文芸船

ぬいぐるみ救出作戦

「ね、だからお願い。お金貸して」

 美菜はお得意のにゃあんな笑顔ですり寄ってきた。けど私は冷たく無視を決め込む。すると美菜は一瞬体を縮めながら明後日の方向に目を向けて呟いた。

「だってあれ、可愛いんだもん」

「可愛いことはよっくよくわかってますよ。でもさ、十万円をたった二時間で使い果たす奴がどこにいる?」

 だが美菜は全く懲りることもなく、にっこりにゃんと笑って自分の鼻を指さした。

 ぬいぐるみのテーマパーク「nuiヌイわんだあランド」ペア入場券が懸賞で当たったのに今は彼氏もいないので、ぬいぐるみ好きな親友の美菜を誘ったんだけど。この阿呆、買うわ買うわ貯金までおろして十万円が全部ぬいぐるみに化けてしまった。こいつがバイトで稼いだ金とはいえ、見ているこっちがおかしくなりそうだ。

 私が黙っていると、美菜は蜂蜜色をしたテディベアを優しく撫でた。耳に付いている黄色いタグがちょっと目障りな気もするが、アクセントとして可愛い気もする。シュタイフという伝統あるドイツの会社で生まれたぬいぐるみだそうで、美菜の細い膝に乗る程度の大きさの癖に万札を何枚も払っていた。あの金額を思い出すとまた私は憂鬱になる。

「芽衣ちゃん、何だか苦しそうだよ?」

 気遣った言葉とは裏腹に莫迦笑いする美菜を無視して、私はお昼のレストラン案内を読み始めた。すると美菜は横から首を出してごますり声で微笑む。

「あのね、実は残りあときっかり三百円なの。私たち親友だよね。お昼の食事代助けて」

 私の手の中にあったパンフが美菜の頭へ飛んだのは、もちろん当たり前の話だ。


「うん、風流風流」

「そうですかそうですか」

 私は芝生にふて寝しながら応対する。美菜は何が嬉しいんだか知らないがマックシェイクをじゅぶび、と吸ってにこにこ顔だ。

「どうしてせっかくここまで来てマックでお昼なんだか。悲しくて涙が出るよ」

「うん、風流風流」

 風流風流でごまかす気か。私が全額払ったのに。諦めて目をつぶっていると急に私の横が動いた。薄目を開けると美菜がひょこひょこ歩き始めている。

「こら美菜、どこ行くの」

 美菜は唇に人差し指を立て芝生を指差した。その先ではお婆さんが芝生に綿を広げて何やらやっている。服装はかなり上等なスーツなのだが、孫との遊びで一張羅を出してきたという感じはせず着慣れた印象だ。

「訊いたりしたら迷惑じゃないかな」

「私が訊くから大丈夫」

 美菜は根拠の乏しすぎる自信に溢れた声で私を説得にかかる。結局、美菜は私の不機嫌な反応を無視してお婆さんに駆け寄った。私が追いつくと、美菜はお婆さんの手元を見つめて顔を輝かしていた。見るとお婆さんの手にあるのはリスのぬいぐるみだ。美菜が何故こんな場所でぬいぐるみを造っているのか尋ねると、お婆さんは顔をあげてゆっくりと口を開ける。

「良いお天気だから」

「ふむ、なるほど」

 美菜の奴、納得してしまったらしい。私は美菜を背中に押し返すと代わりに質問した。

「イベントのリハーサルとかですか」

 お婆さんはぬいぐるみの背中を縫いながら私たちを交互に見比べて言った。

「昔はこの会社で働いていたこともありますけどねえ、これは趣味。ところでお二人は今夜、すぐ帰るの?」

「ランド内のホテルに宿泊してますけど」

 お婆さんは少し考え込み、悪戯っぽい表情で言った。

「今夜ここで待ち合わせしましょう。素敵なものを見せてあげるから」

 お婆さんの含み笑いに、私たちは顔を見合わせながらもうなずいた。お婆さんは手を打ち鳴らして言った。

「じゃ、今夜にここで」


 約束の時間。夜風が頰に涼しく、ガス灯を模したLEDが静かに道路を照らしている。とはいえ美菜と二人ではロマンも何もあったものではない。というわけで私は美菜をせき立てながら道を急いだ。そして時間ぎりぎりに到着すると、お婆さんは既に待っていた。

 お婆さんはすまなそうな表情で、結構歩かなければならないと言うので、私たちは気にしないからと笑う。お婆さんは安心の溜息をつき、新館建築中の場所に向かって歩きながらぬいぐるみの話を始めた。

 テディベアの由来、戦争中に焼けたぬいぐるみたちの話、デザイナーの裏話。どれも一風変わった、でも夢中にさせてくれるお話ばかりだ。そんなお話をお婆さんは歩く間ずっと続けてくれた。

 ただ、その中にはぬいぐるみの著作権や流通ルートなど、その辺のぬいぐるみ好きのお婆さんや、ちょっと働いていたという程度とは思えない内容もあった。

 やっと建築現場の前に来たとき、お婆さんは脇道から工事現場にある大きめの小屋に慣れた調子で入っていった。私たちが戸惑っていると、お婆さんは悪戯っぽい表情で、会社の人にお願いしてあるから大丈夫だと言う。

 私たちは肩をすくめお婆さんの後に続いて小屋に入った。と、先に立っていた美菜がいきなり立ち止まる。美菜は入り口で指さしたまま目を輝かしている。私は美菜を押しのけて玄関から中を覗き込んだ。

 そこは今まで見たことの無いぬいぐるみでいっぱいの小屋だった。お婆さんの脇では人間ほどもある大きなカエルが笑っており、正面にはウエディングドレスを着たクマが幸せそうにこちらを見つめている。更に奥には赤ちゃんほどの大きさのウサギが幸せそうに抱きあっていた。

「これ、全部私の手作りなの」

 美菜は部屋に飛び込むとぬいぐるみを確認して溜息をつく。縫い方がどうとか難しいことを言っているが、要はかなり手の込んだ製法らしい。

 私も小屋に入ると、ぬいぐるみの海へ一気に飛び込んだ。それほどぬいぐるみには興味がないはずの私でも思わず叫んでしまう。どのぬいぐるみも何故か、今日見たショップのどの商品よりも安心させてくれるのだ。

「お婆さん、これ凄いよ。本当にすごい」

 私が繰り返し言うと、お婆さんはまた嬉しそうな顔になる。でもすぐにお婆さんは暗い表情になり、お婆さんは力なく言った。

「新しい施設を建てるから、この子たちを置いてあげられるのも今夜が最後なの」

 私は動きを止めてお婆さんを見つめた。美菜が珍しく本気の怒った表情で呟く。

「ここにあるからなおさら素敵なのに」

「わからないんでしょうね、今の社長には」

 お婆さんは溜息をつく。美菜はただもったいない、と口の中で繰り返すばかりだ。私は言葉を選びながら質問を投げかけた。

「このぬいぐるみはどうするんですか?」

「会社に渡すとお金儲けだけだから嫌なの。処分しちゃおうかな、って思っているの」

「可哀想だよ!」

 美菜が叫ぶ。振り返ると本気の目だ。美菜は少し考え込み、そして続ける。

「このぬいぐるみたち全部、ランド内にばらまいちゃおうよ」

 私とお婆さんが聞き返すと、美菜は指をたてて説明した。美菜が言うには、このランド内の見える場所にあちこち置いて歩くのだという。それで騒動を起こそうというわけだ。

 正直、そんなこと程度で騒動が起きるだろうか。だがぬいぐるみマニアの美菜は当然起きると言って譲らない。

 お婆さんは笑顔でうなずいた。私も一緒にうなずいて見せる。確認した美菜は大声で作戦開始、と叫んだ。


 翌日。ランド内は本当に大騒動になった。この会社が発売していないはずのぬいぐるみだということが効果的だったらしい。噂は口コミで広がり、お昼には『隠れぬいぐるみ探し』で騒然となった。マニア魂恐るべし。

「ようし、成功じゃ」

 美菜がVサインをしてみせる。と、後ろからかけらもこの場に似合わない背広姿の中年男たちが寄ってくる。そして最後に、奥から保健の教科書に載せたいぐらい典型的な中年太りメタボ体型の偉そうな男が出てきた。

「あの仕業、名誉会長ですね?」

 お婆さんは無言で冷たく男を見据え、彼らに聞こえるように言い放った。

「お久しぶりね、お金儲けの上手な人たち」

「名誉会長! 不祥事は我々経営陣の管理責任が問われ」

 話しかけているのに、お婆さんは中年男の言葉を全く無視して私と美菜に向き直った。

「私は創業者なの。夢中で働いて働いて、気づいたら私の手に余るほどのこんな巨大な会社になっていたの」

 中年男が口を挟みかけたが、お婆さんの一睨みで沈黙する。お婆さんはまた続けた。

「お金は大切よ。でもぬいぐるみはお金だけじゃない」

 お婆さんの言葉に男たちは口を尖らせる。お婆さんは手元のペットボトルの緑茶を飲んで黙り込んだ。

 と、私たちの隙間に一人の少女が紛れ込んできた。そして美菜の抱いているリスのぬいぐるみに飛びつく。

「このリスちゃん欲しい。他のよりずっと可愛い!」

 お母さんは慌てて少女を引いたが、お婆さんは紙袋からリスのぬいぐるみを取り出して少女に寄っていった。

「お嬢ちゃんの欲しいのは、これ?」

 子供は素直にうなずいてお婆さんの顔を見上げた。お婆さんは頭を撫でてぬいぐるみを抱かせる。子供はぬいぐるみを抱き締めると、頰を何度も何度も擦りつける。

 お婆さんは男たちにゆったりと微笑んだ。

「みなさん、ぬいぐるみを作ってみない?」

 重役さんは渋々ながら一斉にうなずいた。


「ほら、結果オーライだね」

 美菜が日経新聞を掲げて笑う。「nuiヌイわんだあらんど・手作りぬいぐるみ教室開始」という記事だ。写真を覗くとあのときの中年男がぬいぐるみを抱いて写っていた。まあ、記事の中身が四半期決算がどうだとかばかり書いている辺りは気に食わないが、世の中こんなものだろう。

「あのおっさんが手縫いやったわけ?」

「変なの。似合わない」

 私たちは口々に言って笑った。でも横にある「ぬいぐるみミュージアムオープン」の小さい記事には幸せな気分になれる。結局あの小屋を博物館に仕立てたらしい。

 美菜は手作りぬいぐるみを撫でながら目を細めた。最近は美菜もかなり影響を受けたのか、ぬいぐるみを自作しては自慢しに来る。

 だが今日は別件の話らしく不穏な態度だ。じっと見つめると美菜は両手を突き出す。

「もう少しで二体目仕上がるんだ。でね、一万円貸して。材料費に注ぎこんじゃって生活費足りないんだ」

 私の我慢が弾け、不穏な空気に後ずさった美菜の襟首をひっ捕まえた。

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