「よく温泉宿なんて予約できましたね」
「観光地としては有名じゃないからね。まだ何とかなったんだよ。しかし残念なのは鉄道から宿までが遠いことだ」
黄金週間初日。私たち表現連合一行は、函館本線を気動車キハ40系に乗って長万部町に向かっていた。もちろん、気動車だの何だのは鉄山先生のご機嫌ウンチク知識だけどね。
「気動車って言葉、初めて聞きました」
私の言葉に、先生はまた機嫌よく答える。
「電車と気動車の区別は大切ですよ。首都圏の人は、道民が電車を汽車と呼ぶと莫迦にしたりしますが、実際に気動車が大半です」
そうかそうか汽車ぽっぽ、といかにも興味なさげに言ってスケッチブックに何か描いている宮西さん。ちょっとひどい。先生はじっと宮西さんの絵を見つめ、笑みを浮かべる。
「カラーリングが良いですね。国鉄ですか」
「知らない。ノスタルジック描きたいだけ」
宮西さんはぶすっとしてペンを止めると、スケッチブックから破り取って先生に渡す。先生は大切そうに眺めてさらにご機嫌だ。画伯が私の袖を引っ張り耳元で囁いた。
「先生、国鉄時代に走っていた車両のカラーリングが好きなんだってさ」
「国鉄って、何ですか」
私の言葉に、先生は大げさな驚愕の表情を浮かべた。宮西さんが呆れた声で告げる。
「国鉄は、今のJRの元になった会社。ま、大昔の話だしね」
「大昔って、昭和62年ですよ?」
「私たち全員、平成二桁生まれですが?」
あっさりと言い切る宮西さん。先生はそうですよね、と俯く。
「ほんと、宮西さんはいつ見ても優しいんだか意地悪なんだか、素直じゃない」
画伯の言葉に、宮西さんは頰を赤くして窓の外を見ながら慌てたようにスケッチブックを開き、鉛筆でとんとんと紙を叩く。
「今日の準備に先生、色々とやってくれましたからね。宮西さん気にしていたんですよ」
だから先生の好きな、もうとっくにない汽車の色にしたのか。破って渡したのも、初めからその予定で。
ちっちゃい体を無駄に反らして偉ぶって、ちょっかいかける部長を鉛筆でつつき返して撃退する宮西さん。私より先輩なのに、何だかちょっとかわいいと思ってしまった。
「そう、宮西はかわいいんだよ」
カメさんが宮西さんを撮影して満面の笑みを浮かべ、次いで私たちを撮る。何だか知らないが、一眼レフとスマホ、それに玩具みたいなカメラで一枚ずつ撮り怪しい笑みを浮かべた。すると紅川さんが笑顔で問いかける。
「三つも撮って面倒臭いでしょう。落としたときのため? それともあれですか! 実はキャップつけてたよってネタの仕込み?」
「その発想だからギャグが面白くならない」
部長の冷静な言葉に、紅川さんはがっくりと肩を落とす。紅川さんはいつも小ネタを探しては仕込んで結局うまくオチに繋げないという、何というか売れない三流芸人を地でいく四コマが多くて、端から見ても痛々しい。もちろん私が漫画を描けるかというと、描いたこともないから無理だけど。
でも、こうやって無駄じゃないかという勢いでも何かと創作している紅川さんを見ていると、私も無理とか言わずに描いてみようかとか、少し無謀なことを考えたり。
というより。
今回の合宿旅行、私は一つ、大きな宿題を部長に与えられているのだ。
次の同人誌で何を描くのか。順当だとイラストなんだけど、宮西さんと画伯が当然のようにイラストと言っている中、これはきついと思い直したところ。
かと言って部長みたいに小説だなんてのは手がかりもない感じだし、さらにあのキモいオタクなトークを繰り広げている人なのに、作品は少し陰鬱で哲学っぽい繊細なものを書いていてますます私には無理だと思ったり。
「部長、うちの同人誌って、本当に何でも自由にかけるんですか?」
私の問いに、部長は真面目な表情になって考えながら答えた。
「学校の公式部活だし、出版費の一部は学校の部費を使っているから十八禁は禁止。版権もの二次創作もトラブルになるものは禁止」
「それじゃ、アキバ系同人誌と言っても」
「そっちではオリジナル系ってジャンル分けされていて、アートな人もいるんだよ」
部長はノートパソコンを開くと、過去に出版した同人誌の電子データを開けてくれる。たしかに、女の子の描き方なんかは美術部系じゃなく漫画イラスト系だ。そう言えば画伯も油絵ばかり描いているけれど、つい先日まで何かのキャラクター商品みたいなクマさんをたくさん描いていたっけ。
「部内で二次創作するのは全然構わない。例えばこの辺りを描いてくれるならもう歓迎」
部長が邪な視線でパソコン上の時計ソフトを指さす。最近、ネット広告でよく見かけるアイドルアニメの女の子が、際どいスカートをひらめかせて時計に腰掛けていた。
横から覗き込んだ紅川さんが嬉しそうにタブレットを私と部長に披露する。画面の中でさっきのアイドルっ子がニッカボッカを履いて漁港で工事をやっていた。さらに謎なことに背景の海だけは煌びやかに美しく、手前の雑なコメディ絵とは全く釣り合わない。
だが、紅川さんは私たちの微妙な視線をものともせずに胸を張った。
「画伯とコラボしてみたー」
「貴女は自由というより糸の切れた風船だ」
部長が呆れた声を発する。私はどちらにもつかず曖昧に笑って窓に視線を逸らした。
海だ、と宮西さんが叫んで窓を指さした。真っ青な空と、視点の焦点が惑ってしまうような、溺れてしまいたいような鉄紺の海だ。
ふと私は車両内を見回す。家族連れや大学生らしき人、お爺ちゃんお婆ちゃんもいる。私は何をしているのだろう。勢いに流されてばかりで、本当に私のやりたいことは。
「ここは、これの出番でしょ」
私の膝の上に両手から少し余るくらいの小さなスケッチブックと、一本の鉛筆が置かれた。宮西さんがくりくりとした悪戯っぽい目で私の顔を覗き込んで言う。
「何か、描きたそうな顔してた」
私は曖昧に笑うと静かにスケッチブックを開いた。手に伝わるスケッチブックの紙のざらつき。迷いながら引いた、一本の横線。
少しずつ頭が透き通っていく。心に足場ができた気がする。あらためて外を眺めた。沖を走る豆より小さな純白の漁船が魅力的に映る。
私は鉛筆を紙の上に走らせ始めた。
小中学校の修学旅行はもちろん、家族旅行も宿泊場所と言えばホテルが当たり前だったんだけど。私たちの目の前に建っているのは二階建、何のひねりもない白い看板に「金鶏旅館」と厳しい名前が黒の筆字で書かれている。旅館の印なのだろうか、玄関のガラスの引き戸にはふてぶてしい顔をした金色の鶏が描かれていた。
「ここって大丈夫、なんでしょうか」
こっそりと宮西さんに囁くと、全く心配する様子もなく胸を張って答えが返ってくる。
「鉄山先生ってほら、数学教師で青びょうたん系だから、体育会系の汚いとことか嫌いだし大丈夫。あと案外と食べ物神経質だし。あの先生にはほんと、任せて安心」
褒めているのかけなしているのかわからないことを平気で言い、一人勝手にうなずく。やっぱり宮西さんも変人かもしれない。とにかく口の悪さは部長どころではないと思う。
先生はガラスの引き戸をからりと開け、すみません、と慣れた調子で中に声を掛ける。少し間を置いて、中年で冴えない感じの、でも人の良さそうなおじさんが現れた。おじさんはとろとろした調子で先生と話し、先生は名簿を見ながら宿帳に記入しつつ、宿泊する部屋を指示してくれる。
先生、画伯、部長の男三人で手前の部屋、カメさん、紅川さん、宮西さん、私の女四人で奥の部屋と配置が決まり、私たちは最年長のカメさんに誘導されて部屋へと向かった。
部屋は和室で案外と広く、四人でも狭さは感じない。鞄を置くとカメさんは早速自慢の一眼レフカメラを構えて窓へと向かう。宮西さんは部屋に掛かっている掛け軸に見入っていた。掛け軸はいわゆる山水画の類みたいだけれど、直感で見ても良さはもちろん、けちをつけるような悪さも全く思い浮かばない。
先輩たちのお茶でも入れた方が良いだろうか、それともお風呂の準備でもした方が良いだろうか。そんなことをほんの少し迷ってしまったけれど、紅川さんまでもがタブレットに漫画を描き始めた時点で、何かもうどうでも良いような気分になってくる。
それと同時に、私以外の全員がもう何か活動に入っている感じで何とか追いつかなきゃと思うんだけど結局は何も手がつかなくて、さっき宮西さんに渡されたスケッチブックを意味もなく胸に抱きしめてしまう。
もしかして私は。私には創作活動なんて似合わないのかもしれない。ちょっとイラストをネットで公開したりしているけど。Twitterでいたずら書きを公開もしたけれど、でもそれっていたずら書きだと思っているから適当に描けるし公開もできるわけで。
そんな私が、きちんとした同人誌でページをもらって描くだなんて、はっきり言って無謀で思い上がりも甚だしいってやつだ。私は宮西さんみたいな素敵なイラストは描けないし、写真は何となくスマホで撮るのが関の山だし。まして紅川さんみたいに批判されてもめげずに漫画を描くだなんて到底無理。
どうして私はこんなに卑屈なんだろう。卑屈になってしまうのだろう。私はこの場がいたたまれなくなり、とにかく廊下に出た。
と、廊下では部長がスマホを何か操作しながらぼんやりと立っていた。
「お出かけかい」
えっとその、と答えを返せず口ごもってしまう。部長は首をかしげて財布をポケットから出し、中身を確認してうなずくと言った。
「星中君、買い出しに行こう」
「買い出し、ですか?」
「夜に皆で食べるお菓子。お菓子嫌い?」
部長はちょっと突き出たお腹をぽんぽこと叩いて笑う。もちろん好きですよ、と私も一緒に笑って玄関に向かった。
部長は本気の買い出し旅行でもするかのように、背中にリュックを背負っている。これでオタクグッズを詰め込んだ紙袋を持てば、漫画に出てくるようなオタクの完成だ。
私は一年生だから当然としても、部長なんだから他の人を買い物に行かせたって良いのに、と思う。いつも変なことばかり言って怪しげな美少女アニメを眺めている人。それが私の部長評なんだけど、結局はみんな、好き勝手ばかりやっているこの表現連合が一つの部としてまとまっているのは、やはりこういう部長の気持ちのおかげなのかもしれない。
「気配りできる男って格好良いでしょ?」
「口に出した時点でアウトですアウト」
部長は空を見上げると、あちゃー失敗、と呟いて笑う。ぶらぶらした歩みの中、部長はおずおずとした調子で言った。
「星中さん、パソコンは得意?」
私はゆるゆると首を振る。部長はうん、と唸って話を続ける。
「うちの部って、隠れた表現物があるんだ」
隠れた表現。私は意味が分からず首をかしげた。部長は背中のリュックを腹に乗せ、中から部の同人誌を取り出した。受け取ってパラパラめくる。やっぱり何でもありな冊子で。
「その何でもありな内容、どう並べる?」
部長の言葉にまた私は首をかしげてしまう。
「例えば、星中君はルーキーだから先頭に置くとして、次は紅川の漫画? イラストで始まりイラストで閉じるとするなら宮西君は最後かな。じゃあ画伯はどうする?」
どどどっとした勢いで言われ、私はひっと声を上げて首を竦めた。確かに一見、まとまりはないように見えるけれど、重い話とコメディ、宮西先輩の華やかな魔女のイラストと画伯の油絵タッチな二頭身の河童さんイラスト、そしてカメさんの静かな日の出の写真がリズムになっているように思える。
「そう、実を言えば僕の最大の作品はそこ。編集なんだよ編集」
「よく言えば作品ですけど、でも」
「確かにコンテストで作品入賞、とか言われたりはしないよね。でもうちは表現連合。表現できて、それが伝わるなら作品さ」
そう言われると納得してしまう。でも、それをこの流れで言われるってことは。
「今回から、僕のアシスタントやってよ。その後は君に編集長を継ぎたい」
「無理ですよ! 私、あの人たちの作品の並び順なんて説得できるわけないし!」
「アートなんてわがままなんだよ。観客を、読者を強引にでも納得させるもんだ」
「むちゃくちゃ言わないで下さい! 私は」
「君は何を表現したいの?」
いきなり突きつけられ、私は言葉を失う。すると部長はにやっと笑って言う。
「こう言われて答えられる人は、うちの部にはまず、合わないんだけどね」
はあ、と私は間抜けた声を返した。コンビニがそろそろ見えてくる。部長は財布の中を確認しつつ続きを話した。
「だってそんなの即答できる人間なら、面倒臭いイラストや文章に落とし込む必要なんてないだろ。とくに文章ならもう、言葉になっているくせにさ。馬鹿かと思う」
「文章書くのって、部長だけじゃ」
「うん。一番馬鹿なのはこの僕だ」
本気なのか冗談なのかわからない表情のまま、部長はコンビニの中へ突き進んだ。
「荷物持ちのつもりだったんですが、もしかして監督役も私の仕事でしょうか」
「うん、良いブレーキ役だよ星中君」
アニメアイドルのくじ引き一回三百円。自分の小遣いとはいえ、三回目に手を伸ばしたところで見てられなくて部長の袖を引いた。
「せっかく店内に入る前はちょっと良いこと言ってるなとか思っていたんですよ」
「遂に僕にもモテ期が」
「来ない来ないご心配なく」
バレンタインデーに部長へ義理チョコをあげたら何かすごく喜びそうだ。いや、喜んだ末にそれを同人誌に書くとかやらかしそうな気もしないでもない。
でも、なぜだろう。部長に対してはとても軽口がぽんぽんと出てしまう。教室にいれば何か思っても、曖昧に笑って引っ込んでしまうのに。沢山の色んな人にどう思われか考えてしまうと何も動けなくなってしまって。
籠の中はジュースとお菓子で満載だった。部長はいかにも見た目に似合うコーラとポテトチップスが好物のようで、チョコやお茶は私が選んだ。部長の話だと、案外と宮西さんが部長と好みが近いらしい。人の好みだとかはわからない。内面なんてわかりっこない。
部長は主にジュース、私は主に菓子類に分け、部長はリュックに自分の持分を入れる。店を出て再び宿に向かって歩き始める。この部に入って何を表現したいのだろう。
そんなことをいつまでも考えていると、逆に難しくなりそうだ。まずは何か、イラストを描こう。何のイラストを載せれば良いのだろう。宮西さんと画伯、そこに私のイラストが入る。ものすごく気後れしてしまう。
「うちの部は結局、高校の部活なんだよね」
当たり前過ぎて意味のわからない部長の呟きに、私ははあ、と曖昧な声を返す。
「要は版権ものができない、二次創作ができない。だからオリジナル専門で。だから何ていうか、僕の表現って何かなって思ったり」
言って部長はさっきのアイドルくじ引きで貰った、ハズレのタヌキ型ストラップをつまらなそうにぶらぶらさせる。部長はちょっとお腹が出ているから、何だか同類でにらめっこしているような風にも見える。
同類。タヌキな部長。だったらカメさんはカメラをぶら下げた陸ガメだろうか。画伯は腕と頭しか動かないし細いから柳の木。宮西さんはどう見てもウサギっぽい。じゃあ紅川さんは落ち着きないからカラスかな。んで、鉄山先生は機関車しかありえない。
ぷくくっ、と思わず笑ってしまう。部屋に戻ったら描きたいと思う。絶対に楽しい。
「何か面白いものあった?」
部長は慌てて周りを見回す。私はさっきの思いつきを話した。
「それいいじゃん! 『変てこ動物村物語』とか言って、タヌキが知恵を振り絞ってお姫様を助けに行くとか、そういう熱い展開で」
「それってお姫様、誰にするんですか」
「タヌキさんがウサギさんを救出するんだ」
「そっか、タヌキさんはウサギさんが好き」
私の言葉に部長はいきなりわたわたと手を振って打ち消す。何だろうと考え直し、自分がとんでもないことを言ったことに気づく。というかこの慌てように私は笑ってしまう。部長はちょっとむくれた顔で続けた。
「うん、お姫様救出は外伝だな。まずはゆるい日常話を連載漫画で、星中君よろしく!」
「無理です! 漫画なんて描けませんよ。それに編集もやるんでしょう?」
「お、編集をやる気になったか」
「なっていませんけど! でも何て言うか」
言葉を切って、私の中でぐちゃぐちゃの思考が流れる。でもその思考の中で、先輩たちはみんな二頭身になって着ぐるみで歩いている。真面目に考えたいのに頭の中がコメディかほのぼのメルヘンにしかなってこない。
でも、そのコメディの中でも相変わらず宮西さんが美しいイラストを量産していた。あの人の作品をもっと、きちんと冊子の中で魅せてあげたいと思う。そして今は絶対に無理だけど、私の漫画を同人誌に載せてあげたいと思う。できれば同人誌以上にだって。
「漫画は無理ですけど、まずはさっきお話した動物村のイラスト、描いてみようかなと」
部長が満面の笑みでうなずいた。旅館の明かりがもう目の前に来ている。玄関ではカメさんがカメラを私たちに振っていた。
「変なキャラクター菓子なら出直しだぞ!」
腕組みをして胸を逸らした宮西さんが、私たちに向かって声をかける。後ろには紅川さんはもちろん画伯まで立っていた。
部長は私の肩を軽く叩くと、それっと掛け声をかける。私と部長は旅館の玄関に向けて思いっきり走り始めた。
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