文芸船

Lonely Birthday

 何回かの書き損じの後、やっと誕生日カードのレタリングが出来た。今日は独り上京した舞の誕生日だ。改めて眺めるとカードに書いた文字が白々しく思える。どんなに気持ちを込めてもいつの間にか技巧に走る自分がいる。それでもカードぐらいは手書きであげたかった。プレゼントなんてお金さえあればどうでもなるから。せめて言葉だけは自分で描きたかったのだ。

 舞とは高校の演劇部で知り合った。俺たちは不思議なほど気があった。三年生の頃の舞は脚本も役者もこなす超人部長で通っていた。俺も本気で尊敬していたほどだ。そんな舞が自慢の脚本は「Lonely Birthday」。誕生日に恋人と別れた少女を精密に描く、そんな芝居だった。主役の力量がもろに出てしまう。でも、それを成功させて全国大会まで引っ張れた舞はすごい役者だと思う。照明係の俺も思わず見とれてしまいそうなほどだった。でも、そんな舞とはもう一年も会っていない。

 舞と最後に会ったのは残暑の厳しい日だった。呼び鈴にドアを開けると、ぱんぱんのDバッグを背負った舞が立っていた。どうした、と声をかけても舞は何も答えようとしない。僕は仕方なく部屋に招くと、舞は珍しく小さく頭を下げて部屋へ上がった。横をすり抜けるとき、絶対につけないはずの香水が微かに香った。

 舞は部屋に上がるといつもの調子で勝手にバッグを放り出し、絨毯の上に腰を下ろした。一見、自分の部屋にいるみたいな顔で堂々とくつろいでいるようにさえ見えた。でも、やっぱりいつもの舞じゃなかった。香水はもちろん、すぐに喋るはずの舞が黙っている。それにどこか他人行儀だった。初めて見るように俺の部屋を見回す瞳はどこか寂しげな印象だった。僕はとりあえずコーヒーを煎れて思い切って尋ねてみる。

「舞、何かあったのか」

 やはり舞は答えず、いつも砂糖をたっぷり入れるはずのコーヒーをブラックのまま平然と口に含んでまた溜息をついた。俺は改めて念を押すように尋ねる。舞は顔をしかめながらコーヒーを喉に流し込み、やっと口を開いた。

「私、この街出る。学校、辞める。仕事はないけど、でも芝居をやりたいの」

 突然の言葉に俺は身を乗り出したものの、何も言えず舞の口元をただ見つめる。舞はもう一度繰り返した。

「芝居をやりたいんだ」

 舞の芝居を思い出す。俺にとって舞の芝居は最高だ。でも、それはプロで通用するものなのだろうか。いや、そもそもプロですら芝居で食べていける者は極めてわずかだという。テレビドラマに出演している有名な俳優が、テレビで生活費を稼いで舞台をやるんだと言っていたことを思い浮かべた。

 舞は真剣な面持ちで俺を見つめている。俺はあえて冷たく投げ遣りな声で、生活考えろ、と叱った。だが舞はあくまで頑固に唇を噛んで反論した。

「だってね、受験なんてする気もうないし。ウチの学校にいてもどうしようもないでしょ」

「あと半年で卒業だぜ」

「あと半年もあるんだよ」

 舞はすぐに言い返した。何を言ってももう無駄。そんな決意が見て取れた。俺は溜息をついて話を続けさせる。

「もう退学届出したんだ。今週中に街を離れるつもり。湿っぽいの嫌いだし、かと言って騒がれるのも嫌だし。でも片桐にまで言わないで行くのは、さ」

 言って舞は俯いた。俺も何となく気まずくって口を閉じてしまった。しばらく沈黙が続いた。でも、遂に舞は立ち上がった。

「片桐、私、帰って来ないと思う。今日でお別れ、ね?」

 俺は思わず舞に手を伸ばしたが、舞はその手を振り払った。いや、俺の手を振り払うというよりこの街を振り払う、そんな感じに。だから俺は大きなDバッグを黙って見送るしかなかった。


 街を歩いていると「劇団はーと・地方公演」というビラが撒かれていた。舞台から離れても公演ビラが撒かれると思わず詳細に見てしまう。公演はちょうど今日だ。適当に時間を潰し、開場とともに会場の市民会館に入る。目の前の緞帳はこの街が栄えていた頃の遺物だ。今では到底寄付なんて出来るはずもないデパートの名前が誇らしげに刺繍してある。椅子もスピーカーも手入れが行き届かず、建物全体に老け込んだ空気が充満しているように思えた。演目はありがちな風刺物らしい。

「先輩、大学生って暇なんですねえ」

 無礼な声に振り向くと、後輩の由加だ。相変わらずのボーイッシュスタイルで俺の隣に腰を下ろす。彼女も演劇部で、この体型のおかげでいつも少年役ばかりだ。

「そういや卒業公演はどうなんだ?」

「台本はもう上がってるんですよ。でも、私は脇役の予定」

 由加が主役を務めないというのは腑に落ちない。さすがに舞に並ぶのは無理だとしても、俺が在学していたときの由加はかなり演技も上手く役柄の幅もあったはずだ。すると由加は悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

「最後ぐらいかわいい役やってみたいなって。おしとやかなお嬢様なんですよ。結構悲劇的な役回りだったりするんだ、これが」

 今の部長がそんな役柄を据えるとなると、ますます納得行かない。主役を聞くと、歌の上手なかっこいい少年だというので俺は思わず吹き出した。軽音部に拝み倒されてボーカルを臨時にやったほどの由加。そして少年ときた。絶対に部長命令の一言で由加が主役にさせられるに決まってる。おそらく部内で気付いてないのは由加だけだ。

「なに笑ってるんですか。一年生だっているんですよ」

 新入りに主役をやらせる部長がいるもんか。それに昨年引き継いだ部長は慎重派。そんな冒険やらかすわけがない。由加は口をとんがらせて俺を睨みつける。でもすぐまた真面目な声で訊いてきた。

「先輩、舞先輩どうしてるか知ってますか」

 俺は言葉を濁す。由加は溜息をついて心配ですよね、と呟いてから俺を軽く睨みつける。

「先輩、何だか平然としてるますよね」

「一応住所は聞いてるし」

「住所は、でしょ」

 俺は肩をすくめて黙った。でも由加は被せて言い続ける。

「先輩たちって深い関係だったんじゃないんですか? 舞先輩が消えたときだって知ってたの片桐先輩だけですよ」

 俺の返事に、由加はわざとらしい溜息をついて突き放す。

「先輩って冷たい人だったんですね。あーあ、やだやだ」

「そこまで言うか? 普通」

「言いますよ。舞先輩がかわいそうです」

 言い合っているうちに開演のブザーが鳴る。俺は手を振って椅子に身を沈めた。でも由加は俺の耳元で囁いた。

「この話、休憩で続けますから」

 俺は顔をしかめ、そそくさと席へと向かった。

 余計な心配事で集中は削がれたものの芝居は良いものだった。とはいえ、どこか月並みという言葉が目の前にぶら下がる。配役がどことなくミスマッチだったり、舞台装置が何となく安っぽかったり。第一幕のことを思い返しながらロビーで体を伸ばしていると、俺に向かって熱い気配が走り寄ってくる。頼んでおいたコーヒーを手に持った由加だった。俺はカップを受け取ると口に含み、すぐ砂糖の甘さに顔をしかめる。

「片桐先輩っていつも砂糖入れてませんでした?」

「そりゃ舞が俺の分、勝手に買ってきてたから」

「やっぱ、舞先輩といっつも一緒だったんですよね」

 話題のためにコーヒー一杯を無駄にされた。代金以上に何か、妙に悔しい気分になってしまう。

「いちいち突っかかるな。俺だって心配なんだから」

「そうだと思ってました、ほんとは」

 やっと由加は素直な笑みを浮かべ、次いでいたずらっぽい表情で手を上げて言う。

「一緒に舞先輩に会いにいきませんか、と提案です」

 俺は耳を疑った。会いに行く、そんなこと思いもしなかったから。でも由加は続けた。

「舞先輩の性格じゃ、会いに行くって言ったら逃げちゃいますよ、きっと。アポなしの方が良いですって。格安のチケットなら探しますから」

 ここまで元気に言って、今度は急に大人しい調子で俺の腕に手をかける。

「でも、最後のところは先輩にいて欲しいです。私一人じゃ怖いです。だから」

 俺は肩をすくめて小さな声で言った。

「来週、時間作れ」

 第二幕のブザーが鳴った。


 初めての上京は俺も由加も同じだった。着いた当初は由加の「遊びたい」攻撃に責められてショッピングに振り回された。俺自身はあんまり大都会に興味のない人間で、ほんとに由加の言いなりだった。

「随分遊びましたねえ」

 お気楽な由加を無視して、カプセルホテルに着くなり俺は財布の中身を数えた。いたはずの諭吉さんがどこかへ行ってしまっている。

「そんなけちっくさい顔しなさんな」

「うるせ。これで来週の食費つらいんだぞ。そっちはお年玉があるから良いかもしれねえけどよ」

 俺は開き直る由加を押し出すと話を変えた。

「そろそろ行くぞ」

「いや、まあようやくってことで」

 うつむく由加を見てやっと気付く。こいつもそれなりに悩んでいるらしい。だから俺が引っ張る、というわけか。由加は時間表と地図を取り出して道順を説明する。この辺の地理を全く知らない俺でも何とかなりそうな場所だ。俺はすぐに出ようと立ち上がった。

「でも、やっぱおやつ先に食べましょうよ」

「おあづけだ、お・あ・づ・け!」

 俺は背中に冷たい視線を感じながら駅へと歩を進めた。駅に着くと由加もおやつを諦めたらしく、切符をぱっぱと買いながら雑談に入る。

「自販機で偽コイン多いんですって。間抜けですよね。人間が簡単に見分けつくのに機械は気付かないんですから」

「人間が気付く、か」

 俺はまた舞のことを思い出した。舞は機械嫌いで、女のわりに電話も嫌いだった。舞の言っていた「機械に魂を掠め取られた声」という言葉が妙に胸の奥で疼く。俺は舞への心配を募らせながら由加の背中を追った。


 たどり着いたアパートは本当にみすぼらしいものだった。築何十年か尋ねるのもはばかるような建物だ。軋む階段。途中に転がった安酒の瓶。手にこびりつきそうな鉄錆の手すり。そんな全てが今の舞の境遇を語っているように思える。建物を包む空気が舞の印象を汚すような錯覚にとらわれた。そのくせアパートの周りに茂る雑草の勢いはどこか人間を嘲っている気がした。

 ごつごつと足音の響く廊下を進み、急に由加が一室の前で立ち止まった。言葉を発しないまま、紙にマジックで書いただけの表札を由加が指さす。俺は黙ってうなずき、ドアの前に立った。振り返る。由加が顔を背けた。またドアを見つめる。暑くもないのに肌がじっとりと汗ばむ。唾を飲み込み、心を落ち着かせて素早くノックした。部屋の奥に音が飲み込まれる。でも、もう一度ノック。でもやっぱり何も答えはなかった。

「そこ、夜中じゃなきゃ帰って来ないよ」

 突然の声に振り向くと、隣の住人らしいおばさんだった。

「そこの娘の友だち?」

「あ、はい」

「いっつも夜中まで働いてるみたい。でね、ときどき外で大きな声で叫んでるよ。よくある女優崩れかい?」

 彼女の「崩れ」という言葉だけが、いやにくっきりと空気の中に浮かび上がって聞こえた。

「毎日は帰ってきてるから。夜中の二時ぐらいかねえ」

 おばさんはそれだけ言ってまた部屋の中に欠伸をしながら退屈そうに戻っていった。俺は少し考えて呟くように答える。

「働いてるんなら一応は元気ってことだよな」

「でも、かなりひどい状態のようにも思えるんですけど」

 隣の部屋で電話のコールが聞こえる。呼び出しが切れ、すぐに乱暴に受話器を置く乾いた音が響いた。

「やっぱ、夜に出直そう。近所のコンビニで待てば良い」

 俺の強い調子に由加は呆れたような顔をし、ついで悪戯っぽく笑った。

「やっぱ一番心配してたの、ほんとは先輩だったんだ」


 おばさんに言われた通り、夜中の二時にまたアパートを訪ねた。夜中に見るアパートは街灯の光を浴びて、昼間よりも壁に走った亀裂の跡が浮き立って見えた。舞の部屋の前に立つ。他の部屋は真っ暗なのに、舞の部屋だけは明かりが灯っていた。中からは聞き慣れた早口言葉が弱々しい声で聞こえる。

 由加が黙って俺の背後に回った。そっと俺を押し出すように両手で背中を押す。俺はドアの前で拳を握りしめ、ちょっとだけ迷う。由加がまた「お願いします」と囁く。

 ゆっくり二回ノックした。早口言葉が止む。こちらに耳を澄ませているのがわかる。もう一度、今度はさっきより強めにノックした。

「どなたですか」

 どこか怯えたような、警戒心で固まった声が聞こえる。俺と由加は顔を見合わせて立ち尽くした。軋む音とともに、ドアチェーンが伸びきらないぐらいの隙間が開けられる。暗がりに俺と瞳が合う。

「帰って!」

 叫び声とともにドアが乱暴に閉じられた。

「会いに来ました。お話しましょうよ」

「知らない。あんたのこと知らない!」

「その声、先輩じゃないですか。由加です。ねえ先輩!」

 俺はこじ開けようとした由加の襟首をつかんだ。

「良いだろ。舞は会いたくないっていうんだ。由加、帰るぞ」

 俺の視線に驚いたのか、由加は小刻みに体を揺らした。俺はそっとドアに向かって声をかける。

「無茶言ってごめんな。こいつは俺が連れて帰るから。生きてるのだけでも見られてよかった」

 俺はドアに背を向ける。由加の肩に手を置き、前に突きだしたそのときだ。

「待って」

 さっきよりほんの少し広くドアが開けられた。今度は長くのびた髪の揺れるのが見えた。

「どした」

「ね、私のこと、今でも見捨てないでいてくれてたの。私のこと、忘れないでいてくれたの?」

 俺は黙ってその場に立ったまま。由加が口を挟もうとしたけど、俺は即座に手で制する。動けなかった。舞の言葉を待って、顔の筋肉さえもがロウで固められたように動かせなかった。でも、背後でチェーンが外される気配はわかった。そしてついにドアが大きく開けられて。舞の言葉が吐き出された。

「会いたかったよ」


 部屋の中は生活最低限、というか生きていく限界しかなかった。舞自身も高校時代よりやつれて微笑みを浮かべたときに強調される鎖骨が痛々しい。壁に飾られた劇団のポスターや、表紙の剝がれかかった発声法の教本は舞の抵抗する姿を目に浮かべさせるばかりだった。

 この部屋にいると、由加のシンプルなファッションも贅沢に思えた。舞は由加の刈り揃えられたショートカットを見つめながら手ぐしを通す。その仕草はなおさら舞の硬い気持ちを印象づけた。改めて見回してもやはり携帯も固定電話もない。外への出口があの軋む玄関しかないのだ。舞はかなり古びたちゃぶ台を広げた。よく見ると知らない人の名前が刻まれている。

「片桐そんなとこ見ないでよ。これ拾ってきたやつだからさあ。省資源時代の実践よ実践!」

 舞は俺たちに胸を張ってみせる。でも、わざと腰に当てた拳が小さく震えるのが俺の目には明らかだった。見栄っ張りの舞が、どれだけ無理な見栄を張っているのかわからないはずがなかった。

「とにかくコーヒーでも飲みませすか。先輩、台所借ります」

 由加がガスコンロでお湯を沸かし、コーヒーを煎れる。

「あ、ここコーヒーカップ三人分もないんだけど」

「大丈夫です。安くて良いの買って来ましたから。これ、私と片桐先輩から誕生日のお祝いです。そうですよね、片桐先輩!」

 由加の俺は何回もうなずいてみせた。舞はちょっとぼうっとした顔をしてから生真面目に頭を下げた。とりあえず、みんなでコーヒーに口をつける。しばらく沈黙が続き、少しずつ舞の話が始まった。

「やっぱ、こんな苦いコーヒーだった。苦いのに無理して飲んじゃった。無理してさよならって言った。無理して泣かなかった。何でも無理ばっかだった」

「初めはちっちゃい劇団に入れたの。でも団長さんが倒れて他の劇団に行ったんだけど、コネも何にもないし。学生扱いだから、お金もかかった。バイトが中心になった。私、思ったほど体力なくって。倒れて病院入って。家出したのに親に無心できないし。もう発声ぐらいしかやる時間なくなって」

 残ったコーヒーをあおり、言葉を落とした。

「今も無理してる」

 今の声を聞いて、俺は何度かあった公衆電話からのいたずら電話について訊いた。舞は少し戸惑い、そしてうなずいて俺の胸に頰を擦りつけた。思わず舞の肩に手を回す。不思議なほど自然な気持ちで。もう由加がそばにいることも忘れたような気分だった。


「やっぱ先輩ってイイ関係だったんですねえ」

「由加うるさい」

「あーあ、泣いてた人がこんなに元気になっちゃった」

「いいから黙ってろ」

「すっかり気持ち一緒になってるし。私だけが独り者かあ」

「いいから黙れ!」

 俺と舞の声が唱和する。今、俺たちは舞を連れて故郷へと帰る汽車の中なのだ。とりあえず実家についていってやろう、そう俺たちは思っている。後始末はその後だ。

「片桐先輩。お金、ずいぶん減ってますよねえ。先輩もっと持ってきたんじゃなかったんでしたっけ」

 俺は由加の突っ込みに内心冷や冷やしながらポケットの中をまさぐった。舞にアクセサリーをあげるのは、このキューピッドなお邪魔虫を追い払ってからなのだから。来年はLonely Birthdayになりそうもない。

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