文芸船

Final Live

 母が写真を電子メールで送ってきたのは、FAXで届いたA4いっぱいにマジックで書かれた、少し右下下がりの「会うぞ」という文字。送り主は高校時代に軽音部で一緒だった真美だ。

 真美はボーイッシュの代表選手みたいな娘で、いつも子どもっぽく騒いで、気持ち良い笑顔を見せてくれる、そんな奴だった。音楽については部内一で、いつもボーカルの僕を鋭いキーボードでサポートしてくれていた。でも、本当は声のきれいな娘だった。本人はその通り過ぎるほどの声が気に入らないようでコーラスすら避けていたのだが、僕は憧れだった。だからカラオケに行くたびに囃したてては歌わせていた。今でも、彼女がボーカルだったらもっと良かったのに、とまで思う。

 でも卒業してからは年賀状もやりとりしていない。僕の会社は社長が神経質でSNSは情報漏洩の元だと言うような人だし、僕自身、Twitter程度でも何を書けば良いか迷う人間なので何の公開アカウントも持っていない。たぶん、それで実家の電話にFAXを送ったのだろう。

 よく見ると、端に小さく日時と場所が書いてある。案の定、つい最近できたばかりの巨大な複合型店舗だ。まだ行ったことはないが、観光名所の一つとして扱われているという。日時は土曜日、明日だ。僕は慌ててスマホで特急の時刻表を確認する。今なら最終には間に合う。

 僕は部屋着から外出用の服に着替える。鏡に顔を写し、美容室に行っておけば良かったと後悔する。出勤用のバッグにある小物を普段着に合わせたバッグに乱雑に投げ込み、僕は外に駆け出した。

 途中でタクシーに乗り、車の中からスマホで特急券を予約する。連休ならいつも空いていないのだが、普段の土曜日だったせいか指定券も取れた。地元就職した友人が、最近は観光客が減っているとこぼしていたことを思い出し、少し憂鬱な気分になった。

 駅に到着するとまだ時間に余裕があったのでキヨスクに寄ってコーヒーと実家への土産を買った。ふと、FAXたった一枚で走ってきた僕が滑稽に思えてきた。時計を見る。まだ特急券のキャンセルは間に合う。少し迷い、だが真美の生意気な表情が頭に浮かんだ。そしてすぐ、何か違和感を感じる。

 真美はこんな無礼な遣り方をする子だっただろうか。でも、たしかに子供っぽいやり方もFAXの文字も間違いなく真美だ。だとすればやはり今、真美はきっと何か会いたい理由があるのだろう。僕は会いにいかなければならない気がする。

 僕は軽い不安を抱えたまま、プラットホームへと足を向けた。


 久しぶりに着いた故郷の駅はプラットホームから直接複合店に入られるように改築されていた。塗り直されたペンキは僕が過ごした高校時代の思い出を否定されたような気がする。見る影もなく変貌した光景に、旧友を希釈されてしまったような錯覚を与える。つかの間出かけたすきに部屋の配置を勝手に変えられたような、そんな居心地の悪さがどことなく漂っていた。

 店へ足を踏み入れた途端、方向感覚が錯乱しそうになる。騒々しいBGMと、ありふれた商品を物珍しげに眺める客たち。そんなどこにでもある平凡な光景が、ここはあまりに大きすぎた。馬鹿げた広さというものが本当にあるのだ。僕は慌てて通路に立っている館内地図を確認した。真美との待ち合わせ場所はまだ向こうだった。思っていたよりもさらに広いこともわかる。僕は少し早足になると真っ直ぐ待ち合わせ場所へと歩き始めた。

 通路と言っても両脇には様々な店がテナントとして入っていた。商店街そのものを作ってしまったという趣向だ。パソコン、ブランド物の服、オーディオ、CD、アクセサリー。何でも揃っている。ただ、どこも無機質な空気が漂っていた。玩具屋から響くゲーム音楽も効果音として計算されている、そんな錯覚さえ感じさせるのだ。偶然の入り込む余地のない、住民さえもが設計通りの都市。それがこの店舗の真の姿だった。

 やっと着いた待ち合わせの場所はイベント広場だった。壁は外の光を採り入れるように大きな磨りガラスになっている。中心には人工池があり、水面に瑠璃色のライトが反射していた。

 池に手を伸ばした幼稚園児が親に引き戻されていた。その姿をぼんやりと眺めながら「微笑ましい」という言葉を実感してしまう。そのうち、ふと真美との会話を思い出した。

『微笑ましいなんて、おばさんの言葉だぜ』

『でも、そういう気分ってあるって思う』

 やはり、真美の方が正しかったのだろうか。それとも僕が少しだけ老けたのだろうか。と、背中に人の気配が立った。

「矢田くん、だよね」

 振り向くと、ライトブルーのスカートをはいた女がいた。髪はロングになり、ライトピンクの唇には女っぽい艶が見える。室内にいることが多いのか、買ったばかりのシーツのような白い肌が眩しかった。正直ちょっと戸惑う。でも。

「私のこと忘れたかな。真美よ真美!」

 記憶通りの喋りに、僕は安心の笑みを浮かべて答える。

「いや、昔とあんまり変わったから」

「やっぱ髪型とかでしか人間区別できないのかな。これだからほんっと男の記憶力ってあてになんない」

「いくらなんでも変わりすぎだ、お前は」

「はいはい、ごめんなさい、だ」

 思わず吹き出してしまう。真美は昔みたいに頰を思いっきり膨らまして怒ってみせた。でも、ちょっと膨らみが小さい。

「なあ、真美少しやせたな。頰が昔ほど膨らまないぞ」

「ダイエット、ダイエット! ほんっと失礼な奴だね」

 僕は苦笑しながら頭を下げて今日の理由を訊き直すと、真美は自慢げな表情で答えた。

「今日のお昼、あの池の真ん中で私、ミニライブやるの。デビューしたんだ。私、ソロだよソロ!」

 真美は僕の驚いた顔をさも小気味よさそうに眺めた。僕は表情を直してから言葉を継ぐ。

「とにかく、おめでとう!」

 今度はちょっと大人しい顔で、聴いてくれるよね、と微笑んだ。


 キーボードを前にした真美がいる。通る客は商品へと足を進め、たまに舞台へ目を向ける者がいるぐらいだ。それでも舞台の下には数人の若者がぺったりと地面に座っていた。

 僕もあの舞台に立っていたかも、そんなことを思って瞬間に打ち消した。真美だからこそ実現できたのだ。僕はしょせん、少し歌が上手いだけの素人だと思う。でも、それも。全てはこの舞台が証明する。

 真美へスポットライトが集中した。途端、真美はキーボードからこっちに向かって叫ぶ。

「私の大切なみんな、今までずっと長い間、本当にありがとうございました! じゃ、ライブいっきまーす!」

 間抜けだけど、そこがやっぱり真美らしい。昔より落ち着いた声だけど一緒に騒いだあの頃の記憶が蘇る。そんな風に独り悦に入って笑っていると、彼女はキーボードの前に立った。

 真美の喉から声が放たれる。その響きは僕の予想を遥かに超えていた。恋の焦り、後悔、迷い。背後に漂うしなやかな想い。メロディに載せられた歌詞が言葉以上の輝きを発する。瞬間、磨りガラスから日光が真美の頰を叩く。呼吸の音が光を反射して僕の瞳孔を打ちのめした。シンセで創られた音が耳に心地よかった。でもなぜか、真美のことが儚く思えた。

 全曲の演奏が終わった。いつのまにか周りは人で溢れていた。自然と拍手が起こる。広がった拍手が大きな波浪となって真美を包み込んでいた。でも真美の微笑みにまた、奇妙な脆さを感じた。

 コンサートの後、真美と一緒に遊び回った。カラオケ、ゲーセン、ビリヤードに酒。昔なら徹夜も平気だった真美が、今回は疲れたとかで日が変わる前に家へ戻った。下宿に戻ると一枚の葉書が届いていた。そこにはったった一行の文だけが書かれていた。

『またいつかの時代に逢いましょう。あなたの健康を祈って 真美』

 僕は慌てて葉書に書いてある番号に電話した。なのに誰も出ない。幻のようだった。それでも僕は無理に不安を押さえつけて毎日を過ごしていた。でも数日後、母から急な電話がかかった。真美の死を知らせる電話だった。途端に耳の奥にあのライブが蘇る。そして、最後に思い出した言葉。

「私の大切なみんな、今までずっと長い間、本当にありがとうございました!」

 僕の耳には、いつまでもあの喪われた声が響いていた。

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