文芸船

エゾシカの住む街

 玄関を開けたら、今朝もエゾシカと目があった。

 稚内市は地の果ての印象だが、ハンバーガー店大手のマクドナルド、モスバーガー、ロッテリアがそろっているし、丼物のチェーン店もある。もちろん、漁師町の定番に漏れず酒場街もある。一方で、地元店舗の衣料品や靴の品ぞろえは妙に大型サイズばかりなので、稚内に転居してからは服のネット通販を使い慣れてしまった。

 ただ、駅前でも何頭ものエゾシカが草を食んでいたりするし、ハンバーガー店の玄関辺りでキタキツネがあくびをしていたりするのを見ると、野生の楽園だと思う。こんな土地柄だからか、市民はエキノコックス症の検査を定期的に無料で受けられる。転勤族なので多くの土地に住んだが、こんな市民サービスは初めてだった。

 他に稚内市ならではと言えば、歯科医院で「箱メガネ用マウスピース」というものを販売していた。北海道では、ボートのような小さい船から、たも網や挟む漁具などでウニを採る漁業がある。この際、底をガラス張りにした箱で水中をのぞきながら採るのだ。昔ながらの箱メガネはガラスも箱も重いのに、箱の上辺を口にくわえて固定して使うため、歯に強い負担がかかるそうだ。

 都会と地方の病院は、数や大病院の有無、開院時間の長さなどしか頭になかった。しかし病院にすら地域の特性があるのなら、私がいまだに気づいていないような違いは、街全体で見るともっと数多くあるのだろう。

 市内の店を思えば街といえるだろう。しかし人口は少なく、自家用車で移動する人が多いので徒歩の人影はまばらだ。人類の居住範囲に自然保護区があるよりも、野生の王国内に人間の自治区があるような地域だと思う。

 こんな、人影が少なくエゾシカだけがこちらを見つめているだけの玄関先でマスクをする意味があるのか、よくわからない。ただ、新型コロナウイルス感染症の感染防止がいつも報道やネットで騒いでいる世の中なので、深くは考えずマスクをしておこうかというところだ。

 六年ほど都市部での激務が続いたところ、転勤により稚内市で三年を過ごすことになった。しかし新型コロナウイルス感染症対策で旅行もできず、ぼんやりとした時間を過ごしてしまった。ただ、一見このぼんやりとした時間のなか、散歩を増やして自炊をしていたら、激務でさびついた肉体の健康を取り戻せたので、世の中は全部が悪いことばかりだとは限らないと思う。

 エゾシカは私にぼんやりとした視線を向けている。私の左手には旅行用のキャリーバッグ、右肩にも大型バッグ。そして服装は出張用のコート、スーツと革靴だ。

 今日は札幌市へ転勤の日だ。都会への異動はうれしいのだが、勤務が忙しくなりそうで憂鬱だ。目の前にたたずんでいるエゾシカの視線は、どこか私をあわれんでいるようにも見えてくる。実際はただ、草を食べたいのに気が散るなぐらいにしか思われていないのだろうけど。

 私は決心して高速バスのバス停に向かった。

 稚内市から札幌市までは片道約三二〇キロメートルあり、六時間以上もかかる。ところが、遠隔地のわりに鉄道より高速バスの方が便利だ。さすがに特急鉄道の方が速いのだが、時間の差は小さい。そのくせ鉄道は乗り換えがあるし携帯電話の通じない場所が多く、車内販売もない。この一方で、高速バスは札幌市の中心部まで直通だし車内に無料の無線通信環境があり、休憩場所では売店もあるので、鉄道よりも快適なのだ。

 ただ、今どきクレジットカードや電子マネーで高額のバス券を買えず現金限定なのはなかなか厳しい。まさに地の果てだからなのか、競合相手がいないせいなのか。

 バス停までの道のりは平たんだ。風が強くて冷たい春先でも、稚内市内は起伏が少なく徒歩が厳しいとはあまり感じない。さらに人通りが少なく開放的なうえ、空気が透明なので真冬以外の徒歩は本当に快適な街だ。

 この街を離れることが、今さらながら寂しく思う。

 感傷だと思う。

 独身の転勤族なので、土地への執着は少ない。札幌市に住むのは二回目だが、前回とは違う地域のアパートに住むので、戻るという感慨は少ない。通勤経路も変わるし、日常の買い物で使うスーパーマーケットなども違うので、同じだと言いながら別の街へ行く気すらする。

 いや、むしろ別の街なのかもしれない。

 何年も離れた都会はすぐに姿を変えてしまう。

 足繁く通った店がコロナ禍で閉店した、という情報をネットで見かけた。見慣れたビルの老朽化による取り壊しの新聞記事も読んだ。それに仕事も慣れない内容だ。

 私はこれから、見知らぬ街に住むのだ。

 私は空を仰ぐと、オオワシたちにも別れを告げてから街を離れたいと思った。


 札幌市に赴任して早々に残業が多かったうえに、引っ越しの片付けや歯科医院への通院があったせいで、自宅の周りはコンビニエンスストアとスーパーマーケット、クリーニング店しかわからない。そのうえ、いきなり休日の当日朝に出張命令が下りたせいで、ためておいた洗濯物の乾燥が間に合わず、知らずに済んでいたはずのコインランドリーを探す羽目になった。

 それでも、徒歩圏内の小さな飲食店には行ってみたいのだが、せっかく都会に来たのだからと繁華街の店を選んでしまう。何より、繁華街の店は常連以外の客が来るのが当然の仕組みになっているで気軽に入りやすい。

 ただそれは、店舗にとっての私たちは、他人と区別のつかない一つの計数でしかないということだ。でも、その環境は心地よい面もある。大多数の中の誰かさんとして、匿名の存在として通り過ぎられるのだ。

 エゾシカにとって、人間という何か生物でしかなかった私は、ススキノの街中を歩いていても誰かでしかないし、店に入っても匿名の客でしかない。たとえ会員証を出す店でも、番号を振られたデータベースの一行に過ぎない。それはどこか、無責任で気楽な時間だと思う。

 みんながマスクをしていると表情がわからないから、街中が不気味だという人がいるけれど、それは錯覚に過ぎない。都会はみんなが脳内で、相手の顔に仮面を被せて見ているようなもので、私たちは通りすがりの人たちをいちいち覚えていられるわけがないのだ。

 都会に住む私たちは、互いにエゾシカの群れを独りで通り抜ける、匿名の人間に過ぎないように思えるのだ。

 今日も残業が長かったが、まだ地下鉄の最終便には時間が残っていた。夕食をまだ食べていなかったので、私は帰路途中のコーヒーチェーン店に入店した。

 すぐにカウンターに並んでメニューを見上げる。順番が来るまでに強引に決めてしまう。考える時間がもったいない。店員が前の客のレジを打っている最中に注文内容を決められた。何とか間に合った。前の客と全く同じ声で問いかけられる。私は言葉を発さず、カルボナーラのパスタとダブルのエスプレッソを指差した。店員は機械のように一定の速度で答えて金額を示す。私はスマートフォンを取り出し、電子マネーで支払いを終えた。

 応答が面倒臭いと思う。機械的な対応なのだから、全てが機械に置き換われば良いと思う。全ての店舗が自動販売機になった街は、なかなかすてきだと思う。そして接客担当は、本当に必要な場所だけに集中すれば良い。

 都会の喧騒が静まり、接客の立ち仕事でつらい思いをするほとんどの人が消えた、平和な街の姿が見える気がした。そんな街が近い未来、到来するだろうか。少子化で生まれる近未来都市。人間が機械のように扱われる仕事なら、むしろその仕事は機械に任せれば良い。SFにあるような、そんな楽園が早く到来してほしいと思う。

 私たちは機械ではない。

 私たちはせめて、草をぼんやりと食べていられるエゾシカぐらいにはなっておきたい。

 座席についてパスタをもそもそと食べる。揚げ物を食べると仕事で飲み会に遅れたような気分になるので、揚げ物は避けるようにしている。ただ、カルボナーラの白い濃厚なソースは、深夜に食べるには重過ぎる。糖質の多い食品はこんな時間に食べない方が良いのだけれど、残業の終わりにサラダだけでは味気ない。いや、エゾシカは一年中、生野菜サラダを食べているようなものか。

 ふと、店員がエゾシカに見えた気がした。ぼんやりとしたエゾシカの視線を受けたような肌触りを感じた。

 サラダにすれば良かったかな。サラダが良いな。

 明日はサラダにしよう。

 肉食系男子より草食系男子。そういう意味じゃないけれど。いやむしろ、肉食系男子は体形などを気にして草食にしていそうな気がする。本当に変な言葉だと思う。

 仕事から離れるには、違う思考を強引に流す。

 無駄なことばかり頭に浮かぶ。

 頭に浮かべている。

 それは仕事を忘れたいのではない。仕事を思考する回路の過熱を冷ますための私なりの技術だ。自分の肉体を機械のように捉えて生きると、激務が楽になると思う。

 本当に楽になっているのかわからないけれど。

 他の人にこの手法を助言したことはない。私なりのやり方で、何となく他の人には毒になりそうな気がする。

 機械になった物体の私は、エゾシカの目にはどう映るだろうか。ぼんやりとしたエゾシカの視線を思い返す。

 何も考えていなさそうで、何かを見通しそうで。

 私を石やごみステーションに置かれた壊れた機械と同じだと思ってくれるなら、それは爽快で気軽な世界だ。

 パスタを食べ終え、砂糖を入れずにエスプレッソを口に含んだ。ドリップコーヒーより味わい深いと言われてはいるけれど、きつい苦味が先にくるせいで、その味わいを感じ取れているのか自信はない。さらに深夜のコーヒー類は良くないというが、疲れのせいか眠れなくなる実感はない。むしろ時折、なぜか無性に飲みたくなってしまう。帰宅時間にはいつも閉店している、屋外に席を設けたしゃれたカフェに、優雅な余裕への憧れを込めてしまうからかもしれない。

 ぐだぐだになるほど疲れてしまうと、酒を飲む気力もない。酒を飲むこと自体を良くないと思う人もいるだろうけれど、酒を飲めるうちならまだ元気な方だ。本当にきつくなると、体がジュースや酒を受けつけなくなってコーヒーと炭酸水になる。昼間の穏やかな休日を過ごしているように、自身を洗脳したくもなるのだ。そしてついに栄養ドリンクを飲みたくなる。さらに激務が続いてしまうと、栄養ドリンクの高級品が妙に魅力的に映るようになってくる。ここまで到達すると本当に危険域だ。

 喫茶店でコーヒーを楽しむような余裕のある生き方をしているふりをしつつ、実はもう終電が間近という虚構の時間は、疲労にむしばまれながらでも心を落ち着かせてくれる。その虚構は一見すれば日常に似ているのに、むしろ殺伐としたファンタジーよりも嘘っぱちだ。

 私たちが生き延びるには、たくさんの嘘が必要だ。私たちは、嘘に首まで沈んでようやく生き延びている。嘘をつくなとか、現実感のある文学なんて話を生真面目に言う人はいるけれど、それは部屋に閉じこもって興味のある動画サイトだけを巡るような隔離された現実だ。

 私たちの日常は、架空の物語よりも互いに隔絶している。誰かが自殺しようとしているときに、私たちは昼食をラーメンとカレーライスのどちらを選ぶかなんてことに悩んでいる、それこそが現実だ。そして、そんな現実を直視したくないからこそ、むしろ現実にありそうな日常感のある、作り物の文学や映画へと逃避するのだ。

 頭がすっきりして、趣味のことに頭が向いた。そういえば、趣味でやっている文芸同人誌の締切が近いのだった。まだ原稿に手をつけていない。いくつか構想はあるのだけれど、自宅でキーボードを打つ気力が湧かない。

 なんとか今週末に書くか。休日出勤がなければ良いのだけれど。東京に勤務していた際は忙し過ぎて、原稿の推敲を満員電車の中、スマートフォンのエディタでやったものだ。あれは画面が小さくて厳しい。普通の眼鏡サイズで拡張現実のシステムが使えるようになれば、もう少し楽になる。いや。家でやれないことが前提になっている辺り、私はいまだに毒されているような気もする。

 とにかく休日があることを祈りつつ、帰路についた。


 幸い、土日の休日は両日とも休日出勤がなかった。土曜日は歯医者に二時間も拘束されたせいでぐったりしていたけれど、むしろぐったりしていて部屋の中でだらだらしたせいか、日曜日は朝七時に自然と目が覚めた。

 朝食を作ろうかと冷蔵庫を開けかけ、ふと思い出す。今日は同人誌の原稿を書いてしまおう。だがパジャマ姿のまま自宅で朝食を作って一休みすると、そのまま丸一日、ネット動画を眺めながらだらけてしまいそうだ。

 どうしようか。

 ノートパソコンを背負ってカフェに行こう。

 強制的に作業モードを作ってしまおう。

 即座にパジャマからスラックスとTシャツ、デニムのジャケットに着替えた。リュックに常備薬とパソコンを放り込む。いつもはタブレットも持つのだけれど、漫画や小説を読んでだらけてしまうから、あえて持たない。

 リュックを背負って部屋を出る。まだ早朝なので風が涼しい。仕事の気分にならないよう、遠回りをして中島公園の中を通りつつ、地下鉄駅へと向かう。

 中島公園は明治時代にできた公園で、いくつかの重要文化財や児童向け人形劇団、コンサートホール、天文台などが整備されている。ただ、以前に市内に住んでいた場所は中島公園から離れていたうえに忙しかったため、全く足を踏み入れたことがない場所だった。

 今はこちらの経路で帰宅することもたまにはあるのだが、帰宅時間はいつも日が落ちてからだ。早朝に見る風景は色鮮やかで、別の場所にすら思える。園内を流れる川にはアオサギが立っており、オシドリも泳いでいた。

 本物のオシドリを見たのは初めてかもしれない。雄の派手な色使いに笑ってしまう。私も雄鳥のように何か着飾ってみようかなどと、ゆるい思いが浮かんで消える。

 日曜日の早い時間だからか、地下鉄の乗客はまばらで快適だ。駅を出てようやくお目当てのカフェに入る。

 店内に入ると即座には並ばず、ぼんやりとメニューを眺めた。残業後に来たことは何回もある店なのに、見たことのないメニューがある。急いで決めていたから、時間がかかりそうなものを自然と排除していただけか。

 よくわからないけれど、ドリンクはフラペチーノを頼んでみる。朝だから多少、カロリーが高くても問題ないだろう。あとはサラダラップとかいう、野菜サラダとチキンをパンのような生地で巻いた料理を頼んだ。

 良く言えばしっかりかんで食べる。悪く言えばだらだらと食べる。飯を食うのと便所の長いやつは役に立たないというが、あえて今日はその役立たずで過ごそう。

 それでも食事を終え、フラペチーノだけを残してパソコンを立ち上げた。無料の無線通信環境も備わっているのでインターネットでの調べ物も自由にできる。

 キーボードを打ち始める。ふと見ると充電が半分程度しか残っていない。さすがに満充電のパソコンが切れるほど店に粘るわけにはいかないから、まあ良いと思う。

 キーボードを打ちつつ周囲に目を配った。私のようにパソコンやタブレットを使っている人はいるけれど、時折指先を動かす程度でぼんやりと画面を見ている人ばかりだ。たぶん、休日で遊んでいる人が大半なのだろう。

 まあ、私も遊んでいるわけだけど。

 とはいえずっとキーボードを打ち続けている私は、周囲からは仕事中だと思われているかもしれない。あまりそう思われたくないし、そういう気分になりたくないからこそ、今はデニムジャケットとTシャツだ。これで普通のジャケットや襟付きのシャツを着ていたら、まさに仕事中に見えてしまうし、自分でもそんな気分になる。

 フラペチーノを手に取った。盛り上がった生クリームがパフェのようで、飲み物というより菓子のようだ。

 世の中の菓子類は二つに分かれる。残業の空腹を紛らわすために食べられるプロテインバーやチョコレート、煎餅と違い、生クリームは休日専用の菓子だと思う。

 私は今、休日を満喫している。

 休日を満喫しつつ、指先がしびれる速度でキーボードを打ち続ける。思考が止まった途端にまたフラペチーノを口に含む。言葉が浮かび、またキーボードを打つ。

 また言葉に詰まってしまう。フラペチーノをストローで吸いあげたら空になっていた。仕方がないのでカウンターに向かい、今度はエスプレッソを頼む。

 がつりとした苦味が口に広がる。思考が鋭くなる。言葉が浮かんでくる。キーボードを打つ。文字数が増殖していき、見直しては修正して、また削り込んでいく。

 疲れたので手を止めた。いつの間にかエスプレッソも空になっている。ぼんやりと外を眺め、仕事のレベルまで思考速度を上げないよう頭脳を冷却した。

 いつの間にか、多くの客がカウンターに並んでいた。あらためて店内を見回し、ふと気づいた。

 ただ飲み物を飲んでぼんやりと過ごしているこの空間は、実は草原で草を食んでいるエゾシカたちと同じではないだろうか。店内の客たちはエゾシカの群れなのだ。

 私は手を止め、エディタの画面を閉じてパソコンの電源を落とした。あらためてゆるい飲み物を注文すると、私も一頭のエゾシカに変身することにした。

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