覚えている限り、少なくとも小学生の頃まで私は風呂が苦手だった。子供だから遊んでいたいということも当然あったのだろうが、何よりも父の好む風呂が高温で苦手だった。その上、父は私の頭を洗う際にかなり力を入れて引っ搔くような勢いで洗うので痛かったということもある。いずれにしろ父の影響が大きかったように思う。中学、高校時代も親が風呂を焚いていれば入浴するという程度で、自分から積極的に風呂を求めるようなことはなかった。また、父は温泉に興味が薄い人だったので高校卒業までの間、修学旅行以外で温泉に入った記憶はほとんどない。
学生寮に入寮したところ、寮の共同浴場は衛生管理のためなのだろうが妙に塩素臭の強い風呂で、私の先輩は塩素温泉などと称していた。またこの風呂も時間が早いとかなり熱い湯だった。それでも結局は塩素温泉になじんでいた。そんな中、私が温泉に興味を持つようになったのは髭の濃さと顎のしっかりした顔立ちから「漢(オトコ)」と呼ばれた先輩が陣川温泉に連れて行ってくれたおかげだ。この温泉は褐色の熱い湯で湯船も広く塩素の臭いもなかったのだ。
ところがこの温泉への道を少し逸れた場所はいわゆるラブホテル街が広がっており、夜に函館山に向かって見ると観光雑誌によく掲載されている函館夜景を反対側から見られる場所なのだ。そんなわけで地元ではラブホテル街に行くことを「裏夜景を見に行く」と言う人が結構いるのだが、この先輩は困ったことに夜景が好きなので陣川温泉に行くついでに裏夜景を見に行こう、と言ったりする。たぶん小柄な私を自分の容貌を理解した上でからかっていたのだろうが妙に怖い言葉だった。
就職して初めて独り暮らしになったとき、部屋にあった風呂は正方形の箱のような風呂で、膝を抱えないと全身を沈められないような風呂だった。実家のときはユニットバスで、大学時代は塩素が臭いとはいえ銭湯並みの大きな湯船に浸かっていた人間である。この風呂はあまりにも窮屈で正直、風呂だとは思えなかった。だが都合の良いことに、歩いて数分の場所に銭湯があった。全く古い型の銭湯ではあったが、ここはよく利用していた。この銭湯も多少は塩素の臭いがしたのだが、学生時代に入っていた寮の浴場があまりに塩素の臭いが強かったせいか、逆に安心するような面もあった。今になって思えば、就職したばかりで苦労していた私にとって、塩素の臭いは懐かしく安心できるように感じていた。
この苦労していた時代の私にも、職場で気軽に話せる先輩が一人だけいた。この先輩はわりと温泉好きな人で、数回近所のスーパー銭湯に連れて行ってくれた。このスーパー銭湯には漢方薬の詰まった袋をぶら下げた薬湯があった。私が薬湯に入ったのはこのときが初めての経験である。最初は薬湯の奇妙な臭いに首をかしげたが、なにせ塩素温泉に入っていた身である。すぐに慣れてしまい、薬湯に対する違和感はすぐになくなってしまった。また、最初に就職した函館周辺は温泉の多い土地である。普段から銭湯に入っているおかげで、どうせ銭湯で代金を払うのだからと少しずつ温泉に行くようになっていた。
それから約二年経ち、私は転職して網走へ移り住んだ。道東は釧路以外、私にとって全く未知の土地であった。その釧路もほんの二回行ったことがあるだけだ。だがそのぶん新たな土地を知りたいと思った。何より、ほぼ全く誰も知らないこの道東の地で以前の職場から全てを切り替えたいという思いも強くあった。そこで転職から半年後に車を購入すると、私は道東を探検することにした。ただ、探検すると言っても道東は街同士の距離が長く、その上歴史の浅い土地なので神社仏閣や歴史の遺産といった文化的な観光資産は極めて少なく、手つかずの自然を売りにしているような土地だ。自然については季節との兼ね合いも大きい。その上、転職してからは結構肩凝りに悩まされるようになった。そんなわけで、次第に温泉巡りが趣味になっていった。
私が温泉にわりとお金を掛け始めたのは、道東の一人旅であった失敗がきっかけだ。恥ずかしい話だが、私はかなりの方向音痴で来た道を戻る際でも間違うほどである。別海町にある野付半島の尾岱沼にホッカイシマエビを漁獲する珍しい漁業の観光に向かったのだが、何を間違ったのか血迷ったのか、野付半島ではなく知床半島の羅臼町に来てしまった。春の知床峠は夕方にゲートが閉じてしまうのだが、運悪く私の到着時間はゲートが閉じるまで時間がもう残り少なくなっていた。だが、かなりの時間を運転に費やしていたため、このまま帰るのは悔しかった。そのとき、ゲートの近くに温泉ホテルが建っているのが見えた。財布の中にはクレジットカードもあった。試しにホテルに行ってみると、宿泊部屋は二名以上なので二名分料金だが、料理を二人分食べる気はないでしょうし、と言って一人半分の料金に割引してくれた。温泉料理も手抜きはなく花咲ガニなども付き、温泉にも浸かれたので迷子になったことも逆に運が良かったように思えた。
迷子の宿泊のおかげでドライブに懲りるどころか、さらに独りでドライブを楽しむようになった。あちこちの温泉を巡って歩くうちに、日帰り専用の奇麗な施設やホテルの日帰り入浴だけではなく、野湯に近い場所や共同浴場も楽しむようになった。中でも思い出深い共同浴場は弟子屈町にある川湯温泉だ。この浴場は二百円という格安施設なのだが、かなり老朽化の進んだ建物だ。私が訪問したとき、本当に営業しているか不安になったほどだ。おまけに川湯温泉の泉質はかなり強い酸なので浴室の老朽化もかなり進行していた。躊躇していたところ、先に入っていた地元の老人が私に穏やかな調子で声を掛けてきた。老人の勧めで入った湯船は温めだったのだが、湯船から上がると妙に熱い感じがした。私の感想に、ここの湯は源泉が新鮮だから近所の立派なホテルより良いかもしれんよ、と老人は自慢げに話していた。近隣のホテルときちんと比較したことはないので実際のところはわからないが、とにかく地元の人と話せたおかげか、他の土地も含めて立派なホテルの温泉よりも何か強い印象が今でも残っている。
転勤で再び道南に戻ってからは道南の温泉はもちろん、東北の温泉も何カ所か入浴した。東北の温泉は道南で入っていた温泉とは異なり温い温泉が多い。正確には道南の温泉が全国でも高温の部類らしい。とにかく東北の温泉はゆっくり入っていられるため、かなりゆったりできることがわかった。さらに北海道の温泉よりも小規模な宿が多く、そのぶん人とのゆっくりとした会話も多い。
本州で最も良かった温泉の一つが、岩手県花巻市にある鉛温泉だ。伝統ある古い宿で、宮澤賢治の童話にも出てくる温泉だ。ここは最初に湯治用の簡易施設、次いで旅館部にも宿泊した。食事は山菜などが多く穏やかな内容で、立って入る深い温泉が特徴だ。何より私の場合、この温泉に行った二回とも帰ってきてからすぐ、普段よりも自然と小説を書き進められたという不思議な現象がある。他にも宿泊して小説を書きあげた作家がいるそうだから、温泉の雰囲気が頭を整理してくれるのかもしれない。
こうして今の私はかなりの温泉好きとなった。小学生の頃を思い返すとずいぶんと変わったものだ。ただ、やはり実家に戻ると何となく温い湯よりも熱めの湯に安心してしまう私がいる。考えてみれば、第二の故郷と言っても良い函館も高温の温泉ばかりだ。私にとって故郷の湯とは熱い湯なのだろう。東北の温い温泉が大好きになっても函館の熱い温泉にまた入ってしまうのもまた、一種の帰郷なのだと思う。
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