秋田と聞いて思い浮かぶものはきりたんぽと秋田美人に米のあきたこまち、そして大学同期だった秋田出身の美河ぐらいだろうか。きりたんぽは修学旅行で食べた気もするが記憶はどうも曖昧だし、秋田美人と言っても秋田出身の女優や歌手はとくに思い浮かばない。同期の美河についても、小柄でかわいい子だったとか真面目で頭の切れる奴だったとかいう印象はある。だが私は応援団や柔道部といった体育会系の連中とつるんでいたりしたせいか、美河とは縁を作りにくい学生時代を送っていた。おかげで美河にまつわる秋田と言えば、彼女が携帯で実家相手に話していた際の強烈な訛りと、美味しい秋田米が実家から送られてくるという話以外には印象がない。そんな秋田に行ってみようと思ったのは、東北三県の中でまだ行ったことのない土地が秋田だけだったからだ。
私の住んでいる北海道の函館は、本州に近い道南圏の中で最も大きな街だ。函館は国内でも早くから開港している上、戦前から青函連絡船により本州と往来して発展した土地であるため、北海道の玄関口と言われてきた。
道民は方言で道外のことを内地と呼ぶほど、道内と道外の間に壁を感じている傾向が強い。一般的な道内の街の人なら大学進学は札幌を最初に考えるのだが、函館の人は本州も自然と視野に含める。就職についても札幌志向は他の地域よりも弱く、仙台や首都圏へ向かう人も多い。特急で札幌への日帰り出張となればかなり厳しい日程と感じる一方で、旅行会社が青森日帰り旅行を販売しているのだから、圧倒的に本州に近い土地なのだ。
地図を眺めてみると、夜景で有名な函館山と北海道の本土は本当に狭い土地で結ばれているだけだ。大ざっぱに見れば、かつて異人街として栄えた長崎の出島と似た地形をしているように思う。函館は長崎と似た街だとよく評されるが、函館という街を北海道全体から眺めたなら、内地に向けた出島のような土地なのかもしれない。
網走から函館に転勤してすぐ、私はこの本州との近さに驚いた。そして網走からは時間的に不可能だったはずの東北旅行が安く簡単にできることに気付いて以来、何度も青森県と岩手県を訪れていた。その上、普段は海岸線を巡る仕事をしているせいか、休日には内陸巡りというか、なるべく海から離れた場所に行きたくなる。今回も三日間の連休があるのでまた東北を回ろうと思ったところ、青森も岩手も興味のある観光地はだいたい巡り終わったことに気付き、遂に秋田に狙いを定めたわけだ。
書店で適当に選んだ秋田の旅行雑誌をめくってみる。まずはきりたんぽ。次に比内鶏。それから田沢湖、武家屋敷、温泉、そしてなまはげ。そうか、なまはげは秋田だったか。武家屋敷という印象は全くなかった。あと、この田沢湖というのは何だっただろう。よくわからないがやたらと金色に輝いた女性像が大写しになっている。湖水が随分と青く映っているが、金色と青色の対比があまりに強すぎる。印刷の色調節がおかしいのだろうか。
私は雑誌にある紹介記事を見ながらパソコンのブラウザを立ち上げ、検索サイトに単語を入力していった。紹介記事で煽り過ぎている場所を切っていき、逆に紹介記事で見えなかった距離感がぼんやりと形作られていく。時間を計算して宿の区域を選び、今度は宿泊サイトで宿を選ぶ。せっかくだから初日は温泉宿にしてみよう。二日目は金もないので安いビジネスホテルで済まそうか。
少しずつ旅行の計画ができあがってきたとき、ふと同期の美河のことを思い出した。実験に行き詰まって理論で押し切ろうとしていた私に、長い視点の発想も実験も足りないと説教してきたのはあの子だった。私は本棚に目を向け、同窓会名簿を手に取った。自分の学年を探し出し自分の学科を上から見ていく。なぜか名前が見当たらない。私はあらためてゆっくりと指で辿りながら探した。
見慣れない名前の後に括弧がつき、そこに旧姓として美河の名前があった。学生時代の美河を思い浮かべ、他の女子学生や男子学生と比べてみる。天才的な研究をこなす子ではなかったし、実際に就職と大学院の進学調査では迷うことなく就職を選んでいた。確か講座でも最初に内定を受けていたはずだ。学科を選んだ理由も私はその分野が面白そうだという、純粋と言えば聞こえが良いが将来なんて大して考えていない理由だったのに、彼女は明確に就職率と学問の応用性から選択していた。そんな着実派の彼女なら、とっくに結婚していて不思議はない。ただ、頭ではわかっていても旧姓という言葉の響きには、卒業から流れた時間を重く感じさせられるのだ。
私は同窓会名簿を元に戻し、そのまま布団の上に寝転がった。学生時代から私は仕事以外で何が変わったのだろうか。いや、それとも何が昔のままなのだろうか。仕事はきちんとこなしているつもりだが、だからと言ってそれにどれほどの意味があると言うのだろう。まさか、ただ一人旅の旅費を稼ぎたくて働いているのだろうか。
考えるだけ無駄な話だと思う。とにかく今は旅行の予定が先だ。私は再び起き上がると、とりあえず田沢湖が大写しになった頁の端を三角に折って目印をつけた。
連休の函館駅は、さすが道内でも有数の観光地だけあって地方都市のわりには途方もない混雑だった。閑散期なら道南訛りと標準語の声しか聞こえない構内なのに、所々から聞こえる関西弁の騒々しい冗談と、中国語らしき外国人の甲高い響きが耳を刺激した。私の横を通り過ぎた中年の女性たちが、せっかく北海道まで来たのに暑いと騒ぎながら、全員がソフトクリームを手にしていた。
私は秋田へ行くため、特急のホームに向かっていた。まず特急で青森県の八戸まで行き、すぐに岩手県の盛岡まで新幹線に乗り最後にまた秋田新幹線で秋田県に入るという行程で、ほぼ六時間はかかる計算だ。日本地図を見れば北海道から秋田に行くなら青森から直接秋田に行けば良いように思えるのだが、青森と秋田の間は非常に交通の便が悪く、岩手に出てから本州を横断する形の方が早く到着できるのだ。事前に調べたところによると、明治時代以前からの歴史的な経緯もあって青森と秋田は交流が少ないようだ。道民の私にとってはそんな大昔の経緯にこだわる考え方がほとんど理解できないのだが、住んでいる彼らにとってすれば常識の話らしい。
改札を通りホームに立つ。私の乗り口が指定席のせいか、ほとんどの人たちは並ばずにホームの中を適当にぶらついていた。しっかりと並んでいる二人の老婦人は何か喋っては笑っているが、盗み聞きするどころか津軽訛りが強過ぎて何を話しているのか全くわからない。
構内をぼんやりと眺めていると、若い男性と目が合った。だいたい二十歳程度だろうか。左手に大きなバッグを、右手にはお土産らしき袋をぶら下げ、さらに背中にはリュックを背負っている。後ろにハンドバッグを提げた歳の近い小柄な女性がいて、悪ふざけなのか彼のリュックに体重をかけている。ただ、カップルにしては男性の方は元気がなく、暇そうにだらけた態度をしていた。
旅行っすか、と男性が声をかけてきた。ちょっと秋田へ、と淡泊に答える。彼は少し考え、再び口を開いた。
「秋田なら、きりたんぽ食べに行くんですね」
「まあ、食べますけど。それより田沢湖とか武家屋敷とかなまはげとか観光したいと思っています」
「何か格好良いっすね。文化っすね」
ふと彼の後ろを見ると、女性が吹き出しそうなのをこらえながら私たちのやり取りを聞いていた。
「あんたさ、ほんと恥ずかしいほど頭が単純だよね」
女性は彼の頭をこづきながら、ごめんね、と言って私に愛想の良い笑みを浮かべる。お姉はひどいな、と男は女性に言い返すと、頭をかきながら私に会釈して女性の後に続いてキオスクへと離れて行った。姉と二人旅なのだろうか。それとも親戚の用事か何かで二人なのだろうか。頭が単純だと言われた彼のことが少し気の毒に、だが少し羨ましいような気もした。
函館駅から青森までの特急は単調だ。これまでの東北旅行で何度も乗った路線なので本を読みながら過ごす。本と言ってもライトノベルの文庫本で、できれば古本屋から仕入れておく。そうすれば、読み終わった際に捨ててしまえるので旅先では便利なのだ。もったいない気もするのだが、旅先では普段より乱暴な合理性が私は好きだ。
読み始めた小説は、行商人の男が狼神の化身だという女と旅をするというものだった。ライトノベルは一般に中高生を対象の中心に据えている小説なのだが、この作品は珍しくほとんど中高生世代が出ず、二十代から中年程度が登場人物の多くを占めている。定番の戦闘場面もあるが、それよりも商売の頭脳戦が中心になっている。
行商人が危ない取引に手を染めようとする場面に差し掛かったところで列車が停止した。外を覗くと木古内駅だ。この駅を過ぎると次はトンネルの向こう、青森県へと入っていく。日本海側からは函館よりこの駅の方が近い地区も多いせいか、小さな駅舎のわりに乗客が多い。
窓からちょうど駅利用者用の駐車場が見える。並んでいる車は函館ナンバー以外に青森や八戸が半分ほどを占めていた。函館が港町として北海道の玄関口なら、木古内は鉄路の玄関口だ。ただ玄関口と言うには、この駅舎は函館と比べてかなり小ぶりな門構えかもしれない。
列車が動き始め、私は再び本を開いた。小説の中で、狼神は遠い北方の世界を男に語り聞かせるのだが、そんな北の土地を見たこともない男は狼神の気持ちを掴みきれずに余計なことを言って怒らせている。あまりに違う境遇にどうしても行き違って諍いになってしまう場面が続いている。まだ全体の半分も読み進めてはいない。
私は本をいったん閉じると、旅行雑誌を鞄から取り出してこれからの行程を練り直した。田沢湖の近くにある温泉宿に泊まるので、温泉行きの最終バスまでは観光の時間にできる。ネットで調べてもバス時間の情報が少なかったのだが、ネット掲示板によると秋田は交通の便が悪いので、きつい行程を組むと身動きがとれなくなるらしい。私はとりあえず田沢湖駅まで行くことにした。
列車が最後の短いトンネルを通り過ぎた。次は青函トンネルに入る。私は仮眠をとることにした。
周囲の落ち着かない気配で目が覚めた。青森駅が近づいているようだ。数席前の席にいる男性が座席を前後逆に動かしている。青森駅から八戸駅はスイッチバックなのだ。席の周囲に目を配ると、隣の席に旅行雑誌と文庫を空いていた放り出したままだ。私は慌てて鞄にそれらを詰め込み、席をいつでも回せるように準備する。
青森駅に着くと、すぐ全員が立ち上がって座席を回転させ始める。この駅は下車する人も多い上、前後の客が同時に回すことはできないのでちょっとした騒動だ。
席を回し終え、私は以前に住んでいた網走のことを思い出した。私の住んでいた網走と札幌間を結ぶ特急もスイッチバックがあり、同じように席を回さなければならない箇所がある。ただ、網走のスイッチバックは青森駅のような大きな駅ではないのでうっかり寝過してしまうことがある。とはいえ六時間近くも列車に乗っていて、その途中で席を回すだけのために起きている気にもならないので、非常に中途半端な睡眠になってしまう。
そういえば今日の旅程も六時間ほどかかる計算だ。網走と札幌間の距離、函館と秋田の距離は似たようなものだったのか。網走のあるオホーツク振興局と秋田県はほぼ同じ面積だと聞いたことがある。何となく網走の土地が懐かしくなる。旅先で今の住所ではなく、過去に住んだ土地を懐かしく思ってしまうのは不思議な気がする。
青森駅を発車して間もなく車内販売がやってきた。とりあえず呼び止めてペットボトルのお茶を買う。お金を渡しかけて、籠の中に見慣れない橙色の箱を見つけた。何か訊くとホヤの干物だと言う。ホヤの塩辛なら函館で食べたことがあるが、干物は全く聞いたことのない食べ物だ。大きさのわりには値段が割高に感じたものの、もの珍しさもあって買ってみる。煙草の箱を少し大きくした程度の箱で、中には普段酢の物で食べるときよりもかなり濃厚な橙色のホヤが入っていた。中から取り出してみると、確かに乾燥しており干物だ。橙色の干物という点だけでも不思議な感じがした。
パートさんが作業台の前に並んで一斉にパイナップル宇宙人のような奴の皮を剝いて網棚に並べて乾燥している水産加工場を想像してしまい、妙に可笑しい気分になる。それでもやはり、少しだけ用心しながら口に入れてみる。硬めのキャラメルのような食感を歯に感じ、次いでホヤ独特の磯臭い香気が口の中に広がった。味の濃厚さはイカや魚よりは貝類の干物に似ている。何にしろ、この香りと味の組み合わせはちょっとした驚きだった。
窓の外を眺めると遠くに海峡の海が見える。普段函館から臨んでいる海峡を反対側から眺めている形になるわけだ。もちろん、反対側からだとはいえ同じ海域であるせいか、海の色は大して違いもない。漁港にはホタテの養殖に使う平べったく丸い籠が大量に積み上げられているのが見える。遠目でよくわからないが、これも北海道で使われている座布団籠と同じ規格のように見える。私は食べ慣れないホヤの干物をかじりながら、まだ見慣れた風景が残っていることにかすかな安堵を感じた。
八戸駅の新幹線のホームには、昔の漫画に描かれている未来施設にあるような透明な屋根がかかっている。私は駅の中をろくに見る暇もなく新幹線に乗り換えた。
八戸から盛岡まではほんの三十分で到達する。暇つぶしに携帯で調べ物でもしようとしたところ、やたらとトンネルを通過するので電波が途切れてしまい、ほとんど使い物にならない。先ほどの透明な建物と比べ、未来指向なのか前時代的なのか逆にわからなくなってくる。
盛岡駅に降りると、私はすぐにペットボトルのお茶を飲んだ。函館や八戸にいたときの汗ばむ感じではなく、熱を帯びた湿気が肌にまとわりついてくる。この三十分の距離で、初夏から真夏まで時間を飛んだようだ。掲示板を見ると、連休に合わせて秋田市までの臨時新幹線が走っているようだ。私は汗をろくに拭かずに急いで駅弁とお茶を買い、秋田新幹線の指定席を受けて乗り換えのホームへと走った。おかげで余計に汗が流れる。今の時期に東北より南下なんてしなくて良かったと思う。
ホームは臨時列車が出ているというのに人影がまばらだった。掲示板を見ても、もうすぐ新幹線が到着すると表示されている。だが、まだ乗客が並ぶ様子はない。少し不安になっていると遂に新幹線が入ってきた。私は車両の表示をあらためて確認して乗り込んだ。すぐに秋田行きのアナウンスが放送され、間もなく車両が発車した。他の乗客も先ほどの路線で見かけたような背広姿がほとんどなく、車両の中は相変わらず人がまばらで新幹線だというのに、混雑具合は田舎のローカル線のようだ。
走行し始めて十分ほど経ったが、まだ新幹線は住宅街の中を走行し続けていて高速運転に切り替わらない。北海道内の特急よりも遅いような気もするほどだ。携帯の検索サイトで調べたところ、本当に普通の特急と変わらない速さだと解説しているサイトを見つけた。どうも乗客数だけではなく、速度までもがローカル線らしい。
高速に変わるのを諦めて窓の外を眺めると、速度が遅く高架線上を走行しないおかげか、盛岡までの新幹線と違って外の風景をゆっくりと観察できるようだ。携帯で検索している間に街中を抜け、風景は田圃の広がる農村に変わっていた。秋田と言うと米の印象が強いが、窓の外も水田が広がっている。ただ、その水田はかなり狭く感じる。四角形ではなく三角形に近い形の水田もある。また、幾つかの水田があるとすぐに小さな神社らしきものが建っており、見慣れた農村とは違うものだった。
だが個々の水田は小さくとも、沿線から地平線まで広がる多くの水田は、この土地が稲を生むために存在しているような印象を与えた。そしてその水田を埋め尽くす稲の緑色が風に揺らめいて、緑色の広大な沼地の中を潜っているようだ。瑞々しい緑色の水平線は、むしろ秋の実った稲穂よりも土地の生命を強く感じさせた。
降りる先の田沢湖を思い浮かべる。この緑色よりも鮮やかな青色なのだろうか。思い浮かべた青色は私の常識からは外れた青さで、だが不思議と自然な気もした。
盛岡を出発してから一時間ほど経ってやっと田沢湖駅に到着した。新幹線を降りて駅前に立つ。わりと立派な駅なのだが、駅前は多少のお土産店とタクシー乗り場があるだけで妙にがらんとしている。嫌な予感がした。
私は急いで田沢湖行きのバス停へ向かった。バス停の時刻表を見ると、表の中にぽつぽつとまばらに数字がばら撒かれている。おそろしくバスの便数が少ない。観光雑誌で田沢湖の名所へのアクセス時間が全て、車での行程で書いてあったのはこのせいか。携帯で田沢湖の情報をあらためて検索する。今から最も早く出発するバスに乗れば最後の遊覧船の出航に間に合うようだ。私はバス停のコンクリートブロックに腰を下ろしてバスを待った。
バスを待ちながらあらためて駅の周辺に目を配った。田沢湖は観光雑誌に必ず載っている観光地で、この駅で降りる以外の行程はほとんどないはずなのだが、妙に観光客の数は少なく物売りの姿もない。今朝の出発駅で、同じ観光拠点のはずの函館駅との対照に私は茫然とした。
二十分ほど経ち、ようやくバスが到着した。車両は観光バスや長距離用の豪華なものではなく、普通に市内を走行しているような車両だ。乗客はまばらだったが、いずれも観光客のようだ。バスはすぐに田舎道に入った。新幹線よりさらに遅く、低い車両の窓から眺める風景は先ほど新幹線で眺めていたものより平凡に感じる。
しばらくして、色褪せたペンキで「ようこそ田沢湖」と書かれた門をくぐり、バスはさらに田舎道を進み続けた。そして次第に温泉宿の立て看板が並び始めた頃、ようやく田沢湖前のバス停に到着した。バス停は遊覧船乗場の目の前で、バス停からも客を待っている遊覧船が見える。私以外に降りたバスの乗客も、全員がチケット売り場へ並んでチケットを買うと真っすぐに遊覧船へ向かった。
湖畔まで近寄ると、色彩感覚が狂いかけたような青い湖が広がっていた。青い染料を流したような青さだ。田沢湖は過去に魚が絶滅したそうだが、この色を見ると何となく納得してしまう。だが桟橋を渡っていくと、途中で魚の餌を販売していた。桟橋の下を覗くと、何か魚の群れが私の影に反応した。遊覧船の人に訊いてみると、これは最近やっと復活してきた魚でウグイだという。だが水の色のせいか、妙に鱗が青ざめて見えてしまう。
遊覧船に乗り込んで客席に座る。既に遊覧船は出航に向けて機関が唸っていた。客席の周囲は屋根がかけられており全面が窓なのだが、薄く着色されているので外を眺めるにはかなり不満がある。艫には屋根がなく都合が良いのだが、既に多くの乗客が舵の辺りに集まっており、割り込む隙間はなかった。子供たちは親の手を引っ張りながら水中を覗き込んでいた。
乗組員が桟橋と船をつなぐステップを外した。機関の稼働音が高くなる。乗組員が係船柱から綱を外した。船はゆっくりと桟橋から離れ、湖水の上を走り始める。
乗客が艫の甲板全体に広がり始めたので、私も艫に向かった。立ってみると、高速艇と謳っているだけあって船足はずいぶんと速いことが実感できた。そのぶん機関音もかなり響くので折角の船内放送はほとんど聞き取れない。海と違い、走っても潮風のような風はなく船の速さに由来する風だけなので、涼しさは期待したほどではなかった。北海道の海上なら少し肌寒くなることすらあるだろうが、この調子ではそんな心配も不要なようだ。
私は船縁に寄りかかると水面を眺めた。湖面に来たおかげか、陸上から眺めたときよりもさらに青さが際立って見える。船の後方では乱れ弾けている航跡が美しい。
いや、これは美しいというのだろうか。舷側で割れて弾ける波と、その背後で船体から流れ落ちる湖水はどこまでも青く、一瞬だけ弾けた白い波飛沫は広い青に染め戻されていく。深い湖水の底は当然何も見えず、青くないもの全てを否定するかのような、激烈な青さだった。遠く航跡から外れた水面は鏡になって木々を反射している。だが、全ての光景は青に染め直されているのだ。快晴の空も青いのだが、湖水と比べると希釈された雲が混じっているような薄く静かな青さに思えた。それほどまでに、田沢湖の青は純粋過ぎる青さなのだ。
乗船前に冊子で読んだ民話を思い出した。伝説のたつこは酷い渇きで湧水を飲んで龍に変化したという話だ。私はそっと湖面に向かって手を伸ばした。高い舷側に阻まれて当然、湖面に手は伸びない。だが、それは私をむしろ安堵させた。もしこの湖面に手が伸びたのなら、私はこの湖水を飲んでしまうかもしれない。湖水の青さはむしろ恐ろしく、そして同時に魅惑的な青だった。
唐突に海が懐かしくなった。稲の濃厚な緑でも田沢湖の激烈な青でもない、透明で荒々しく白波の砕ける日本海。流氷から覗く、濃厚に沈み込む青のオホーツク海。せっかくの旅先だというのに、体に馴染んだあの磯臭い風が無性に恋しくなっていた。日常から離れようとして内陸に来たはずなのに、今はまた海が恋しいのだ。
美河は秋田の子だったけれど、やはりこの湖には訪れていたのだろうか。秋田米が実家から送られてくるという話からして、確か内陸育ちだったように思う。秋田で内陸育ちの彼女には、この湖の青さは当然だったのだろうか。私にとって異世界だとしか思えないこの青さは、彼女には懐かしく体に馴染んだ故郷なのだろうか。
青森までの列車内で読んでいた本を思い出した。小説では神と人間で時代まで違っていたが、そんな違いよりもむしろ、最も印象的な風景こそがその人を決める鍵なのかもしれない。もしそうなのなら、幼い頃から吹雪で凍りつきそうな北海道の海に馴染んだ私には、美河は私の手が届かない人だったように思える。
雪が降るとはいえ北海道より温暖な秋田の土地はやはり異世界で、ましてこの青い湖は北海道にある様々な湖や海と同じ水面だとは到底思えなかった。旅行で眺めるには美しい湖だとしても、秋空よりも純粋な青い湖の傍らで長く過ごすことは無理だと思う。私が荒々しい海から長く離れて生きることなど不可能だと確信した。
桟橋が近づいてきた。もうすぐ下船の時間だ。私は艫から航跡を眺めながら今夜の宿と明日の旅程を確認し、帰宅後に向かう北海道の日本海に思いを巡らせた。
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