飲み会の席で「とりあえずビールで」という台詞はよく聞かれる。私はビール、中でも日本のビールはあまり好みではないので、席の雰囲気によっては別の酒を頼むことにしている。とくに一次会で食事前だと、どうもビールの苦味が食事の味に対して邪魔になるように感じる。もちろん、私は味についてとくに詳しいわけではなく個人的な好みの問題に過ぎない話だ。
試しに「とりあえずビール」をキーワードとしてGoogleで検索してみたところ、検索結果は約189,000件であった(現在)。単語ではなく文に近いキーワードでこれほどの件数が検索されるのだから、どれほど日常的に「とりあえずビール」という言葉が交わされているかという証拠であろう。発泡酒などの節税策が大きく採り上げられるのもこのせいであろう。私の好きなラムなどなら、多少課税額が上がったところでその他ニュースに振り分けられても不思議はない。
なぜ「とりあえずビール」で、日本酒、焼酎、ウイスキーにならないのか考えてみると、飲酒の最初の体験にあるのかもしれない。初めての飲み会で「とりあえずビール」。そのまま飲み始めはビールという刷り込みができてしまっている。私の場合は最初が焼酎の、それも割らないで飲むという非常に乱暴なものだったせいか、強いアルコールよりもビールの苦味の方に抵抗感があるわけだ。もちろん本当のビール党もいるのだろうが、アルコール度数さえ合えば良い程度で酒の種類にこだわらない人たちについてはそういうことだろう。
飲み会の席では通常、食事やおつまみの類が供されるわけだが、このように「とりあえずビール」という文化が支配的であることで、居酒屋やおつまみのメニューはどうしてもビールに合った物にならざるをえない。もし「とりあえず」の先が別の酒であればまた違った文化になったのではないかと考えると興味深い。少なくとも今ほど脂っこい料理は好まれなかったように思う。そう考えると、成人病やメタボリックシンドロームなどの最近の問題も、選ばれる酒の種類によって変わるかもしれない。もちろん、日本酒なら枡酒で塩をなめつつ飲むという味覚はともかくあまり健康には好ましくない飲み方もあるわけで、ビールが悪役だと言うわけではない。
これほど影響力を持っているにも関わらず、ビールが小説、歌詞の中ではあまり重要な役割を担っている作品は少ないように思う。演歌の小道具は日本酒に決まっているし、恋愛小説はカクテルが多く、ギャグ漫画では日本酒の一升瓶が象徴的に扱われがちだ。ビールは欧米で飲まれる際も、地域によっては水代わりにされるほど日常の飲み物であるうえ、「とりあえず」と言われて飲み会で飲まれる一方で結婚式などの重要な儀式やデートの小道具、高級料理の脇役には登場しない酒だ。これは民俗学で言う「ハレとケ」では「ケ」、つまり日常に属する酒なのだ。ここで飲み会、とくに歓送迎会などはハレに属するはずなのだが、仕事後に流れるように開始することを考え併せると、やはり日常の延長上にあるのだ。これは言い換えると、ビールは日常とともに歩む酒だと言うこともできる。ビールを飲んでいる限り、そこは日常空間の内側にある。一斉にビールを飲むという行動には、飲み会という日常を逸脱しがちな場を日常の関係につなぎ止めようとする暗黙の了解が見え隠れする。
未だビール類の国内消費量はそれほど低落していない。「とりあえずビール」という声が居酒屋で聞かれる限り、まだ私たちは今の日常を愛しているのかもしれない。
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