文芸船

爽快な青空

『二十四時間以内に市道の吸殻を掃除せよ。要求に従わなければ爆破テロを決行する』

 市役所の「市政何でも投書箱」にこんな一通のメールが届いた。役所宛てだけあって苦情も多い一方、これまでも嫌がらせのメールもそれなりの数は届いており、フリーメールなので信頼度も低い。担当者の川合は鼻で哂いながら印刷してだらだらと回付の準備を始めた。

 だが突然、階下が騒々しくなった。就職したばかりの新人が爆弾、爆弾と叫びながら駆け込んでくる。川合は唾を飲み込み、印刷したばかりの紙を握り締めた。新人の話によると、煙草の吸殻を詰め込んだペットボトルが支所で爆発したのだという。川合は皺になった文書を無理矢理伸ばし、周りにこのメールについて叫んだ。

 人が集まる。皺になった紙が回し読みされる。青ざめた空気が肌に張り付いてくる。上司は一言、テロか、と呟いた。上司の言葉が人の輪を伝播する。テロという言葉が室内に染み込んでいく。

 取扱要領はあるのか、と誰かが訊いた。川合は首を傾げて失笑しそうになり慌てて抑える。訊いた本人も、今の質問は忘れろ、と言葉を打ち消した。吸殻の掃除、ただそれだけのために。そんなことのために爆破しようというのか。やろうとしていることの大きさと目的の小ささの乖離に笑ってしまいたくなる。川合は悪戯メールだろ、とわざと笑ってみせた。

 周りも少し明るい表情になったところで電話が鳴った。川合が取ると、若い男の声が喋り始めた。

「ほうきとちりとり、水を張った空き缶。全て掃除の用意は出来ているのだろうな」

 川合は喉が痛くなったように感じた。手元の印刷をミスした紙を裏返して、テロリスト、と大きく書いて全員に見えるように掲げる。言葉に出さないながらもその感情は一匹の大蛇のように全員の背筋を這いずり回った。部屋の入り口で落ち着きなく煙草を噛んでいる同期の姿が川合の視線に入り、殴りに行きたいと思う。声は川合の返事を待たずに続けた。

「市内の道路の総延長から考えて、市役所職員全員で作業しなければ終わらないぞ」

 当然のように語る犯人に、奇妙な対抗心が湧くのを感じる。川合は震える声で言った。

「テロには屈しない」

 馬鹿野郎、上司が叫んで電話を毟り取った。上司は申し訳ない、と犯人に謝ると、周囲に会話が聞こえるよう電話の設定を替えた。犯人は喉の奥で笑った。

「おたくの役人、テレビの見すぎだよ。テロには屈しないってお前、面白すぎるよ」

 何故こんなことをやるんだ、と上司は訊く。すると犯人は即座に、正義感だよ、と答えた。正義感、上司は忌々しげに犯人の言葉を反芻する。しかし犯人は落ち着いた声で、窓から空を見ろ、と言った。全員が窓に駆け寄る。馬鹿げた、だが深刻な事件が起きているというのに、雲一つない心地よい空だけが広がっていた。

 良い空だろう、犯人は静かな声で言った。上司は黙ったままだ。犯人は早口で繰り返す。良い空なんだよ、あんな空になりたいんだよ。階下で爆発音が響く。良い空だろう。男は繰り返す。

 燕が青空を平然と滑空した。

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