文芸船

国家の死

人間は全て革命家である
同時に独裁者である
それ以上に
叛逆者でもある

 街の明かりは既にネオンへと変わりつつあった。ビルにしがみついた原色の看板は卑猥な臭いを街に拡散し、明かりを眺める男たちの表情には普段の住処で見せることのない本能の色が漂う。息を吸うたび、街路に立つ女達の嬌声は肺に溜まる汚れた滴を振動させる。俺は猥雑な空気のお陰で生気を取り戻してくる。

 路地裏に入った途端、倒れたごみ箱から散乱する汚物の臭いが鼻を刺した。道端に打ち捨てられた赤い避妊具が妙に滑稽だ。この赤い避妊具にたっぷりと毒薬を溜め込んで空中で破裂させたらどれほど快感だろう。この一帯が俺の毒薬で染まるのだ。その屍に混じって眠れたらどれほど心地よい布団代わりだろう。いや、俺も死ぬから棺桶か。あまりの可笑しさに笑い声が漏れてしまう。それにしても臭気が酷い。ふと先に目をやると中年の男が盛んに吐いている最中だった。俺は男を嗤うと頭の上から酒をぶちまけた。離れようとすると男が俺のコートにしがみついてくる。俺はすぐに蹴り倒して残った酒を背中にかけてやるとまた歩き始めた。

 ビルに設置された大型テレビにはまた公共事業の予算が表示され、首相が俺に向けて妙な笑顔をみせていた。しかし野党が喚こうが与党が汚職しようが俺には関係のないことだ。俺にとっての関心事は酒税がこれ以上あがらないことだけだ。もし上がるのなら市ヶ谷駐屯地に立てこもってヘルメットとサングラス、手拭いで武装してサリンガスで攻撃してやる。こんなことを考えていると少しは肺に溜まった滴が静寂を取り戻したように思えた。腕にこびりついた泥がもし血糊だったらもう少し俺も美しく映えるのに、そんなことを思う。

 俺はこの薄汚れた道を歩き続けた。この街で酒を覚えたのは四年前だ。良い酒などは飲んだこともない。安酒を死ぬ直前まで呷るのが俺の飲み方だ。事実、死にかけたことは何度もある。それでも俺は酒は止めない。ただ退屈で鬱屈した世界がこうやって面白く変わる、それだけを求めて酒を手にするのだ。俺には酒の味にこだわる連中の気なんてしれない。そんな奴らには泥をひっかけてやるだけだ。

 やっと酒屋の前にたどり着いた。店の脇には車に跳ねられた子猫が脳漿をたらしながら横たわっていた。俺はつまみあげると、息があるのを確かめて即座に脇の防火水槽に沈めた。手当てする金もその気もない。それにどうせ野良の子猫が生きていける街ではない。ほんの少し死期を早めただけのことだ。

 店に入ると親父が俺を胡散臭そうな顔で睨みながら、何がご入り用で、と呟く。俺が焼酎、とだけ答えると親父は酒を持ってきた。俺がなけなしの金を払うと、親父は金歯を見せて酒を手渡す。これで金はない。あとは酒だけで数日間生活するしかない。

 俺はさっきの子猫を水槽から取り出し、近所の公園まで焼酎と一緒にぶら下げていった。公園に着くなり、俺はすぐに焼酎の瓶に直接口をつけた。喉を焼く感覚は既に遠く、胸の奥を酒が嫌な記憶とともにただ落ちていくだけだ。視界が揺れ、嘔吐が喉を襲う。吐いた瞬間に無駄な快感が俺の脳を麻痺させる。

 木の下にはカップルが寄り添っていた。二人ともただ互いの姿しか見えていないようだ。俺にはそんな連中の姿が俺の持つはずだった場所を不当に占拠しているような感覚に襲われた。その感覚はどこか確信的で、その美しい存在に介入することを想像すると、今までに見た何よりも魅惑的な背徳を思わせた。

 胸が高鳴る。脳は既に酒の支配を離れ、俺自身が制御していた。手の中の子猫から冷たい感覚が伝わる。視界が標的を完全に把握した。遂に子猫を大敵にぶつける。

 二人は恐怖の目で俺を見ると即座に公園をあとにした。俺は強敵の消滅した木の下に座り、公園を見回してみる。周囲は檻に囲まれ、あちこちに餓鬼どもの遊具が散在している。砂場はちょっとした砂漠のような顔をして餓鬼の忘れた玩具のシャベルをくわえ込んでいた。あたかも、その姿は壁に囲まれた一つの鎖国のような風情だ。俺は大声で意味もない叫び声を上げてみる。誰も現れない。もう一度叫ぶ。現れない。今度は駆け回ってみる。誰もいない。ここは俺しかいない。

 これでこの公園は晴れて俺の領地になった。武器は猫。俺の食料は酒。ここは俺の領地だ。ここは俺の国だ。ここは俺の世界だ。俺はここにいる。


 朝。目が覚めると子どもを連れた母親が芝生に座り込んでいた。よく見ると俺の武器を埋めている最中だ。詰問すると、母親は猫が可愛そうで、と身勝手なことを言う。だが、俺が笑顔を見せると女は子どもを抱き上げて走り去った。途中で転んだが、靴を拾うのも忘れて逃げていった。

 しかし困った。これで俺の武器はなくなった。俺の領地を守る武器がなくなった。これでは俺の領地を侵犯する連中を排除できない。国防は国家成立の重大要件だ。

 とにかく俺は食料を胃袋に流し込むと周囲に警戒の視線を送った。邪悪な視線で魔女が人を呪い殺すと聞いたことがある。俺の視線ならきっと人を殺せるはずだ。魔女ができて俺にできないはずはない。俺はまた酒を呷ると砂場に座り込んだ。ここなら俺の王権がわかるはずだ。王権を侵す者、死あるのみ。

 俺が警戒していると二人組の男達がやってきた。制服を着込み、棒を腰に差している。日本国の警官らしい。彼らは俺に向かって横柄に名前を訊いた。かなり腹は立ったが、俺はこの公園を統治する王だと事実を返答した。

 警官は頭の上で数回指を回し、にやついた顔で日本国との国交は? と再び問いかけてきた。面倒だとは思ったが、平和重視政策を述べ立てる。すると二人は嫌らしい笑顔を浮かべ、先ほどの母親が俺から受けた被害とやらを述べ立てて警棒に手をかけた。

 俺は宙を見上げ、ついで警官の銃に目をつけた。俺はいきなり飛びかかると銃を奪う。銃声。一人は片づく。もう一人。こちらに銃を向けた。安全装置が外される。俺に銃口が向いた。指が引き絞られる。だが俺は奴に微笑みを見せると何気なく自分の頭に引き金を絞った。

 亡国の徒を国王が処分するのは当然の話だ。

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