言葉を投げつけられ、俺は途方に暮れながらものろのろと台所に立った。一応は標準体重に入ったとはいえ、まださらに最終目標となる適正体重には届いておらず、ダイエットは止められない。もしここで中止するとしても、リバウンドの危険があるから食事を増やすにも移行期間が必要だ。

 まずは日課の野菜炒めだ。とにかくカロリーを抑えたいので野菜をたっぷり食べることにしている。フッ素樹脂加工のフライパンを総力活用して油は入れない。

 じゃあ代わりにどうするかといえば酢を入れるのだ。酢はダイエットに良いと聞いて毎日、酢で炒め物をしている。おかげで月一本は酢を消費しているが、最安製品を選んでいるので懐は大して痛まない。最近は値段よりも品質というか微妙な風味の違いが気になる。

 そんなわけで今、棚には合成酢と米酢と穀物酢と黒酢とアップルビネガーとワインビネガーを並べてあり、さらに価格が四倍もする我が国伝統製法の高級酢を注文するか迷っているところだ。

 ちょっと調べると酢はアセトバクター属かグルコンアセトバクター属の菌類が発酵を担っているそうで、食酢のほかにはナタデココも同じ菌類で発酵するそうだ。菌株別に酢の飲み比べをしたいと思ったんだが、これも麗華先輩には変態的なマニアめと笑われてしまった。形態素解析を趣味でやるようなマニアには言われたくない。

 俺はとりあえずプラスチックのかごをキッチン用の小さい秤に置くとゼロボタンを押し、風袋と無駄な思考をリセットした。この秤はドラッグストアで安く売っていたもので、お手軽で小さい割にキロ単位まで測れるという思いの外、高性能な相棒だ。形がどことなく学生実験で使っていた精密秤に似ているので何だか安心する。

 キャベツをちぎってプラスチックのかごに放り込んでいく。包丁を都度使うのも面倒臭いので、いつもこの手ちぎりだ。今日はだいぶ食べ進んで茎が長く残ってきたので、これだけは渋々包丁を使って短冊に切る。秤に表示された重量を読むとスマホの栄養管理アプリを起動してキャベツを検索し、読んだ重量を記入して登録ボタンを押す。そしてフライパンに放り込む。

 これを繰り返せば、今朝の総カロリーが算定されるというわけだ。写真で機械判定するアプリもあるけれど判定精度が俺の希望には合わず、仕方なくこの手作業にしている。それでもアプリがあれば、昔なら無理だった管理も簡単にできてしまう。中学生時代に栄養成分表を読んだ覚えがあって、栄養計算は難しいという印象だったが、今の学生は全然違う見方をしているかもしれない。

 次にエノキダケとシメジも冷蔵庫から取り出すと取り分けては記録してフライパンへ、ブロッコリーもちぎって秤のかごに放り込む。これも茎が長いので包丁で薄切りにして追加し、また記録してフライパンに投げ込む。

 あとはようやく肉ということで若鶏のささ身を一切れ取り出し、また計量すると包丁でぶつ切りにしてフライパンに放り込む。いつも単にささ身、と思っていたのだが、初めてアプリで検索したときは「若鶏のささ身」と「成鶏のささ身」が出てきてカロリーも違うので、ゴミ箱行きにした包装の表示を慌てて拾ったものだ。暇なときに成鶏のささ身を探して食べ比べてみたいと思う。

 そしてお待ちかね今日は黒酢を漆塗りのぐい飲みに入れて測って記録、七味唐辛子とガラムマサラをフライパンの具にどんどこと振りかけカレー風味にしてやる。

 中火でがつがつ炒めていると酢の蒸気にガラムマサラの香辛料が乗り、何とも異国情緒あふれる香りが漂う。鹿児島産黒酢だが、俺の住んでる北海道からは海外旅行並みに遠いから鹿児島も外国ってことで構わないとか適当なことを思いつつ葉っぱがしなっとなったところで皿にどっさりと盛り付けた。

 次にプレーンヨーグルト。何も追加しないプレーンそのものをガラスの器に入れてやる。

 ヨーグルトの底に滲出してくる水みたいなやつ、こいつは乳清というんだが、これもダイエットに良いそうなのでそのままぶち込んで計量してやる。学生時代には、乳清は産業廃棄物としてどう有効利用するかという欧州の論文を見たけれど、いつの間にやら健康食材に化けている。落ちこぼれが勇者に選ばれて魔王に挑戦するファンタジーみたいなもんか。いやなんか違う気がする。

 とにかくこれで砂糖抜きカロリー抜き手抜きというありがたく理想的なデザートが仕上がった。

 今度は納豆。パックを開けて中のタレはまっすぐ下水へさよならだ。糖分が入っているので普通の醤油に置き換えている。ネット動画によれば、醤油よりも酢に置き換えるともっとダイエットに良いそうだが、さすがに酢の野菜炒めに酢納豆では俺が酢漬けになってしまう。こいつは重量表示があるから計量なしで記録だけする。

 そして最後に黒光りするお気に入りの茶碗を取り出すと秤に乗せ、そこにオートミールを計量さじで大まかに大さじで五さじを入れる。あとは表示を見ながら狙った重量まで合わせてやる。

 ところで、これもネット動画辺りで知ったんだけれどオートミールは大麦小麦ではなく、オーツ麦という別な生物らしい。オーツ麦は昔から家畜やペットの餌にされるそうで、ネットショップでオートミールを注文して以来、鳥の餌と鳥かごと鳥のおもちゃとインコの飼い方入門書がおすすめ商品としてメールで送られてきた。

 不安になって俺が食べているオートミールも確認したが間違いなく人間用だ。どこかのブルジョアジーが俺のお食事をインコに喰わせているんだろうか。そりゃキャベツとオートミールと大豆製品とか、鳥が喜びそうな食生活を送ってはいるが、俺自身が鳥になった覚えはないし、何より鶏肉を食っている。それとも鳥頭になって鳥になったことを忘れたか。いや鳥はフライパンを使わないよね、と自分が本当に人間だったかフライパンに訊いてみて、フライパンから賛同があったことにする。

 オートミールといえば牛乳をかけてスプーンで食べる印象が強いが、水をひたひたに入れてレンジで三十秒チンとやるとやわらかご飯に似た感じになる。これだと和食に合うとSNSでやっていたので参考にしている。

 スコットランドではオートミールが朝食の定番で、あとチキンやサーモンをよく合わせるとかいうので、焼いた塩鮭を合わせることもある。塩鮭とトラウトのスモークサーモンは別物な気もするが、同じサケマスで分類学上もオンコリンカス属、調理も燻煙加熱と直接加熱の違いだから似たもんだと大らかに構えてやる。

 何とか飯の準備ができたので、行儀よく同じ比率で食べるより野菜から食べた方が太らないというので、最初に野菜に箸をつける。

 シャクシャクシャクシャクシャクシャク。

 なんか最近、俺の食事の音がウサギや青虫に似てきた気がするのは気のせいだろうか。つか最近、街中を歩いていると道端に生えているヨモギやフキが美味そうに見えてならない。本能が毒なし葉物植物イコールごはんと認識し始めている気がする。そのうち道路端に正座して雑草にワインビネガーをかけてシャクシャクシャクシャクつまみ食いを始めるかもしれない。

 さて野菜をあらかた片付けたので、次はヨーグルトに取り掛かる。これでもダイエット食事法だ。酢の炒め物をいつも食べているせいか、ヨーグルトの酸味はほとんど感じず、むしろ甘みを感じるぐらいだ。

 ヨーグルトを平らげたので、ようやくオートミールと納豆の出番だ。俺は子供の頃からお粥が苦手なので、初めてオートミールに手を出した際はびくびくだったのだが、俺には普通のお粥より旨いと感じる。元々好きな酒がスコッチウイスキーで好きな魚も秋鮭なので、きっとスコットランド人寄りの味覚なんだろう。ふと気が向いて手元のスマートフォンで検索したら、ブリュードッグというビールがスコットランド産だそうだ。注文しようかと思いつつ、これはビール腹製造薬だと断念する。

 やっと食事が終わったので、先ほどまでオートミールを食べていた茶碗を洗うと抹茶を茶杓で二杯入れてお湯をぐい呑みで計量投入、茶筅でしゃかしゃかやる。ぐい呑みだと適当に見えるが、容量はカクテル用の計量カップで概算済みなのでわりと正確なはずだ。

 本当はまともな茶器を使うべきだろうしネットでは安いやつも売っているが、このお気に入り茶碗はちょっと茶の湯っぽい見た目で黒にお茶の緑も映えるので、俺の裏表左右千家流茶道にはぴったりだ。裏表左右千家すなわちオレオレ流茶道はパジャマ、ジャージ、ステテコ、ジーンズ、作業服などカジュアルな服装で気軽に取り組めるのが自慢だ。ネット動画では、米国の金髪女性がガラス製のジョッキにティースプーンとハンドミキサーで茶道の動画を公開しているから負けていられない。何の勝負なのかよくわからないけれど。

 とにかくオレオレ茶道タイムを完了し、日課にしているラジオ体操かウォーキングかフィットネスクラブかと迷い、とりあえずパソコンの前に座る。

 起動して今朝の体重を標準体重計算サイトに入れて数値を比較し、ふと気づいた。俺って身長がわりと低いんだが、誤差とか出ないのかこの計算。身長と体重しか係数のない計算って怪しくないか。

 試しに検索すると、やはり誤差が出るとあり、とくに身長が低いと痩せて計算されるとある。最近、それを補正する計算式を発表した数学の大学教授が英国にいるそうで、少し面倒臭い計算式が載っていた。俺は渋々スマホの関数電卓を起動して計算してみる。

 本当かよ。これじゃ今の目標より二キログラムもさらに減量が必要になるじゃないか。そのままスマホを取り落としそうになり、いやいやと気を取り直す。ただこの計算式はまだ一般的ではないからか、計算サイトも計算アプリもない。とはいえこの面倒臭い式を毎回関数電卓で計算なんてやってられない。

 書くか。プログラム。

 思い立ったが吉日、エディタを立ち上げて数秒考え、ホームページでも使える言語で書き始める。単なる計算なので、入力画面と計算式を整えれば良いだけだ。ついでに標準体重と現行体重の差も自動計算するようにしよう。せっかく書くのだから、従来の計算と新型計算の差がわかるような身長別グラフも描画しよう。なんか二次関数のグラフを描画させるとか楽しい。

 仕上がった頃には昼飯時間になった。このまま世間に公開するにはまだデザインが雑だが、もう少しレイアウトを直せば公開もできそうだ。ほんとダイエットは色々と大変だ。よく女子高生たちは頑張るもんだ。

 ほんとダイエットは色々と大変だ。

 あらためて口の中で独り言を繰り返す。いや違うだろう。ダイエット女子高生はダイエット計算のためにプログラムなんか普通、書かないはずだし。そんな子がいれば、それは工学部進学志望女子という希少派だけだ。

 ふと麗華先輩の言葉が頭に蘇る。「君の生き方はいつも突飛だ」とか言っていた。こうしてみると、確かにどこかずれている気もする。まあ、麗華先輩なんてその急先鋒だとは思うので、認めるのは悔しいけれど。

 朝食前に考えていた人生設計の件を振り返る。長く暴走してきたもんだ。もう暴走族以上に暴走してきた。

 いったんここで一息つくのもありなのかもしれないと思いつつ、かと言っておとなしく深刻な顔で何か書くとか型にはまったお稽古事をするとか、たぶん無理だろう。裏表左右千家だし。

 ネット動画をテレビに映すと、川柳女子高生のアニメをやっていた。俺も寺山修司と俵万智と尾崎放哉は好きだ。どこか俳句か短歌の会を探してみるかと思い、そんな方向の短歌の会とかなかなかなさそうだなと検索も止める。そういや昔、短歌をやっている人と話したら、それは普通の会だと喧嘩になると言われた気がする。

 麗華先輩の言うとおり俺は突飛なんだろうし細々とややこしいんだろうけれど、それならそれでネットで好きに書いていくのもありなのかもしれない。理系と文系のふりをした実はわがまま芸術系かもしれない俺。俺も麗華先輩に形態素解析を習って、それを使って自作小説をどうにかしてみようか。放送大学とか通信教育をやっている友達もいたし、俺も真似てでもみるか。どうせ科目選択でまた迷路に入るんだろうけど。

 俺は独り、自分に吹き出すとあらためて新しいプログラムの入力画面を修正しつつ、食後のウォーキングコースをどうしようか、頭の中で徒歩距離の概算を始めた。

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