文芸船

近況つれづれ

 昨日、詩のボクシングを見てきました。本試合出場者15名の各詩は非常に多様で面白かったです。結構笑える「これは詩か?」というのもあり、見方によっては「ヒロシです」に近い人もいました。

 とりあえず、一発印象の強い人が強者っぽかったように思えます。

 陸別町から池田町にかけてふるさと銀河線に乗ってみました。一両編成で客は少なく、廃線が決まったせいか高価そうなカメラを首から提げた人が数人乗っていました。大の大人が列車の一番前に陣取ってレールの先を見つめている姿は不思議。しかしやたらと真っ直ぐな線路なので、その正面の風景が実は有名だったのかも。珍しかったのは車内に自販機が据え付けてあったこと。普通に定価の120円販売だった辺り、JRにも欲しいと思いました。

 国税庁の高額納税者のうち、作家では片山恭一などの純愛系作家が躍進したそうです。でも私はそちらの純愛系作家の作品、1作も買っていない。ブームに乗らないマイウェイ、言い換えればへそまがりなようで。

 ところでこの純愛系ブームの一方、狂気の見えるような作風も増加しているのはなぜでしょうか。何となく世の中が全て二極分化していく感じがします。

 最近、Food Fadismという言葉を知りました。これはマスコミの情報である「〜を食べれば健康になる」といった科学的に不確かな情報に対する過信傾向だそうです。たしかに高齢者が「これは体に良いんだから!」と言って食べたり勧めたりしているのをよくみかけます。

 先日は北海道新聞で子供向け記事として書かれていたのですが、もっと高齢者に書いて欲しいと思っていたらその記事が載っている新聞の中で健康食品の広告が掲載されていました。マスコミには期待できないかも。

 黄金週間中にジャン・コクトー(Jean Cocteau)の展覧会を見て来ました。私の中では戯曲作家の印象が強かったのですが、絵もかなり凄い。元々挿絵から始まったせいか、物語的な面もあって面白い絵でした。

 話題は逸れますが、小説で視覚的な表現を行おうとすると内面が反映するせいか、静止画よりも動画的な文章になりがちな気がします。そういった面で、絵画の物語性は断面を切り取る力の大きさを痛切に感じました。

 明日から黄金週間中で実家へ帰ります。旧友たちとも会うので楽しみにしています。ところで実家という言葉を実の家、本当の家、という意味に考えてみると奇妙な言葉だと思います。

 あなたの、本当の家はどこですか。そんな問いを投げ掛けられたとき、私たちは何と答えるのでしょうか。評論「本当の家」公開しました。

 今日は阿寒方面をドライブしました。秘湯(?)のコタン温泉に入りました。無料の代わりに外から丸見えという凄い所ですが、目の前3m辺りを白鳥が泳いでいるという、違った意味で贅沢な温泉でした。写真は基本的に撮らない主義なのですが、様々な印象が気持ちに残る一人旅でした。

 列車の大事故がありました。事故の内容や分析については新聞やテレビ、情報系のサイトで色々述べられています。そのうち原因の明確な究明や企業側の責任等も追及されていくことでしょう。今回の事故はゴールデンウィークを目前に起きたわけですが、報道機関はやはり連年どおりの報道を行うのでしょうか。その報道が事故の記憶を希釈してしまうとしたら、それは少し、移り気過ぎるような気がしてしまいます。

相対主義の独裁が強まっている。それは何ものをも決定的なものとして認識せず、最高の価値として自分自身のエゴと自分自身の欲望を置くものである

 これはコンクラーベに臨む前に新ローマ法王(Benedictus XVI)が語った言葉です(絵文録ことのはから引用)。相対主義という言葉と相性が悪いはずの、独裁、最高の価値といった言葉で相対主義を描写する、これは思いつかない。無駄の無い直感の文章は少し怖いものだと思いました。(引用表現を適正化するため一部改稿しました。)

 黄金週間が近づいてきました。久々にゆっくり休めそうなので楽しみです。ちょうど実家は観光地に近いので、ちょっと逆に不便な面もありますが(街の中が混み過ぎる)。ゴールデンウィークの混雑ぶりから、海外を引き合いにして休日をばらけさせるべきだという意見がありますが、私のような独身者には「みんな休みなら会えるかも」という日本の方式の方が嬉しいように思えます。今回も飲み会の計画が同窓であるみたいだし。

 web上にある情報の多くは日付がつけられています。実際と一致しているかは別としてInternet Explorerならプロパティ、Mozilla系ならページ情報で作成日や有効期間を確認できます。

 ニュース記事やマニュアル系のページは内容の有効期間をページの有効期間で近似できそうですが、小説などの創作物の場合、良い作品だと思う人さえいれば内容の有効期間は無限大なので、実質的なページの有効期間と内容の有効期間の乖離が激しいと思います。内容としての情報についてもっと精密に表現することはできないものなのでしょうか。でも、それはあまりに抽象化されて難しいのかもしれませんね。

 ここ数日、カゴメのトマトジュースをよく飲んでいます。今日も100円ショップで見つけて買おうとすると、無塩のトマトジュースも並んでいたので試しに買ってみました。飲んでみると、同じメーカーなのに加塩より酸味が薄くて何だか青臭い。たかが塩だと思っていたら全く変わるので驚きでした。

 近未来小説を書くとき、いつも悩むのが食事の場面です。私は遠い未来の食事でもチューブ食などは無く、現代に近いように思います。なんと言っても美食は遠い昔から贅沢なわけで、発展した時代が美食から外れはしないだろう、という予想。ただ、歯が弱くなる上ものぐさになるので、ステーキよりもハンバーグ、魚も骨なし魚が主流、という時代になるかもしれませんが。

 せっかくの休日だというのに雪と雨。でもヒキコモリは飽きるし。とりあえず温泉にでも行ってこようと思います。肩凝りがひどいし。私は中学生の頃から肩凝りになる性質で、色々やった結果が「諦めよ」です。趣味がほとんど全部肩凝りの元なのでしょうがない。パソコンを使うと肩凝りになりやすいようですが、近年お洒落なマッサージ店が建っているのはその影響?

 CUI系ソフトウェアの解説ページについて廃止することにしました。興味の方向が変わった上、各記事を更新する気力がないもので。もし活用している方がおられたらごめんなさいです。本来が文芸サイトなもので(言い訳)。

 ところで、近所で開催予定の「詩のボクシング」に興味津々。でも参加するのは勇気どころか蛮勇が必要そう。

 ローマ法王が逝去しました。神仏を信仰する性質ではないのですが、大物が亡くなると興味が湧きます。法王を巡る小説があれば読んでみたい気がします。でも、これほどの信仰の中心にいる人物だと世間の環境上、書きにくいのでしょうか。見かけたことはないのですが。

 自己紹介にFOAFを追加しました。FOAFはメタデータの形で自己紹介をして人物像を描くものです。自分の人物像を描く手法には「100の質問」や自分史など色々とありますが、これはメタデータという形式のせいか中途半端な感じがします。

 人間関係に力点があるようですが、サイト上のつながり、人間のつながり、組織のつながり、そういった人間関係の多様性を考慮していない気がして微妙。たぶん物書きにはあわんな。

 同人の原稿締め切りが近いというせいもあるのですが、原稿が滞りがちです。同人の方に投稿予定の作品はSF系で純文学系に投稿するのはどうかという面もあるのですが、書き始めちゃったしまあ良いか、と。なお、ファンタジー中編も連載開始しました。こちらもよろしくお願いします。

 転勤、入学の季節になりました。私の身近も引っ越しやら何やらと慌しい雰囲気で、言葉の意味からすれば今の時期こそ師走に近いように思えます。今日、職場を退職する人に一同で花束を贈りました。でも、今の季節は天然であればあまり花のない季節。私だったら福寿草の鉢植えや、本州で咲いた桜か梅の枝でも貰えたら季節感もあって良いな、などとも思いました。世間の常識ではそんなわけにいかないでしょうが。

 回転寿司が新装開店していたので行ってみました。いかにも高級感の演出を意識し過ぎな雰囲気に結構違和感が。私の中では、回転寿司はファミリーレストランのちょっと玩具っぽい雰囲気が逆に良いように思うので。お茶でも服でも本物志向を謳った商品をずいぶん見かけますが、実際はどのぐらい違うのでしょう。実はモドキの方が好みに合ったりして。

 今日は引っ越しの手伝いに行ってきました。引っ越しの際にどの人も言う台詞が「意外にあるもんだなあ」。でも引っ越し屋さんが正確に見積もる辺りはさすがプロです。私自身はかなり荷物は少ない方なのですが、また少し減らそうかと引っ越すわけでもないのに何となく片づけをしてしまいました。

 共同通信の記事によると、食料の輸入が全て停止すると夕食はご飯1杯、焼き芋1本、焼き魚1切れ程度のメニューになってしまうそうです。以前から似たような話はありましたが、でも少し考えると、これに味噌汁と菜の物がつけば普通に和食のような。そもそも、日本の一人当たりの食料供給力は昔も今もこの程度なのかもしれません。

 などと言いつつカップ麺にお湯を入れる。

 最近ばたついているせいか、日記というより週記になっている今日この頃。端から不定期更新と宣言しておいたのは正解だったようで。

 先日、札幌駅前の佐藤水産で鮭おにぎりを買いました。300円なのでコンビニよりはるかに高いですが、両手で持つ大きさで、具の鮭もコンビニと違い本格的な塩鮭が入っていて非常に美味しいおにぎりでした。鮭は大好きなので、こういうおにぎりがもっと出て欲しいと思います。おすすめ。

 暖かくなってきたのと、長く放置すると車が壊れる(と脅かす諸先輩がいる)ので、数時間あちこち車で走ってきました。気づかないうちに近所の回転寿司が取り壊されており、ヒキコモリ(?)は怖いぞと実感。隣の建物が綺麗になっていたので移転するのかもしれませんが。せっかくなのでA4サイズ用の封筒を買おうと思ったのですが、意外にも蔦屋書店にもコンビニにもありませんでした。仕事以外の用途が少ないからだろうか。面倒くさい。

 livedoorニッポン放送の会社概要を見てみたのですが、livedoorは2001年以降、買収や合併を猛烈な勢いで行ってきたのが一目瞭然。一方のニッポン放送はそういった情報が見当たらず、ずっと単体で仕事してました、という印象を強く受けます。インターネットと放送の融合という話が出ていますが、音声限定のラジオと、視覚情報が中心のWebサイトという、両者に存在する五感の差異が見過ごされている気がします。この辺の感性は報道屋もIT屋も持ち合わせていないのでは、と思ったり。

 旅行中に読んだ雑誌に、ランドセルの改善に関する記事が載っていました。ほとんどの人は子供の頃ランドセルを使ったのでしょうが、私が小学校時代を過ごした小樽市ではナップランドという小樽市内の鞄店が開発した独自の通学鞄が一般に使われており、ランドセルはほとんど使われていません。そんなわけで、私の中では小学生時代ならナップランドという、他地域にない感覚なので、小学校の思い出話を書くのは要注意。ちなみに親の話では、ランドセルより軽くて簡単に洗えてその上割安とのこと。親にはかなり都合が良いそうな。

 昨日はひな祭りの日でした。最近思うのですが、一人暮らしをしていると様々な伝統行事から遠ざかってしまいがちです。近年、子供たちへの伝統行事の伝達に努める団体を見かけるのですが、10代後半から30代の伝統文化との距離に目を向けることは重要なように思います。とはいえ、こどもの日だけは子どもがいないと難しいでしょうが。

 今年は寺山修司の生誕70周年だそうで角川文庫がフェアを打っていました。しかし生誕70周年なら普通に誕生日を迎えている人が山ほどいるわけで、ずいぶんと早逝してしまったように思えます。私は彼の恋歌や海を詠った詩が非常に好きなのですが、今の現代詩ではあまり見ないので残念に思います。

 それにしても昨日も今日も私はパソコンばかりいじっていました。PCを捨てよ、街へ出よう。

 パソコンのカタログを見ていたのですが、最近のデスクトップはHDDが250GBといった値になっています。映像ならそのぐらい必要なのでしょうが、私の場合は原稿執筆とネットによる情報収集以外にほとんど用途がないので買っても無駄。車にはロールスロイスも大型トラックも軽自動車もあるのに、パソコンにあまりそういう差がないのは、やはりこの商品群が未発達だからなのでしょうか。いつまで経っても脆弱性が見つかりましたですし。

 ようやくサイトの改築を完了しました。MIMEタイプを含めXHTML1.1に移行しただけなので、見た目はほぼ変わっていないはずです。

 少し意味のある改築は、DoCoMoの携帯(iモード)からアクセスしたとき携帯に無駄なタグ類を送らないようにした点でしょうか。誰が携帯で見るんだという話もありますが。

 PHPとApache Serverをインストールしました。ちょっと1行ずれて書いただけ、という小さなミスでインストールに数時間悩んだのでかなり虚しい気分。でもやっと画面表示できて嬉しかったり。それにしても、このインターネット関係のツールや情報は無料のものや異常に安価なものが多い不思議な世界だと思います。実際、このサイトを作るのに使っているのはエディタとその他フリーウェアだけなので。でも儲けている人は気味悪いぐらい儲けているし。わからんです。

 今日まで建国記念日だと思っていたのですが、法律上の正式な名前建国記念の日だそうです。Wikipediaにあるとおり政治的な妥協が原因なのでしょうが「」1文字に、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日である、なんぞという意味を込めるというのもなかなか凄まじい言語感覚だと思います。

 今日は久しぶりに喫茶店へ行ってきました。そこにいた常連の男性が、スナック(飲み屋)のボトルはサービス料込みとは言え高すぎる、と愚痴をこぼしていました。この話でふと思ったのは、酒代とサービス料で分ければ良いものを何で無理に酒代で一まとめにするのかな、と。出前にしろソフトウェアの類にしろ、サービスに直接お金を払う文化が日本は弱いのかもしれません。お金で買えるのは物質だけ、という思考なのかそれともサービスに貨幣価値を認めていないのか。

 以前に印刷ベースの同人誌に投稿した小説「Digital Requiem」(初出:函館海峡文学会)を公開しました。題名を英語綴りに変更し、考証関係を少しだけ厳密化。コンピュータの話が多いので読者層的にはネット向けの作品です。

 今日は私の誕生日です。子供ではないくせに何となく嬉しいものです。この年数生きたんだな、という感慨でしょうか。またはRPGの「レベルが1つ上がった!」に近いような。私が80歳ぐらいになったらネット通販などはどうなるのだろうと考えたのですが、ホンダのASIMOのようなロボットに口頭や脳波で発注するようになっているのではないかと。そして老人だけが昔ながらのマウスとキーボードで操作して、言う言葉は「今どきの新しいものは使いにくい」そんな気がします。

 今日、水平線が白く縁取られていました。遂に流氷が到来です。白鳥は寒いのが好きなのか、やたらと元気そうでした。今年は試しに砕氷船に乗ってみたいな、などと思っています。移転して以来、サイトの見えないところを弄っていたのですが、やっと安定したので再び創作に戻ろうと思います。元来、プログラムには興味があるので宣言でもしないと止まらない。

文芸船profile & mail