文芸船

電子書籍とネット文芸

 ここ半年ほど、書店に行かないし本も読んでいない。漫画喫茶で漫画を読む程度であろうか。正確に言えば、仕事以外では紙の本を手にしてしていない。その代わりWebサイトを巡って電子書籍とネット小説ばかり読み漁っている。私は転勤族で長くても五年程度で引っ越す上、喘息持ちのため埃を溜めると発作が起きやすくなるため荷物を増やしたくない。そこで電子書籍なのだ。

 私が愛用しているのは、2012年にアマゾンが開始した「kindle」という電子書籍サービスだ。パソコンやタブレットとは異なる電子書籍端末も発売になり、私もこれを購入した。この端末は液晶画面ではなく電子ペーパーというもので、画面自身が発光しないのでちらつきもなく、目に優しい。文学作品や文系の新書を読む分には便利なのだが、残念ながらモノクロなのでカラー図版やカラーイラストの多い漫画では残念なことになる。

 しかしKindleはタブレット版もあるので、漫画などはタブレットで読んでいる。もちろん小説もタブレットで読むことは可能なので、タブレットを持ち歩く際は電子書籍端末を持たなくても困らない。

 私の文芸以外の趣味と言えば温泉で、温泉に浸かったあとにゆったりと好きなだけ部屋で本を読むことだ。ただし「ゆっくり部屋で読む」のであって「本をゆっくり読む」わけではない。漫画などは一冊三十分程度で読み終えてしまうので、好きなだけ読むとなれば小説文庫本でも三冊以上、漫画なら十巻ほどは必要になるわけだ。温泉に図書館と漫画喫茶が併設されてくれると助かるのだが、どうもそういう志向の温泉宿はないようで、結局は本を背負っていくことになる。おや、大荷物を背負って登山ですか、いえちょっと温泉で読書に、と莫迦な会話が成立してしまうわけだ。

 その点、電子書籍ならタブレットなり端末に十冊ぐらい余裕で入ってしまうので、端末さえ持てば身軽に歩けることになる。最近のホテルは無線LAN環境も整ってきているので、現地で本を買うことも可能だ。

 何より、私は多忙期になると書店の開店時間に「ほとんど身動きが取れず、ネット通販で送ってもらっても受け取り可能な時間は運送屋も動いていないので、そのような時期に本を入手する手段はほぼ電子書籍のみだということが、電子書籍を好きになった最大の理由だが。

 電子書籍の面白さの一つとして、不思議な価格設定がある。長編漫画などは最初の巻のみ無料や激安の本がありお得感がある。また、国の白書は普通に買うと結構高いものが多いのだが、なぜか電子書籍だと無料配布しているものすらある。そういう、普段なら買わない本、読まない本を低価格に惹かれて買って読んでしまうことは世界が広がって面白い。

 例えば「東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得」(国土交通省)は無料で入手でき、内容はいわゆる役所のマニュアルなのだが、東日本大震災時の緊張感、緊迫感を感じるドキュメンタリーとしても読めるというなかなか興味深い本だった。このような本は、専門の仕事をしない限り買う機会はほぼ絶対にないだろうが、無料となれば試しに読んでみる気になる。

 無料の電子本としてはボランティアベースの「青空文庫」が有名だ。これは著作権の切れた小説をボランティアの方々が電子化して無料公開しているもので、これも青空文庫の本体サイト以外に各種電子書籍サイトでも入手が可能となっている。夏目漱石などは中高生時代に読んでいるが、夢野久作のドグラ・マグラや少女地獄などは未読なのでそのうち読もうと思っている。また、直木賞は毎年見ているものの大元の直木三十五の作品は全く読んだことがなく本屋にも置いていないので、こちらもそのうち読みたいと思っている。

 青空文庫に近いコンセプトのサイトで「マンガ図書館Z」というサイトもある。こちらは漫画家の赤松健氏が運営しているサイトで、絶版となった漫画を広告付きで無料公開し、広告費を漫画家へ還元する一方、絶版で失われつつ作品を再び世に送り出そうというプロジェクトだ。一部は通常の電子書籍として復活している例も出てきており、掌編作品ではなかなかの佳作もある。

 もう一つ、無料の電子本として「小説家になろう」というWebサイトがある。これは個人が自由に小説投稿していく形式で私も数作登録している。この数年で急成長し、人気作品の一部は商業出版されている。ライトノベル系が中心で人気作品に一定の傾向が強いなど、毀誉褒貶のあるサイトだが、面白いものも多い。

 現在は通称、異世界召喚物と言われる異世界に主人公が召喚されて、現実世界の知識や神様にもらった特殊能力で切り抜けていくといった体の作品が膨大に登録されている。この傾向の作品に人気が集まるから、といえばそれまでだが、現実世界で努力して報われる話がある意味、非現実化してきていることの反映かもしれない。

 私が好きな作品は「異世界食堂」で、連載一話で完結する形式だ。異世界から来た人たちが日本の洋食屋で飯を食べ、それをきっかけに少し人生が変わっていくというのが大筋で、各話でモチーフの料理の描写が丁寧で食欲をそそる。主要人物の店主は、店主としてのちょっとした会話と「そいじゃあごゆっくり」という決まり文句程度ということが逆に安心感がある。

 実は私もこの二十年、原稿はほぼ全てテキストエディタで書いており、この原稿も喫茶店に持ち込んだノートパソコンで執筆しているし、原稿は電子メールで送信する予定だ。紙のレイアウトには後で合わせているだけなので、電子書籍やネット小説という形式の方が自分には本来の形かもしれないと思っている。

 鈴木みそ氏の「限界集落(ギリギリ)温泉」という漫画は、漫画家個人が出版社を通さずにアマゾンで電子出版した作品で、価格設定や個人出版という話もあってかなり売れたそうだ。その影響で個人出版をアマゾンの電子書籍で行う人も少しずつ増えているようだ。個人出版といえば印刷所へ依頼するかこつこつコピー本を作成する、もしくは個人サイトを細々と運営するぐらいだったが、通常の出版社が行うような電子書籍と同じ形式で出版できる道も出てきたことは面白いと思う。

 紙の書籍を手でめくる感触には一つの空気感や体感的な心地よさがあるし、キーワードを使えない感覚からの検索性は電子書籍より高い。だが一方、電子書籍の手軽さと自由さには、開けた未来を感じるのだ。

 また一冊、今日もダウンロードしてみようか。

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