文芸船

ポッキーゲーム

 今日も俺と岸本は家でだらけていた。俺たちは中学からつるんでいるのだが、同じ高校に行ったおかげでなおさら一緒に過ごすことが多くなっていた。岸本は壁のカレンダーを眺めながら、バレンタインか、と呟く。は日曜日だが、俺も岸本もデートの予定なんてない。俺は岸本に顔を近づけて、今年も空振りか、と笑った。

「そういう中野だって早紀からもらっただけだろ」

 俺は口をつぐんだ。岸本も気まずそうに横を向く。『どうせあんたら、バレンタインもらえないでしょ』なんて憎まれ口と一緒に早紀からチョコをもらったのは去年の話だ。あの頃は何かというと一緒に騒いでいたのだが、早紀の行った清華女子高校と俺たちが進学した海生高校が全くの反対側にあるせいで、通学の途中に偶然出会うこともなくすっかり縁遠くなっていた。なるべく考えないようにしていたのだが、三人で騒いでいたあの頃が今の言葉で急に懐かしくなった。

「卒業してからさあ、早紀に会ったか?」

 俺も会ってねえよ、と岸本はいつもの無愛想な調子で言い放つ。だが彼は少し考え込むと、何で会ってないんだろうと呟いた。いつも俺たちの真ん中で騒いでいたあいつと会えないなんて、そんなことはおかしいと俺だって思う。

「あいつ、『またね』って言ってたしな」

「口癖だけどな」

 早紀は「また会いたいから」と言って、帰りの挨拶ではいつも「またね」だった。そんなあいつは、卒業式の日さえも同じ挨拶で校門を抜けて行ったのだ。

「声、かけてみるか?」

 岸本はどうでも良い些細なことのように、だがいつもより少し速めの口調で言った。俺が黙っていると、岸本は再び口を開く。

「俺たちいい加減人間にゃ、海生じゃ退屈だよ」

 またいつもの愚痴が始まったと思う。だから俺も使いすぎてくたびれた言葉を返した。

「しょうがねえだろ。俺たちはご立派な受験校に合格しちまったんだから。進路選択ってやつだろうが」

 言って俺は机に載った英語の教科書を指差した。

 俺たちが在学している海生高校は学区内トップ校で、卒業生も国立大、有名私立大合格者がざらにいる。先生によると、俺たちの使っている教科書は近隣校では最も難度が高いそうだ。そのせいか、妙な自尊心を持っている嫌味な奴も多くいたりする。一方の俺たちは真面目とは言い難い。とは言え高校の勉強についていけなくなって自棄を起こしている奴らとも違う。そんな俺たちは海生に違和感があるのだ。

 ところで、早紀が行った清華は名前こそ一見清楚なものの、実態は悪評高い高校でいわゆる底辺校と言われる部類だ。まあ、海生と清華だとあまりに違いすぎて衝突すら起きない。互いに無視してる、ってとこだろう。

「あいつの連絡先ならアルバムに載ってるだろ」

 俺は卒業アルバムを本棚から引っ張り出してページをめくる。しばらくして早紀の電話番号を見つけた。

「そういや電話はしたことなかったっけなあ」

 岸本が受話器を取ってから呟いた。たしかに、俺たちは学校で遊んでいることの方が多かったし、携帯も持ってはいなかった。その上、連絡をつけてくるのはいつも早紀の方だったのだから。

 番号を押し終わると、岸本は硬い表情で受話器をしっかりと耳につけた。呼び出しの回数を測っているのか、規則的に首が縦に振れる。首が十回振れたとき、岸本は大きく目を見開いた。

「あの、昨年まで中学で一緒だった岸本と申しますが、早紀さんはご在宅でしょうか」

 岸本の堅苦しい台詞に俺は吹き出す。岸本は横目で俺を睨むと、母親だ、と口の形を作った。岸本の表情が緩み、また再び厳しくなる。そして。

「お、おう。早紀か?」

 声をかけ、岸本は受話器の声に耳を傾ける。と、硬い顔だった岸本がいきなり爆笑した。

「おい岸本、なに話してるんだよ」

「おい早紀。今さあ、中野も一緒にいるんだ。ああ。すぐ横だって。電話代わるぞ」

岸本は受話器を俺に渡しながらVサインをする。俺は肩をすくめて受話器を耳にあてた。

『もしもーし! お間抜けナカッチかあっ!』

「こ、この無礼者!」

 さっきまでしんみりした気分だった俺もあまりにあんまりな早紀に憤る。だが、そんな「頭にきた」感じが妙に懐かしくて。

「お前も相変わらずがきんちょ脳みそだなっ!」

『うっわーっ、その台詞言われるのって中学以来! でも何だかむちゃくちゃ腹立つ!』

 早紀のきんきんした声が脳天に突き刺さってくる。相変わらずの、何も変わらないあの頃の早紀の声だ。まだ一年も経っていないのだ。何が変わると言うのだろう。そんなことにすら気づかない辺り、俺も「海生エリート病」にかかっているのかもしれない。だが、そんな俺の憂鬱など構わず早紀は言った。

『で? 電話してくるなんて何悪さするつもり?』

「俺らはいっつも悪さしてなきゃなんないのかよ」

『そこは生まれついての悪の権化、ナカッチなんだからそういうもんでしょ』

 早紀は言ってまたけたたましく笑う。一年前、そのままの馬鹿馬鹿しさに俺はすっかり安心していた。

『で? 私たち迷惑軍団の同窓会をやろうってわけ?』

「よくわかったな」

『お前ら下っ端の考えなんぞとうにお見通しじゃ!』

「へいへいさすがお代官さまで……あ、てめっ!」

 やっと一年前の調子を取り戻しかけたとき、俺の電話はいきなり岸本にぶんどられてしまった。

「早紀、お前と中野がからみだすと話が終わらねえからよ。で、今週の日曜日空いてるか?」

 岸本はいつも通りすぐに実際の話に入る。早紀も良い返事をしたようで、岸本は俺に親指を立てて見せた。

「そうそう。『プレイン』で一時に。おう、飯はそんときにしようぜ」

 岸本の電話を聞きながら俺も横でうなずく。プレインは俺たちが中学時代からずっと通っているゲーセンで、俺たちの集合場所では定番だ。これからまた面白いことが始まる、俺と岸本はそんなことしか考えてはいなかった。


 一週間後の土曜日。俺と岸本は学校からまっすぐにブレインに向かった。俺たちの学校は私服校だから、制服が云々など気にする必要もない。俺たちは適当にゲームをやりながら暇を潰していた。

 時計が十三時を指した。岸本はいきなりゲームを中断すると、店の玄関に向かう。俺も慌てて後を追った。

「ま、早紀だしな。遅刻は当たり前か」

 岸本は玄関の扉に開けられた丸い窓から外を眺めた。

「また降ってきやがった」

 つまらなそうにまた岸本が呟く。濡れた雪なのか、吹雪が店の壁にべったりと貼りついている。

「早紀のやつ、『めんどくさくなった』とか言って来ないんじゃねえだろうな」

 俺が顔をしかめて言うと、岸本は軽く笑う。

「そりゃねえだろ。友だちの約束は絶対守る奴だぜ」

 あいつが「ダイエットで食べない」という約束をその日のうちに破ってしまったことを思い出す。

「時間とおあづけは守らねえけどな」

 俺の茶化しに岸本は声をあげて笑った。無駄話をしながら十五分を過ぎた頃、女子高生が玄関口に現れた。ジーンズとのモスグリーンのシャツに、白っぽいジャンバーを羽織っている。向こうも俺たちに気づくと、小さくボクサーの身振りをしてから俺たちに駆け寄ってきた。

「悪い。ちょっと遅刻しちゃった!」

 早紀のきんきん声が騒々しい店の中でひときわ大きく耳に届いた。俺は早紀の頭をこづいて言う。

「まあた遅刻か。置いてくぞこのやろ!」

「主役を抜きに出かけるもないんじゃないの?」

 去年と変わらない調子で言い返してくる。相変わらずの早紀に俺は何だか安心した気持ちになった。だが、岸本は眉を寄せて妙なことを呟いた。

「早紀、制服じゃねえんだ」

 早紀は意地悪な声で答える。

「私服校に行くと制服姿に飢えちゃうのかな? 岸本くんが制服マニアとは、親友の早紀ちゃんも大ショック」

「だあれが制服マニアだっ!」

 岸本にヘッドロックを極められ、早紀はぐえぐえ言いながらもがく。と、いきなり岸本はふと手を緩めた。

「あー、苦しかった。殺す気かよー」

 早紀の軽い台詞にも構わず、岸本は憮然とした顔で早紀を見つめる。

「キッシー、どしたのさ」

 早紀も岸本の様子に怪訝な声を上げた。すると岸本は仏頂面で言う。

「早紀、香水使ってるのか?」

「ああ、かなーりの安物だけどねー」

「お前、香水は嫌いだったんじゃねえのかよ」

「私だって十六歳だよ。趣味ぐらい変わるよ」

 早紀の言葉に岸本は納得のいかない顔をする。岸本の反応も当然だった。早紀に煙草の煙は似合っても、化粧ではしゃぐ奴ではなかった。中学時代の俺たちにとって、女の空気を感じさせない早紀はむしろ格好よく、そして愉快だったのだ。

 急に俺たちの間に重苦しい空気が漂う。早紀から漂うフローラルに似た香りに危険を嗅いだ気がした。俺は二人の間に割って入ると、いかにもわざとらしく店の入り口を指差して言った。

「とにかくよ、こんなとこでうだうだしてても始まらねえし、飯に行こうぜ、飯」

 二人はほっと息を吐き、表情を戻してうなずいた。


「要はそっちも馬鹿ばっかりってとこ?」

 早紀はフルーツパフェの頂上攻略作戦を練りつつ、俺たちの話に相槌を打った。進学校という看板のおかげで、他校の連中を馬鹿にする風潮が海生にはある。そのせいで、先日も俺たち二人は数人のクラスメイトと揉めたばかりなのだ。

「『海生エリート病』もほんと、そこまでいくと末期症状よね。まあ、あんたらは大丈夫みたいだけど」

「俺たちが海生エリートって柄かよ」

 岸本の言葉に俺がうなずくと、早紀は悪戯っぽい視線を俺たちに向けた。

「ま、全然違うよね。あんたらはエリート病よりたちの悪いキッシー病とナカッチ病だし」

「なんだそりゃ」

「まあ、海生よりもっとどうかしてる、みたいな?」

「サキ病よりはずっとまし」

 わざとらしく冷淡な声で答える岸本に、俺と早紀は二人で吹きだした。

「なんだ俺だけ悪役かあ?」

「違う違う。かっわいいピエロちゃん!」

 すぐに早紀が悪乗りした。また改めて「相変わらず」と思う。ずいぶんこの言葉が頭に浮かぶな、と感じる。変わらない早紀を望んでいる自分がいる。

「どしたナカッチ。なんだか暗いよ」

 早紀が顔をしかめて言った。俺は慌てて怒った表情をわざとつくった。

「ナカッチも相変わらずだよねえ」

 早紀がけたたましく笑った。岸本も片頰だけを歪める、中学で馴染んだ笑みを浮かべる。「相変わらず」でいようとしている俺たちがいる。

「また面倒なこと考えてるのか。やめとけやめとけ」

「考えるだけ時間の無駄!」

 早紀と岸本に言われ、やっと俺は落ち着いた声で笑った。いつのまにか早紀はパフェを平らげ、溶け残ったアイスクリームをかき集めていた。俺と岸本のコーヒーも中はすっかり空で、底がかすかに乾き始めている。

「暗くなっちまったな」

 窓を見た岸本が呟く。だが、早紀は鼻で笑った。

「まだ。小学生の門限じゃあるまいし。って言うか、小学生だってまだ塾でお勉強じゃない?」

「でもよ、その塾経験、俺たちはねえけどな」

 俺の言葉に二人は笑った。俺たちは受験期になっても塾の模試だけで、あとは自力だったのだ。と言っても、早紀は成績下位独占という感じで受験期は俺と岸本で早紀の家庭教師みたいなこともやったのだが、結局はふざけてばかりで清華に行ってしまった。実はあの頃、早紀に教えるのに忙しかったせいで、俺と岸本の成績が落ちて先生からかなり叱られたのだ。だが、早紀は笑いを止めるとうつむいて呟いた。

「もっと頑張ってたら、一緒に海生に行けたのかな」

 早紀の言葉を軽く返そうと思った。「ばあか、オレは天才なんだよ」という、昔に俺がよくやっていた定番の台詞を口にしかかった。でも言えなかった。初めて見た、早紀のけだるいような表情に俺は何も口にできなかった。

 重苦しい空気を破ったのは、今回は岸本だった。

「受験とかさあ、うざったらしい話はやめようぜ。まず、どっか行くぞ違うとこ」

「違うとこ、っつったってなあ」

 俺は色々考えて全部を打ち消した。岸本も自分で言っておきながら首を傾げている。

 と、早紀が独り手を高く伸ばして言った。

「海、見にいこ」

「「海?」」

 俺と岸本の声が見事に重なる。この冬に海、という発想はさすが早紀だが、いくらなんでも寒すぎる。だが早紀は笑顔のまま言った。

「そりゃ寒いけどさあ、別に海に入るわけじゃないし。冬の海って重たいけどきれいなんだよ」

「なんか今日の早紀、詩人してるなあ」

「たまには素敵な女心、ってやつよ」

「女心ってがらじゃねえだろ、お前はよ」

 岸本のぶった斬るような言い方にも早紀はただ笑うだけだ。俺は肩をすくめて言った。

「海岸線のバス、まだしばらく走ってるぜ」


 波打ち際には当然だが、誰の姿もなかった。海から吹きつける風は強く、肌を冷気が突き刺す。俺たちは体を寄せ合いながら並んで海を見ていた。

「今年さあ、ボランティアで海岸清掃やったんだ」

「清華もそんな真面目くさったイベントやるのか?」

 俺の言葉に早紀は首を横に振った。

「まっさかあ。町内会のイベントに参加しただけ」

「って言うか、早紀らしくない」

 岸本の呟きに、早紀は悪戯っぽい声で答えた。

「でもたまに良いことすると善人になったみたいで気持ち良くない? それに働いたあとのビールが旨い!」

「こおの不良未成年!」

「心配するな、未来の不良オヤジ予備軍二人組」

 俺と岸本はとっさに言葉も出ない。

「まだまだ修行が足りないねえ。……あ、寒い」

 急に吹いた強風に早紀は身を縮めた。

「マジ寒い。やっぱ早紀にのるんじゃなかった」

 岸本は文句を言いつつ時計に何度も目を落とす。俺も体が動きにくくなるのがわかる。すると、唇が青くなった早紀がバッグから細長い箱を取り出した。

「今日はバレンタインなんだけど、チョコってこれしか手元にないんだよね」

 早紀が取り出したのはポッキーだ。それもムースタイプではない、昔ながらの細いやつだ。

「寒いし退屈だし、ポッキーゲームでもしよっか」

「はあ?」

 俺は間抜けな声で聞き返した。だが、早紀は全く当然のような顔で繰り返す。

「だからあ、ポッキーゲーム。両端から二人で食べていく、ってアレよ。でね、あんたら二人でやれって言うんじゃなくって、私とナカッチ、私とキッシーで」

 岸本の表情が一段と険しくなった。そしていきなり足元に唾を吐くと、背を向けて歩き始め、冷たい声で言った。

「俺は早紀に会いに来たんだよ。海生のつまらねえ連中に飽き飽きだからよ。俺は『早紀』に会いに来たんだ、女が欲しいんじゃねえ!」

「キッシー、あのさ、私たちもう高校……」

「俺はくだらねえもんが大嫌いなんだよ」

 岸本は俺が止めるのもきかず、そのまま砂浜を抜けると国道に出て歩いて行ってしまった。俺は岸本の背中と早紀を何度も見比べていた。すると早紀は溜息をついて俺の首に両腕を回した。

「ナカッチ、嫌?」

 俺は体を動かせなかった。早紀は黙り込み、目を閉じるとそのまま俺に唇を重ねた。

「他にも色々してあげるよ。ナカッチとなら……」

 早紀は体を密着させてきた。フローラルの香りに混じって、どこか甘い匂いが鼻腔を刺激する。腕に押し付けられた柔らかさに、理性が薄れていくのがわかる。だが、俺は早紀を慌てて突き放した。

「お前どうしたんだよ。どうしちゃったんだよ!」

 俺の言葉に、早紀は妙に大人びた表情で言った。

「私だけ変わっちゃったんだね。あんたらはまだ子どもで、私だけ違う世界に入っちゃったんだね」

 手を伸ばすと早紀は首を振り、国道を指差した。

「もうバスが来るよ。帰ろ」

 俺たちは揃ってのろのろとバス停へと向かった。バス停に岸本の姿はなかった。

「キッシー、どこ行ったんだろ」

「タクシーだろ。あいつ、頭にくると財布考えないし」

「そっか。そうだよね。そういう人だよね」

 早紀のどこか他人行儀な言葉に、俺は小さく肩をすくませた。早紀はどこともなく目を泳がせる。俺たちは顔を見合わせず、横に並んで立った。早紀の溜息に似た呼気がかすかに頰をくすぐった。

「俺たち、付き合おうか?」

 唐突に俺は言った。早紀はうつむいたまま、ぎりぎりの低音で答える。

「もっとまともな女つかまえろよ。海生だろ?」

「お前は早紀だ」

「私は清華だもん」

 早紀は俺の顔を正面から見つめると、めったにない真面目な表情で訴えた。

「清華にいるから……そんな答えがおかしいこと、私もわかってるよ。そういう考え、私だって嫌いだよ」

「だったら!」

 だが、早紀は力の抜けた声で俺の言葉を遮った。

「でも世の中、そういうものなんだよ」

「何が『そういうもの』なんだよ」

 俺の言葉を早紀は鼻で笑った。

「わかんないままでいられるナカッチが羨ましいよ。こんな考え方、ナカッチは変だと思うかな。でも変な方が正解なの。気持ちのままじゃ、それだけじゃ駄目なの」

「なあ早紀……」

「ほら、バスが来たよ!」

 言って早紀は飛び乗る。俺も後を追って席に着きバスのドアが閉まる。だが瞬間、早紀は手を挙げるといきなりバスから駆け下りて、さよなら、と叫んだ。運転手は舌打ちするとバスを発車させる。早紀はずっとそこに立ったままなのに、バスは早紀を置きざりにして遠ざかっていった。

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