文芸船

恵方ロールチョコレート

「良いアイディアがあるんだ」

 山岡課長が満面の笑みを浮かべ、書類を携えて僕たちの所属する営業企画係に現れたのは、お月見の日のことだ。課長は自称広い額の禿頭を撫でながら、自慢げに企画草案を配布する。

『お父さんの幸せ祈ります! 恵方ロールチョコレート〜ナッツ付き〜』

 桜色を背景に、色合いの怪しい恵方巻とピーナッツが置いてあり、傍にはシール型リボンを付けたメッセージカードがあって「お父さんガンバ」とある。手前にはウイスキーのロックが置いてある写真がど真ん中に輝いていた。

「もう秋も末で、次は節分とバレンタインデー、そしてひな祭りに向けた商材の商談を固める時期だ。だが残念ながら、スイーツ系中心の我が社では節分に食い込みにくい。そこで、だ」

 課長は僕たち係内を見回し、そして自慢げな笑みで小首を傾げて書類をめくるように指示する。僕たちは嫌な予感最大値のまま読み始めた。

 『真ん中には刺身を模したラズベリーゼリーを配し、さくさく感のある粒状ビスケットにホワイトチョコレートをコーティングして白飯風に、外側は海苔を模したビター系のブラックチョコレートで包み、甘いものの苦手な男性にも可能な恵方ロールチョコレート』

「何ですかこのキモい物体」

 須山主任が苛立たしげに床をヒールで蹴りながらぶった切る。さすが有能さと性格のきつさのおかげで、小柄ながら女帝とあだ名されるだけある。とはいえ課長から見れば二十代後半の女なんて小娘のはずなのだが、むしろ笑顔になって須山主任に語りかけた。

「いや、その台詞はくると思っていたんだ、ありがとう」

 Mか。Mに目覚めてしまったのかうちの課長は。僕は須山主任の影で心の中でこっそりと突っ込みを入れる。課長は当然の顔で言った。

「男親って、娘からもチョコレートをもらいたいものなんだよ。でも普通の義理チョコは寂しいし、かと言ってハート型が欲しいとか言ってみろ。その日から一週間は『キモいから近づかないで』とか言われてそれなのに娘が知らない男のチョコをご機嫌に選んでいるのを見かけたりして悲しくなるわけだ」

「別に課長の家庭の事情を聞きたいと言った覚えはありません」

 ガツッ、と床が再び鳴る。須山主任はハイヒールに鉄でも打ち込んでいるのだろうか。やっぱり須山主任にだけは逆らいたくない。それでも課長は全く臆することなく話を続ける。

「そこでだ、この『恵方ロールチョコレート』なら何となくダサくて恋愛の臭いもなく、思春期の娘でもお父さんにあげやすいんじゃないかと。そしてバレンタインデーとは別の日付で売上も作れるというわけだ。ついでに節分にちなんで、豆ということでナッツも付ければウイスキーのお供に最高だ」

 まあ、言っていることは何となく合理的な感じはする。そういや先月、企画調査係へ妙に繋がりの見えないマーケティング調査を指示していると思ったら、この怪しげな商材を考えていたわけか。須山主任は真面目な顔になり、資料を読み始める。

「確かに分析も明確ですし、言っていることはわかります。でもこんなセンスのない商材まで固める前に、指示を下ろしてブレインストーミングからやらせて欲しかったところですが」

「ダメなんだよそれじゃ。あのキモ親父にあげても良いかな、と思わせる商材にするには、君たち若手の女性が入るとお洒落になって、この商材のコンセプトに合わなくなるんだ」

「それでその親父代表として課長が自ら企画したと」

「さすが理解が早いね、須山君は」

 やっぱり課長はMだな。自分でキモ親父と言った上に、須山主任から間接的なキモ親父代表認定をされて喜んでいやがる。だがキモ親父は、僕たちにもその快楽を与えたいようだ。

「ということでこの商材をアイディアから本物にまで持ち上げ、そして月間売上目標前年比130%の中核商材として頑張って欲しい」

「嫌だと言ったら?」

「代わりに『あげたくないお父さん需要』を満たす提案書を今週中に出してみろ」

 係全員で顔を見合わせる。係長はうんうん頷いて課長の提案書を大事そうに胸に抱えた。また一人キモ親父代表が生まれたようだ。須山主任は机を指先でかつかつと叩き、そして言った。

「この路線で戦いましょう、娘の気持ちで」


 須山主任は性格の割には小柄で童顔なので、一目見ただけではかわいい方と言えるだろう。その須山主任がエプロンをしてチョコレートを溶かしている姿は、後輩としてちょっと胸がときめくものがある。

「西島、あんたもキモ親父予備軍入ってない? 大丈夫かな」

 僕の視線を感じたのか。僕は慌ててメモ帳を読むふりをしながら答えた。

「でも、幾らキモ親父がマーケティング上の空白地帯とはいえ、こんな変な商材作るの嫌じゃないですか」

 須山主任は溶かしたチョコレートを型に入れながら、意外にも悪戯っぽい笑みで言った。

「むしろ優しい商材だよ、これ。娘だって気恥ずかしいだけなんだし。その妥協点を生み出すなら、案外とかわいい商材だと思うよ」

 そんなもんですかね。うっすらとした不満を口にすると、須山主任は背伸びして僕の額を指先で弾いた。

「人生って妥協点が重要よ。ずばずば言っている私だっていつも実は我慢して妥協している。西島の、その誰かが代弁するよう誘導尋問的に言う口ぶりとか、結構我慢してると思うな」

 僕は肩をすくめて呻いた。須山主任はとっくにお見通しということか。須山主任は先に作っていた試作品を冷蔵庫から取り出し、僕に渡した。課長の写真より海苔の黒が強く、一方で真ん中の刺身部分はファンシーな色合いに変更されている。

「これ、課長案を私なりに変えたもの。中心はクランベリーにして、もっとサッパリしたイメージに変えたよ。何というか、少しかわいい感じにして、子供の気持ちで買える雰囲気にしてみたの」

 なるほど、と言いつつ食べて見るとなかなか旨い。クランベリーの酸味が外側のビターチョコレートを緩和してくれるのが心地よい。須山主任はうん、とうなずいてからまた首を傾げた。

「でも、恵方巻だとお父さん一人で食べるんじゃなく、家族全員じゃないかな」

 確かに。最初のコンセプトに驚いてしまって肝心の基本を忘れていた。だが僕は考え直して言った。

「この商材って、そういう家族団らんが苦手な娘に売るつもりだから良いんじゃないんですかね」

 そっか、と言って須山主任はもう一つ試作品を取り出して食べ始めた。そっちはブルーベリーを中心に配し、既に刺身を真似することすら放棄している。須山主任は口をむぐもぐ動かして飲み込み、ちょっとだけ陰のある表情になった。ブルーベリー、合わなかったんですか、と聞くと須山主任は小さい声で呟くように答えた。

「いや、そうじゃなくてさ」

 何だろう。続けて何か訊こうとすると、須山主任は再び話し始めた。

「うちのお父さん、上京に反対だったんだよね。だから実家に帰ったとき、あんまりお父さんとは話さないようにしているんだ。子供っぽいと笑われるかもしれないけれど。だから今回の商材って、何だかさ」

 再び須山主任は僕の額を指先で弾いて言った。

「『私の仕事の一つです』って、贈ってあげようとか、お姉さんも考えるわけだよ」

 はにかんで笑う須山先輩が何だか眩しくて、僕は何となく視線を逸らした。固まりかけたチョコレートが、どことなく誇らしげに輝いているような気がした。

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