文芸船

見えない風景

 私の住んでいる地域では、畑の傍に帆立貝の貝殻が山積みになっていることがある。住み始めた当初、なぜこんな場所にあるのか全くわからなかったのだが、畑の暗渠工事で砂利などの代わりに使用するのだそうだ。元々農業関係にかなり疎いとはいえ、全く想像すら出来なかった自分に呆れ返った。このように常識と思っている知識の範囲を大きく逸脱していると本当に面食らってしまう。だが、その驚きは非常に楽しいものだと思う。最近方々で見かける豆知識本や、健康・豆知識の番組などはそのような感性に訴える娯楽の代表であろう。多少の安易さはあるだろうが、驚きの娯楽は良いものだと思う。

 ところで、私が帆立貝の貝殻について驚いたのは単なる無知もあるだろうが、それよりもむしろ地域差の問題が大きいだろう。私は元々北海道の道央、道南で生まれ育っており、初めて道東で見た風景はあまりにも違うものだった。なだらかな平原に立つ鹿たちも、帆立貝を水揚げする桁曳船もあまりに見慣れない風景だったのだ。初めて訪れた土地の空気すら、どこか感触が違うように思えた。

 一方で、久しぶりに実家に戻るとまた、風景が変化して見えてしまう。懐かしさは良いものに思えるが、この懐かしいという感情自体もまた、新しい驚きに似ているように思う。なぜなら、かつていた私はそこで懐かしさを感じることはなかったはずだからだ。私は懐かしさという言葉を通じて、かつていた場所に何かの新しい発見をしているのだ。そこにいる私は、実は既に当時の私とその故郷に対して他者に変貌している。私たちは他者になって初めて、驚きという果実を手に出来るように思える。馴染んだものに驚くことは難しいからだ。そういう意味では、住み慣れた空間はむしろ、その驚きの要素について見知らぬ土地である。馴染んだ風景は驚きを知らない、見えない風景なのだ。これから以前に暮らしていた街を訪ねるときには、その見えなかった風景をしっかりと見直していきたいと思う。

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