毎日、を過ぎると僕の店には依頼者が行列になる。首都圏から郊外への帰宅時間なのか、飲み会帰りの時間だからなのか。インターネット黎明期には夜間割引が始まる時間だったから、その習慣を引きずっている人もいるようだ。とにかく発掘屋の僕にとっては依頼稼ぎの大切な時間帯だ。おかげで睡眠時間が本当にきつい。
もちろん発掘屋なんて仕事が現実にあるわけがない。日本のパラレルワールドを舞台にしたネットワークRPG「ジャポネイア」での話だ。ジャポネイアは元々が推理小説系の同人作家が開発したゲームで、事件の推理や謎解きが重要なのだ。中でも城郭調査など大きな「謎」を解くには鍵になるアイテムが必要で、とくに難易度の高い謎解きはジャポネイア内をかけずり回ってアイテムを探す破目になる。一方で、アイテムはプレイヤー同士でゲーム貨幣を介して売買することも可能で、チャットを使えば依頼といった形も可能だ。それにこの貨幣さえ貯めれば店を持つこともできる。
そんなわけで、戦闘好きだが面倒臭がりの人やアイテム探しで行き詰まった人は敵を倒して貯めた貨幣でアイテムを誰かから買おうとする。一方、僕はアイテム探しが得意だが誰かと組んだ戦闘や冒険は煩わしいので、発掘屋と称してアイテム探しの代行屋をしているわけだ。最近は名前が売れてきたせいか、ゲーム会社が仕掛けた公式の謎以外にもプレイヤー個人が仕掛けた謎まで依頼されるので少し面倒だが、とにかく次々と依頼が来るというのは楽しい。礼金の貨幣もかなり貯まったので、富豪なんて称号も降ってきたりしている。
になった。僕はいつもどおり右クリックしてメニューから「閉店する」を選ぼうとした。すると画面の右下にチャット画面が立ち上がった。
『はじめまして、発掘屋のトロさん』
ウィンドウには「レイ」という名前が青く表示されており、名前の隣に浮かんだキャラクターは見たことのない巫女衣装で、レベル五十と表示されている。僕は言葉遣いに気を使いつつ、今日は閉店すると打ち込んだ。だがレイはチャットを続けた。
『難度が高いので、とにかく早く依頼したいんです』
どのくらいの難度か訊くと、彼女の台詞部分に難度を示す星が表示された。並んだ星の数は十、つまり最高難度だ。こんな依頼を受けたら一週間かけてもこなせるか危うい。断るつもりで桁外れの依頼料を示すと、やはり返答がない。僕は諦めるよう台詞を打ち込もうとした。
『半額にする代わり、特殊アイテムの譲渡と無料お手伝いってことで、どうでしょうか』
面倒な客が来やがった。だがこの見知らぬ巫女衣装が特殊アイテムかもしれない。これを貰えるなら美味しい話だ。それにレベル五十の巫女なら、冒険に連れて行けば魔王に遭っても高度な回復が受けられる。
時計を確認するともうを指していた。今日受けた依頼の中で、丑三つ時に墓場を掘らないと見つからないアイテムがあった。そろそろ移動しないとまずい。僕は慌てて依頼を了承するとレイとのチャットを切断して閉店し、墓地へと向かった。
またぎりぎりか、と社長が煙草臭い息で不機嫌に呟いた。僕は目を合わせずに黙って加工場用の白衣に着替え白長靴を履く。同僚のおばさんが僕の尻を叩いて、女に乗っかるには重すぎだね、と笑った。周囲にいるおばさんが、あんたなら抱っこできるでしょ、などと更に下品なことを言って笑う。僕は曖昧な笑みを浮かべて白帽子を被り、腹の中でクソババアと毒つきながら整列する。
社内唯一の事務担当、恩田さんも制服姿で社長の横に立った。恩田さんは僕と同期入社だが高卒入社の年下で、体形はぽっちゃり系の丸眼鏡という美人とは言い難い人だ。ひどい不細工ではないのだが、福利厚生の書類を間違った際のきつい物言いと、普段笑顔を見せない態度が印象を悪くしている。うちのスケベ社長ですら下世話な話を振らない辺りかなりの難物だとおばさん達も言っている。もちろん、僕も会社で愛想が良い方ではないので社長には同類と見られているかもしれないが。
社長は僕に小馬鹿にした視線を向け、次いで若めのおばさんの豊かな胸元を眺めたあと今日の段取りを説明する。曰く、今日は定塩鮭の加工一日目、僕は原料出しと塩水準備、おばさん達は半身の準備。社長の号令で僕は急いでフォークリフトに乗り込んだ。のろのろしているとすぐ社長は怒鳴ってくる。キーを回すとモーターの不快な振動が体に伝わってきた。
早く終わりたい。帰ってまた腕利きの発掘屋に戻りたい。ジャポネイアにいる僕なら贅沢な衣装も買えるし店も飾れる。それに今日からはレイが僕の店員だ。僕が社長になるわけだ。目の前にいるような、あんな社長にはなりたくない。レイはここのおばさんたちのような冷やかしもしないだろう。終わりのサイレンが待ち遠しい。本当の僕は日本の片隅にある零細企業の工員なんかじゃない。謎と冒険の夢が溢れるジャポネイアなら腕利きの発掘屋なのだ。会社での生活に価値なんてない。僕が充実していられる、僕にとっての生きている時間はジャポネイアにログインしている間だけだ。ログアウトした時間なんて、寝心地の最悪なまどろみのようなものだ。
帰宅するとすぐにパソコンの電源を入れ、起動している間にパジャマに着替えて適当なご飯を準備する。今日もざるうどんだ。鍋いっぱいの熱湯に一掴みの平乾麺を入れ、数分経ったところで一気にざるへあげる。すぐに水道水をぶっかけて軽く揉むように洗い、ざるをそのまま大皿に載せてでき上がり。あとは小鉢に濃縮型のつゆを入れ、水で適当に割ってパソコンの隣に置く。
ネットニュースと投稿動画を巡回しつつうどんをすする。うどんを食べ終わる頃にはいつも巡回しているサイトも読み終わる。皿を台所に片付けると、遂に僕はジャポネイアにログインした。
きらびやかなオープニングを飛ばし、自分の店に画面を移した。昨日はレアアイテムを掘っている最中に落ち武者に襲われ、ダメージが残ったままでログアウトしていた。僕は画面を食料庫に切り替えて中華料理の青椒肉糸を選択する。すぐに僕のキャラクターが青椒肉糸を食べ、昨日のダメージ表示がゼロになった。
ふと、うどんを食べている現実の僕はダメージを回復できているのだろうかと思う。見えない傷が僕を少しずつ弱めている気がする。僕は慌てて台所のざるに水道水を激しくぶっかけ、嫌な考えを下水道に流してやる。
あらためて昨日受けた依頼を確認する。ほとんどは昨日に片付けてあり、あとは交換所に置いてくれば依頼主がアイテムと代金を交換してくれる状態だ。
問題は最後にレイから受けた依頼だ。謎の中身も確認しないまま受けたので開くのが少し怖い。それでも右クリックでメニューを開き「依頼を見る」を選ぶ。画面に羊皮紙の画像が浮かび、文字が浮き上がり始めた。
——ハコダテ・シティで「五つの星」を集め、得られた『ひみつの書』の謎を解明する——
函館市をモデルとしたハコダテ・シティは江戸風と西洋風両方の舞台が揃っており面白い謎が作りやすいため、ゲーム会社はもちろん個人で仕掛けた謎も多い。函館で五つの星と言えば五稜郭だろうが、現実世界と異なり落ち武者やら水棲生物系、妖怪桜などの植物系妖魔が頻発するので厄介だ。おまけに星を集めても、やっと本題の謎を示す文書が手に入るに過ぎない。この手はやたらと手間がかかるものと相場が決まっている。
僕はすぐに依頼画面を閉じると倉庫へ画面を移し、薬草や清めの水といった定番アイテムを準備した。防具は破邪の鎧、それに日本刀を二振り装備する。破邪の鎧は西洋鎧なので見た目が日本刀と釣り合わないが、ハコダテ・シティの妖魔相手ならこのぐらいはないと不安だ。
『約束通り、働きに来ました』
装備を完了したところでチャットが入ってきた。振り返ると巫女服の袖が見え、次いで虫眼鏡のアイコンが頭上に浮かんだレイが駆け寄ってくる。僕の装備を確認しているようだ。アイコンが消えると、レイは戦闘にお供します、とチャットメッセージを送ってきた。
僕も右クリックから「装備を確認する」を選択し、画面上にレイの装備を表示させる。巫女服は見た目のわりにはかなりの防御力で、僕の破邪の鎧と大して変わらない。武器は「ひみつ」と表示されて確認できない。普通はお互い誰でも確認できるはずだが、暗殺系の隠しナイフ辺りでも装備しているのだろうか。
僕は装備確認画面を閉じると、チャットに切り替えて五稜郭に行くと告げる。レイは即座に私の依頼だ、と語尾に踊る音符の文字を付けて応える。僕は設定画面を切り替えてレイを仲間に加えると、トウキョウ・シティのエアセンターへまとめて魔法で飛んだ。
ジャポネイアには飛行機は存在しない代わりに高速飛行船が発達しているという設定だ。一時期はアニメからの盗作疑惑が持ち上がり、今は現実の飛行船に近い野暮なデザインで少し残念だ。飛行船の乗船料は僕がレイのぶんもまとめて払い、ハコダテ・シティに向かった。
実を言えば、僕はハコダテ・シティをなるべく避けている。店をトウキョウ・シティに設けているのも顧客が取りやすいこともあるけれど、何より現実に住んでいる函館とハコダテ・シティが重なるのが嫌なのだ。移動している際に見える、現実の販売先と似通った場所の道具屋。現実の仕入先に建っている宿屋。コンビニやデパートなど、一部は企業広告と連携しているせいで現実と全く同じ場所にあるので余計気分が重くなる。ここはジャポネイア。社長の煙草臭い小言もおばさんたちのからかいもない、名うての発掘屋たる僕が活躍する世界。
いきなりパソコンがビープ音を鳴らした。
『トロさん、五稜郭に直接行くんですよね』
チャット画面にレイの同じ台詞が三回も表示されている。ぼんやりしていて気がつかなかったらしい。
『五稜郭に直接行くよ。ぼんやりしてた』
『ネトゲって、リアルで肩を叩けなくて不便ですね』
レイの言葉にそうだね、と答える。だがもし、現実にレイをプレイしている本人と会ったらどうだろうか。僕の肩を叩いたりせず、知らない人のふりをして遠ざかるかもしれない。現実はやはりつまらない。
僕たちは真っ直ぐ五稜郭に向かった。「五つの星」は予想通り五稜郭の尖った先に一つずつあり、各々に別々な種類の敵キャラが待ち構えているという定番設定だ。レイは服装通り戦闘時は援護役に回ってくれ、回復魔法や強化魔法を使ってくれる。僕はチーム戦のチャットが苦手で、レベルが上がってからは一人行動が多かっただけに援護してもらえるとかなり楽だと感じる。
そして援護に慣れた五箇所目で、いつもなら絶対にやるはずの「背後を確認する」のコマンドを飛ばしてボス画面奥まで踏み込んだ。いきなり画面が暗転し「トロは背後から強襲された」というメッセージが表示される。相手はホワイトドラゴン。絶対絶命だ。思わず、手に握ったマウスをマウスパッドに叩きつける。
だが画面に「レイが戦闘に介入した」というメッセージが流れた。いきなりホワイトドラゴンが画面の左端に吹き飛び、次いで巫女服の背中が現れた。レイは手に巨大な棘だらけのハンマーを握っている。装備を再度確認するとゴッド・クラッシャーという禍々しい名前が表示される。破戒の巫女だけが装備できるとある。僕のキャラクターの頭上には「転んでいる。立ち上がれない」という表示が浮かんでいる。レイは更にゴッド・クラッシャーをホワイトドラゴンに向けて振るった。聖なるホワイトドラゴンに禍々しい力が突き刺さり、光が暗闇へと飲み込まれ、ホワイトドラゴンが消えていった。
画面が通常画面に戻り、五つ目の星が入手できたところでレイのチャットが入った。
『なかなか言い出せなくて、ごめんなさい。闇系キャラクターで、一緒に歩いてくれる人がいなくて』
レイの職業表示に詳細メニューが追加され、闇の巫女に変わっている。闇系キャラクターは一緒にいるだけでも敵が多く寄ってくる上、理不尽なイベントに巻き込まれやすいので、一般プレイヤーからは嫌われる傾向が強い。何でこんな設定を作ったのか会社の方針が妙な気もするが、それを承知で選ぶ人もいるので正解なのかもしれない。僕は少しだけ考え、チャットを返した。
『助けてくれたし、君が闇系でも良いよ。ありがとう』
僕の台詞に、レイは安心した、とメッセージを返してきた。僕は道具画面に切り替えて五つの星を指定すると「使う」コマンドを選んだ。画面が暗転し、空に星が飛散して大きな星型を形作る。次いで石版が僕とレイの間に落ちてきて画面に石版のアップが映しだされた。
——函館市の船場町にある喪われた土地の所有者と、土地の中央より宝を探せ——
僕は目を疑う。ハコダテ・シティではなく函館市。石版は更に付属情報として細かい住所を表示する。ジャポネイア世界に魔法座標はあるけれど、住所なんて概念はない。これは間違いなく現実世界のことだ。
『どうしますか。リアルの私は、函館はちょっと』
函館市在住の僕ならできそうな話だ。だが、少し都合が良過ぎはしないか。レイはさっきも闇の巫女だということは隠していたし。それでもレイとのチャット履歴やさっき助けてくれたことを思うと信用したくなる。
現実の僕は北海道在住だとぼかして説明し、僕たちは飛行船で再びトウキョウ・シティに戻りログオフした。
ログオフした後にグーグルマップで検索したが、函館市内に船場町という土地自体が発見できない。何かの暗号だろうか。さらに幅広く検索すると「函館市史・デジタル版」というサイトに行き当たった。それによると船場町は区画整理だとかで今は末広町になっているのだという。西部地区のデートスポット辺りか、あとは生協が建っている辺りのようだがよくわからない。船場町の住所を今の住所に置き換える作業が必要だが、ネットを幾ら探しても当時の地図や昔の地名と今の地名を変換するようなサイトはなく完全に行き詰まった。これだから現実は嫌いだ。それでもあらためて色々とキーワードを広げて調べていく。もう調べる手段自体を探す方向で考えていく。だいたい土地のことなんて今まで考えたことは。
ふとキーボードを打つ手が止まった。大学時代の友達で不動産屋に勤めた奴がいた。僕は慌てて携帯を開く。番号を探してボタンを押しかけ、何から話し始めようか迷ってしまう。近況だとか結婚だとか、そんな話題には触れたくない。携帯をまた机の上に戻しパソコンに向かう。だが続けて検索するキーワードが思い浮かばない。
もう一度彼の、月島の顔を思い浮かべる。またどうせ痛烈なことを言うだろう。だが彼ならそれで終わりだ。馬鹿なことは言っても最後の一線は超えない男だった。
再び僕は携帯を手に取り月島の番号を選択する。呼び出しが三回、四回。寝ぼけた声が聞こえた。僕は近況に触れられる前に本題を切り出した。
「久しぶり。不動産屋さんに相談したい話があってさ」
「マンション投資の勧誘があるなら止めとけ。全部詐欺だ。それとも値上がり必至の原野か。それも詐欺だ」
月島の中では、僕は詐欺にかかりやすい人間なのか。まあ社長と営業に行って何も喋られない僕では騙す方には到底なれないけど。僕は函館市の古い住所の話を理由も正直に話した。すると月島は溜息をついて言った。
「詐欺じゃなく、ネカマと廃人ごっこやってるのか」
「いや、相手は男じゃないって。女のふりしたネカマなら、もっと変にかわいい子ぶったりするって」
「自信満々に見破れる経験量があるって時点で、オンラインゲームどっぷりの廃人街道まっしぐらに聞こえるぞ」
反論の難しいことを言う。僕は言葉に詰まり、無理に目的の話題に戻した。月島は鼻で笑って答えた。
「とりあえず市立図書館なり博物館なり、その手の場所で探すことだな。あとは法務局に行ってみろ」
法務局、と鸚鵡返しで訊くと、月島は不動産登記法で検索しろ法学部、と言って昔どおり電話を一方的に切った。月島は一番大事なことを言うと、お礼が面倒臭いからという理由でさっさと離れるという変な癖がある。僕は不動産登記法、とパソコンに打ち込んだ。
画面の上に不動産登記の法令が並んだ。回りくどい条文に、フォークリフトの運転ばかりで錆びついた脳が悲鳴を上げる。解説サイトを見ながら条文、そして枝葉の規則関係を読んでいく。どうも法務局に申請書を出して全部事項要約書を貰えば土地の所有者がわかるらしい。ただし、現在の住所でないと申請できないようだ。
函館市立図書館を検索すると、明治時代の地図が何枚かデジタルアーカイブという名前で公開されていたが、函館市全体を示した地図なので詳しい住所などはわからない。ただ、もっと詳しい地図も図書館に収蔵されている可能性はある。僕はカレンダーを確認する。明日は定時で終わるので、帰りに図書館に寄ることもできる。
僕はアーカイブの地図を睨みながら、学生時代から足を踏み入れたことのない図書館に少し興奮していた。
仕事が終わり、いつものように長靴と作業着を着替えて更衣室を出ると、事務の恩田さんが不機嫌な顔で更衣室の前に立っていた。恩田さんは僕の目の前に立つと、ポケットから小さな携帯ストラップを取り出した。
「レッドソード、落としたでしょ」
見ると僕が携帯につけていた、ジャポネイア公式グッズの限定品ストラップだ。僕は慌ててお礼を言って携帯に付け直す。恩田さんは鼻で笑って戻ろうとした。だが僕は妙なことに気づいた。ジャポネイアのレッドソードはレアアイテムなので一般には知られていないはずだ。
「恩田さん、ジャポネイアやっているんですか」
恩田さんの肩が小さく揺れ、冷たい声が返ってきた。
「知人のゲームマニアが自慢していただけです。今日は決算日で残業がかかっていますので失礼します」
言ってはまずい類の発言だったらしい。僕は肩をすくめてすぐに会社を後にした。今日は図書館に行き、レイの依頼を少しでも早く進めるのだ。
図書館に着くと、とりあえず図書館司書に相談してみる。怪しまれると厄介なので、趣味で郷土史を調べていることにする。どうも市内にはそういう趣味の人が結構いるらしく、司書さんは納得したような表情で地図の閲覧手続きを取ってくれた。僕は地図の作成年代に気をつけながら数枚の地図を現在の地図と見比べていく。どうもそれらしい場所を絞り込めたが、それでも幾つかの番地に分かれているようだ。現在の地図には住んでいる人の名前も入っているのだが、その候補にはいずれも名前は入っていない。僕は資料をコピーして帰宅した。
家に着くと、僕はすぐに法務局のサイトから交付申請書のデータをダウンロードして申請書を作った。明日は昼休み返上で法務局に行くのだ。僕は申請書を印刷して押印すると、すぐにジャポネイアにログインしてレイに呼びかけた。だが今日は珍しくレイがログインしていない。いつもどおりざるうどんを食べ、適当に小さな依頼を片付けてからまた自分の店に戻ったが、やはりまだレイはログインしない。今日は忙しいのだろうか。
ふと、今日は恩田さんが残業だと言っていたことを思い出した。レイが恩田さんで、この謎も僕のために仕掛けたとしたら。辻褄は合うが、あまりに普段の恩田さんとレイではキャラクターが違い過ぎる。第一、恩田さんが僕にわざわざ近寄るような真似をするとは思えない。それにしても僕はずいぶんとレイに依存しかけている。
いや、妙な依頼のせいだろう。僕は余計なことを考えないようにして、再び依頼募集を店の玄関に掲げた。
昼休みは昼飯抜き覚悟で法務局に車を飛ばした。ネットで見たところでは、法務局は人権問題なども扱う組織で気難しい役所だという印象だったのだが、行ってみると市役所の住民票窓口と大して変わらない雰囲気で拍子抜けした。とはいえ、さすがに窓口を待っている人は作業服を着た人か背広の人ばかりで主婦らしき姿はない。
全部事項証明書と地図の交付を受ける。両方とも薄緑色の透かし模様が入った紙に、いかにも役所風な素っ気ない文字と黒く四角い印鑑が印刷してある。
交付された地図は、角張った線と番地だけが書き込まれた見慣れないもので、海沿いのはずなのにどこが海岸線かもわからない。僕は職員に見方を確認し、古い地図と重ね合わせてみた。すると二つの土地に絞り込まれ、更に片方が妙な土地だと気づいた。その土地は「高野千代」という明治時代の女性が所有者のままで変わっていなかったのだ。ちなみにもう片方は国有地だった。
時計を見るともう仕事が始まる時間だ。僕は登記事項証明書と地図を持って急いで会社に戻った。会社に戻ると恩田さんが憔悴した様子で伸びをしていたが、僕は声を掛けず急いで工場へと向かった。
仕事が終わると僕はまたいつも通りジャポネイアにログインした。今日はコンビニで買ったカツ丼弁当とサラダを夕食にする。図書館に行った日以来、なぜかわからないが現実の食事も良くしたい気がしている。
弁当を食べ終わった頃にレイがログインしてきて、昨日は残業で忙しかった、とメッセージを送ってきた。相手も社会人だとわかり何だか安心する。僕は今日までの探索結果を粗く説明した。ただレイの素性が気になるので、わざと最終候補に残していた国有地と高野千代の土地の両方を曖昧な言い方で教えておいた。
『現実でも優秀な発掘屋さんなんですね』
レイのメッセージに適当な相槌を返す。現実の僕なんて、ひたすら社長に怒鳴られおばさん達にからかわれ、同期入社には鼻で笑われている駄目な人間なのだ。
僕はレイに惹かれていた。だから今、現実でも発掘屋紛いのことをやっている。でも現実の僕には興味を抱かれたくない。オフで実際に会って幻滅されて今の時間が終わるなんて展開は避けたい。現実に会えない人を仲間なんて、と馬鹿にする人は世の中に山ほどいるけれど、僕は現実を切り離せるからこそ仲間でいられるのだ。
僕はいつもより早い時間にジャポネイアからログアウトすると、月島に調査結果を電話してみた。
「で、どうすんだ。所有者はどう見ても今はあの世だ。相続者探すのは面倒だぞ。あと土地の宝ってのは?」
「まず現地に行ってみる。空き地なら掘り返してみる」
月島は少し黙り、次いで悪戯っぽい言葉を返した。
「その宝探し、週末なら付き合うぞ。土地の中央を見つけるならハンディGPS持っているしさ」
月島が手伝ってくれるのならありがたい。僕一人だと不審者だと疑われる可能性が倍増する気がする。僕たちは土曜の昼に駅前で会う約束をして電話を切った。なぜか今回は久しぶりに会うことが楽しみで、今の自分の境遇も気にならなくなっていた。
駅前で待っていると、ベージュ色の作業服を着た少し頭髪の薄い男が近寄ってきた。少し身を引くと男はさらに僕へ向かってくる。よく見ると月島だ。お前も太ったな、と月島が笑う。ずいぶん毛が薄くなったね、と僕も嫌味を言ってやる。月島は苦笑して僕にハンディGPSを投げ渡すと営業車風の白バンへ手招きした。乗って見るとスコップや草刈機などが積んである。
「埋まっているときに必要そうなものを持ってきてやったよ。あと、怪しまれたら怖いから仕事風に」
僕も月島の作業服を借りて車の中で着替える。月島は車を旧船場町へと走らせた。現地の近くに車を駐車すると、月島は見たことのない古地図を取り出した。
「市役所に行って明治時代の測量図をもらっておいた」
さすが不動産屋、と言うと、これは測量屋の仕事だ、と言って月島はそっぽを向いた。僕は地図と周囲の様子を見比べて土地の配置を確認する。やはり高野千代の土地と国有地は雑草が腰の高さまで生い茂っている空き地になっていた。僕は予定どおり高野千代の土地に向かいかけ、ふとレイのことを思い出した。
レイは偶然に発掘屋のトロを選んだのだろうか。実は函館市在住の現実の僕を選んだのではないのか。そもそも、この謎を仕掛けた人間は誰なのか。
僕はスコップを背負うと国有地の方に走りだした。月島が文句を言いかけたが、僕は目で合図して来るように言う。二人で国有地に入ると、僕は月島の古い地図を受け取って睨みながら適当に地面を指さして掘り始めた。月島も溜息をついて僕と一緒に掘り始める。しばらく掘り進めたところで、僕は掘った穴に手を伸ばした。
「私の土地で、何をしているのですか」
僕たちの背中に聞き覚えのある冷淡な声がぶつけられた。振り返ると恩田さんが腕組みをして立っている。恩田さんはジーンズに淡い青色のブラウス姿で、服装だけなら普段の制服姿よりかわいらしい印象だ。
「同じ会社の社員だし、警察とかには言わないであげるから、今すぐ出て行ってくれますか」
恩田さんは強い口調で迫る。月島はとっくに丸見えなのにスコップを背中に隠した。だが僕は冷静に答える。
「ここは恩田さんの土地ではありませんよ」
恩田さんは戸惑った表情に変わって僕に訊いた。
「ここが私の土地ではないとは、どういうことですか」
僕は法務局の地図と登記事項要約書、そして現在の地図を並べて見せ、ここは初めての登記からずっと国有地で、個人所有になったことがない場所だと告げる。
「じゃあ、なぜ国有地の方を掘っているのですか」
「恩田さんはなぜ、国有地ではなく恩田さんの土地の方を僕が掘るはずだ、と思ったんですか」
それは、と言いかけ、恩田さんは唇を噛んで黙り込んで僕を睨みつける。僕は更に続けた。
「隣の土地もずっと空き地です。僕たちが掘っているときに偶然所有者が来るなんてできすぎですよ、レイ」
恩田さんは眼鏡の位置を神経質に直しながら、いつ私だと気づいたの、と訊いた。僕は探偵の気分で答える。
「それは今です。もし誰か現れるなら依頼人のレイだと思った。それにレイは不自然な点があった」
月島がやっと納得した表情で僕の後に言い足した。
「わざと違う土地を掘って見せておびき出したのか」
恩田さんの厳しい視線に僕は目を逸らしそうになり、だが我慢して恩田さんと視線を合わせ強気で答える。
「レイがログインしない日は恩田さんも残業だし、僕のストラップを知っていたし。意外じゃなかったさ」
恩田さんは溜息をつき、視線を迷わせながら呟いた。
「無能なあなたなら、現実に負けると思ったのに」
僕と月島は首をかしげる。恩田さんは淡々と続けた。
高野千代は恩田さんの遠縁に当たる女性らしい。らしい、というのも高野千代には直系の子孫がおらず墓もよくわからないそうだ。そのうえ、函館市は昭和初期に大火に見舞われたせいで古い戸籍は市役所に行っても保存されておらず、恩田さんが亡くなった祖母から口伝えに聞いた話だけなのだという。恩田さんは高野千代が残したという、住所と宝について書かれた紙片を祖母から受け継いでおり、謎解きをしてみたくなったそうだ。
「でも現実の謎解きって難しい。ゲームのようにはいかない。悔しくて、誰かに同じ思いをさせたくなった」
それが僕か、と訊くと恩田さんは僕の携帯ストラップを指さした。僕が机に投げ出していた携帯をこっそり盗み見たそうだ。僕の携帯にはジャポネイアからのメールも入っていて、僕が発掘屋だと気づいたのだという。
「いつも怒鳴られているあなたなら私と同じく挫折すると思った。でも、あなたは現実でも発掘屋だった」
僕は恩田さんと月島、両方からこっそりと目を逸らした。だが月島は気づかないのか明るい調子で言う。
「でも現実には発掘屋なんて仕事、ないだろ。それにまだ、宝は掘り出しちゃいないし」
恩田さんは大きく目を見開いた。僕は恩田さんに持っていたスコップを渡すと、高野千代の土地を指さした。
「レイ、一緒に掘って欲しいな」
恩田さんは口を尖らせつつ子供みたいにうなずいた。
今度は月島の地図とGPSで慎重に位置を合わせ、僕と恩田さんの二人で掘り始めた。恩田さんは手が痛いというので月島が引き受けようとしたが、恩田さんは頑として譲らず、僕たち二人で二十分ほど土を掘った。
こつり、と硬い石に当たった。石は妙に平板で、僕と恩田さんは顔に泥が付くのも構わず二人で石をとりのけた。石の下には漆塗りの腐りかけた木箱があり、恩田さんがそっと箱を取り上げる。崩さないようにゆっくりと開くと中には赤錆にまみれた簪が入っていた。
恩田さんは簪を握りしめ、僕たちに顔を背けて呟いた。
「現実世界なんて、こんながっかりする物しかないの」
月島はうろたえながら曖昧な笑みを浮かべて言った。
「上手くすれば、実は骨董品で高く売れないかな」
恩田さんは月島に侮蔑の視線を向け、次いで僕をじっと見つめた。眼鏡の奥にある、青みがかった黒い瞳に僕は動悸してしまう。レイより魅力的かもしれないと思いかけ、慌てて頭の中で余計な考えを打ち消した。
高野千代の意図を知りたいが、それを知る術は僕にはない。それにこれは、依頼主の大切な謎なのだ。
「僕の仕事はアイテム探し。謎本体は、依頼主が解く」
謎本体、と恩田さんは眉をひそめた。僕は続ける。
「錆びた簪が謎の鍵アイテム。謎の本体は、高野千代が簪を埋めた意図じゃないかな。冒険は終わっていない」
恩田さんは頰を赤くしてあらためて簪を見つめる。月島は呆れた調子で白バンに資材を積み込みながら言った。
「お前ら仲良しは、とりあえず徒歩で市内冒険しとけ」
月島は最後のスコップを積むとそのまま走り去ってしまった。僕が唖然としていると、恩田さんは路上駐車しているコンパクトカーを指さし冷めた声で言った。
「飛行船の乗船賃、払ってもらいましたし。あなたが疲れて今夜、ログインできないと冒険に支障があります」
「じゃあ、今夜もジャポネイアで」
「レイはトロともっと一緒に冒険したいんです。私は一秒でも早くあなたと離れたいけれど」
顔を背けた恩田さんの頰がかすかに赤い気がする。次いで恩田さんの背中が小さく震え、笑い声が漏れた。僕はレッドソードで自分の頰をつつくと、恩田さんと連れだってつまらない現実の道路を歩き始めた。
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