文芸船

ギニョールと応援歌

「美枝、お尻に火がついてきたね」

 私が「小鳥の歌」を歌い終わると、渚先輩はおどけた調子で言った。美枝先輩はちょっと膨れっ面して突っかかる。

「マリオネットの操作は絵里にはできないですよ。ハプニングの対応だって無理だし」

 私は困って肩をすくめる。でも渚先輩は更に調子に乗って意地悪な言葉を続ける。

「ハプニングが起きたら先輩が上手く処理して当然でしょ。美枝、先輩は大変だよ」

 私は大学の児童向け人形劇サークル「ワン助とチュー太」に所属している一年生だ。人形劇で使う人形は色々な型があり、糸で操るものがマリオネット。糸を通して細かい動きを制御するのは並大抵ではないので、うちのサークルでもマリオネットを使えるのは団長の渚先輩と三年生の美枝先輩だけだ。

 サークルの主力の人形は親指、人差し指、中指の三本で両手と首を動かす、ギニョールと呼ばれる初心者でも操作出来る型が中心なのだけど、台詞を言いながら片腕を伸ばし立ち膝で動き続けるのは結構大変で。私はまだ「三匹の子豚」でもばててしまう。

 今は九月に近所の幼稚園で予定している講演に向け練習をしている。うちのサークルでは、幕間に一年生が「歌のお姉さん」と称して子供の前で歌を歌うことが恒例となっており、私もサークルのテーマ曲「小鳥の歌」を歌うことになっているのだ。

「さあ、もう一回読み合わせいこうかあ!」

 身長一五〇センチメートルにすら届かないとは思えない渚先輩の大声が室内に響く。音響担当の木田先輩がキーボードの前に戻った。でも、美枝先輩が最初の息を吸った途端。

「ワン助とチュー太の部室はこちらですか」

「だーっ!」

 せっかくのいい緊張が間抜け声でぶち壊されたせいで、渚先輩は台本を投げ出して吠え立てる。声をかけた男はびくっとして引き下がりながら部屋を見回した。

「ワン助とチュー太ですが、何か?」

 木田先輩が立って冷静に対応した。渚先輩はほっぺをぷうっと膨らましたまま机を台本でひっぱたいている。男は渚先輩に冷たい視線を浴びせつつ、興奮した口調で喋りだす。

「私、劇研の者ですが公演で学校側と揉めており、貴部に協力をお願いしたいわけです」

「それは団長に言ってもらわないと」

 木田先輩は渚先輩に目を向けた。でも男は慌てて部屋の中を見回す。

「あの、団長さんはどちらの方で?」

 木田先輩は笑いを堪えながら渚先輩を指さした。渚先輩はと言えば、子どもみたいに机に乗って足をぷらぷらさせている。

「あの、ほんとに?」

「私じゃ悪いっての?」

 喧嘩腰の渚先輩に、男は慌てて謝る。渚先輩は机から飛び降りると椅子を指さした。

「一応、話だけは聞くからそこに座って」

 男が言われた通り席につくと、渚先輩は男の横に立っていきなり訊いた。

「また土地使用許可の申請しないで『赤テント』張るつもりでしょ?」

「申請はしたのですが」

「いつしたの」

「昨日です」

「いつ建てるの」

「今終わりました」

 途端、渚先輩が怒り始めた。

「あんたら本物の馬鹿じゃない? 何で規定通り二週間前に申請しないの! どうせまた『入らずの庭』にぶっ建てたんだろうけど。こっちだって忙しいんだよ」

 激しく男を責め、次いで私に向き直る。

「劇研って、演劇研究会なんだけどね。毎年真っ赤なテントを勝手に張って公演やるんだ。芝居の中身は良いんだけど、学校の許可とらないから毎年いざこざ。進歩ないの」

「『入らずの庭』って何ですか?」

「講義棟の脇の草地。大学祭でも店なかったでしょ。許可の出ないあそこに建てるのよ」

 なるほど、渚先輩の不機嫌もわかる。

「で、協力って何? また署名?」

 渚先輩は面倒そうに訊いた。すると劇研の人は平然とまた非常識なことを口にした。

「大学側から、テント強制撤去の通達が届いたんです。ですから抵抗するため、人間バリケードに参加していただきたい」

 美枝先輩が裏返った声を上げる。そういうの嫌いそうだもんなあ。ま、私も嫌だけど。でも男はそんな声を気にもせずに繰り返す。

「ご協力、お願いします」

「やだ」

 渚先輩はきっぱりと言い放った。男は何を言ったのか、という顔をする。渚先輩は口を大きく開いて改めて大声で告げた。

「もう一度言ってあげる。お断りします!」

「去年協力してくれたじゃないですか」

「去年何て言った? 『こういうのは今年限りにします』だよ。何で繰り返すの!」

 他の先輩たちに目を向けるとみんな同感って顔。でも男は粘った。

「でもラグビー部や映研、それに不動寮は協力してくれるんですよ?」

 不動寮、と木田先輩が声を上げた。そういえば寮生だって言ってたっけ。あの寮、変人が多いって噂だから乗せられたんだろう。

「不動でもほら、話を知らない人間がここにいるでしょ。ラグビーは筋肉褒めればほいほい乗せられるし。映研には自主制作のとき無料で俳優貸すとか裏取引したんでしょ?」

 渚先輩は冷静に反論を潰していく。全部図星だったらしく、男はすっかりうなだれた。

「ということなら、やっぱ協力……」

「考えてもらえないか? 渚!」

 先輩が改めて断りかけたとき、また廊下から怒鳴り声が聞こえた。声の主は勝手に戸を開け入ってくる。

 入って来たのは学ランを着た大男。髭を伸ばし高下駄を履いている。学ランは膝までくるような、確か長ランとか言ったっけ。ブックオフの百円コーナーに並んでいるヤンキー漫画みたいな、一目見たら忘れない集団。

「第九十六代応援団は全面的に応援する」

 やっぱり応援団だ。大学内一のアナクロ集団。突然授業の終わりに教室に現れて唱歌指導したりする、変な人たち。そのくせ開学以来、九十六年も続いている学内最古の伝統ある集団だけに始末が悪い。

「渚、何とか協力してやってくれないか」

「武田、どのぐらい協力しそうなわけ?」

「今うちの幹部が運動部の説得に当たっている。他にも一部の文化系も回っているがな」

 渚先輩も今度は真剣な顔で考え込んだ。

「俺の顔、立ててはもらえないか?」

「団長の顔、かい?」

 渚先輩は困った表情になった。私がきょろきょろすると、木田先輩が耳打ちする。

「応援団長の武田さんって渚先輩の幼なじみだって。あと、応援団って運動部に強力なコネ持ってるから断ると後々面倒なんだよね」

 渚先輩は再び悩ましい顔で私たちを見回した。劇研は黙り込んだまま。だが、ついに渚先輩と目の合った木田先輩が口を開いた。

「いいんじゃないか? 代わりに大道具制作の資材を回してもらおう。部費もきついし」

「今回だけ、が二回、三回続くのはいや」

「それがないことは俺が保障する!」

 武田さんに渚先輩は怪訝な目を向ける。

「劇研は今回で解散するんだ。だから花道を作ってやりたい」

 武田さんは付け足すように渚先輩に向かって語りかける。渚先輩は私たちを見回した。

「どうする? みんなの意見は」

 三年生がそろって美枝先輩に視線を向けると、美枝先輩は仕方ない、と溜息をつく。二年生の先輩たちは、面白いかも、と笑った。絵里は、と言われて周りを見回した。応援団の武田さんと目があった。ちょっと怖いけど、でも真摯そうで穏やかな瞳に惹かれる。

「私も、最後ならって思います」

 渚先輩はうなずいて、劇研に向き直った。

「人形劇団ワン助とチュー太、協力します」

「ありがとうございます!」

 渚先輩は劇研の挨拶を聞き流し、すぐに応援団長さんに向かって指を立てて言った。

「あくまでも最後って約束。武田の顔だよ」

「もちろん。万が一の際は第九十六代応援団が全面的に協力する」

 渚先輩はやっと表情を崩すと、頼んだよ、と言って応援団長の背中を突いた。


「三年生は全演劇系部活を回って。二年生は体育会系。木田は事務に各々情報収集して」

 渚先輩は劇研を帰すとすぐに指示を飛ばした。完全協力というより、自分たちで情報を集めて何か考えるつもりらしい。

「絵里は私と一緒に応援団の団室ね」

 思わずうめき声を上げてしまう。だって恐そうな男ばっかの応援団、それも団室だなんていかにもやばそうだし汗臭そうだし。でも渚先輩は平然と言葉を足した。

「私が一緒だもん、大丈夫でしょ?」

 うなずくしかない。部屋の隅で休めの姿勢で待っている団長さんにも悪いし。

「武田、そういうことだから。団室でもう少し詳しく話聞くよ。裏もあるんでしょ」

「わかった。じゃあ一緒に行こう」

 武田団長は振り返りもせず部屋を出る。渚先輩はキャラクターつきのバッグを背負って後を追う。私もその後ろに慌てて従った。

 応援団の団室は体育館の脇。夕方になると寮歌や校歌が響いてくる。みんなむさ苦しい顔して、中にはどこが元の布なのかもわからない、ずたずたの着物を着ている人もいる。とにかく普通じゃない人たちだ。

「ここが団室だ。他の幹部たちは全部出払っている。上がってくれ」

 扉の脇には「應援團」と書かれた重そうな木の看板が下がっており、その威圧的な筆文字に胃の下が痛くなってくる。

 団長さんが扉を開けると、思ったより綺麗に整頓されていた。でも壁に貼られた校旗、奥に鎮座する大太鼓。筆で書かれた「押忍」という文字の掛け軸。漫画も置いてあるが、今時のオタク系ならまだましで、二昔ぐらい前の汗臭そうな柔道と暴走族、それに怪しげな麻雀の漫画だ。完全に私とは別世界。

 それでも机の上に放り出されたままのスマホのケースがラメ入りな辺りで、一応はこれでも私たちと同じ学生なんだよな、なんてことも考えてしまう。

「絵里、びくびくしてないで早く入るの」

 言われて見ると渚先輩はもうパイプ椅子に堂々と座っていた。私も慌てて席につくと、団長さんもその後に席についた。

 次いで部屋の奥にいた一年生が渚先輩と私にお茶を持ってきた。丁寧に挨拶すると部屋の隅に休めの姿勢で立つ。渚先輩はお茶を一口すすってから団長さんに訊き始めた。

「応援団さ、本気で人情で協力するわけ?」

 当然だ、と団長さんはにべもなく答える。でも渚先輩は食い下がった。

「武田、立場とか無しで本音聞きたいの。あんたら応援団も問題児だけど、OBの面子もあるから程度ってもんがあるでしょ。なのに動くんだから情だけには思えない」

 団長さんは黙り込んだ。難しい話みたい。

「応援団も若いのがいるけど、うちにだって一年生もいるわけよ。危険に首突っ込むのは嫌なの。だから応援団の本音、聞かせて」

 黙ったままの団長さん相手に、渚先輩はさらにきついことを言い続けた。すると団長さんも諦めたのか、やっと顔を上げて私と渚先輩を交互に見つめて話し始めた。

「劇研と演劇部が合併することになった。団が仲介したのだから間違いない」

 渚先輩はやっと安心した顔で私を振り返る。

「劇研って、演劇部の派閥争いで分離した連中が始めたの。うちも舞台借りたりするとき巻き込まれて大変だったんだ」

 渚先輩が説明を終えると、団長さんはまた話し始めた。

「条件が『最後の公演を例年通りするよう協力すること』だったのだ。その背景もあって我々応援団が奔走しているわけだ」

「それならしょうがないけど、でも最後まで他人を振り回してるよね、あいつら」

 言いながら渚先輩は何事か考え始めた。団長さんは怪訝な表情になる。

「ねえ武田。効果的なこと考えちゃった」

「何をやらかす気だ」

 渚先輩は真剣な声に変わり、逆に訊いた。

「応援団ってさ、自分自身は大会に出ないで他の人を応援するだけだよね」

 団長さんは、応援団だからな、と苦笑する。

「でも、色々と問題があっても応援団が続いてきたのは、応援が人の力になったから」

 団長さんは頰を赤くし、まあ、と呟いた。

「じゃあ、私たち劇団系は? もちろんエンターテインメントは最重要。それから劇研みたいにイデオロギーがかった奴らもいる」

 じゃあ、ワン助とチュー太は。私も考え込んでしまう。渚先輩は続けた。

「人形劇は、子供には夢と、それから正義とか愛情とか、あと現実の理不尽を教えるの。でも、大人にも力があるって思っている」

 それは、と団長さんが小さく問う。何故か今、渚先輩の方が団長さんより大きく感じる。渚先輩は優しく微笑んで言った。

「大人には夢と、青臭い理想を思い出させる」

 ふと、胸の辺りが重苦しくなる。何かが私の中で激しく揺れた。団長さんも真剣な過麻で唇を噛み、それでも枯れ声で訊いた。

「何を、やろうとしているんだ」

「それは見てから考えて欲しいね」

 これだけ言って渚先輩は立ち上がった。私も真似して立ち上がる。渚先輩は笑った。

「そんじゃ。次はバリゲートでね」


「違う、もっと声だして」

 応援団から帰ると、渚先輩は私にギニョール操作の稽古をつけ始めた。それも人形制作の練習で作った、三毛猫のミャオを使えって言うの。さらに脚本すらなくアドリブだけ。

「先輩、ミャオって練習用に作ったんじゃないんですか。何をやるんですか」

「つべこべ言わない。時間が無いんだから」

 渚先輩の指示は、ミャオの性格を考えて動かしてみろ、というもの。って言ったって。ミャオは私の分身のつもりだったし。ドジな私……って。ドジ猫? 案外かわいいかも。

『ミャオくん、自己紹介しようね』

 渚先輩は愛用のウサギさんでミャオの背中をぽんと叩く。目の前に幼稚園児たちが座ってるつもりになってアドリブの台詞を言う。

『僕、猫のミャオ。みんなドジ猫ミャオって馬鹿にする。ネズミにまでからかわれるし、嫌になっちゃうんだ。……とと。またつまずいちゃった。僕も格好良い猫になりたいな』

 今度は渚先輩、微笑んでくれた。

「さっきの『私、猫のミャオです』なんて言うよりずっといい。よし、掛け合いしよ」

「ええ? 掛け合いって」

 私が慌てるのも構わず、渚先輩はウサギさんになりきってしまう。

『ねえミャオ君。私と遊ばない?』

『あの、君は誰?』

 咄嗟に口をついた質問。人形の名前、聞いたことなかったから。

『私? 私はラビ。あとね……』

『私はビット。双子なの』

 いきなり二匹目が登場する。ウサギはミャオを両側から挟み込む。私は慌てて、でも動かなきゃなんない。とりあえずくるるっと左右に動かす。

『あははあ、私はビット』

『あははっ、私はラビ』

 ビットの方はちょっとだけ喋りが遅い。今度は二つの人形が激しく動き回る。

『ミャオ、ラビは私?』

『ミャオ、ラビは私?』

 ウサギは交互に言いたてる。どっちなんですかと素で訊きたいのを必死で押さえ、ミャオの気持ちになって答える。

『こっちがラビかな』

『こっちって私?』

『ううん、私だよ私』

 ウサギは二人で言い立てる。次いで大声で呼びかけた。

『ねえ、みんなどっちがラビ?』

 ちょっと時間を置いて、また叫んだ。

『ミャオ君の負けーっ! 私がラビでーす』

 名乗りを上げたウサギは、胸のマジックジッパーをばりっと剝がした。そこには「らび」というアップリケ。

『私がビットでーす』

 こっちもばりっと剝がした。やっぱり「びっと」とアップリケが貼ってある。

『ミャオくん歌ってよ』

『小鳥さんから習ってた歌、聞かせて』

「えっ、でも」

 びっくりして思わず素で答えてしまった。だが渚先輩は芝居を続ける。

『歌って』『歌ってえ』

 しつこさに私はしぶしぶ答える。

『そうかい?』

 言って、今度は気持ちを楽にする。そして。

「ようし、オッケー」

 歌う直前で渚先輩は立ち上がった。私は何がオッケーなんだろ、と見つめてしまう。

「絵里、十分いけるよ、このままで」

「そう、ですか?」

「バリゲートよりこっちが面白いでしょ」

「へ?」

「バリゲートの横でやろうっての」

 渚先輩の言う「効果的なこと」というのがやっとわかった。でも。でも私、人前で演じたことなんてまだ一回もないのに。

「大丈夫。私がバックアップするから」

「でも私、初めてなんですよ?」

「いいじゃん、大人相手でそれもきちんとした公演じゃないなら少々の失敗許されるし」

「こんな寸劇やって何になるんですか?」

「人間、変なことに目がいくものよ」

 渚先輩はお気軽に私の頭をくしゃっ、と撫でた。ちょっとだけ安心したけど。でもこれからどうなるの?


 今日は学校側が通告したテント撤去期限日だ。強情張ったところで学校側が強制的に撤去してしまう。それでも劇研の人たちは赤テントに立て籠っていた。

 私は渚先輩に言われた通りインスタント舞台を組んで待っていた。他のメンバーは劇研と一緒にいるはず。ほんとは私と一緒にいて欲しかったんだけど、先輩たちも渚先輩に何事か頼まれていて、結局は独りで渚先輩を待つ羽目になってしまった。

「南陸大学校歌、夢遥か!」

 応援団の声が響く。大団旗と校旗が風にはためき、ごつい男が必死で支える。先頭では団長さんが演舞し、団員が声を張り上げる。地響きのような声。すさまじい迫力だ。それにしても、この人たちって五十年ぐらい頭の中がずれているんじゃなかろうか。

「おーお、ご苦労さんだこと」

 横で小馬鹿にした声がする。渚先輩だ。

「先輩、応援団に聞こえたら怒りますよ?」

「いいの、ほんとのことなんだから。それより絵里、ちゃんとミャオ連れて来た?」

「はい。大丈夫です」

「よっしゃ、私が押したら思いっきりおっきい声で自己紹介。いい? ぶっつけ本番」

「はい……でもこれがどんな」

「いいからいいから」

 渚先輩がはぐらかす。開き直るしかない。

「あ、来ました」

「まだまだ」

 並んだ事務の人を見ても、渚先輩は腕時計を睨んだまま。撤去期限は九時とはいえ、もう八時五十七分なのに。

「事務は機械人間だからね、本当にぴったりじゃないと動かないよ」

 言われてみると、なるほど。事務は全員腕時計を睨んでいた。一分間が長く感じる。

 事務がお互いにうなずきあった。先頭が口を開く。

「撤去期限、十秒前」

 はあ? そこまでやるかあ?

「五、四、三、二、一、ゼロ!」

 とたん、事務が動き出した。ラグビー部が押し返す。応援団がエールを叫びながらラグビーに混じる。反対側には他の運動部や寮生がガードする。そして。

「事務の方々、お待ち下さい!」

 応援団長の声が通った。全体がぴしっと凍りつく。渚先輩から準備の合図が出る。

「演劇研究会は確かに不当です! しかし今回は最後の公演。どうか見逃して欲しい!」

 団長の声は端まで響いた。言ってることともかく、何だか「そうですか」って引き下がりたくなる不思議な威厳さえ感じる。

 でも、事務さんはこのぐらいで揺れるほどやわじゃなかった。一番奥に控えていた、中年ロマンスグレー頭の銀縁眼鏡が前面に出てくると、眼鏡をくいくいっ、と直しながら抑揚のない声で応対する。

「大学当局としては入学時点で説明している事柄です。一部学生の身勝手を認めるわけにはいきません。度重なる警告を無視したとなると処分の検討もありえますよ」

 感情ないのかあんたは。怒ってくる方がまだましだ。ここまで冷静な人なんて説得出来ないよ。でもさすが、大見得きっただけあって団長さんは引くことを知らないらしい。

「彼らはこの公演で自らの歴史に幕を閉じるのです! その最後の想いを、人間として踏みにじってもよいと?」

 うー、痒くなるようなアナクロな台詞だ。応援団って、時代ずれなナルシスくんだ。

 でも。感傷という言葉を知らない事務はただ眼鏡をきゅきゅっ、と直して言った。

「二週間後に別な場所で公演すれば済む話でしょう。正式の書類を提出するなら、特別に今回の件は不問として受理しますよ。多少は早めに許可しましょう」

 ほんと役人根性だ。でも冷静過ぎて責める気にもなんないなあ。

「絵里、用意して」

 渚先輩の緊張した声が聞こえた。見ると渚先輩は外野に目を向けていた。私もそっちに目を向けた。血の気の多いラグビー部と柔道部が今にも事務に飛びかかりそうだ。

「さあ、邪魔だ。どきなさい!」

 事務さんはラグビー部の一人の肩に手をかけた。彼の目が危険な色に変わる。団長さんに焦りが走った。体育部が一斉に立ち上がる。柔道部が事務に駆け寄った。乱闘になる!

『うっわーん! お兄ちゃんお姉ちゃんが恐い顔してるう!』

 とんでもない大声が響いた。渚先輩だ。ウサギが舞台の上でばたたっと派手に動く。

 走りかけの柔道部も、血走った目をしたラグビー部も毒気を抜かれた顔で舞台に目を向けた。事務さんも銀縁眼鏡をかけ直してこっちをじっと見つめる。

『あれ? 静かになったよ。誰か、一緒に遊んでくれないかな?』

 お尻をスニーカーの先で蹴られる。渚先輩の合図だ。でも蹴るなんてひどいなあ。

 私は舞台の隅っこにミャオの顔を出した。きょときょと見回して真ん中に飛び出す。

『僕は猫のミャオ。みんなドジ猫ミャオって馬鹿にするんだ。あーあ、僕も格好良い猫になりたいな』

『ミャオ、遊ぼ。私はラビだよお。あとね』

『私はビットだよ』

 テントから木田先輩の弾く音楽が流れる。のんびりした、ちょっとふざけた感じの曲。

『ねえ、どっちがラビ?』

 練習通りウサギはめまぐるしく走り回って今度は舞台の外に向かって言った。

『団長さん、ラビは私だよねえ』

『事務さん、ラビは私だよね』

 事務さんたちはおかしいぐらい慌てる。団長さんも困った顔。それを見て私にも悪戯心が浮かんできた。

『ねえ、僕にはやっぱりわかんないや。みんな協力してよ! 教えて欲しいなあ』

「俺は右だ!」

 私の台詞にいきなりラグビー部から声が上がった。と。木田先輩じゃん!

「私は左だと思うんだけど、事務さんは?」

 事務さんの背後で叫んだのは美枝先輩。

『みんな手を挙げて。左の人、はーい!』

 調子に乗った私の声でばらばらっと手が挙がる。数えるわけでもなくまた声をかける。

『じゃ、右の人は、はーい!』

 また手が上がる。今度は事務さんも何人か挙げて、すぐに恥ずかしそうにした。私は練習のときみたいに勘で言う。

『うん、じゃ僕はねえ、右にしようっと』

『ざんねーん。私はビット』

『ラビは私でしたあ!』

 二匹のウサギさんはアップリケを見せつけた。事務さんもラグビーも何となく殺気が消えてしまう。よし、最後の一押し!

『ねえ、テントの人たちも一緒に遊ぼうよ!』

 私の声に、テントから応援団員が現れた。

「そうだ。お前ら前に行け!」

 ミャオに答えながら、応援団員が「劇研」の腕章をつけた男を二人引っぱり出し、そのまま応援団長と事務さんの間に放り出した。

 またさっきの悪い雰囲気が戻った。でも応援団長は私たちに手を振ってから口を開く。

「結局はお前ら劇研の責任なんだ。何か言うことはないのか」

 劇研の二人は顔を見合わせる。全体が静まる中、渚先輩も人形を動かすのをやめて二人を見守り続けた。

 ついに、片方が口を開いた。

「ご迷惑、おかけしました。どうか今回だけ見逃していただけませんでしょうか。この公演で私たち劇研は解散して演劇部に併合します。ですから、最後のわがままを聞いて下さい!」

 事務さんたちはひそひそと話し合う。やはり頭を振る者、顔をしかめる人ばかりだ。

『ねえミャオくん、歌ってよ』

『ミャオくん、小鳥さんから習った歌、みんなに聞かせて』

 渚先輩は再び劇を開始した。でもこれは意図が全く見えない。私は黙ってしまった。

『あーあ、ミャオくんったらすねちゃった』

『ラビ、あっちで怖い人がいるからだよ』

『早く仲良くなんないと私、悲しい』

『私も』

 ぐずっ。ウサギが泣きだす。だんだん激しくなる。ほんとに泣いてるような声。すごい。

 舞台の外を見ると、みんなこっちに惹かれ始めている。そのうち、銀縁眼鏡の事務さんがこちらを振り向いた。

「特例措置としましょう。ただ本年度の公演はそれ以降、内容に関わらず禁止ですよ」

 無理をして冷静を装っている。事務さんも変なとこで頑固親父だ。でもいきなり事務さんの表情が崩れた。

「人形劇の勝ちですね。ウサギさんにまで泣かれては、こちらの勢いも削がれました」

『ありがとう、事務さん!』

 渚先輩はウサギのまま言って、歌詞を書いた模造紙を広げながらミャオの手を取った。

『みんな一緒に歌って。小鳥の歌だよ!』

 応援団が大きな拍手をしてくれる。それにつられてラグビー部や事務さんたちからも拍手が沸き上がる。

 前奏が私を待っていた。

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